7ー4 掃除屋襲撃
翌朝の朝食後、広報部隊に立ち寄って読売に頼んだ記事が載っていることを確認したオレは、いつもしている魔術鍛錬をやめた。
魔力を使用する鍛錬を削って、その分の時間を体をほぐすことに回した。
ゴーグルをはめて、イヤーガードは外して首にかけておく。
防寒用の分厚い支給品オーバーコートの下は、市街用制服ではなく戦闘用の制服だ。
出張任務でもないのに戦闘用制服を着ているのを見られ、警戒されてはまずいのでコートの前をしめる。
顔を隠すために、わざわざネックウォーマーまでつけてから、コートのフードを深くかぶる。
ゴーグルに曇り止めがされていなければ、目の前が蒸れて真っ白になるはずだ。
黒い竜鱗と鋲が指の背当て部分に打ち込まれ、硬度と強度強化の術式の刻まれた竜革の手袋は、人相手の戦闘には不要の代物だが、今日は必要になるかもしれない。
腰に巻いた杖帯の鞘に、愛用の杖を差し込んで、準備と覚悟を決めた。
本気で、殺さないように、戦う。
難しいけれど、やるしかない。
普段、人がいる時間には顔を出さないオレが、屋外鍛錬場に行くと、大勢の隊員が毎朝恒例の鍛錬場の整備をしていた。
日中は整備係がいるけれど、整備の手が多いに越したことはない。
雨が降るごとに花中庸めいていく空は雲ひとつなく晴れ渡り、日差しがみぞれ雨が凍った地面に反射して、ゴーグル越しでも眩しかった。
整備をしているのは、当然ながら若い隊員ばかりだ。
全員が鍛錬用の服と装備を身につけているので、鍛錬と待機当番の任務?を兼ねているのだろう。
どこの部隊に所属しているかは左腕の紀章を見ないと見分けられないので、一見では全員が実働部隊なのか、統括部隊や事務部隊の隊員が混ざっているのかはわからない。
「失礼」
「なんだよ……っギ、ギュエスト隊長?!おはようございますっ」
一番近くにいただけの隊員に声をかけたのに、最敬礼されてしまう。
「凍った泥を取り除いてもらいたいが、頼めるか」
適当なところに、低めの〝土壁〟を幾つも作り出し、その中に凍った泥を集めるようにと頼んだ。
少しでもこちらに有利な状況で〝掃除屋〟を迎える準備だ。
総隊長の許可は昨日のうちにとってあるが、屋外鍛錬場を使いたい隊員には申し訳ない。
周囲の隊員たちが、仕事を放り出して集まってくるので居心地が悪いが、オレ一人では泥は動かせない。
土は動かせるけれど、泥混じりのみぞれは〝水〟が混ざっているせいでなのか、魔術への抵抗が強いのだ。
オレ自身は意気込んでいるが、今日〝掃除屋〟が来る確証はない。
総隊長の言葉によれば「必ず来る」そうだが。
読売には30日、つまり明日と乗せてもらったのに、その前に来ると総隊長が言いきる理由がわからない。
「了解しましたっ!!」
なぜか瞳を輝かせる隊員たちが、我先にと作り出した土壁に向かって駆け出した。
半分以上凍っている水たまりの氷はまだ溶け出していない、そんなに走ったら滑って……あ、思いっ切り転んだ。
「ぎゃーつめてぇっ」
凍った泥の下の凹凸にでも足を取られたのか、転んだのはオレが声をかけた隊員だった。
「やれーっ」
「話しかけられて羨ましいんだよ!」
「埋まってろっ」
近くにいた隊員たちが、使っていたスコップで倒れた隊員に泥をかけていく。
器用なことに、土壁の中にも泥を放り込みながら。
なんだこれ。
「お前ら何やってんだよ、仕事中だぞー」
「ギュエスト隊長に敬礼!申し訳有りませんっ!!」
この場の全員が顔見知りなのか、やけに連携がいい。
隊員たちの言動には色々と言いたいことがあるけれど、口を挟むことでもないと思う。
楽しそうな姿を見ているうちに、オレにもこんな馬鹿騒ぎできる新人隊員の期間があればよかったのにと思ってしまった。
……早く学院に通いたい。
ロキュスにからかわれて、フロールに鋭いツッコミを入れられて、アルナウトの発言に悶えるとしても。
クサンデルは魔力の循環ができるようになったかな。
「ぐぁああぁやめろぉぉおぉ」
「もっとやれやれっ」
「お前ら、ギュエスト隊長の前で恥ずかしいことするなよっ!」
悲鳴に応えるように、複数の笑い声が周囲にこだましている。
遊んでいるように見えるが、同時に仕事もしている。
すごいな、器用すぎる。
見ていて気がついたが、今この場にいるのは階級記章の星が一つの隊員ばかり。
つまり、今年入ったばかりの新人で、まだどこの部隊にも配属されていないし、本部で寒季を過ごすのは初めてなのだろう。
慣れてしまうと毎日の屋外鍛錬場整備は億劫でしかないが、遊びとして受け止めれば楽しそうだ。
一年目の隊員は、どこにも配属されない。
個人差はあるものの、一、二年は同期隊員たちとの鍛錬になる、って聞いた。
実働部隊なら実力不足だという理由だと思うが、事務部隊や統括部隊まで同じように三年目からの配属なのは、どんな意味があるのか。
事務部隊に入る隊員に鍛錬が必要なのか。
実働隊の運営方向を考えているのは総隊長たちなので、オレが考えても意味はない。
でも、必要なのか?と思っちゃうんだよな。
新人隊員は全員が初見の隊員たちで、全員がオレより年上。
それなのに、なんていうか、盛り上がっている時の級友たちとあまり変わらないような?
悪い言い方をすると、ガキっぽい。
楽しそうな所を悪いけれど、監督している隊員に見つかったらどうするのか。
この場にいる全員、怒られるだろうに……と思いながら見ていると、ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
動きにくいオーバーコートの前ボタンをいくつか外して、裾を翻しながら周囲を見回して見ても、怪しいものは見当たらない。
しかし、昨日のムーンさんの精霊と対峙した経験は、思っていた以上に役に立っていた。
いる、見えないけれど、確かに存在を感じる。
「出てきてもらえないだろうか、ジェレミー叔父さん」
ムーンさんから教わった略称での呼びかけは、効果があったようだ。
「…………叔父さんなんて、他人行儀すぎるよ」
ムーンさんと同じ、美しいダークレッドの髪とフォレストグリーンの瞳の男性が、何もない空中から姿を現して、軽やかに鍛錬場へと降り立った。
何もない空中に、どうやって隠れていたというのか。
屋外鍛錬場は本部の一階だが、建物内と違い魔力を検知する魔術具は備えられていないので、姿を隠す魔術が使える者なら隠れるのはたやすい。
姿を隠す魔術が、混成魔術の上に高位階なので、使える人を見たことはないけれど。
さらにどうやって鍛錬場まで入ってきたのか、という疑問が残る。
本部の中を通らなければ、屋外鍛錬場へは入ってこれないのに。
姿を隠して正面から入ってきても、それ以上奥へ進むには階級記章が必要になる。
みぞれ状の氷が所々に残る鍛錬場の黒い土の上で、癖のある赤い髪が炎のように風で揺れた。
鮮やかな緑の瞳は、ガラス玉のように作り物めいて見える。
叔父だと思われる男性の姿は話で聞く通り、三十歳前後、と言ったところか。
髪と瞳の色はムーンさんと同じだが、顔立ちが彼女に似ているか?と言われると、よく分からない。
オレと似ているのか、も自分では判断のしようがない。
現れた〝掃除屋〟の言葉には答えずに、肩の通信機を起動して通信を入れる。
「〝お客人〟を確認、これより任務を開始する」
「——了解、ご武運を!」
「了解した」
昨日、決めた策を行動に移しても良いのか、と確認に行った際、総隊長は「読売に〝明後日〟と載せさせろ、必ずそれより前に来る」と言ったのだ。
これほど総隊長の想定した通りに、事態が動くとは思っていなかった。
総隊長はいつもと同じでオレには興味のない様子で、視線すらこちらに向けずに言っていたが。
マスメディアに情報を流しておびき寄せる、というところはオレ自身が考えた。
それだけでは、罠だと言っているも同然だった。
隊員であれ記者であれ、他人を巻き込まないようにおびき寄せることができたのは、偶然とは思えない。
裏で総隊長かヴュルフさんが動いて〝掃除屋〟がこの場に来るべく、何かをしたのだろう。
総隊長の性格的に、作戦を考えたのはヴュルフさんか、統括部隊の作戦立案をしている部隊だと思う。
今、入れた通信は、三階の統括部隊の総合控え室に届いている。
そこから、本部の全部隊、全隊員に通信が拡散されるはずだ。
本部の建物を破壊された場合。
街中で騒動が起きた場合。
〝掃除屋〟の目的がオレでなかった場合。
色々なことを想定して、各部隊がそれぞれの判断で動くだろう。
今からオレがすべきことは——掃除屋を、逃さず殺さず無力化すること。
隊員たちから離れて、赤毛の掃除屋に体を向ける。
声が聞こえる距離には、人がいないことを確認してから口調を変え、変声用の魔術具を解除した。
「初めまして、自分はヨドクス・ギュエストと申します。
初対面のところ厚かましいのですが、一つお願いをしても良いでしょうか?」
オレの地声を聞いた掃除屋は、目を瞬いて、一瞬だけ険しい表情を浮かべたのち、再び先ほどまでと同じ薄ら笑いの仮面を貼り付けた。
「何かな?」
「他の者に手を出さないことを誓約していただけませんか。
貴方の〝精霊〟に」
これは、総隊長からの入れ知恵だ。
〝精霊への誓約〟にどんな理由があるのかは知らない。
「……へぇ、いいよ。
じゃあ××××××××××××××、××××××××××××」
「ありがとうございます」
掃除屋は、鮮やかな緑の瞳をゆっくりと細めると、薄く笑った。
精霊言語を理解していないので内容は聞き取れていないが、今まで男の近くで動いていた何かが、周囲に被害を広げない事を願うのみだ。
「それじゃ改めて初めまして、甥っ子くん。
ボクはジェレマイア・ヘイスティングズ・サイクス。
君の母方の叔父だけど、叔父さんなんて呼ばずに、ジェレミーかジェリーって呼んでほしいな」
「初対面の方を、略称で呼ぶことに慣れておりませんので、次の機会がありましたら検討させていただきます」
掃除屋の態度は、教師たちと対峙している時を思い出させる。
相手の手の内がわからず、戦い方すら読めない。
とはいえ、教師たちを相手にした時とは違うこともある。
今感じているのは強い者と戦って負けることへの恐怖ではなく、薄気味の悪さを伴った困惑であり、自分の持つ手札が通用するのかわからないことからの不安だった。
胸の奥で小さく灯った炎が、ゆっくりと熱を全身へ送り始めた。




