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後日談:少年少女の成長期(1)

 一応、手持ちの水着を試しに着てみたところ、少しきつくなっていた。

 私にはまだ成長の余地があるようだ。いい意味で。


 そのことを鳴海先輩に電話で報告したところ、なぜか笑われた。

『そうか、お前はまだ背が伸びるのか。十八ならまだそんなものか』

 どうやら先輩は私の身長が伸びたと勘違いしているようだ。そうではないのに。

 もっとも『太ったのか?』と聞かれなかっただけまだいいのかもしれない。私が気を取り直している間に、先輩は珍しく懐かしむような口調で続ける。

『思えば、俺がお前くらいの頃はとっくに成長も止まっていたな』

「先輩は高校時代から背が高かったですもんね」

 東高校の制服を着た鳴海先輩のすらりとした立ち姿を思い浮かべ、私は相槌を打つ。あの頃からずっと、私は先輩を見上げるばかりだ。

『ああ。俺の場合は恐らく、伸び始めたのが早かったからだろう』

「じゃあもしかして、学校で整列する時、いつも後ろの方でした?」

『そうだな。小学校五、六年の頃には』


 先輩の口から小学校という単語が飛び出したのが新鮮だった。

 私にはランドセルを背負う鳴海先輩がどうしても想像できない。そうは言っても人は皆同じように子供だった頃があるものだし、鳴海先輩にだってかつては背負ったランドセルの方が大きく見えるような小学生時代があったに違いなかった。


「その頃の先輩を見てみたいです。写真とか、残ってないんですか?」

 ねだるつもりで私は尋ねた。

 好きな人の子供時代を見てみたいというのは実に真っ当な感覚だと思う。特に鳴海先輩のような、高校時代から既に大人びていた人の幼い頃の姿はイメージが湧かないのもあって、非常に興味があった。

『手元にはない』

 私の問いに即座に答えた先輩は、それが失言だったとすぐに気づいたようだ。私がそれならと食いつく前に語を継いだ。

『俺の話はどうでもいい。お前が今なお成長しているという話だったはずだ』

「私にとってはどうでもよくないです。澄江さんならお持ちでしょうか」

『聞いてみなければわからない。いいからお前の話に戻れ』

「では今度伺ってみます。構いませんよね?」

 畳みかけるように尋ねると、数秒間の沈黙の後、先輩は諦めたように言った。

『……俺が聞く。とりあえず、この件は終わりだ』

「わかりました。よろしくお願いしますね、先輩!」

 あまり深追いすると先輩は機嫌を損ねてしまうので、念を押すだけに留めておく。


 いつかランドセルを背負った小学生の『なるみかんじくん』が見られることを信じて、心待ちにしていよう。

 そして先輩の言う通り、本日の用件は別のところにある。


 私はすぐに本題へと戻った。

「それで前にお話ししたと思うんですけど、水着を買いに行きたいんです」

 アルバイト代も入ったことだし、そろそろ更なる夏休みの思い出を作りにあちこち出かけてもいい頃だろう。海に行くなら八月中でなければいけない。

 その為にも水着を。

 それもなるべく可愛いものを!

「できれば先輩の好みも取り入れたいので、是非付き合ってください」

『好みと言われても困る。俺が女物の水着に明るいはずもないだろう』

 言葉通りに困った様子で先輩が言った。

 女物の水着に明るい男の人がいたら、むしろそっちの方が困ってしまうだろうけど。私は笑いを堪えた。

「そういうのも店頭で見て選ぶんです。一緒に選んでください、先輩」

『付き合うのはいいが、俺に意見を求めても無駄だぞ。違いがわかるはずもない』

「ビキニとワンピースの違いくらいはご存知ですよね?」

『それはわかる』

 鳴海先輩は溜息と共に答えると、少し慌てたように続けた。

『だがビキニはどうかと思うぞ。海というのは公共の場だからな、ああいうのは人前で着ていいものじゃないだろう。ワンピースにしろ、いいな』

 私からすれば人目は二の次、まずは先輩の好みを聞きたいところだ。

 そうなると、鳴海先輩には是が非でも買い物に付き合ってもらわなければなるまい。


 買い物に行く先は駅前通りにあるショップだ。

 鳴海先輩の部屋からはお店の方が近いので、当日は店の前で待ち合わせをすることにした。


 電車に乗って駅前まで出て、今日は私が先に到着した。

 日差しのきつい八月のお昼過ぎ、外に立っていると肌を直火で焼かれているように熱かった。

 少しでも日差しを避けようと、私はお店のショーウインドウに張りつくようにして立ち、ついでに中を覗き込んでおく。小麦色の肌をしたマネキンがターコイズブルーのビキニを着て、ほっそりとした脚を晒して立っている。マネキンはスタイルが良くなければ務まらないものだろうけど、その脚線美がいささか羨ましい。

 とは言え私はマネキンと違い、日がな一日店先で人目に晒されるわけではない。海まで出れば水着の人間など珍しくもないのだし、私がどんな水着を着ていようと人目を気にする必要はないはずだ。私はただ、鳴海先輩に見てもらえればそれだけでいい。そして先輩に可愛いと思ってもらえたら、それだけで。

 だから、ビキニという選択肢を完全に排除しなくてもいいのではないかと思う。

 先輩はあれこれ言うかもしれないけど、先輩だってどうせなら可愛い水着の方が喜んでくれるはずだ。

 多分。


「――あっ、ヒナちゃん!」

 ショーウインドウを見つめる私を、ふと、懐かしい声がそう呼んだ。

 私をそんなふうに呼ぶ相手は珍しくない。女子の友人は大抵『ヒナ』か『ヒナちゃん』と呼ぶ。大学でもそうだし、高校時代もまた然りだった。

 ただその声の主が誰か思い当たるより早く、懐かしいと感じた。

 私は振り向き、強い夏の日差しの下をこちらに向かって歩いてくる二人連れを見つけた。そのうちTシャツにデニムスカート、スポーツブランドのスニーカーといういでたちの女の子がこっちを見て笑みを弾けさせた。その天真爛漫な笑顔と一つ結びの髪にはとても強く覚えがあった。

 東高校で二年間クラスメイトだった、佐藤みゆきちゃんだ。

「みゆきちゃん? わあ、久し振り」

 私もつられるように笑った。

 彼女と顔を合わせるのは卒業式の後、クラスの皆でカラオケに行って以来だった。

 C組の子でも同じ大学にいたり、市内に進学した子達とは何度か会っていたけれど、みゆきちゃんは既に就職していて忙しい日々を送っている為、なかなか会う機会がないのが現状だった。

 それでも、高校時代から仲の良かった彼氏とは上手くいっているみたいだ――彼女の隣にもう一人、元クラスメイトの姿を見つけた。

 いかにもデートっぽくおめかしをしている彼にも、私は声をかけてみる。

「山口くんも一緒なんだね。相変わらず仲いいね」

 私が冷やかしたからか、山口くんは黙って愛想よく笑い、みゆきちゃんに目を向けた。

 彼と視線を交わしたみゆきちゃんは、恥ずかしそうに頬を赤くしていた。昔とあまり変わらない二人の様子に、無性にほっとした。


 人のいいみゆきちゃんとちょっと澄ました印象のある山口くんは、今でこそどう見てもお似合いのカップルだけど、高校在学中は見るももどかしいクラスメイト以上恋人未満の関係を維持していた。

 休み時間を一緒に過ごしても、しょっちゅうメールのやり取りをしていても、休日に二人きりで遊びに行くことがあっても付き合っていない、と互いに言い張るような関係だった。そのじれったさと言ったら私達同級生が傍で見ていてやきもきするほどで、かく言う私も席替えで二人が隣同士になるよう、視力の悪さを口実に席を交換してもらうという策を弄した過去がある。

 そういったクラスメイトの画策がどこまで功を奏したかは明らかではないものの、高校卒業直前になって二人はようやく付き合い始めたのだそうだ。バレンタインデーにはみゆきちゃんとも一緒にフォンダンショコラを作っていて、彼女がそれを山口くんに贈ると言っていたのも聞いていたから、きっと上手くいくだろうなと思っていた。

 そして私からすれば、クラス内カップルである二人は憧れの対象でもあった。もし鳴海先輩が私と同い年だったら、クラスメイトだったら、修学旅行も文化祭の劇も卒業式も一緒だったのに――そんな夢をよく見ていた私には、みゆきちゃんと山口くんのもどかしい関係が羨ましくて仕方がなかった。

 今となっては、鳴海先輩が年上で良かったと思うこともたくさんあるけど。


「私達、ここに買い物に来たの」

 みゆきちゃんは照れながらもそう言って、私に尋ねた。

「ヒナちゃんは? 一人なの?」 

「ううん、待ち合わせ中なんだ。私達もこのお店で買い物する予定なの」

 私は首を横に振る。

 それから、時間的にもそろそろだと道の向こうを眺めやると、まさにぴったりのタイミングで鳴海先輩の姿が見えた。

 どんなに遠くからでもわかる、きびきびとした姿勢のいい歩き方。真夏でも黒いシャツを着てくるモノトーン主義者の先輩に、私は手を挙げて呼びかけた。

「あっ、先輩! こっちです!」

 私の声に反応し、みゆきちゃんと山口くんもそちらを振り返る。

 その瞬間、山口くんの表情だけが気まずげに強張ったのを見逃さなかった。


 鳴海先輩も私の声が聞こえたのだろう。手を振り返したりはしないものの、歩みを速めてこちらへやってくる。待ち合わせに現れてもにっこり微笑んだり、照れ笑いを浮かべてみせたりはしないのが先輩らしい。

「あの人が、鳴海先輩?」

 みゆきちゃんはと言えば、屈託のない声で先輩の名前を呼んでくれた。嬉しかった。

 何せ東高校の生徒達は鳴海先輩の名前を聞くや否や、大抵が山口くんと同じ反応をした。あからさまに気まずそうだったり、顔が強張ったり、怯えてみせたりした。先輩に好意的に接してくれた人なんて、文芸部の有島くんと荒牧さんくらいのものだった。鳴海先輩は確かに愛想のいい人ではないものの、皆に怯えられるような怖い人でもないはずだ。先輩に対する評価を、在学中はずっと心苦しく思っていた。

 だからみゆきちゃんの反応が嬉しくて、私は内心とても浮かれた。

「そうだよ。紹介するね」

 私の言葉に、わあ、と表情を輝かせるみゆきちゃん。

 その隣で強張った顔のまま、近づいてくる先輩から視線を逸らさない山口くん。

 やがて鳴海先輩も私の傍にいる二人連れに気づいたようだ。いくらか訝しそうに二人を見ながら歩み寄ってきて、そして傍まで来るなり私に対し、挨拶より早くこう言った。

「雛子、友達か?」

 私はすぐさま頷く。

「そうです。高校時代のクラスメイトなんです」

 それで鳴海先輩は、みゆきちゃんと山口くんに視線を向けた。私の友人だからと言って特に温かい眼差しを送ることはなく、いつものように鋭い眼光で二人を捉えている。初対面の相手には用心深く、それでいてどこか一線を引くような態度を取るのが先輩だった。その眼差しに悪感情がないことを私は読み取れるものの、二人からすればどうだろう。

 気になって横目で窺えば、それでもみゆきちゃんはにこにこしていた。

 かと思うと鳴海先輩に向かってぺこりと頭を下げ、

「佐藤みゆきと申します、初めまして!」

 朗らかに挨拶をしてくれた。

「ヒナちゃんには高校時代、すごくお世話になったんです。先輩のお話も伺ってました」

 更にはそんな言葉も添えてくれて、私は少し慌てた。お世話と言われるほどのことはしていない。クラスメイトとして、友達として普通に過ごしてきただけだ。

 ただ、先輩の話はそれなりにしていたような覚えがある。女子だけで集まった時に惚気話のようなことを――それを鳴海先輩に聞かれるのは恥ずかしいかもしれない。

 みゆきちゃんの挨拶に鳴海先輩も面食らったようだった。目を瞠り、眉を顰めて彼女を見ていた。もしかするとそれは私が惚気話をしていたという事実を察した上での反応だったのかもしれないけど。

 一方、みゆきちゃんは尚も愛想よく続ける。

「あと、こっちが山口くん――山口篤史くんです。よろしくお願いします!」

 山口くんを手で指し示して彼の紹介までしたので、多分一番驚いたのは当の山口くんだろう。

 自分にお鉢が回ってくるとは露とも思わなかったのか、山口くんは目を白黒させてみゆきちゃんと鳴海先輩を交互に見た後、やむなくといった調子で微笑を浮かべた。それから取り繕った声で言った。

「あの、初めまして……。山口です」

 彼は高校時代、友人の多い社交的な人だった。でも今の挨拶は不意を突かれたせいなのか、とてもぎこちなく聞こえた。

「初めまして」

 鳴海先輩が挨拶に応じて顎を引く。

 笑いかけはしなかったものの、声音は穏やかで、気分を害した様子はなかった。そのことに私は安堵して、先輩の腕を取る。

「じゃあ行きましょうか、先輩。――みゆきちゃんと山口くんも、またね」

「うん。またお店の中でね」

 みゆきちゃんが私に手を振り、それからまた鳴海先輩に頭を下げる。

 その隣で山口くんは、困ったように笑いながらみゆきちゃんを見ていた。そういう二人の姿をC組の教室でもよく見ていたな、と思い出した。


 店内に入ると、私は先輩を連れて真っ直ぐに水着のコーナーへ向かった。

 鳴海先輩は周囲を気にしながらついてきて、水着を着たマネキンが居並ぶ辺りで一度振り返った。それから私に対し、小声で尋ねた。

「さっきの二人、お前のクラスメイトと言っていたな」

「そうです。C組で一緒だったんですよ」

「見たことのない顔だった」

 私の答えに先輩は呟き、その後で自ら苦笑してみせた。

「いや、三十人以上いるお前の元同級生を逐一覚えている方がおかしいか」

 C組には私にとって特に仲の良かった友人もいて、そういう子達の顔は鳴海先輩も覚えているようだった。

 みゆきちゃんと私は高校卒業直前に仲良くなったので、先輩が見覚えがないというのも当然のことかもしれない。それまで私は彼女のことを佐藤さんと呼んでいたし、彼女も私のことを柄沢さんと呼んでいた。仲良くなったのは三年の冬、バレンタインデーに、一緒にチョコレートを作ったことがきっかけだった。

 そんなみゆきちゃんが、さっきみたいに先輩に挨拶をしてくれるとは思わなかった。

「彼女、すごくいい子なんです」

 私はそう言いながらも、少しだけ寂しいような、切ない気分になっていた。

「それにちょっと、大人っぽくなってたなって思いました」


 いち早く社会人になったみゆきちゃんは、高校時代よりもずっと大人っぽい振る舞いをするようになっていた。それはある意味当然の成長なのだろうと思う反面、高校卒業から随分長い時が経ってしまったことを今更のように自覚して寂しくなった。まだ半年も経っていないはずなのに、それだけの期間でさえ成長する人は成長してしまうのだ。あの頃、同じ教室で毎日顔を合わせていたクラスメイトがどんどん大人になっていくことに、なぜだか途方もなさを覚えた。

 大学に入ってからこの半年未満の間、私はいくらかでも大人になれただろうか。

 他の、卒業以来会っていないC組の子達も、同じように大人になってしまっているだろうか。


「私も、少しは成長できているといいんですけど」

 時の流れの速さに圧倒されつつ、私は零した。

 すると鳴海先輩は私を見下ろし、まるでからかうように唇の端に笑みを浮かべた。

「背丈ならまだ伸びているそうじゃないか。お前も成長はしている」

「……そういう意味じゃないです」

 私が軽く睨んだからか、先輩は何気ないそぶりで私の頭にぽんと手を置いた。それから背比べをするみたいにその手を水平に動かした。指の長い先輩の手は私の頭を離れると、ちょうど先輩の肩の辺りで止まった。

「それでもまだこのくらいか。もっと伸びてもいいぞ、雛子」

 先輩は私が先日打ち明けた『成長』を、背が伸びたのだと勘違いしたままのようだ。

 とは言えこちらから真相を明かすのは恥ずかしい。私は照れ隠しのつもりで聞き返した。

「もし私の背が伸びて、先輩よりも高くなったらどうします?」

「どうと言われても、何も気にするようなことはないな」

 先輩はふっと明快に笑い、私を見下ろした。

 いつもと同じ高さからの視線は鋭さのかけらもなく、それでいて私をその場に縫い止めるように強い。

「お前を見上げながら歩くのも、それはそれで面白そうだ」

 そう先輩が続けたので、私はなぜかかえって気恥ずかしい思いを抱いた。

 この先、私がどう変わっても、先輩は私の隣にいてくれるのだとわかったからだ。

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