第3話 過去返り② 幼少メモリー
次に目を開けると、所々穴の開いた木製の塀に囲まれた生家の庭の縁側にいた。庭には両親が趣味で作った小さな花壇と葉をつけ始めたばかりの木が小奇麗に植えられている。
手元を見ると手にはリナちゃん人形を抱きしめており、その先には懐かしいミニチュアのハウスが組み立てられていた。そう言えばこんなおもちゃ持っていたなぁ――、などと考えていると、横から語り掛ける声がした。
「次はヒロちゃんの番だよ」
語り掛けて来たのは、髪をピンクのリボンで束ねた四、五歳くらいの可愛らしい女の子だ。状況からするとリナちゃんハウスでこの子とお料理ごっこをしているようだった。
『えっと――、この子は確か――』
見覚えがあるものの、なかなか名前が出てこない。
「ヒロちゃんってばぁ」
痺れを切らしたのか、その子が催促してくる。その時、弘恵の視界にその子が持っていたポシェットに書かれた名札が目に入った。
――えつよ――
『もしかして、エっちゃん?』
それは小学校低学年のころまで仲の良かった悦代だった。
『仲の良かった』というのは、彼女の一家が突然海外転勤してしまったため、それ以来音信不通になってしまったからだ。
「ヒロちゃん、何ボーっとしているの? つまらないの?」
この言葉に弘恵は、聞き覚えがあった。何か大事なことを忘れている。それもとてつもなく大事なことを――。
すると突然、悦代の後方より大きな物体が近づいてきた。その物体は一瞬でふたりが遊んでいたリナちゃんハウスを辺り一面にバラバラに散らばせたかと思うと、すぐさま空高く消えて行った。
――カラスだった――
『そうだ。この時カラスに襲われたんだった!』
弘恵はその出来事を思い出したが、既に時遅し。突然の出来事に何があったか分からなかった悦代は、当初は目を丸くして動かなかったが、状況を飲み込むと一転。カラスに襲われた恐怖が思い返されて泣き始めてしまった。
そう、この時、弘恵はボーっとしていたのではなく、悦代の後方、隣の家の軒先に止まっていたカラスを見ていたのだった。そしてそのカラスがこちらを凝視して、今まさに襲い掛かろうとしているのを察知していたのだった。しかしあまりのスピードに悦代に教える間もなく、結果この惨劇に繋がってしまったのだった。
泣きじゃくりながら帰る悦代。その姿を眺めながら弘恵は、分かっていながらその出来事を阻止できなかったことを後悔した。
そしてこれ以降、悦代が弘恵の家を訪ねることはなかった。カラスに襲われた恐怖から、悦代は二度と弘恵の家で遊ぶことが出来なくなっていたのだ。
その後、悦代の一家は海外赴任のため突然引っ越しを決めた。弘恵は初めてできた友達と、最後の言葉を交わすことが出来ないままお別れしたことを悔やみ、その目を閉じた。
引き続き目を開けると一羽の小鳥が瀕死の状態で横たわっていた。
『ムクちゃんだ!』
これまではすぐに情景と記憶が一致しなかった弘恵だったが、この光景はすぐに理解できた。
それはかつて弘恵が大切に飼っていたウズラの雛で、名前は「ムク」だ。なぜすぐに思い出せたかというと、それは初めて『死』というものを間近で味わった経験だったからだ。
そもそもムクとの出会いは、路上だった。学校帰りに親とはぐれた野生のウズラの雛を見つけた弘恵が、そのまま拾ってきて飼っていたのだった。しかし、相手は野生の動物。幼いながらも一生懸命世話をしていたが、ちょっとした病気が原因で今の状態に陥ってしまったのだった。
温めても、水をあげても一向に回復する兆しは見えない。次第に弱っていくムクの姿。初めのころは「ピ、ピ… …」と弱々しくも何かを訴えるように鳴いていたが、徐々に泣き声すら発する力もなくなり、ついには鳴くことさえできなくなっていた。
手をつくして看病する幼き日の自分。おもむろにフっと顔を上げると、正面に母が使っている鏡台があった。鏡の中に映し出された自分の姿。弱っていくムクを何もできずに見ているだけの幼き自分の姿がそこにはあった。
そして一晩中介護した挙句、ムクはその短い生涯を終えて息を引き取った。
翌朝、弘恵は涙で瞼を厚く晴らしながら、庭の木の下にムクの亡骸を埋めた。相変わらず立ち直れないでいる自分に、弘恵は心の中で叫んだ。
―-仕方なかったんだよ。飼いならされた動物と違ってエサも環境も違ったんだから。この時はそれが分からなかったんだから――と。
そして、ここでようやく弘恵は気が付いた。
『これは過去返りじゃない。だって分かっていても何一つ過去を変えられないんだもの。これは私のかつての記憶、そのままなんだ』と。
つまり、これから起こる事実が分かっていたとしても止めることができないのだ。
そしてこの悲しい気持ちを胸にしまい込み、再び弘恵は目をつむった。
第4話に続く… …