第二話 下僕生活の始まりか
一瞬で頭を掴まれる。
あ、これ知っている。アイアンクローだ。
と、思うと同時。
万力に締められる痛みっていうのはこういうのを言うんですね。
「痛い! 痛い! 半端ない!」
「いえーい! やれやれ光輝!」
あ、やばい。今マジで殺意湧いた。
ギブ、ギブと腕を叩くが、しばらく解放してくれることもなく、散々甚振られた後ようやく解放してくれた。
あ、頭から湯気出てないだろうか。
「ん? 何だ。お前、魔王城に居たガキじゃないか。どうしてここに」
「何? あんた誰かもわからないくせにアイアンクローしていたわけ」
今度はこっちが涙目で睨む羽目になった。しかしそれも無視して、この極悪最悪救世主はまるで家畜を見るがごとく冷めた表情で俺を見下ろしてくる。おお、マジで恐い。
「ちょっとな。昨日、テレビの特番で握力60ならリンゴが潰せるとか言っていたから。ほら、俺ならどうかって、試したくなるだろう?」
「人の頭を潰さないでください」
リンゴのように潰す気だったか。
悪魔よりも悪魔なこの救世主。はて、どうする。どうしたら金を返してもらえる?
だけどおかしい。こっちでは盗みは犯罪のはずなのに、どうしてこうも悩まなくてはいけないのだろう。
「まあとりあえず、菓子でもどうぞ。魔界特産の地獄目玉漬けと生首クッキーです」
「うん。こうも迷惑な土産を俺は未だかつてもらったことがない」
「そんな! 美味しいのに!」
いらないなら余が食べるぞ! とお嬢は手を出して、どこからともなく出てきたシャーペンで救世主にぶっ刺された。それにお嬢は、ちょっと冗談じゃないくらい痛がっている。今のその気持ちは痛いほどわかるが、正直ざまあみろである。
「それで、こんな菓子折りまで持ってきて、一体何の用だ」
「お嬢から奪った金、返してください。魔界は財政難で国民皆が納豆を食べています」
「うん、お嬢? ああ、こいつのことか」
「ええ、そいつのことです」
こいつかそいつとか言うなぁ! とお嬢は怒鳴るが共通見解によりスルー。
「それは無理だな。下僕のものは主人のものだ」
「げ、ぼく?」
お嬢を見れば、汗を滝のようにかいて空を見ながら口笛を吹いている。そんなベタな、とツッコミを入れるべきか。まあ、それは置いといて。
「かつての魔王ともあろう方が」
「う、う、うるさいなぁ!」
真っ赤になって怒鳴る姿に威厳など蟻の脳ほどもない。全然ない。
空を見上げた。ああ、この世界の空は赤いのか。夕日に染まって茜色。鴉も鳴くし、悪魔もいるし、下僕らしい魔王もいるし。
何か超面倒臭い。
「じゃあ、もういいや。俺帰ります。どうせ、あんたから金取り上げるの無理だし」
「待て、誰が帰すと言った?」
「いえ、だから返さなくていいですって。諦めますから。面倒だし」
「そうじゃない。誰が、お前を帰すと言った」
その言葉に回れ右して全力ダッシュ。
しかしそんな努力も空しく、救世主は俺の襟首を掴んで持ち上げる。何か鶏を絞め殺したような声が俺の喉から聞こえた気がしたが、定かかどうかわからない。そのまま救世主は俺を投げることなく、肩へと担いだ。
「よし。下僕2号できあがり」
その声に今までなかった喜びという感情が含まれているようで、正直絶望。
「あの、すいません。誘拐ってここでは犯罪ですよね」
「そうだな。法律に守られる人間は」
「あの、すいません。ここって下僕とか奴隷とかそういう制度ないですよね」
「そうだな。俺以外の人間は」
「モラルとか道徳とか、習いました?」
「睡眠学習で」
項垂れる。ああ、だからこんな世界に来たくなんてなかったんだ、ちくしょうめ。
「異世界で稼いだ金で豪邸を買ったんだが、生憎使用人はなぜかすぐ辞めちまってな。人手不足なんだわ」
「そりゃあ、まあそうでしょうよ」
その性格なら。
「魔王もいるが、役に立たない。それに他に雇うにしても、どうせならがさつな男よりも女のほうがいい」
役に立たないって何だぁ! と聞こえないように小さく怒鳴る魔王。抗議が弱弱しいのが切ない。
それよりまあ、気付かれていたか。
「ハーレムでも作る気ですか」
言ってから、後悔した。やべぇ。洒落にならん。
「そうだな、それもいい」
不敵に笑う、救世主。
というか、お前が魔王だろう。
「俺は女じゃなくて両性具有ですよ」
「かまわんさ。人手不足と言っただろう」
何かもう無駄みたい。
諦めてため息。もう本当に何から何まで面倒だ。
「ふふん、何だ。お前も下僕になったじゃないか」
「何ですか、下僕一号」
お嬢にぎゃあぎゃあ、耳元で喚かれたが、そうすると必然救世主の耳にも留まるわけで。
救世主の一睨み。
で、ぴたっと押し黙る。
「そういえば、名前を聞いていなかったな」
「いいですよ。好きな名前で。もう何だか面倒臭い」
「そうか。………じゃあお前の名前は――」
それが始まり。夕焼けに救世主と、魔王と、側近の影が伸びる。
こうして面倒臭い共同生活――もとい下僕生活は幕を開けるわけで。
マジで勘弁。