第6話 過去返り➄ ラストメモリー
次に目を開けると、強い日差しが地面を照り付けるとても熱い日だった。部屋の壁にはブレザーの制服が衣文掛けに掛けられている。
『この制服は高校生ね』
デジタル時計に併設されている温度計をみると『34.0』という数字が見える。弘恵の部屋にはエアコンがないため、室内にいても茹だる様な暑さだ。窓の外ではミンミン蝉が単独で鳴いている。一匹で鳴くミンミン蝉ほど、暑さを倍増するものもない。
そんな中、弘恵は猛暑日一歩手前の部屋のベッドの上で、Tシャツに短パンと言うラフな姿でゴロゴロしていた。まぁ、ゴロゴロしているというより、あまりの暑さに何もできないでいるという表現の方が正しいかもしれない。高校では帰宅部だった弘恵は、休日はやることがなく普段でもこのような生活を送っていた。
時刻は14時を回っている。昼ご飯を食べてお腹も膨れ、眠気が襲う丁度良い自国でもある。そのような怠惰な生活をしていると、トントンとドアを叩く音がした。
「お父さんとお得意さんにお届けに行ってくるから、お留守番よろしくね」
母だった。今厨房から来たのだろう。割烹着姿のまま弘恵に一言告げる。
「いってらっしゃい」
弘恵はベッドから起き上がろうともせずに、上辺の言葉で見送った。
お盆近くになると一般の方からもお供え物の発注が多数あり、父と母は配達作業のため車で市内を駆けずり回っていた。
しばらくすると車のエンジンが始動する音が聞こえた。きっと父の乗る営業車のエンジン音だろう。と同時にそのエンジン音が徐々に遠のいていく。エンジン音が聞こえなくなると、またミンミン蝉の暑苦しい鳴き声が耳に届くようになった。
「暑いわぁ――。どこにいても厚いわぁ――」
当たり前のことを声に出す過去の自分。相変わらずベッドの上をゴロゴロと、少しでも冷たい場所へと移動していると、部屋の壁にかかっている日めくりカレンダーが視界を過った。
7月31日
旧暦のお盆期間だったが、その日付が視界を過った瞬間に弘恵は血の気が引くのを感じた。
『7月31日って、えっ、えっ――』
弘恵は慌てふためいた。気持ちはすぐにでもベッドから飛び起きたいのだが、何故か体が動かない。それもそのはず、コレは過去の記憶なのだから… …・
『止めなきゃ、何とかしてお母さんとお父さんに伝えなきゃ』
心では思っていたも体は石のように動かない。
7月31日――。
それは、弘恵の両親の命日だった。
この日、両親を乗せた営業車は配達の途中、心臓発作で道を外した対向車に巻き込まれた。もらい事故だった。そしてそのまま両親は帰らぬ人となったのだった。
弘恵は今の状況を打開したい一心で、もがいてみたが、体は全く反応しない。目の前で起きていることはやはり過去の記憶に一部に過ぎず、変えることなどできるはずもなかった。
何もできないまま、時間だけが無駄に過ぎていく。部屋でゴロゴロと漫画を読んでいるこの時の自分がもどかしく、憎しみすら生まれてくる。
――14時半――
――運命の時は過ぎた――
弘恵は絶望した。
というのも少しは期待していたからだ。
もしかしたらやり直せる機会があるのではないのかと。やり直せないまでも変えることはできるのではないかと――。
一体この過去返りはなんのためだったのか。やり直すためじゃなかったのか。変えるためではなかったのか。だとしたらこの過去返りは残酷過ぎる。だだ単に、思い出したくもない過去の記憶を集めた苦痛のアルバム、悲劇の経験集にすぎないんじゃないかと――。
その後、両親のいなくなった店は、その技術を受け継ぐ者もなくなり敢無く閉店した。弘恵ら姉妹は祖父の家に引き取られることになるのだった。
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放心状態となった弘恵が目を開けると、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
周囲を見回すとワンルームでテレビや小さな冷蔵庫、それに備え付けのドレッサーの鏡が自分を映している。
『あれ、この姿って――』
映し出された自分は今の自分――30歳手前の姿だった。
そして寝ていた場所はホテルの部屋の中だった。
どうやってここまで辿り着いたのかは分からなかったが、弘恵は元の実家の最寄り駅にある老舗のビジネスホテルに辿り着いていた。
「夢か――。それにしても、とても内容の濃い夢だったな」
人生全てを凝縮したような夢に、弘恵は寝起きだというのに既に疲労感がピークに達していた。寝汗も凄い。
「シャワーでも浴びよ」
弘恵はベッドから起き上がろうとした。
すると――。
握りしめられた右手の中に、何か異物があるのを感じた。
手のひらを開いてみると、中からはドングリのような植物の種が出てきた。
「何かしら――コレ?」
思い返しても全く分からない。どこで拾ったんだろう――。酔っぱらって道端で拾ったのかしら――と、頭を捻るが全く身に覚えがない。
ただ、弘恵はその種を捨てることができずに、そのまま家に持ち帰った。
最終話に続く… …