最終話 受け継がれるもの
これより数ヶ月後、弘恵はかねてより交際していた将来の伴侶と無事に結婚式を迎えた。披露宴は行わず、親類だけのささやかな式だった。
新居は、銀行員の夫がこれまでセコセコと積み立ててきた貯金を全てはたいて中古の家を購入し、弘恵は祖父の家から新婚宅へと引っ越した。
その後、弘恵は順調に身ごもり、翌年には娘が誕生。新たな家族を迎え入れるのだった。
この娘の誕生を機に、弘恵は以前手の中に握りしめていた植物の種を庭先に埋めた。かつて自分の両親がそうしたように… …。
五年後、娘の成長と共に、庭に植えた種も順調に芽を出してスクスクと成長していた。その成長過程を見て、弘恵はその植物がなんであるかようやく知った。
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現在、家のベッドルームには、弘恵が最近趣味のひとつとして娘と始めたフルートが飾られている。というのも娘の誕生日に、姉の芳恵がプレゼントしてくれたのだ。それをきっかけに弘恵自身も、胸にしまい込んでいたフルートへの情熱を再燃させたのだ。今は近くの音楽教室に娘と通っている。
また、居間には小鳥をモチーフにした小さな版画が掲げられていた。その版画の署名欄には゜【ETUYO】の刻印が浮かぶ。子供の頃に転勤して疎遠になっていた親友の悦代が、海外で美術家として大成しており、たまたま美術番組を見ていた夫が気が付いてネットで購入してくれたのだ。
庭先で植木に水やりをしていると、娘が大急ぎで走りよってきた。
「ママ、ウズラさんが卵産んだよ」
庭に作った鳥小屋には、雄雌つがいのウズラが初めて卵を産んだらしい。専ら娘はウズラの世話係で、自分の可愛がっているウズラの成長に大はしゃぎだ。
「そう言えば今日、友達が来るんじゃなかったか?」
部屋の中のソファーで寝そべっている夫が思い出したように弘恵に言った。
「うん。美代子と直弥がね。結婚式の打合せで来るのよ」
中学時代のイジメで疎遠になっていた美代子のことを気に病んでいた弘恵が、数年前に再度同窓会を企画。音信不通だった美代子を呼び出すことに成功していたのだ。
その席上で意気投合した直弥が、彼女に速攻でアプローチ。見事に恋に花が咲き、来月、ゴールインすることになったのだ。そんな流れから、結婚への間接的な橋渡しをした弘恵は、結婚式で友人代表のスピーチをすることになり、今日は打ち合わせに来るとのことだった。
「ねぇ、ママ。木の妖精さんが飛んでいるよ」
弘恵が水やりをしている木の周辺を指差して、娘が楽しそうに目で追いかけていた。きっと娘には『妖精的なもの』が見えているに違いない。なにせ、五年前の同窓会のあの夜、彼女自身にも見えたのだから… …、白いワンピースを着た女の子の妖精が――。
弘恵が生まれた時に、今はなき実家の庭に植えられた木は、彼女の成長をずっと見守っていた。
嬉しい思い出も――、つらい思い出も――。
その年輪の数だけ思い出は刻まれていたのだ。
きっと弘恵にとっての木の妖精は、宅地開拓で伐採される前に彼女に何かを伝えたかったのだろう。そして、新たな種を残してその寿命を終えた。
そんな木の妖精の想いを、自分の娘が受け継いだのだ。娘が見ている木の妖精は、羽の生えた手のひらサイズのようであった。
「ママ、この木は何て言うお名前?」
何も知らない娘は無邪気に問いかける。
「この木のお名前はね、柏っていう誕生花よ。花言葉は、新芽が出るまで葉が途切れないことから『代を受け継ぐ』とか『永遠』を意味するの。あと数年したら立派な葉っぱが出来るから――、そうしたらママ特製の柏餅、作ってあげるね」
「柏餅? ママ作れるの?」
「うん、ママのお父さんから受け継いだ秘伝のレシピよ。そのお味をあなたも受け継いでくれたらママ嬉しいな」
その時、柏の木の枝が優しく揺れたのを弘恵は微かに感じた。
おわり