第5話 過去返り④ 青春メモリー
そして次に目を開けると右手には鉛筆、左手には参考書という、机に向かって勉強している典型的な光景だった。カレンダーを見てみると5月2日。この年は祝祭日と休日の日取りが良く、ラジオから流れてくるDJの話も専ら、長期連休を満喫する世間の話題で持ちきりである。
そんな中、弘恵のゴールデンウイークの過ごし方は少し違った。翌年に高校受験を控えた弘恵は、早くも受験勉強に取り掛かっていた。夏休みころから始動する友人らが多い中、コツコツ型の弘恵は、一足先にスタートを切っていたのだった。
この頃の弘恵の休日は、午前中はブラスバンド部の自主練習、午後からは夕食まで部屋にこもって受験勉強という、なんとも過酷な日々を送っていたのだった。
部屋に引きこもり参考書と格闘していると、トントンとドアを叩く音がした。
「おやつ持って来たわよ」
三時を回ったころ、母がお茶と茶菓子を持って入って来た。茶菓子はこの季節らしい『柏餅』だ。
「ありがとう、お母さん」
「どう、捗ってる?」
「まぁまぁかな」
「そう、良かった」
母はそう言いつつも何か言いたげにそのまま立っている。弘恵はその意味が分からずに持ってきた柏餅を一口頬張った。
「あれ、これいつもの味と違うね」
「あっ、分かった? これね、明後日に販売する予定の新作なのよ。味の方はどうかな?」
「今までのより全然良いよ! ってか多分、有名どころのどの商品にも勝るんじゃない」
「良かったぁ――。今年の端午の節句に合わせてお父さんが一年前から改良してきたのよ。うちじゃ、一番味にうるさいのはあなたでしょ。お父さん、あなたに最初に味見してもらいたかったんだって」
「へぇーそうなんだぁ」
「でね、他にも種類あるんだけど、少し時間とれそうかな?」
その言葉に弘恵はハッと気が付いた。
「それって、まさか、久々に… …やるの」
「できればお願いできないかな。あなたが三年生になってから、お父さんずっとソワソワしているのよ」
母は拝むポーズをした。
それを見て弘恵はハァーと諦めの息をついた。
「分かったわよ、お母さん。我が家の生活がかかっているものね。協力するわ」
「ありがとう、弘恵」
「にしても本当に久々ね、お父さんの新作味見タイム… …」
それからすぐに母は、父のいる厨房に向かうと父を連れて戻って来た。
「弘恵、受験勉強中スマンな。真作の味見を――」
父は申し訳なさそうにドア隅からヒョイと顔をのぞかせた。手には皿には数個の和菓子が盛られている。
「いいわよ。ちょうど休憩しようと思ってたし」
その言葉を待っていたかのように、父は弘恵に和菓子を差し出した。その和菓子を食べる弘恵。しかし、どの和菓子にも使われていたのは柏の葉だった。
「ねぇ、お父さん。なんで柏系の和菓子ばかりなの? いくら端午の節句が近いからって、こう柏系ばかりじゃ… …」
首を傾げる弘恵に父は言った。
「あぁ、これな。今回使っている柏の葉はなぁ、お前が生まれた年に植えた柏の木から採取したものなんだ」
「えっ!? 私が生まれた年に植えたって――」
「お庭にあるでしょ、大きな木が。もう十五年ものなのよね。ようやく良い葉っぱがとれるようになって、お父さんが採取したのよ」
母が幸せそうな笑みを浮かべて言う。
「じゃあ、このお菓子自体、新作ながら十五年モノなんだね」
「十五年モノか。そりゃいい。ウィスキーにも5年モノ、12年モノなんかがあるように、和菓子にも年季モノが存在してもいいな。この柏餅、十五年モノで売り出すぞ!」
そう言い終わるや否や、父は厨房に大はしゃぎで戻って行った。
この父の子供のような行動に対して、弘恵と母はクスクスと笑った。
『あれ、これだけ? なんか今までと違って普通の日常… …』
これまで後悔の日々と直面する過去返りをしていた弘恵にとっては、今回の過去返りには違和感を得ていた。
しかし、このような当たり前の日常も長く続かないことを、今の弘恵は知っていた。
そして弘恵は再び眠りについた。
第6話に続く… …