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神無月(2)

 十月も半ばを過ぎると、校内の話題は文化祭一つに集中していた。

 文芸部の活動とは別に、私はクラスの展示にも参加することになっている。東高校の三年生はどのクラスも体育館のステージを使用して何らかの発表をするのが恒例で、我がC組でもホームルームの時間を利用して、何をするのか話し合いが持たれた。

 結果、C組はステージ上で劇をするということになった。演目はシンデレラだ。

 そしてその劇の中で私に割り当てられた役柄は、アナスタシア・トレメインだった。


「……誰なんですか、アナスタシアって」

 話を聞いていた有島くんが、そこで怪訝そうな顔をする。

 放課後、予定通りに集まった文芸部の部室でも話題は文化祭のことばかりだった。雑談の延長で後輩たちから、部長のクラスは何をするんですか、部長は何役ですかと尋ねられ、正直に答えたところこんな反応が返ってきた。

 私が答えるより早く、どうやら知っているらしい荒牧さんが有島くんに囁いた。

「シンデレラの義理のお姉さんだよ。二人いるうち、下のお姉さんだったかな」

「へえ。名前あるんだ、あの人」

 有島くんが納得した様子で頷く。それから私に向き直り、苦笑いを浮かべた。

「でも部長が意地悪なお姉さん役って、あんまり想像つかないですね」

「そう? 自分では結構はまってると思うんだけど」

 少なくとも私はシンデレラという柄ではないし、憧れるのは魔女のおばあさんのポジションだけど、私にそこまでの機転や器の大きさ、何より演技力があるとは思えない。


 本当のことを言えば、ステージの上に立つよりは裏方の仕事を希望していた。

 だけどホームルームでの配役選考では大道具や照明、音響などのポジションにばかり人気が集中してしまい、主要キャストはなかなか決まらなかった。

 このまま立候補がなければくじ引きしかないという空気になったところで、仲のいい友人の一人が私に声をかけてきた。自分が継母トレメイン夫人をやるから、姉妹役を一緒にやってくれないかと――私としても裏方になれないのなら後は何になっても同じだろうし、ホームルームの膠着状態を見かねていたのもあり、勇気ある友人に便乗してアナスタシア役に名乗りを上げた次第だった。

 演劇なんて小学校の学芸会以来だし、おまけに私は眼鏡が手放せないので、さぞ滑稽なアナスタシアになることだろう。だけど元々真面目にやるようなお芝居じゃない。皆で協力し合って、最後の学校行事で楽しい思いができたらそれでいいのだろうし、仮装を楽しむものだと思えばそんなに悪い経験でもなさそうだ。


「私も、部長がシンデレラを苛めるのはちょっと想像つかないですけど」

 荒牧さんはそう前置きしてから、興味深げに身を乗り出してきた。

「でも見てみたいです。舞踏会のシーンはやっぱりドレスなんですか?」

「うん、一応ね。自分で用意しなきゃいけないのが大変だけど」

 衣裳は全て自前で用意するというのが今回の演劇のルールだった。これも裏方に人気が集中した理由の一つでもあるかもしれない。

 アナスタシアたる私はもう一人の姉、ドリゼラとの見分けがすぐにつくように、なるべく対照的な色の衣裳にしなくてはならなかった。ドリゼラ役の子がグリーンのワンピースを持っていて、それに手を加えてドレスにすると言っていたので、それなら私はピンクにすることにした。

 ピンク色の服なら、ちょうどマキシ丈のシフォンスカートが手持ちにある。私も友人に倣って少し手を加え、ドレスらしく見えるよう工夫するつもりでいた。薄い色合いだと照明を浴びた時に白っぽく見えてしまうそうなので、トップスは濃い目のを用意した方がよさそうだ。せっかくなので舞踏会のシーンではアクセサリーを身に着けるのもいいかもしれない――そういう計画さえ思いがけず楽しめている自分がいて、もしかしたら私は仮装に興味があったのかもしれない、とさえ思う。

 もっともドレスと言えば物語にも度々出てくる、女の子の憧れの的であり華やかな世界の象徴だ。

 私だって想像の翼を広げて、そういったドレスを着ている自分の姿を空想してみたことくらいある。どうしたって眼鏡が邪魔になるのが困りものだけど、それでも果てしない幻想世界のどこかには、一人くらい眼鏡の似合うお姫様なり、貴婦人なりが存在していてもおかしくはないはずだ。

 ともあれ高校生活最後の文化祭で、本物ではないとは言えドレスを着られるなんて、いい記念になるに違いなかった。

「是非是非見たいです、部長の晴れ姿。きっと素敵だろうなあ……」

 荒牧さんはまるで我が事のように胸躍らせている様子だった。私を見る瞳がきらきらしている。

「本番、必ず見に行きますから!」

「ありがとう。それなら、練習頑張らないといけないね」

 後輩の期待に添えるほどの出来になるかは怪しいけど、楽しみにしているのは私も同じだった。C組の皆と一緒に何かできるのもこれが最後だろうし、是非とも有終の美を飾りたいところだ。

 それに、鳴海先輩にも見に来てもらえるようにお願いしようと思っているし――先輩ならお芝居自体を興味もないと一蹴するかもしれないけど、そこは頑として粘ってやろう。むしろぶつぶつ言いながらも見に来てくれた後で、私の滑稽さを笑ってくれるくらいでいい。それだけでよかった。


 ところで、東高校では二年生は教室を使っての展示か模擬店をやるのが決まりだった。今度は私が後輩たちに尋ねてみた。

「二人のクラスは何をするの?」

 すると荒牧さんと有島くんは黙って顔を見合わせた後、ぼそぼそと答えた。

「えっと、教室にカラオケルームを作るって……」

「ラジカセ置いて、お客さんに歌ってもらう企画らしいです」

「そういうの初めて聞いた。面白そうだね」

 なかなか楽しそうなアイディアだと思うけど、反応を見るに、荒牧さんも有島くんもさほど乗り気ではないらしい。微妙な顔をしていた。

「結構、制約があるらしくって。教室ではマイク使っちゃいけないとか、机並べてステージにするのも危ないから駄目らしいんです。だから地味な感じになりそうで……」

 荒牧さんが溜息をつく傍ら、有島くんは冷ややかな面持ちをしている。

「でも準備が楽ですからね、手抜きしたい奴らが皆して賛成しちゃって。やるならもっと凝ったことしたかったのに、お化け屋敷の抽選さえ漏れてなけりゃな……」


 どこの学校でもそうだろうけど、文化祭でのお化け屋敷は人気スポットであり、生徒側からの人気もダントツのナンバーワンだ。しかし校内に三つも四つもお化け屋敷があっては芸もないし、担当するクラスは一つだけ、それも抽選で決めることになっていた。抽選から漏れたクラスは当然、他の展示や模擬店を考えなくてはならない。

 そういえば去年、C組はクレープの模擬店を出していた。実行委員の子たちが頑張ってくれたおかげでとても評判がよかったし、私もクラスの皆とクレープを焼いたりウェイトレスをしたりするのは大変楽しかった。

 ただし模擬店の手伝いを終え、閑古鳥の鳴く文芸部の展示へ戻ってきた時の寂しさと言ったら酷いものだった。東高校の文芸部は毎年そうらしいけど、とかく展示としては不人気で、私が受付をやっている時間帯に足を運んでくれたのはクラスの友人と鳴海先輩くらいのものだった。間違えて入ってしまったとばかり、入り口近くでUターンしていく人は何人かいたけど。


「だから今年は、クラスの方が不完全燃焼な分、部の方の展示に力を尽くしたいって思うんです」

 ちょうど、熱心な口調で荒牧さんが語ったから、私も少し考える。

 今年度の文集をいいものにする為、受験勉強と平行して原稿も進めているところだった。でもいくらいい文集が仕上がっても、例年通りに閑古鳥の鳴く展示では読んでもらえる機会も少なく、寂しいことだろう。

「そっか、頼もしいね」

 私が誉めると彼女ははにかみながらも嬉しそうにしていた。せっかくなので水を向けてみることにする。

「じゃあ部の展示で、他にやってみたいことある? 今年度は三人しかいないし、今なら好きなことできるよ」

 すると荒牧さんはもじもじしながら、

「それ、ちょっと考えてたんですけど……」

 私と有島くんの顔を代わる代わる見て、恐る恐る切り出してきた。

「例えばなんですけど、物語の世界を模したような展示にするのも面白いかなって」

 華奢な彼女の手が部室の入り口を指差す。

「実際の展示は教室借りてやりますけど、そこの入り口を、例えばラビットホールに見立てて」

「うさぎ穴。ってことは、不思議の国のアリスだね」

「そうです。入り口を潜った先に涙の池や、白うさぎさんの家や、イモムシの座るキノコなんかを並べて……」

 いきいきと語る荒牧さんは、ちょっと楽しそうだ。

「そして私たちもそれぞれに仮装をして、終わることのないお茶会をしながらお客様を待つ、っていうのはどうでしょうか?」

「いや、メルヘンにも程があるだろ」

 そこへ有島くんが口を挟む。うんざりした顔で私に向かって告げてきた。

「部長、もうご存知でしょうけど荒牧はすんごい少女趣味なんで」

「いいじゃない。私、女の子だもん」

「知るか。……とにかく部長、荒牧の意見は半分くらいに聞いてください」

 有島くんはそう主張するけど、私の趣味もどちらかと言えば荒牧さん寄りだった。

「私も少女趣味なの結構好きだよ。アリスの世界観とかいいよね」

 打ち明けた途端、荒牧さんは一層顔を輝かせ、逆に有島くんは愕然としている。

「部長、あなたもですか!」

 彼は私の反応にショックを受けた様子で、今の口調もまるでブルータスに裏切られたシーザーのようだった。

「だって、私も女の子だもの」

「いや知ってますけど! 去年はすごく無難で真面目な展示をしてたのに――」

「昨年度はまだ先輩がたがいたからね。革命を起こすなら今しかないよ」

 恐らく閑古鳥が鳴く地味さ、真面目さも含めて、全てが文芸部の伝統だったのだろう。去年の部の会合では展示の仕方を変更しようなんて意見は一度も出なかったし、鳴海先輩が在籍していた一昨年も同じだった。今年度、私たちがやり方を変えようと言うなら、それは歴史的な大改革となりうるのかもしれない。


 もしかしたら、OBたちにとっては眉を顰めるべき革命でもあるのかもしれない。

 でも鳴海先輩以外の卒業生と実質縁が途切れてしまった今、私たちは文芸部を好きなように盛り立てていく自由を得ているはずだった。もちろん自由には責任が付随するし、権利には義務が付随する。あくまでも高校生らしく、常識の範囲内で変えていくべきだろう。

 文芸部の展示の人気のなさは、展示内容が真面目すぎて堅苦しく見えてしまうせいでもあるだろう。だから入り口に一工夫して足を踏み入れやすくしたり、興味を持ってもらえるようにするのはなかなか優れたアイディアだと思う。


「だったら怪人二十面相部屋とか、クトゥルフ部屋だっていいじゃないですか。何で歴史的な部内革命の結果、よりにもよってメルヘン方向に舵を切るんですか」

 オカルト好きの有島くんは不満そうだったけど、個人的にはそちらの方向性こそちょっと遠慮したい。文化祭の期間中は夜遅くまで居残りする場合もあるし。

「私、怖いの苦手だもん」

 荒牧さんは短い髪を揺らして身震いすると、私には控えめな笑みを向けてきた。

「部長に賛成してもらえるなんて嬉しいです。素敵な展示にしたいですね」

「そうだね」

 私も頷く。

 何にせよ、ここまで来たらできることは全部やってしまおう。後悔だけはしたくない。

「まずい、多数決で決まりそうな空気になってきたぞ……」

 有島くんは焦りを滲ませ呟いた。その後、ふとひらめいた顔をする。

「じゃあせっかく今日来てくださるんですし、鳴海先輩にも聞いてみましょうよ。それなら男子二票、女子も二票で公平ですよ」

「鳴海先輩に? いいけど、何て言うかな」

 日中にメールを貰っていた通り、今日の放課後は鳴海先輩がOB訪問をする手はずとなっていた。時刻は午後四時を過ぎたところだから、そろそろ来る頃だと思う。

 鳴海先輩は文芸部の部内革命にどんな反応を示すだろう。やはり『くだらない』と言いそうな気もするし、自分に関わることでないなら『勝手にしろ』と言ってくれるかもしれない。嬉しいことに先輩は部長としての私を認めてくれているようだから、案外背中を押してくれたりして、なんていうのはさすがに夢を見すぎだろうか。

「有島くん、鳴海先輩は部長の彼氏なんだよ」

 荒牧さんが有島くんに、念を押すように告げた。続けて言うには、

「だから私、先輩は部長の味方をすると思うな。優しそうな人だったしね」

「……かもなあ。見るからに彼女には甘そうな人だったし」

 二人が鳴海先輩と顔を合わせたのは、先月の放課後、道端で偶然で会った一度きりだ。あの短いやり取りだけで鳴海先輩という人を理解するのは難しいだろうけど、それにしても随分と好意的な評価をされているようだった。

 私としては肯定も否定もできない。今まではそんなふうに言われる機会もほとんどなかったけど、近頃の鳴海先輩は私にわかりやすく優しいし、甘いと言うか過保護な側面もあったりするから――ただそういう評価を第三者からされるのは、照れるけど悪い気がしないものだった。


 四時半になると、部室には軽いノックの音が響いた。

 私はすかさず席を立ち、後輩たちの視線を背中に感じつつ部室のドアを開ける。

 戸口に立っていたのは期待通りに鳴海先輩だった。今日はグレーのカーディガンに白いシャツという大学生らしいいでたちの先輩が、私と目が合うなり少し気まずげに眉根を寄せる。間違っても微笑んでみせたりしないのがこの人らしい。

「い、いらっしゃいませ……」

 私は私で、今更のように緊張していた。何せ、この部室に鳴海先輩を迎え入れるのは久し振りだ。先輩が卒業して以来だった。

 ほんの二年前まではこの部室に足繁く通い、黙々と読書をするだけでもただならぬ存在感を漂わせていた先輩が、今は制服も着ず上履きの代わりに来客用の緑のスリッパを履いてこの場に現れた。その姿には違和感も懐かしさもある。くすぐったいような嬉しいような、何だか切ないような、複雑な気分になった。

「悪いな、邪魔するぞ」

 先輩は電話越しと変わらない愛想のない口調で言う。それから手に提げていた長方形の箱を私に差し出した。

「手ぶらで来るのも何だからな。差し入れだ」

「あっ……すみません。ありがとうございます」

 差し入れの品はドーナツだった。私は慌ててお礼を言い、箱を受け取った後で先輩を部室の中へ通した。

 片手でドアを閉めてから振り向くと、有島くんと荒牧さんは直立不動の姿勢で鳴海先輩を迎えていた。

「先輩、いらっしゃいませ。先日はろくに挨拶もせずすみませんでした」

 まず有島くんが高い声でそう切り出し、

「先輩、こんにちは。文集の寄稿の件、本当にありがとうございました」

 次に荒牧さんがやや小さな声で続いた。

 鳴海先輩は後輩たちの挨拶に会釈を返す。

「こんにちは。今日は急に押しかけて、悪かったな」

「いえいえ、またお会いできて光栄です!」

 かぶりを振る有島くんがすかさず先輩の為に椅子を引いた。

 鳴海先輩は少し居心地悪そうにしながらも勧められた椅子に腰を下ろす。相変わらず、座っている時も姿勢がいい。そうして先輩が鞄を開け、その中から原稿と思しき紙の束を取り出すのを、私は呆けたように眺めていた。

 本当に、懐かしい。

「……どうした?」

 鳴海先輩は、ドーナツの箱を手にしたまま突っ立っている私を訝しげに見た。

「いえ、別に……何でもないです」

 ぼんやり答えた私に、後輩たちも目を瞬かせている。

「早速だが、目を通してみてくれ。お前の意見が聞きたい」

 先輩が私に原稿を差し出してくる。ターンクリップで留められた束を私が受け取ると、続けて言われた。

「頼んだぞ、部長」


 そうだった。今はもう、私が部長なんだ。

 だけど、鳴海先輩にそんなふうに呼ばれるのは、何だかとても変な感じだった。

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