5ー7 幸福な食卓、そして騒動
サッセン家の今晩の夕食は、具沢山のスープと、分厚い豚肉に香辛料を擦り込んでじっくりと焼いたもの。
酸味の強い黒パンと、食後にはサッセン隊長が用意していた、蜜煮のりんごが丸ごと入ったパイまである。
「あの、ヨドクス、さん?」
「今までと同じでヨーと呼んでほしい。
小さい頃から、ずっとそう呼ばれていた」
クサンデルが、偽名で呼びかけるべきかどうか悩んでいるようだったので、ヨーが偽名であって、偽名じゃないと伝える。
教師たちにはオスフェデアの名前である〝ヨドクス〟は発音しにくかったらしい。
一人を除いて、いっつも「おいヨー」とか「ヨーよう」と、誰に呼びかけているのか不明な呼び方をされていた。
どう考えても愛称で呼ぶ、みたいなもんじゃなかった。
ちなみに、ヨーっていう名前は女性でも有りらしい。
女顔でなくてよかったって心から思う。
「そっか、じゃあヨー、本当にギュエスト隊長なんだよな」
「ああそうだ、でも隊長とかいらない、クサンデルは部下じゃないだろ」
「うん、そうだな」
クサンデルはオレを上から下まで眺めて、一つため息をついた。
「本当だって頭ではわかってんのに、信じらんね」
「それは……すまない、のか?」
「髪の色とか変えてるんだよな、昨日見せてくれたし」
「ああ」
室内なら隠す必要もないか、と両耳のイヤカフ型魔術具を外して、鬱陶しい前髪を搔き上げる。
頭部防具付きのゴーグルをはめる時に邪魔なので、普段から前髪は後ろに流している。
髪を短くしたいけれど、あまり短くすると今よりももっと幼く見えるからできない。
そういえば、髪を切りに行こうと思っていたのに、忘れていた。
「本当に、本物なんだよな」
「……そんなに何度も確認しないといけないことか?」
ずっと実働隊で働く気はないので、隊長としての威厳などいらないと思っているが、そこまで不安そうにされるのも、自信がなくなる。
頼りないって思われるのはいいが、いざという時に信用がないのは困る。
鍋を木べらで混ぜながら、複雑そうな表情をするクサンデルを見守ることにした。
いや、放置かもしれない。
なんと声をかければいいのか、全く思いつかなかった。
所々で、細かい騒動はあったものの、無事に夕食は完成した。
食卓を三人で囲んで、サッセン家の二人が食前の祈りを上げているのを見ていた。
ここで勝手に食べ始めるのはちょっと……くらいはわかる。
振る舞われた夕食は、学院とも本部の食堂とも違う、家庭的な味だった。
大鍋で大量に作られた料理とは、何かが違う。
美味い不味いの問題でなく、なんて言うか、こう、素朴な味がするのだ。
「ギュエスト隊長は、休みでしたかね」
「ああ、今夜から明朝待機の当番だ」
「え!学院に行きながら当番まで?それ、いつ寝てるのか聞いても良いか?」
「学院から戻ってから、時間まで寝る」
「……まさか、朝はそのまま寝ないで学院に?」
「ああ」
何の変哲も問題もない会話のはずが、サッセン隊長が難しい顔をしてしまう。
「こんなことを言うのは酷かと思うんだが、睡眠時間が安定しないで寝不足だと、成長が止まるのでは?」
「なっ!?そ、それは本当に?」
衝撃的な内容に、思わず口に入れようとしていた肉を皿に落としてしまった。
「嘘だろ?寝る時間しか削るところがないのに!」
「総隊長に頼んでみたらいかがで?」
「身長を伸ばしたいから、寝る時間を確保させてくれ、とでも?
さすがにそれは言いにくい」
食事をするのも忘れて頭を悩ませていると、クサンデルが呆れたように、オレの前に乳の入った器を差し出す。
「とりあえず飲んどけよ」
「……」
糖蜜が入っているのか、ほんのり甘い乳を飲みながら、ふと気が付いたので、サッセン隊長に聞いてみる。
「そういえば、なぜ自分が背を伸ばしたいことを知っている?」
「え……いや、それは、な?」
話を振られたクサンデルは、隊長に冷たい視線を送った。
「な?って言われても知らないよ」
ごまかされた、と思ったが、特に何も言わないことにした。
オレは、そんなにわかりやすい行動をしていたのだろうか。
◆
「世話になった」
「いいえ、これからも愚息をよろしくお願いいたします」
「親父をよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしく頼む」
帰り時には、来た時の緊張と居心地の悪さなど消えていた。
髪と瞳の色を偽装したオレは、クサンデルに手を振った。
サッセン隊長に手を振るのはちょっと無理があるので、略式敬礼をしておいた。
こちらを見たクサンデルが目を細めて笑う。
「これからは仕事で抜けるときに手伝ってやれるし、ちゃんと言えよ。
また明日な」
「ああ、また明日」
よかった。
心の底から、そう思えた。
オレは初めての友人を失わずに済んだ。
サッセン隊長の提案とクサンデル本人からの申し出で、任務で学院を離れる時の理由づけを、助けてもらえることになった。
アルナウト、フロール、ロキュスの三人には悪いが、学院で正体が露見しないように、と気を使う必要が少し減ったのだ。
少なくともラウテルさんとクサンデルの二人がいれば、いざという時にごまかしてもらうのも、簡単になるだろう。
講義の途中で抜けなくてはいけない時も、これまでより気が楽だ。
◆
これが、怠慢と油断に繋がらないように、と気持ちを切り替えて、オレは北区支部の建物内へと足を踏み入れた。
詰め所の奥にある階段を目指そうと、周囲に隊員がいないことを確認してから、歩みを進めようとしたその時。
「ちょっと待ったー!」
突然吊り上げられるように、後ろから体が引っ張られる。
寸前まで気配など感じなかったのに、気が付いたらオーバーコートの襟首を掴まれていた。
いくらオレが気配察知が苦手だからといっても、これは異常だ。
「っ!?」
「ここは一般人は立ち入り禁止だよ」
何だ、こいつの速さは!?
一瞬だけだが、人ならざる動きを見せた相手に興味が湧いた。
思わず反射的に〝解析〟を使ってしまうと同時に、支部内に警報が響き渡る。
「誰だ!支部内で魔術を使った阿呆はっ!!」
上階から大声量のダミ声が轟いて、ずんずんと揺れるような足音が階段を降りて来た。
すぐに背が高い上に、横幅もオレの三倍はありそうな男性が姿を見せる。
目つきが悪いわけでは無いのに、横暴そうな顔立ちに見えるのはなぜだろうか。
支部の一階にも本部と同じように、魔術の使用を感知する魔術具が設置されていたらしい。
攻撃系の魔術だけに反応すれば良いが、盗撮や通信を防ぐために、魔術使用そのものを感知するように設定されているのだろう。
転移陣を最上階の支部長室に設置してあるのは、一階にある魔術使用感知の魔術具に干渉しないためだったのか。
設置型の転移陣は高価だから、盗難防止が理由かと思っていた。
オレは顔を見られないように、と必死でフードを押さえて顔を隠している。
広義で同僚と言える支部の隊員に、こちらから攻撃してしまうわけにはいかない。
前回、きちんと警告をしたのに、まだ通達されてないのか?
いや、そんなことよりも、こいつ、オレの襟首を掴んでる奴、ぜひ話がしたい!
解析によると、この隊員?は下の上の適性しか持っていない。
本来なら支部であっても採用されるはずがないし、奇跡でも起こらない限り、属性特化型魔術は使えないはずだ。
魔術が使えないはずなのに、明らかに普通ではない動きをした。
そうなれば、それは魔術しか考えられない。
魔術使用感知の魔術具に、反応がないのは不思議だが。
この隊員?は〝循環特化型魔術〟を使っている確率が高い。
オスフェデア王国では、ほとんど知られていない、使われていない魔術だ。
オレはこれを、クサンデルに学ばせたいと思っている。
クサンデルには〝属性特化型魔術〟の適性がない。
区分で言えば中の下、適性と相性の悪い耐性を持つ〝才能ある無能者〟だ。
だから魔術が使えない?
実働隊の隊員になれない?
夢を諦めるしかない?
それは違う。
属性特化型魔術が使えないなら、他の魔術を学べば良い。
現代で運用されている魔術は一つではない。
習得への道は険しいとしても、使えないものを使いこなすより、楽な道になるはずだ。
イルギジャラン帝国と、その植民地下で使われているのが〝精霊施行型魔術〟。
精霊と契約する方法が秘匿とされているので、学ぶすべがない。
しかし〝循環特化型魔術〟は、違う。
これは、多くの一般販売されている魔術具で使われている。
最低限の魔力と、正確な知識と、本人の努力さえあれば、ある程度使うことができる魔術だ。
属性特化型魔術の術式を刻印して、基底に組み込んだ魔術具は、属性に適性がない者には扱えない。
属性を持つ者でなければ、起動できないのだ。
しかし今では、誰の魔力でも属性を帯びた魔力に変換する、循環特化型魔術を組み込んだ魔術具を外付けすることで、ほぼ誰でも魔術具が使えるようになった。
とはいえ、属性特化型魔術の魔術具は値段が高い。
作る者にも属性への適性が必要になる上に、当たり前のこととはいえ職人でなければ作れない。
しかしここ数年、王都内で見かけるようになった、循環特化型魔術のみを組み込んでつくられた魔術具は、属性適正など関係なく、魔力さえ流し込めば起動することができる。
作り方に関しては知らないが、平均で属性特化型魔術具より二割ほど安価だ。
オレが使っている偽装系の魔術具ももちろんこれになる。
放出系魔術を使うことで、魔術具への魔力供給が解除されてしまうので、細かい起動条件の調整はしてもらっているが、とても便利だ。
循環特化型魔術の魔術具への導入によって、人々の生活は一気に豊かになったと思う。
オレが街中で暮らすようになった時には、すでにどちらの魔術具も普及していたので、これは書籍で得た知識でしかないけれど。
〝循環特化型魔術〟が魔術具には組み込まれているのに、一般に広く使われて、流布されていない理由。
それは単純に循環特化型魔術が、扱いづらいからだ。
術式がややこしい、のがほぼ全ての理由になる。
初めに術式を刻み込んだら、壊れるまで使える魔術具ならば良いが、口頭詠唱なんてしている間に三回は魔物に殺されるだろう。
オレも簡単な術式はいくつか習ったが、属性特化型魔術の適性の方が遥かに高かったので、習得には至らなかった。
教師たちも、実用で使えるところまで教える気がなかったように思う。
それはそれとして、上階から下りてきたこいつは誰だ?




