第十七話 黙ってあげるのも優しさ
現状把握。
俺が宙に浮いているのは、浮いた箒の柄に俺の制服が引っ掛かっているからだ。
なぜ箒が浮いているかは、それは箒に魔力を込めた者がいるからだ。
そして魔力を込めた者は、その箒を跨いでいる人間に他ならない。
「真帆だ!」
「真帆じゃない!」
お嬢の叫びに真帆は間髪入れず否定する。
黒の三角帽子に簡素な黒のドレス。特徴のおさげは解かれ、今は若干ウェーブのかかった黒髪が背にもつく長さ。帽子を深く被って目を隠してはいるが、それでも声で丸わかり。
そんな副学級委員長、駒沢真帆は、所謂魔女っ子スタイルで再び登場したのだった。
「私は宇宙銀河系正義の味方マホリンよ! 銀河に散らばる悪の組織を片っ端に殴り込みに行く正義の味方! 反論は一切受け付けない!」
「マホリン、ありがとう! マホリン、感謝の言葉もない! マホリン、似合っているぞ!」
「お黙り!」
光輝の嬉々満面の表情から繰り出される悪意の滲む言葉に、真帆は悔しそうに歯噛みする。帽子の合間から覗く頬は羞恥のためか赤くなっていた。
さて。
いい加減苦しくなってきた箒を首から外し、今度は自分の翼で飛ぶ。変化はもう完全に終了していた。瞳は赤く染まり、頭には山羊の角。蝙蝠の翼が背中の制服を突き破り生えている。背の制服と一緒に胸に巻いたサラシも破れてしまったので、両手で前の上着を抑えた。抑えとかないと、取れちゃうし。
「助かった。ありがとう、真帆さん」
「違うっているのに……」
くそ、もういいわよ。とやけくそ気味の一言。それから、べっくしゅん、と女の恥じらいがどこかに飛んだようなクシャミを一度してから、真帆は鼻を啜り、こちらを見る。
「ていうか、あなたたちだったの。魔界から来た悪魔って。うまく化けたわね。まったくわからなかったもの」
報告しなさいよ、あの馬鹿猫。とイラついた呟き。
それが何のことかわからず首を傾げていると、地上では怒りに満ちた慟哭が響いた。
「……おしゃべりはまた後で。とりあえず、こっちを先に片すわよ」
届かない獲物に向かって爪を振り威嚇を続けるグリズリーに、真帆は箒で旋回する。グリズリーは蝿を払うようにその爪を何度か真帆に向けるが、真帆は箒でそれをすり抜けるようにかわしていった。それは風に舞い踊る木の葉のように。しかも、ただかわしているわけでもないようで。その間、真帆から魔力が静かに満ちていくのを感じた。
そして十分魔力が足りたのか。
真帆は力を込めた呪詛を謳う。
「ルートディッヒ、エートディッヒ、ヘレツトダマル。微かなる綻びを」
最後の、沈め、という言葉を合図に、真帆から滝のように膨大な魔力が大地へ巡る。
魔力は駆け、グリズリーの立つ足場に集う。その大地は沼のように水気を帯びて溶け合い、グリズリーの足に絡みついた。その突然の出来事に、グリズリーは悲鳴染みた声で呻く。その前足で沈む後ろ足に絡む泥を払おうとするも、泥は払う傍からまた絡み付いていった。狂ったように取り除こうとするグリズリーのその行為は、皮肉にも前足にまで絡み付く結果となった。泥により動きを封じ込められたグリズリーは、そのまま半身を底なし沼に沈めていく。
「すごい」
土に属する魔術なのは見てわかるが、こうも強力なのをこの世界で行使できるとは。内在魔力を消費したのかと目を向けても、その存在が希薄になっている様子はない。
魔女。魔界でもそう聞かない種族だが、これは一体どんなトリックだろう。
「……馬鹿。こんなのそんなにもたないわよ。そろそろ解ける。早く、止めを」
息を乱す苦しそうな声。真帆を乗せる箒は降下し、地上へとその足をつけていた。魔術に力を使いすぎたのか。
光輝は頷き、ちょいちょい、と俺を呼ぶ。
「十分だ。さあ、止めだ! 行け、シロ!」
「いや、今はちょっと」
実際問題、手が離せない。胸が見える。
「光輝が行ってくださいよ」
「アホ。今の俺はお前のせいで鞭打ち状態だ」
転がったためにお嬢と同じ泥だらけの光輝。気力で立っていたのか、膝をつく。まあ、先ほどの魔物との攻防で神経をすり減らしていたのはわかる。わかるが、わざとらしく肩を抑えたりするのは如何なものか。
「せいって。助けてやったんでしょうが!」
「加減しろ!」
「できるか!」
「早くしなさいよ!」
終わらぬ言い争いは、結局、お嬢が責任を取ることで満場一致。内在魔力を減らさない初級魔術をグリズリーの眉間に撃って、事の収束を得たのだった。グリズリーも一応、生態学的には熊なわけで。
今日の雑学。熊は眉間が弱点だったりする。