5ー8 自尊心
「薄汚いドブネズミが、どっから入ってきやがった?」
すぐそばまで来た大男の言葉を聞き流しながら、そっとフードの下から伺う。
野太い声からも分かるように、でかい男だった。
まともに顔を見ようとすると、ほぼ真上を見ることになるってことは、スメールデルスと同程度かこの男の方が背が高いのだろう。
襟首を掴まれて体勢が崩れているのを言い訳にしても、オレの身長は大男の胸に届いてない。
顔が見られないように気をつけると、相手の顔も見えない。
襟首を掴まれているし、フードが取れては困る。
多分、恐らく、初めて見る顔だ。
こんな大男に出会った記憶がないから。
学院に通いだして半巡り以上が無事に過ぎ、その間に支部の隊員に絡まれたのは、二日目のみだ。
その時に出会った……なんとか副支部長の女性に伝えておいたので、その後は見つめられているな、と思うことはあっても絡まれはしなかった。
鉄板を滅多打ちしていたような、頭に響く警報音は自然に止まって、支部の中は静まり返っている。
とっさに声を変える魔術具に魔力を流し込んで起動し、渋い声に変える。
再び鳴り響く警報音に、男が顔をしかめた。
魔術具の起動でも反応するのか、厄介な感知器だ。
えーと、どうしたら一番穏便に解決できるか……やっぱり責任者に丸投げだよな。
「支部長か副支部長に話を通せ」
「はあ?俺様が副支部長のルートヘル・ベーンだ。
話ってのはなんだ、ドチビ?」
……なぜだろう。
普段は身長のことを言われても、ここまで頭にきたりしないのに。
こいつは、許しておけない気がする。
本部の隊長として支部の隊員に手を出してはいけない。
頭ではわかっている、けれど、ものすごく腹に据えかねる。
「支部長か他の副支部長に話す」
「小さい犬っころがよく吠える、どうせ薄汚い孤児上がりが取りいろうって考えだろうが?
優しく言ってやってる間にとっとと消えろ。
それともコソ泥の類か?」
「どちらも違う。
北区支部では隊員間で情報伝達がなされていないのか?」
腹の底でうごめく怒りが、目の前の髭面の男の顔に浮かぶ野卑な笑みを見た瞬間に、沸騰しそうになった。
初めて見る相手のはずなのに、すごく気に障る。
それでも、理由もわからずに気に入らないというだけで、北区支部の自称副支部長をぶちのめすわけにはいかない。
我慢しろ。
他の人が来れば、誤解?がとける。
「ああ?天下の実働隊に乗り込んできて、喧嘩売るたぁ穏やかじゃねえな?
ちょっと痛い目にでもあってもらうか」
「何を下らないことを言っている。
自分はそんな話はしていない」
「ああそうかい、生意気なチビだ、うるさくさえずらねぇように黙らせてやろう」
オレの倍以上ある拳を握りこむ、自称ベーン副支部長を見ながら、会話を望んだことも、怒りを我慢したことも無駄になってしまったらしい、と未だに襟首をつかんでいる背後の手に指を添えた。
最後の望みをかけて、口を開く。
「実働隊の隊員として、ふさわしい行動とは思えないが」
「ハッ!一人で詠ってろ!」
〝燃焼〟を指先に一瞬だけ発動する。
「ッイってぇ!?」
耳をつんざくような警報が再び鳴り響く中、背後の誰かが手を離すとほとんど同時に、自称ベーン副支部長が殺しかねない勢いで殴りかかってくる。
ここは鍛錬場でもないし、下手すれば外から見えるような支部の入り口近くだ。
こいつ、何も考えていないのか?
オレのことを孤児やコソ泥だと思っているなら、一般市民を相手に暴力を振るっていることになる。
実働隊の隊員が一般市民に手を出すことは許されない。
思い出せ、自分の首を絞めているって?
ロキュスは謝罪を受け入れてくれたし、もう二度としない。
絶対に。
友人を失うような行動をとることはしない。
あんな思いをするのは、一度で十分だ。
本部実働部隊の隊員の主な仕事は、自己鍛錬、緊急時の人命救助と王都周辺の下級魔物の駆除であり、王都内での対人戦闘は管轄外になる。
つまり、治安維持のための警らはしていても、現行犯以外で人を相手に動くことはない。
支部もそう変わらないだろう。
本来であれば、住民を相手にして治安維持に奔走するのは、衛兵隊の仕事だ。
実働隊や支部の隊員たちは、訓練にかこつけて警らの真似事をしているに過ぎない
実働隊では魔物が出なければ仕事がない。
支部に至っては、本部の控えの人員になるので、余程のことがなければ王都の外に出ることもないだろう。
鍛錬だけの日常に、真面目に取り組むのが楽しいわけがない。
暇をもてあました隊員たちが騒ぎを起こすよりは、自警団まがいの行動を許可した方が良い。
対象が違っていても戦闘職の苦労がわかるからこそ、衛兵隊も大目に見てくれているのだろう。
実際のところは知らないけれど。
お互いに配慮をして、住み分けをしているからこそ国民からの反発が少ない(と思われる)のに、先達が苦労して高みに引き上げた実働隊の名を、こんな下らないことで地に這わせようというのか?
現在のオレには、実働隊の隊長という肩書きが全てだ。
隊長に相応しい立派な人格者でないことは自認している、理解しているからこそ頭にくる。
今の立場は望んだものではないけれど、穢されて嬉しいはずもない。
こんな奴の上に立っていると思われたくない。
濃い紺鼠色の髪と瞳を、暴力への期待で輝かせる自称副支部長を見ながら、自尊心を踏みにじられた怒りで体が震えた。
「『身体強化:筋力強化』」
「這いつくばって靴でも舐めてろっ!!」
「へ?あ、ベーン副支部長っ!」
頭上から降ってくる巨大な拳を避けながら、ゆっくりと踏み込んで突きだしたオレの拳が、自称ベーン副支部長の腹へ深く突き刺さる。
あえて踏み込んだのは、苛立ちを込めてえぐるように衝撃を与えるためだ。
自称副支部長が先に手を出したから、これは正当防衛にあたる、って……ちょっと言い訳すぎるだろうか。
魔術を使用した時点で、自称副支部長がどれだけ体を鍛えていても意味はない。
人でありながら魔物並みの硬さの表皮や腹筋、生命力を持っているなら話は別だが。
「っっ!?っお、ぅごえぇ」
体を半分に折って、その場に口から腹の中身をぶちまける大男を避け、一足飛びで奥へと足を進める。
腹に穴が開かないように手加減をしてやったのだから、感謝してほしいくらいだ。
というのは建前で、人相手にどの程度の強化なら死なないのか?がよく分からないので、身体強化を全力の一割に抑えてみた。
ちなみに今現在のオレの肉体では、全力での身体強化に耐えられない。
魔術としてはかなり使い込んでいるのに、体が一向に成長してくれないせいだ。
自称ベーン副支部長は、その場でガクガクと痙攣しながら自分の吐いたものの上に倒れこんだ。
その姿を見て、言うつもりのなかった言葉が口から出てしまう。
「売られた喧嘩を買ってやった礼を言え」
「おぇ、な、テメェ、うぉえぇ、殺し、てやるっ」
内臓への衝撃は通ったようだが意識はしっかり残っている。
体格がいいだけあり、なかなか頑丈らしい。
今の手応えなら、もう一割、強化を上乗せしても大丈夫かもしれない。
内臓が破裂したら困るけれど、このまま実働隊の隊員らしからぬ態度を取り続けるのであれば、多少は痛い目にあってもらう必要も出てくる。
愛の指導(建前)ってことで。
頭を上げようとしているのか、吐瀉物まみれの顔を痙攣させる自称副支部長。
鼻をつくような不愉快な匂いがするので、そのまま倒れていてくれないだろうか。
「何をしている!!」
外で大勢の足音がしたかと思えば、初めに一度だけ会ったきりの支部長が、複数の隊員を連れて支部の中へなだれこんできた。
周辺の治安維持任務で、警ら活動をしていたらしい。
支部長の後ろに並んでいる隊員たちは、その手に武器?のようなものを持っている。
「何だこれ」
「おいおい」
「暴漢か?」
支部隊員たちが、先が二つに分かれた武器を構えかける。
やるというのなら相手をしてやってもいいが、責任の所在をこちらに投げるのは勘弁してほしい。
オレは殴りかかられた拳を避けて、それから攻撃したからな?
自称ベーン副支部長をやり込めてやろうとカウンターは狙ったけれど、無力化を目的にしているのは本当だ。
人間の爆散なんて、気持ち悪い光景に決まっている。
竜種の駆除任務時に首を落とすのは、腹の中身を浴びたくないからでしかない。
魔物でも嫌なのに、人間の中身なんて見たくない。
一瞬、険悪な雰囲気になりかけた支部内だが。
「……あの、これは?」
支部長はフードをかぶったままのオレと、表情だけはヤる気なのに、未だに床の上で震えている自称副支部長を見比べる。
みるみるうちに青くなっていく支部長の顔は、見世物にできるくらい劇的だった。
支部長が戸惑って悩んでいるのを感じ取ったのか、以前にオレが「次は無い」と告げた女性副支部長が、真っ青な顔で最敬礼をオレへ向けた。
あ、こいつ説明も弁明も諦めた。
なぜかそう思った瞬間、女性が声を張り上げた。
「総員、ギュエスト第一隊隊長に敬礼!!」
「「「「「??!…………はっ!!!」」」」」
女性副支部長がものすごい強引な力技で場を収めたものの、直立不動で敬礼している隊員たちの頭の上に、疑問符がたくさん浮かんでいるのが見えるようだ。
この場をなんとかすることなんてできない。
全部丸投げして逃げることにする。
そもそも、支部側の伝達が不十分なのが問題であり、オレの責任ではない……はずだよな。
ここで見逃してしまうのも、これからの通学に支障がありそうなので、厳しい態度を心がけておかないと。
というか、責任転嫁しておかないと、手を出したことを叱られそうだ。
正当防衛を狙ったけれど、こっちはかすりもしてないし、王都内で魔術を使うな!と言われたらどうしようもない。
ずるくない!叱られたくないだけだから。
「次は無い、と言ったはずだ」
「申し訳ありませんでしたっ!!」
明日から、どうしよう。
隊員に関わるなって言われたのは、もしかしたら、あの猪突系の自称副支部長がいるから、だったりするのか。
せっかくいい気分だったのに。
「……な……って…………だろ」
足元に転がっている自称ベーン副支部長が、何かをモゴモゴと話そうとしているけれど、苦しそうな呼吸の音に紛れて聞き取れなかったので聞こえないことにしておく。
もう関わりたくない、とさっさと階段を登ろうとすると、目の前に誰かが立った。
「あ、握手をお願いいたします!」
ターコイズ色の髪と瞳の若い男が、なぜか両手を揃えて前に突き出している。
握手?なんのために?
「ジァラニヴィク王国からやってきました、ルートヴィヒ・マルクルと申します!
祖父母がオスフェデア王国に住んでおります!」
ジァラニヴィク王国?
オスフェデア王国が背を預ける友好国で、強国の一つだが、オレには縁もゆかりもない国だ。
何が言いたいのだろう?と思ったが、ここで立ち止まってしまい、隊員たちに周囲を囲まれでもしたら、帰れなくなる。
今はゴーグルで顔を隠していないし、髪色、瞳色も偽装したままなので、見られるのは困る。
「そうか、頑張りたまえ。
これで失礼する」
「は、はいっ!ありがとうございます!!」
握手はしなかったが、ごまかされてくれた。
偶然ではあったけれど、この隊員の顔と名前を知ることができたのは幸運だった。
いつか彼に循環特化型魔術の話を聞く機会を作ろう。
そういえば、誰も倒れている自称ベーン副支部長を介抱しようとしないんだな。
支部の中で情報伝達がされていなかったのも、そのあたりが関係するのかもしれない。
鳴り響いていた警報が停止するのを支部長室で聞き届けてから、北区支部を後にした。
ものすごく疲れたのは、きっと気のせいじゃない。
5終わり
登場人物入ります
↓
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登場人物紹介
一年四組の女子 (名前は出てない
エリート(?)の一組と試験で点取り合戦ができる(天才か秀才かは不明)
治療士を目指しているらしい
——
ハブリエル・サッセン 男 四十代前半
実働隊本部、実働部隊第八隊隊長
青髪、瞳 2m越え
豪快で腹芸ができない第八隊の隊長、クサンデルの父親
愛嬌があるためか、筋肉質で大柄な男性にしては威圧感を感じさせない(筋肉量はスメールデルスとニュマンの間くらい)
料理ができる




