1ー1 少年の日常
文中の(※)は後書きで補足します
180415 茶菓器
目の前の光景を見ていたら、ふと、(※)暑季雨の後のどこまでも突き抜けているような空の色を思い出した。
青くてどこまでも広がる空の向こうに、いつか行きたい。
子供の頃の、叶え方も分からない夢の話だ。
寒季らしさを日毎に増す空一面の曇天から視線を下ろして、ところどころに枯れ木が残る荒地を見渡す。
一瞬の青空の幻は、荒地に転がる下級竜種の死骸を見たくなくて、無意識のうちに生み出したものなのかもしれない。
頭の奥が重く痺れていることに耐えながら、杖の柄を握りこむ。
柄に巻かれている革も、はめている革手袋もじっとりと濡れている。
これが臭くてぬるつく体液でなく、冷たい雨ならまだ我慢できるのにな。
そんな風に現実逃避しながらも、全身が竜の体液にまみれているので、杖がすっぽ抜けないように気をつけようと思い直す。
それにしても眠い。
愚痴を言っても何も変わらないが、眠くてつらい。
今朝、顔を洗った時には、自分の顔色の悪さに思わず笑った。
元から日焼けしにくい肌質だとはいえ、まるで墨でも塗ったような眼下の隈と顔色で、自分が限界に近いことを知った。
理由はわかっている、もう(※)一巡り近く、ほぼ不眠不休で働いているから。
実働隊本部所属の治療術士には「体力回復系統の魔術や体力、精力回復剤を使用しても、根本的な疲労が蓄積しているせいで、効能通りの効果が出ていない」と言われた。
お小言なのか説教なのか、よく分からない話を長々とされた後に「効果が出ない薬など飲まずに、とにかく休め」と言われた。
でも、休めない。
本音を言えば、三日くらい休んでしっかりと寝たい、惰眠を貪るなんて最高だろう……とはいえ三連休なんて無理なので、休まずに働ける体が欲しい。
そんなことを思いながら、大口を開けて迫ってきた下級竜種の首を〝青刃〟を発動しながら切り裂くと、超高温で焼き切ったはずの傷口から、体液が滝のように降り注いだ。
喉を裂かれた竜種が、絶叫を上げながらのたうちまわるのをなんとか避けて、首を切り落とそうとするけれど、うまくいかない。
一撃で駆除するつもりだったのに、溜まった疲労のせいで集中力を欠いて、魔術を高威力発動位階で発動できていないことはわかっている。
駆除後に素材として回収される竜の死骸を必要以上に傷をつけないために、体液を浴びないために、わざわざ焼き切っている意味がない。
顔の上半分と頭部を部分的に覆う保護ゴーグルと、音量を軽減遮蔽するイヤーガードのおかげで、巨体が崩れ落ちる轟音は遥か遠くの音に聞こえる。
それでも水とは違う粘度を持って足元に溜まっていく体液の匂いや、首から噴水のように吹きだした体液そのものを避けることはできない。
物理遮断の結界を展開していれば防げるが、個人的な理由で使えない。
首を焼き切ったつもりで逃げなかったので、また全身が臭い体液まみれになった。
乾きかけていたところに上掛けをした状態になって、匂いとねとつく全身の不快感が更新されただけだ。
眠い上に腹も減ったな、と現実逃避を始めたところで後ろから肩を叩かれた。
振り返れば、そこには青黒い体液まみれのオレとは違って、まったく汚れていない副隊長がいた。
いつでも険しい表情を浮かべている副隊長が普段通りであることに、少しだけ安堵した。
副隊長の名前はアヌーク・フィンケ。
細身の体を紺青色の戦闘用制服に包んで、略式敬礼をしている。
そして、いつもと同じように、眉間にくっきりとした二本の縦じわを刻んでいる。
有能で知識も豊富なのに、オレなんかの下につけられてしまった、とても運が悪い女性だ。
ちなみに、常にある眉間の縦じわがなければ、かなりの美人だと思う。
フィンケ副隊長が手に持っている槍型魔術具の穂先には、竜種の体液が付着しているので、オレと同じように駆除任務に奔走していたのは、疑いようがない。
魔物とはいえ、一方的な殺戮が続く現場にはふさわしくない、出動時とほとんど変わらぬ姿。
彼女の魔術使用適性が、結界系を含む〝影〟属性であることを心から羨ましいと思う瞬間だ。
一滴の血飛沫すら防ぐ、結界系魔術の威力は凄い。
竜種との直接戦闘には向かない適正なのであまり無理はして欲しくないが、ここまで違いが出ているのを見てしまうと、恥ずかしさすら覚える。
「 」
「あ、悪い、聞こえてない」
口を開いたフィンケ副隊長の姿を見て、慌ててイヤーガードを外して耳を傾ける。
「お疲れ様です、ギュエスト殿。
今しがた倒されたのが、此度の竜種暴走の最後の個体と思われます。
周辺の確認が終わり次第、撤収作業に入りますので、先に休まれては如何でしょうか?」
「そうか、でも自分だけ休むわけにはいかない。
確認が終わってからにする」
今のオレにとって一番の望みでもある、睡眠への誘い。
甘美な誘い文句には惹かれているが、周囲には首を切り落とされたり、腹を裂かれた下級竜種の死骸が点々と転がっている。
死骸は広範囲に点在しているし、放っておくわけにはいかない。
死骸の回収に部隊が派遣されているといっても、事態の収拾には数日かかるだろう。
——今回の竜種暴走は前代未聞の規模だった。
上級や中級の竜種に比べて、比較的大きな群れを作りやすい下級の地這系竜種とはいえ、百を超える頭数の群れを見たのは始めてのことだ。
一つの群れの規模として、第一隊の総員二十三名で対処するには数が多すぎた。
先ほどのフィンケ副隊長と、第一隊のもう一人のニュマン副隊長、隊長のオレの三人で三十頭は受け持てるとしても。
全員で一斉にかかっても、半分の五十頭程度を一度に駆除するのが精一杯。
全員で総当たりを選んだ場合の隊員の消耗と、失敗時の損耗を考えて、今回は長期戦を選んだ。
移動する下級地這系竜種の群れを、統括部隊の援助も受けつつ交代で監視しながら追いかけて、刺激しない程度に群れを削り続けて、今さっき、ようやく全頭駆除が終わった。
はずだ。
死骸を放置しておけば周辺の環境を汚染するし、運が悪ければ死んでるのに動く理不尽な存在である腐敗竜になって、再び王都へ向かって暴走を始めてしまう。
片付けを部下に任せて、自分だけが寝こけているわけにはいかない。
「今回の竜種暴走が確認されてから、最前線に詰めっぱなしですよね?
隊長が休まないと隊員も休みづらいので、どうか休んでいただけませんか?」
「え、うん、わかった」
フィンケ副隊長の青みがかった紫の瞳に見つめられて、思わず頷いてしまった。
不思議なことに、時々こういうことがある。
言葉にしていないのに、なんかこうすごい威圧感があるのだ。
「最前線詰所に簡易寝台を運ばせておきましたので、本当に寝てくださいね!」
そんなに念押ししなくても、寝るよ。
と背後に手をふりふり、ふらつく足で竜種暴走災害対策の最前線詰所の天幕へと戻る。
魔物の駆除を主な任務にしている本部実働部隊において、第一隊は巨躯魔物(主に竜種)の駆除任務に特化している部隊である。
とはいえ、隊員二人掛かりで下級竜種一頭を相手にするのがやっとだ。
隊員が弱いわけではない、竜種は全ての魔物の頂点の存在だ。
実働部隊が国営の専任戦闘集団であっても、そこに所属しているのは人であり、人が竜種の駆除を行える方が異常なのだ。
普通なら竜種に遭遇した時点で人生が終わる。
つまり人の身で魔物を相手に戦うのはとても大変なので、とても眠いし、とても疲れる。
疲れ過ぎて考えがまとまらない〜と思いながら歩いていたら、幸運なことに短距離転移の魔術具を持つ、統括部隊の派遣隊員に拾われた。
竜種の死骸の搬送に駆り出されているのに、足代わりに使っては申し訳ないが助かった。
「隊長君ー」
「隊長様っ」
「隊長閣下!」
詰所として設置されているテントに到着して、長距離を歩かずにすんだ幸運を喜んでいると、かるく頭一つ以上の身長差がある部下達が群がってきた。
実働部隊の隊員は、基本的に体がでかい。
戦闘を職業にしているだけあり、背が高いだけでなく、筋肉の鎧を身にまとっているのだ。
つまり背が高くて上背もあり、体は分厚く肩幅もある。
人数がいれば、見事な肉の壁だ。
普段から屈強な部下たちの姿を見慣れているので、首が痛くなるほど見上げることになっても、威圧されているとは思わない。
体力仕事、ここに極まれり!な任務ばかりなので仕方ないとはいえ、壁が迫ってくるような圧迫感を与えられるたびに、オレもでかくなりたい……と痛切に思う。
実働部隊は、基本的にツーマンセル制度が採用されている。
強さや種に関係なく、魔物に一対一で挑むなんてのは、死にたいやつか、おかしなやつしかいない。
よほど性格が合わない、という場合を除き、隊員の所持適性の相性で相棒は決められている。
ちなみに寄ってきたこいつらは、気がつけばいつも三人一緒にいるけれど、バディ同士ではないという不思議な奴らだ。
「これ、安眠のお供のホットミルクですよー」
「我が姿を模した、最高の抱き心地の抱き枕でございますのっ、お使いくださいませっ」
「最高級のスパイダーシルクのパジャマでございます!」
腹に響くような低い声で体格のいい男たちに迫られて、なんで最前線にそんなものを持ってきているんだ、と思っても、眠たすぎてうまい切り返しが思いつかない。
個性的すぎる面々に囲まれたせいなのか、まぶたが痙攣して頭が鈍く痛む。
「いらない」
「ええええー」
「うるさい」
「えええええっ」
「汚れを落としてくれ」
「はい!『完全洗浄』!」
「助かった、寝るから」
「お休みなさいませー」
「お休みなさいませっ」
「お休みなさいませ!」
色々と言いたいことは多いが、第一隊の部下たちは有能だと思う。
有能なんだけど、なんか思っていたのと違う気もしている。
でも、本当にもう限界だ。
布を張って仕切られていた硬い寝台に倒れこむと同時に、眠りに落ちた。
◆
オレの両親は英雄だ。
とはいえ、両親の声も知らなければ、姿を見た記憶もない。
顔は知っている、ただし肖像画という形でだ。
十六年前、長く続いた大陸間戦争が終結した。
オレが生まれ育った〝オスフェデア王国〟は、国土面積が小さな上に第一次産業が主要産業の国だ。
両親は大陸中を彷徨った後に、安住の地としてオスフェデアを選んだ。
農業や酪農、水産に林業などが盛んで、(※)暑季は過ごしやすく(※)寒季の積雪は少なく、牧歌的でのどかな国であることが移住を決めた理由かもしれない。
しかし、ここでつましい一般人として暮らせばよかったのに、王国内で名をあげた両親は、大陸間戦争で国土と民を守り抜いて戦場に散った。
現在も復興を推し進めている王国は、張りぼてで作られた平和を享受している。
なぜ今の平和が張りぼてにすぎないのか、は実働部隊の王都外出張任務の多さ、傷痍除隊に追い込まれる隊員の数から明らかだ。
これらの事実が一般人に秘匿されているのは、正しい判断だと思う。
戦うことのできない人々に絶望を与える必要はない。
移民の子でしかないオレには、血縁者も近親者もいない。
英雄の遺児という肩書きと親譲りの素養を、政争に利用される可能性を考えた王家の意向で、個人の家に引き取られることなく、国の所有物として育てられた。
この事実を知ったのは四年前だが、親が亡くなった当時で一歳にもなってなかったオレには、他に選べる道があったわけでもない。
物心つく前に保護者を失った戦災孤児として、道端に放り出されてもおかしくなかった。
オレの養育費を出したのは王家であり、その大元は国民だ。
まともな教育方針だったか?という点には疑問が残るが、育ててもらった事実は変わらない。
常に完璧な使用人たちと超一流の教師たちに囲まれて、英雄の子に相応しい、戦闘に関しての技術と知識を教え込まれて育った。
しかし、それ以外のことは教えられていない。
現在の職を与えられるまで、家事をこなす使用人と教師たち以外に接触することを、禁止されていたからだ。
禁止と言っても命令されていたわけではなく、誰にも会えないように隔離して育てられた、というのが正しい。
暮らしていた家は王家所有の森の深部で、周辺は家も住人もない森だけだった。
それが普通だと思っていた幼いオレは、十二歳になるまで森の中しか知らなかった。
※:暑季雨=夏の夕立
※:一巡り=32日、半巡り=16日
※:暑季=夏、新年
:寒季=冬
暑季(夏)、実中庸(秋)、寒季(冬)、花中庸(春)、雨季で一年