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第十一話 月が満ちて(3)

 

 なんだか少し楽になってきた気がする。

 ぐらぐら揺れていた視界も次第に安定していった。まだ身体は熱いが、我慢できないほどじゃない。汗で濡れたパジャマを脱ぎ捨て、いつものTシャツとGパンに着替える。胸元がきつくなったのを実感しながら、洗面台まで移動した。


 火照った顔を水で洗う。

 タオルで拭きながら顔を上げれば、洗面台の鏡に映る自分の姿。

 まだ一応の幼さが残ってはいるものの、外見的には光輝やお嬢と同じ年齢ぐらい、もしくは年上程度に見えるだろうか。肩までしかなかった銀色の髪は、今では腰に触れるほどに伸びている。

 ふと下に視線を向けると、お嬢に負けず劣らずの双丘がTシャツの下から主張していた。鏡で線の丸くなった顔と身体を見た時点で分かっていたが、やっぱり自分の性はサキュバスへと決定するらしい。

 嘆息。

 いつかは来ると覚悟していた判別の儀――つまり性別決定は、今では遅すぎるぐらいなのだが、やはり自分にもそれが訪れてみると奇妙な感覚を覚える。

 大人への一歩。不安はないか、と言ったら嘘だ。正直恐い。自分でコントロールして人型になるときは、こうも不安を感じないのに。止められない身体の変化が恐い。心はもう、大人のつもりだったのに。どこかで子供でいることに甘えを持っていたのだろうか。

 それに、サキュバス――女へと変わるのか。

 昔のことも、少し思い出す。




『ねぇ、えっちゃん。聞いて。ぼく、えっちゃんのお婿さんになりたい!』

『えー、余は嫌だぞ』

『……え。な、何で? え、えっちゃんは、ぼくのこと嫌い?』

『ううん、好きだ!』

『じゃあ、何で!?』

『だって、おっぱいがあるお婿なんて、余は嫌だ!』




 ビシっ、と鏡にヒビが入っていた。

 鏡の上に置いた手は、知らず知らずの内に力が篭っていたらしい。

 ……ふ、所詮昔の話だ。愚かだった幼い自分。別に、思うところもない。サキュバス? 結構じゃないか。今更男の性に未練はない。未練はないとも。

 まだ頭が重い。再び寝ようと足を寝室に向けたとき、玄関からは鍵を回す音。そしてひどく慌てた足音が二人分、こちらに近づいて、通り過ぎていった。


「………おい、シロがいないぞ!」

「ええー! そ、そんな。せ、赤飯を買いに行ったのかな!?」


 洗面所を出て寝室に戻る。

 光輝とお嬢が二人、空になったベッドを前に立ち尽くしていた。

 まだ学校は終わっていないだろうに。面倒になってさぼってきたのだろうか。


「俺がどうかしました?」

「うお!」

「ぎゃあ!」


 ……そんなに驚かなくても。

 ちょっと内心傷つきながら、憮然とした表情で二人を見据える。光輝は視線をあらぬ方向へと向け、お嬢はなぜか妙に輝かしい笑顔を浮かべている。


「シロー! もう性別は決まったのかー」


 わー、と抱きつこうとしたお嬢を、顔を掴んで食い止めた。


「まあ、多分。まだ熱っぽいから、今日の夜ぐらいまで掛かるとは思うけど」

「そ、そうか。な、なあ。ところでシロ。この手を退けてくれないか」


 私とシロの仲じゃないか、と手の隙間から微笑むお嬢。ぞく、と背筋に寒気が走る。何だろう。新たなネタだろうか。リアクションがいつもと違う。


「どうした、お嬢。妙に馴れ馴れしい」


 な、馴れ馴れしい? と傷ついたようなお嬢の顔。離した手でホッペを挟む。タコのような口になってお嬢は抗議をしようとした、が、途中で光輝に遮られる。


「今はそんなことはどうでもいい。おい、シロ。まだ性別決定は行われてないんだな」

「まあ、一応………っ!」


 光輝の姿を――その黒い瞳を視界に入れて、意識の上で光輝を捕らえて。


 どくん、と心臓が高鳴った。


 ま、まずい。

 忘れていた。熱があるためか、昔のことを思い出していたからか。どちらにせよ、注意力散漫になっていたことは否めない。

 昼間。太陽の眩い光でその姿を遮られていようとも、満月は確かに空に霞みながらも浮かんでいる。その異常を来たす魔力の波長は、魔物本来の姿を映し、そして、堅固な理性すらも溶かしてしまう。

 本能が、理性を喰らう。


「……っ、あ、ああぁ」

「おい、どうした。シロ」


 胸を押さえて、しゃがみ込む。馬鹿、来るな。お嬢、呆けてないで、察しろ。

 気遣いからか、それとも立たせようと試みたのか。

 俺へと伸ばしてきた光輝の手を、誰かの手が、掴んだ。

 誰の手が? 

 俺の手だ。

 可笑しいほどにびくっと反応した腕に、笑った。

 クス、と悪魔の笑みが。


「……シロ?」


 怪訝な声。光輝の顔には不安が浮かんでいるだろうか。上げた顔に、光輝とお嬢は息を呑む。

 光輝の瞳には、俺の姿が鏡のように映っている。赤い瞳。銀だったあの瞳は、今もう見えない。


「まずい! 『魅了の瞳』だ! 光輝、見ちゃだめ!」

「……ば、か、野朗。い、言うのが、遅いわ!」


 必死に身体を動かそうとしているのがわかる。嬉しい。抗おうとしているのが、肌で感じる。ぞくぞくする。

 立ち上がり、そっと光輝の頬に手を添える。睨む瞳に、かつて見た力はない。抗おうとしながらも、本能はどこかでそれを受け入れている。望んでいる。そうでしょ、光輝。

 近づく目と、鼻と、吐息と。

 静かに目を閉じ、唇を近づける。


「……ま、おう。魔王! 顔を隠しながら鑑賞するな! いいからさっさと早く出せ!」

「わ、わわ! う、うん」


 ギャラリーがうるさい。

 眉を顰めてお嬢を見ると、何か球状の物を投げてきた。

 しかし、遅い。

 パシ、と手で払うと、それは破裂。パンッ、と小気味いい音とともに、粉が舞う。何だ? と疑問に思うのと同時。

 ふ、と視界が暗転した。

 崩れる身体を、動けるようになったのか、光輝が支える。


「間に合ったか」


 途切れる意識の合間に聞いた声。安心したようなその声に、しかしどこか残念そうな含みを感じたのは、俺の気のせいだろうか。






「すみませんね、迷惑かけて」

「……ああ、いや、まあ、な」


 しーん、と沈黙。気まずい。それ以上に恥ずかしい。

 ベッドに横たえ毛布で丸くなりながら、顔は壁へと向けていた。当たり前だ。こんなんで、顔を見られるわけがない。サキュバスの本能が全面に押しだされたのは、それはもうどうしようもない。うん、俺のせいではない。満月のせいだ。だけど、そうとわかっていても、恥ずかしいものは恥ずかしい。


「ていうか、あんたなら自力で解いてくださいよ。『魅了の瞳』くらい」

「アホ言え。俺はこれでも健全な高校男子だ」


 意味がわからない。健全な高校男子に解けない理由があるのか。

 いい加減、拗ねていても仕方がない。上半身だけ身体を起こし、隣に佇む光輝を見る。


「……どうだ?」

「だ、大丈夫ですね」


 顔にこうまで力を入れたのは初めてだ。無表情を貫き通す。顔が赤いのは、熱があるからだ。

 さきほど投げられた球は『魔具ポルシネ』と呼ばれる消費アイテムらしい。魔王が魔界からかっぱらってきたもので、今では光輝の所有財産。効果は一時的な魔力増大。満月によって乱れた魔力も、それ以上の魔力量でカバーすれば問題ない。ちょうどお嬢のように。ただ、一度に溢れ出した魔力のせいで、一瞬気を失ってはしまったが。


「まだあと一ダースはあるからな。当分の間は大丈夫だろ」

「……なんですか、それ。それじゃあ、俺、大人になれないじゃないですか」


 魔具ポルシネのおかげというか、せいというか、判別の儀は途中で中断された。今は胸も小さくなって(断じて元が小さいというわけではない)、背も少し縮んだ。髪はそのままだが、それは切ればいいだけのこと。それでも、若干、大人びた気もするし、結局人間で言えば、13歳から15歳へと年をとった程度の変化はあった。ただ、悲しいことに男のアソコも小さくなった。いいんだ、別に。男の性に未練はない。ないったら、ない。


「学校にはもう男として入学させたんだ。今更訂正なんてややこしいことできるか」


 け、と悪態を吐く光輝。けれど、視線はどこか泳いでいる。珍しくらしくないその態度に首を傾げていると、お嬢がおかゆをその手に持ちながら、入ってきた。


「シロ! 余の特性卵粥だ! 心して食え!」

「あ、今お腹一杯なんで」

「昼も抜いているはずなのに!?」


 ショックで立ち尽くすお嬢を前に、ふと昔もこんなふうに看病されたことを思い出す。

 まだ自分の魔力もろくに扱えず、苦しんでいた頃。満月の日は、いつもそうだった。満月でなくとも。そう、いつも、苦しいときは、そういえば傍にいてくれた。唯一の特技と言ってもいい料理の腕を振るって、お粥を作ってくれたっけ。

 なんだか、おかしくなって、笑みがこぼれた。


「嘘だよ。お腹ぺこぺこ」


 その言葉に、お嬢は花が開いたように満面の笑顔。しっぽがあったら振っているだろう、そんな様子でこちらに近寄ってくる。


「ほら、余が食べさせてやる! あーん」

「あ、光輝。スプーン取ってきてくれませんか」

「完全無視!?」


 変っていくけど、変わらないものもある。

 そうじゃないかと、なぜか思った。


 それからお嬢は「シロは余のことをえっちゃんと呼んだ!」とか、世迷いごとを言っていたけど、熱にうなされていたときのことはよく覚えていない。まあ、覚えていなくとも、俺がそんなことを言うはずもなく。

 当然無視した。



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