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霜月(3)

 東高校の文化祭は一応、三日間の日程で催される。

 この『一応』というのが曲者で、教室での展示や模擬店、ステージ発表のクラスにとっては実質初日がクライマックスだった。毎年二日目になると地元のアマチュアバンドなどがステージでライブをやるのが恒例で、そうなるとお客さんは皆そちらへ引っ張られてしまう。

 また二日目ともなれば飽きが来る生徒もいるらしく、ライブのおかげで模擬店に人員を割かずに済むのをいいことに、中抜けして遊びに出かける子も結構いるという話だ。最終日はほぼ消化試合みたいなもので、ステージ発表の大トリ、吹奏楽部の演奏が午後一で終わるとそのまま閉場、撤収と清掃が済んだ夕方頃に後夜祭という流れだった。

 ちなみに東高校の吹奏楽部はそこそこ有名らしく、大トリを飾るのはもちろんのこと、三日間連続でステージ演奏があるというのだから大変だ。期間中も居残りで練習をするそうだし、一昨年去年と閑古鳥と共に過ごしてきた文芸部の私からすると、まるで別世界の話に思える。

 しかし今年度の文芸部は一味違う。閑古鳥の鳴く世界から脱却する革命の時を迎えたのだ。ましてその勝負の一日目に、鳴海先輩が終日付き合ってくれるというのだから、きっと夢のような日になるだろうと確信していた。


 開場から三十分も経たず、東高校の廊下は人で溢れた。

 飛び交う客引きの声と大勢の笑いさざめく声、焼き鳥や焼きそばやクレープといった各種焼き物系のいい匂い、どこかで配られているらしい風船をぷかぷか揺らして歩く私服、制服入り乱れた大勢の人の姿。教室を一歩出たところに、普段の学校生活では到底見ることのできない非日常的な光景が広がっている。

 それを言うなら文芸部の展示だって、相当に非日常的ではあるんだけど。

「わあ、アリスだ! うさぎさんもいる!」

 幼稚園くらいの子供たちが数人駆け込んできて、その後をお母さんらしき人たちが慌てて追い駆けてくる。ちっちゃな子供たちは親の制止も聞かずに書き割りのきのこや森の木々を撫で回したり、アリスやうさぎさんに飛びつこうとしたり、私を見上げて怪訝そうにしたりする。

「ハートの女王だよ」

 私が説明した途端、子供たちにはわかったようなわかってないような顔をされてしまった。よほど貧相に見えたのか、それとも威厳が足りなかったのだろうか。

 小さな子たちがチープな不思議の国に歓声を上げる一方、近くの中学校の制服を着た女の子たちもやって来た。聞けば彼女たちは来年東高校を受験するつもりらしく、見学がてら文化祭に足を運んだという次第らしい。私にもこんな頃があったな、なんてしみじみしてしまう。

「東って校則厳しいって聞いたんですけど、コスプレはオッケーなんですね」

 中学生たちは私たちの仮装をしげしげ眺めやり、展示の写真を撮って回っていた。できれば皆さんの仮装も撮りたいですと言ってもらったものの、帽子屋さんと白うさぎさんがそれぞれ難色を示したのでアリスと地味めなハートの女王だけで写真に納まることとなった。

「ありがとうございます、先輩がた。来年、合格したらよろしくお願いします」

 写真を撮り終えた彼女たちはそう言うと、先輩がたにあやかりたいとばかりに握手を求めてきた。私は照れつつもそれに応え、そしてこの子たちが無事合格して東へ入学してくる頃、私はもうここにはいないんだとぼんやり思う。

 受験生という立場では、私も彼女たちと同じだ。あやかりたくなる気持ちもわかる。私も後で鳴海先輩に握手してもらおうかな、なんてことを考え始めた時、中学生の一人が屈託のない問いをぶつけてきた。

「ところでここって、何の展示なんですか?」

「……文芸部、です」

 入り口の看板にはちゃんと書いておいたんだけど、うさぎ穴と内部のインパクトに薄れてしまうのか、肝心なところが伝わっていないようだ。これは是非、後輩たちに来年の課題としてもらわなければならない。


 しかし考えようによっては、何の展示かわからないというのも利用価値があるのかもしれない。

 訪れてくれた人たちは皆、文芸作品の展示と聞くと気まずげな顔をするものの、立ち入ってしまった以上は読んでみよう、あるいは読んでみせないと申し訳ないと思うのだろう。その結果文集を手に取ってくれる人は大勢いたし、そのうち何人かは短いながらも感想をくれた。

 教室内の展示に隠しておいた詩や掌編を見つけてくれた人もいた。セットの派手さや仮装への意気込みに比例するほどとはいかないまでも、去年とは比べものにならないほど人も入ったし、閑古鳥が鳴く暇はほとんどなかった。


 ただ、鳴海先輩はそういう空気に戸惑いを隠しきれない様子だった。

「今年はやけに騒がしいな」

 先輩はお茶会のテーブルに着き、寄稿のお礼に進呈した文集を読もうとしていた。律儀にも約束した通り、あの派手な帽子を被ったままでいてくれた。そのせいか小さな子たちにわらわらと囲まれたり、中学生の女の子たちに興味深げに見つめられたりしていて、あまり読書に集中できていない様子だった。

「お祭りっていうのは、本来こういうものですから」

 私がわかったふうな口を利くと、先輩は肩を竦める。途端にシルクハットがずるりと傾き、目元が隠れた。先輩は気だるそうにつばを持ち上げ、帽子の傾きを直してから呟いた。

「これがお前の望んだ文化祭というわけか。意外だったな」

 そうは言っても不思議の国のアイディアは私によるものではないし、私はただ後輩たちの意見に同調し、一緒にやってきただけだ。他に希望があったわけでもなく、後輩たち――こと荒牧さんが楽しそうなのでこれでいいと思うけど、部長としてはもう少しアイディアを出したり、リーダーシップを発揮すべき場面があったかもしれない。つくづく最後まで頼りない部長だった。

 もっとも、ここまで来たら悔いはない。

 少なくとも後悔している暇はない。文化祭が終わるまでやるべきことをやるだけだ。

「賑やかなのもたまにはいいですよね」

 私も楽しい気分でいたから、先輩に同意を求めた。先輩は私をちらっと見て、眉を顰める。

「お前が楽しんでいるならそれはいい。ただ……」

「何ですか?」

「写真撮影は断ってくれ。自分の写真が他人の手に渡ると思うと、いい気分がしない」

 その気持ちは理解できたので、私も先輩の意思を尊重することにした。


 実を言えば私も、中学生の女の子たちが鳴海先輩を興味深げに見ていた点、『帽子屋さんの写真、どうしても駄目ですか?』と食い下がられてしまったことについては若干、複雑だった。

 先輩のことをよく知る人はその性格や言動ばかり論うけど、先輩のことを知らない人だってここには大勢いる。そして鳴海先輩という人は、私からすればとても格好よくて素敵な人だ。私以外の女の子もそう思わないとは限らないだろう。


「私もその方が安心できます。他の子が先輩の写真持ってたら、ちょっと複雑ですから」

 照れながら私が打ち明けると、先輩は探るように言った。

「ちょっと、で済むのか」

 見透かされているようで、どきっとする。

 どうしてわかったんだろう。先輩は時々超能力者みたいな読解力を発揮するから困る。

「え……いえ、それはもう正直なところを言えばものすごく……です」

 私は素直に白状した。

 すると先輩は帽子を片手で押さえながら少し笑んだ。どことなく、嬉しそうだった。

「そうか、よかった。俺も同じだ」

 鳴海先輩が見せる素直さは、私にとって劇薬だった。不意打ちを食らって私が呼吸困難に陥ると、先輩は何事もなかったように文集に手を伸ばし、ブックマーカーを挟んでいたページを改めて開きながら語を継ぐ。

「しかし、こういう言い方をするとお前に失礼かもしれないが」

 長くて器用そうな指が、新しいページを開いた。

「お前にやきもちを焼かれるというのも、悪い気はしないな」

「先輩!? 何を言うんですか!」

 私は思わず声を上げ、荒牧さんや有島くんに何事かと振り向かれた。

 急いで何でもないと両手を振ってはみたものの、何でもなくは見えないだろうと自覚している。顔が真っ赤になっているような気がする。

 鳴海先輩はうろたえる私を見て、なぜか怪訝そうにしている。

「これもお互い様というやつじゃないのか。俺はそう捉えていたんだが」

「な、何がですか」

「いつも俺が妬く側だったからな。お前がどう思っているか、気になっていた」

 冗談半分で言われたならまだ言い返しようもあるだろう。でも鳴海先輩はそういう言葉を至極真剣に、からかうそぶりもないままに言い放つものだから、私は頭がくらくらしてくる。

 ただでさえ、今日は人いきれで蒸し暑くなっているというのに。


 先輩も人並みに嫉妬するらしいというのは以前から知っていたし、私はやきもちを妬かれるたびに申し訳ないと思いつつも、そういう先輩も可愛いと思っていた。

 つまり、お互い様なのは事実だ。

 そして私は、鳴海先輩がとても信頼できる誠実な人であることも知っている。それもまた同じように、先輩も私をそう思っていてくれたらいい。


「さっき、交換条件だと言ったな」

 先輩はまた文集に視線を戻す。ごく柔らかく、でも何でもない口調で言った。

「そういうことだ。お前が不安がる必要はどこにもない」

 それで私も、先輩がここに来て、帽子を被った直後のやり取りを思い出す。

 鳴海先輩は私には、写真を持たせてくれると言っていた。それは先輩からの、何よりの信頼の証だ。

 こうなったら撮ってもらう際はとびきり可愛く写らなければならない。私も先輩を信じているけど、さすがにその手元に写りの悪い私を残しておいて欲しくはない。できれば先輩の部屋とか、手帳の中とか、あるいは待ち受け画面にでも飾って置けるような写真でないと――そういう行動に出る鳴海先輩は、今でも全く想像つかないけど。


 それからも文芸部の展示には、それなりにぽつぽつと人が来た。

 C組の子も何人か足を運んでくれた。前もって『去年までとは毛色の違う展示をするよ』と言っておいたからだろうか、皆快く冷やかしに来てくれたし、私の仮装を見て笑ったり、鳴海先輩が帽子屋に扮しているのを見てぎょっとするほど驚いたりしていた。

 クラスの友人たちは今でこそさほどでもないけど、去年辺りは鳴海先輩と私の関係を訝しがっていて、脅されて付き合いだしたのではないかとか、一緒にいて怖くはないかなどとしきりに尋ねてくることがあった。惚気話でもすればいいのかもしれないけど、私はなかなかそういう話は口にできない方だし、そうなると皆はますます懐疑的な目を向けてくるから困ったものだった。それでも私と先輩が長く付き合いを続けていたら、理解はできないにせよ事実として認めてもらえるようにはなっていた。

 そこに今年度、帽子屋の帽子を黙って被っている先輩が現われた。たちまち友人たちは納得したようで、私に対して口々に言った。

「何か、先輩変わったね。ちょっと穏やかになったって言うか」

 厳密に言えば変わったというより、今の姿こそが本来の鳴海先輩だったのかもしれない。

 心根が優しくて穏やかで、でも言葉は少し不器用で、本当は誰かに言いたいこと、話したいことがたくさんあったのに――ずっと、誰にも話せなかった。

 近頃では先輩も、私に少しずつ、いろんなことを話してくれるようになった。私はそういう言葉を全部、取りこぼさずにいたいと思っている。先輩が私の前ではどんな本音も打ち明けられて、そして取り繕わずに過ごせるように、そんな存在でありたいと思う。

「もしかしなくてもヒナの影響かもね。彼女ができて幸せだと、どんな人でも丸くなるんじゃない?」

 クラスの友人の一人がそんなことを言って、私は思わず照れた。聞こえてしまったのか、先輩が少し気まずげに顔を顰めたから一層恥ずかしかった。

 そして照れながらも、もっと早くこうなれたらよかったのに、と少しだけ考えた。今の先輩を見ていたら尚のことだ。鳴海先輩にとって楽しい高校生活も、文芸部で過ごす穏やかで居心地のいい時間も、そう難しくなく手に入ったかもしれないのに。鳴海先輩のことを誤解してきた人たちに、思い直してもらうチャンスだってあっただろうに。

 東高校で先輩と過ごす、こんなに楽しい文化祭も、今年で最後になってしまう。


 時計が十二時を回った辺りで、客足は一旦落ち着いた。

 どうやらお客さんたちは昼食を取っているようで、模擬店や屋台に人が流れているようだと聞いた。この辺りはクラブ展示がほとんどだから、空気も少しばかり落ち着いてきたようだ。

「部長はお昼、どうするんですか?」

 そのタイミングで有島くんが尋ねてきた。私は一時半からステージ発表があるから、少し早めに抜けなくてはならないと前もってお詫びがてら話してあった。それで確かめてくれたようだ。

「私はいいかな。何か、お腹空いてないし」

「え、劇やるのに食べとかなくて大丈夫なんですか」

「って言うか、劇やるから食べられそうにないって感じかも」

 恥ずかしながら、緊張し始めていた。

 別に本気でやるお芝居ではないのだし、あがってしまう必要だってないだろう。そうと頭でわかっていても発表の時間が刻一刻と近づくにつれそわそわしてきた。いつもならとっくに空腹を覚えているはずの頃合いなのに、ちっともお腹が空いていない。上手く食べられる気もしない。

「有島くんたちこそ、お昼買ってくるなら今でもいいよ」

 私が告げると、彼は少し考えてから頷いた。

「じゃあ、先に休憩いいですか? 買ってきてすぐ戻りますんで」

「うん。あ、ゆっくりでもいいよ。模擬店どこも混んでるみたいだし」

「混んでたらコンビニ行きますよ」

 有島くんはそう言い、頭に乗せていたうさぎ耳を鬱陶しげに外した。そして自分の鞄から財布を取り出すと、同じように財布を準備していた荒牧さんに声をかける。

「荒牧、昼飯買いに行くぞ」

「はーい。じゃあ部長、お先に休憩入ります」

 先に教室を出て行く有島くんを、アリスの格好をした荒牧さんがリボンを揺らしながら追い駆ける。追ってくるのがわかっているみたいに振り向かない有島くんと、呼び止めずに駆け足で追い着こうとする荒牧さんを見送って、本物のアリスのお話みたいだと密かに思った。


 教室には私と鳴海先輩が残っていた。

 先輩はまだ文集に目を通している。お昼ご飯はどうするのだろう、声をかけたら読書の邪魔だろうかとためらっていたら、先輩の方が文集を閉じて口を開いた。

「緊張してるのか」

「……はい。やっぱり、多少は」

 東高校にいる間、ステージの上に立った機会は数えるほどしかない。校内合唱コンクールの時に三回、入学直後の記念撮影で一回、あとは体育の授業でボールが飛び込んでいった際、取りに上がった時くらいだろうか。

 ああ、それとこの劇のリハーサルでも一度だけ。別段高くもないステージの上、照明と音響だけは本番さながらに通し稽古をした。ライトが眩しくて目がくらみそうだった。

「私が何か失敗したら、笑ってください」

 予防線を張るつもりで私が言うと、鳴海先輩は心外だと言いたげに眉を顰める。

「笑うものか。お前が真面目にやっているなら、こちらも真剣に見るまでだ」

「そこまで真面目なお芝居じゃないですから」

 先輩の気持ちは嬉しいけど、皆で楽しんでやるような劇だから、たとえどんな展開になっても笑ってくれた方が嬉しい。アナスタシアは出番も多いし、台詞だけではなく身体を使った演技もそれなりにあるので、例えばステージ上で転んだりするかもしれない。そんなアクシデントも笑い話に、そしていい思い出にしたいと考えている。

「むしろ、先輩に笑い飛ばしてもらえたら気が楽になると思います」

 そう告げたら先輩は、そういうことならと帽子を押さえながら頷いた。

「わかった。お前がそうして欲しいなら、いざという時は笑ってやる」

「お願いします。軽いお芝居なので、先輩も軽い気持ちで楽しんでください」

「楽しめるといいが、結局はお前しか見ていなかったということになりそうだ」

 先輩は困ったような顔でぼやいた。

 でもそんなことを言われた、私の方がよほど困る。


 それから鳴海先輩は空いてる椅子を音もなく引き、そこに座るよう私を促した。

 私が横向きに腰を下ろすと、すかさず私の震える手を取り、そっと優しく握ってきた。

「お前の方こそ楽しんでくるといい」

「そうします」

 私は顎を引いたけど、緊張のせいかぎくしゃくしていたと思う。先輩には少し笑われた。

「大丈夫だ。お前は意外と度胸があるからな」

「そう言ってもらえると、何だか頑張れそうな気がしてきます」

「頑張れ」

 先輩の手は、今日は冷たくない。外は木枯らしが吹いているけど、校内は秋の日差しと人いきれですっかり温められていた。

 ふと思いつき、私は先輩の大きな手を握り返してみる。先輩が黙って目を瞬かせたのですかさず説明を添えた。

「あの、あやかろうと思って……ほら、先輩は志望校の先輩でもありますから」

 さっきの中学生たちとの会話を、鳴海先輩も聞いていたのだろう。得心したそぶりをされつつも、口ではこう言われた。

「ご利益を期待するより、勉強した方が手っ取り早いんじゃないか」

「身も蓋もないこと言わないでください。ご利益ありますよ、絶対」

 私はようやく震えの収まってきた自分の両手で先輩の手を包むと、しばらくそのままじっとしていた。この温かい手に触れていたら、本当に何でもできそうな気がしてくる。先輩の為にも、もちろん私自身の為にもだ。

「……こんな時ばかりは、馬鹿げたことを思ってしまうな」

 鳴海先輩も、繋いだ手を見つめながらふと零す。

「俺もお前と一緒に、ステージに立てたら……いや、柄にもないか」

 言ってから自分でもおかしいというように首を捻っていたから、私は少し笑ってしまう。

「一緒にお芝居がしたかったですか、先輩」

「いいや。見るのは構わんが、自分で何か演じたいとは露ほども思わない」

 先輩はきっぱり言いきると、どこか呆れたように口元を綻ばせた。

「だが俺も、お前の支えになりたい。それだけの理由だ。馬鹿げているだろう」


 そんなことはない。

 馬鹿げているなんてこともない。私だって何度も考えた。鳴海先輩とクラスメイトだったら、三年間ずっと一緒にいられたら、どんな学校行事も全部一緒に過ごせたら。何度も何度も考えていた。

 だけどそれは叶えようのない願いだ。そして叶わなくたって、今の私は十分に幸せだった。先輩が客席から見ていてくれたらそれだけでいい。先輩が私の拙い演技も、華麗ではない動きも、そしてもしかすると起こるかもしれない失敗も、全部笑い飛ばしてくれたらそれだけで、私にとっては十分すぎるほどの支えだった。


 ふと気づくと、教室の時計は十二時二十分を過ぎていた。あと少しで行かなければならない。もう少し、こうしていられたらいいんだけど。

「先輩は、お腹空いてませんか?」

 手を繋ぎ合ったまま尋ねたら、先輩は笑んだまま答える。

「お前が抜けたら何か食べに行く。それまでは傍にいる」

 その心遣いが大人っぽくて、やはり鳴海先輩は先輩なのだと、改めて実感した。

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