モンスター
「ここがガレリアで一番栄えている大通りです」
自信満々の表情で、オリヴィアは、両手を広げて街を示した。
熱気溢れ、大声が飛び交う商店。人々は足早に歩き回り、少し距離ができれば、隣の人の言葉すら耳には届かない。隙間がないほどに人で密集しているのに、しかし、誰もが明るい表情を浮かべている。幸せだと、全身で表現しているかのようである。
エデは、その熱気に若干あてられ、僅かに頬が上気していた。エデだけではない。ロザリーは、目を爛々と輝かせているし、リシエだって、年甲斐もなく心が沸き立つのを抑えきれない。
「すごい……」
「わー……」
言葉もないといった様子で、エデとロザリーは、感嘆の吐息を零した。
ガレリアの大通りは、いろんな意味において、リシエの築き上げた国とは違っていた。リシエの築いたゼルシムは、よくも悪くも静かなのだ。温厚とも言い換えることができる。リシエの特性上、ゼルシムには、悪意が滅菌室にでもいるかのように、殺菌されている。いわば、自然のものではなく、作られた平穏、平和だ。
それと異なり、ガレリアは、最低限の秩序が存在する上で、自由なのだ。ゼルシムにいたからこそ、三人には分かる。これこそが、真の自由なのだと。誰もが生命力で溢れ、生を謳歌している。ゼルシムがいかに特殊であるかを、否応なく思い知る程に……。
「これが人としてのあるべき姿……なのかしらね」
「お姉様……」
喧噪に油断して、思わずリシエが漏らした言葉は、耳聡くエデに捉えられてしまう。
「そんな事ありません……私はゼルシムが大好きなのですから」
それは、きっとエデの本心だろう。だが、リシエは、それを鵜呑みにする事はできなかった。エデが生まれてきた時、ゼルシムはすでに今の姿だったのだから。
リシエは一度、オリヴィアに、ゼルシムを見せてみたい衝動に駆られる。今のゼルシムを見て、果たしてオリヴィアは、どういった感想を漏らすのか……。それが、少しだけ気になるのだ。
「どうですか? 私の国は……皆さん、お好きになれそうでしょうか?」
少し不安げに、オリヴィアは問う。
三人の答えは、決まっていた。
「ええ、もちろん。素晴らしい国だと思います」
「すごい! すごいすごい! もっといろいろ見たいっ!」
「……いい国ですね」
三人揃って、絶賛する。そこに、一切の偽りはない。
「ありがとうございます! 本当に嬉しいでしすわっ……」
オリヴィアは、ホッと胸を撫で下ろす。オリヴィアがどれだけこの国を愛しているかが、言葉にせずとも、伝わってくるようだ。
「ねぇ!? 早く行こうよっ!」
ロザリーが、オリヴィアの背中を押して、促す。同じ思いだったのか、エデは何も言わなかった。
「ふふふっ。はい、行きましょう! ロザリーさん!」
自国にも関わらず、オリヴィアも、ロザリーに負けず劣らずウズウズしているようだ。もしかすると、こうして城下町に下りてくる機会は、あまりないのかもしれない。
「ねぇ? 私はオリヴィアって呼ぶから、私の事もロザリーって呼び捨てにして?」
「えっ?」
相変わらず、ロザリーは遠慮せずにグイグイいく。
「いいでしょ? ダメ? 堅苦しいのよりも、お友達がいいなー?」
舞台女優顔負けの容姿を武器に、ロザリーは上目遣いでオリヴィアを見つめる。
「え? ……えっと……ロ、ロザリーさんは勇者様で……その……」
「勇者だとお友達にはなれないの?」
逡巡するオリヴィアに、だめ押しとばかりに、ロザリーは逃がさないよう手を握った。
「……ダメ?」
小首を傾げて、ロザリーは言う。男性に対しては百発百中、女性に対しても勝率五割を超えるロザリーの必殺技だ。
ロザリーは、とにかく、男女問わずボディータッチが多い。また、ストレートに感情表現をするため、合わないと致命的にどこまでも合わないが、逆に一度意気投合すると、果てしなく光の速さで誰とでも仲良くできる。
果たして、オリヴィアとロザリーの相性は――――
「ダメ……じゃないです」
「敬語はだーめ!」
「……ダメじゃない……わ……」
「やったー! じゃあ私達はお友達だね!」
すごく良好のようだ。
道端でロザリーが大声でバンザイをするため、オリヴィアは目を白黒させていた。でも、口端に浮かべた笑顔は隠そうとしても隠せていない。
「ありがたいですなー」
そんな微笑ましいロザリーとオリヴィアの様子を、リシエとエデが遠巻きに眺めていると、さらに背後から声がかかる。
「姫様はそのお立場ゆえ、長年同年代のご友人がいませんでした。あんなにはしゃぐ姫様をお目にするのは一体何年ぶりでしょうか」
感慨深げに言うのは、庶民が身に着けるような質素な外套を羽織ったアドリアンだった。長身痩躯のせいで、地味な外套でもすごく似合っており、どこからともなく視線を感じた。
一応身分を隠しての散策という名目なのだから、目立つのはどうなんだろうと、リシエは思った。
「あんな馬鹿な姉でも、取り柄の一つくらいはあるのですよ」
言葉こそ辛辣だが、そう言うエデの表情はどこか誇らしげだ。エデとロザリーの姉妹は、ある意味でとてもバランスがとれているのかもしれない。
「オリヴィア姫が自信満々でしたので、期待していましたが……いい国ですね」
「そう言ってくださいますと、己の仕事に自信が持てますな」
エデの素直な賞賛に、アドリアンはギラついた目を細め、子供のような笑顔を浮かべた。
リシエ達は、ガレリアを好きになってもらいたいというオリヴィアの提案で、城下町の散策に訪れていた。
城下町を散策中、エデはとある建物を見つけ、足を止めた。
「あれは……」
「どうかなさいましたかな?」
国王から、散策時の全権を与えられているアドリアンが、エデの様子にすぐに気付いた。それに次いで、他のメンバーも足を止める。アドリアンはエデの視線の先を追い、「ああ」と、納得したように頷く。
「あそこは冒険者ギルドと呼ばれている場所ですな」
問われるまでもなく、先手を打ってアドリアンが言う。
確かに、その巨大な建物の看板には【ギルド】の文字があった。
ちなみに、ガレリアとゼルシムでは言語が異なるが、オリヴィアによれば召還に際して自動的に脳が言語を理解できるようになったのでは……と言っていた。だが、実際には女神レアの加護によるものだろう。
「あ! ギルドだ!」
遅れてロザリーが建物に気付き、声を上げる。
「知ってますの?」
「うん! 私の国にもあるよ!」
「そうなんですの! 奇遇ですわね!」
「奇遇! 奇遇!」
すっかり打ち解けたロザリーとオリヴィアは、偶然の一致にさらなる親近感を覚えたのか、笑い合っている。
「アドリアン卿、この国におけるギルドとはどういう物なんでしょうか」
「そうですねぇ……一言で言えば、何でも屋に近いでしょうか。一般市民、貴族、時には軍による依頼で、雑事から戦闘任務まで、多種多様な仕事をこなしてもらっています。それぞれランクが定められており、Bランクまでは固定の報酬。AランクとSランクは依頼主と直接報酬額の交渉が行えるようになっております」
「ランクによる依頼の制限はありますか?」
「もちろんです。基本的にBランクまでは、戦闘に及ぶ可能性がある依頼でも、個人の護衛や、小型、中型モンスター討伐が主になります。しかし、軍や大型モンスターの討伐依頼はAランク以上にならないと受けられないようになっておりますな。ちなみに、Sランクに属する数十人が【逸脱者】と一般に呼ばれる方々です」
エデの問いに、アドリアンは流麗に答える。
しかし、その内容の一部に気になる言葉が出てきて、小間使いらしく、できるだけ無言でいようと心がけていたリシエは、思わず声を出してしまう。
「モンスター……ですか?」
「はい、その通りです」
アドリアンは、小間使いだと思っているはずのリシエにも、何の偏見もなしに接してくれる。だが、【モンスター】という単語に疑問を抱いている素振りはなかった。
リシエ達の世界にも【ギルド】の概念はあった。システムに関しても、大まかには、それほど違いもない。
だが、リシエ達の世界は対人が基本である。何故ならば、リシエ達の世界におけるモンスターとは、リシエ達吸血鬼のような存在なのだから。
「そのモンスターとは……どのような存在なのですか?」
「……そうですなぁ……有名どころで言えば、竜種やベヒモスですな。ご存じでしょうか?」
「はい……それは、もちろん」
エデの歯切れが悪い。それもそうだ。竜やベヒモスが実在すると聞いて、平然としている方がおかしい。
「もしや、勇者様方の世界には、モンスターはおられませんでしたかな?」
「いえ、そんな事はありません。私達の世界にも存在します」
私達がそうです! とは、さすがにエデも言えないだろう。
「ただ、モンスターでも、どの程度の力か分かりませんから……」
「くっくっく! これはこれは……勇者様も謙虚な方だ。勇者様方はSランクであった逸脱者の方々の代わりとなるお方。竜やベヒモスなど、ものの数ではありますまい」
アドリアンの眼光の裏には、いつだって冷徹な計算が渦巻いている。口ではいろいろ言いつつも、リシエ達を使えないと断じたら、即座に切り捨てる男だ。そこに私情を挟む余地はなく、祖国のためにアドリアンは決断する。ゆえに、ぶれることはない。
だからこそ――――
「無論です。私の主人はどんな敵にも負けることはありません。私はそれを信じ、確信しています」
リシエはエデの後押しをする。
エデもロザリーも、リシエから見れば、まだまだ赤子に等しい。だから、予想外の事態には、自分を信じ続けることが困難になってしまう。そんな時こそ、リシエ達ロートルの見せ場なのだ。
「お……ノ、ノエル……」
エデがリシエの目を見た。その自信に満ちた瞳には、吸血鬼としての誇りが宿っている。それこそが、エデがリシエを「お姉様」と慕う理由だった。彼女のように誇り高くいたいと、エデはいつだって夢想している。
「アドリアン卿」
言葉に力を込めて、エデはアドリアンを、見据えた。
「なんですかな?」
アドリアンは、それを真っ向から迎え撃つ。視線を逸らすような事はしない。彼にも、祖国のために殉じるという崇高な誇りがあるのだろう。
「ノエルの言う通りです。竜もベヒモスも……逸脱者も、私達の敵ではありませんよ」
エデは高慢に、唇の端を釣り上げた。
その、どこか似合わない皮肉げな笑みに、アドリアンは声を上げて笑う。
「……っ……く、くく……ふぅ、くくっく……いやいや……失敬……くくくっ……至極当然の事でしたな。どうか、このアドリアンの無礼をお許しください、勇者様」
「いえいえ、私は気にしてませんよ。アドリアン卿」
少しだけ、アドリアンの視線が和らいだ。今までは、どこか監視する風な、訝しげな雰囲気が視線に混じっていたのだ。多少の信用はされたのだと、リシエは陰で、好意的に受け止めた。
その時――――
「きゃあああああああっ!!」
大通りの先から、いくつもの悲鳴が、同時に上がった。大通りは騒然とした雰囲気に突如飲み込まれる。断続的に上がり続ける悲鳴、怒号、人々は我を忘れ、縦横無尽に後方にいた人を強引に押しのけるようにして、駆け出し始めた。
「ど、どうしましたの!?」
状況が理解できないオリヴィアは右往左往していた。ただ、人混みに流されないように、必死に身体を踏ん張るので、精一杯だ。
瞬間!
リシエ達を隠れて護衛していた、私服のオリヴィア親衛騎士達が、颯爽と姿を現し、アドリアン含めた集団を守るように取り囲む。
オリヴィアのすぐ傍で、背中に背負った巨大な剣の柄に手をかけた金髪の青年が、群衆に向かって叫ぶ。
「ガレリアの民よ! 中型モンスターが大通りに突如出現した! 我々オリヴィア親衛騎士が速やかに討伐に移れるように、落ち着いて、速やかに待避せよ!」
だが、混乱し、大声を上げる群衆が、それで素直に静まるはずもない。青年は抜刀すると、手に持った大剣を、思いっきり地面に叩き付けた。
「ひっ!」
ドゴン! と轟音。粉塵が巻き上がり、すぐ傍にいた男性が、余波を受け、その場にへたり込んだ。一瞬の静寂。その静寂を打ち破るように、青年は再び声を張り上げる。
「もう一度だけ言う……下がれ! 邪魔だ!」
殺意を帯びた眼光に射竦められた市民は、すぐに我に返る。誰かが、青年の身に着けた、銀狼の腕章から、彼らがオリヴィア親衛騎士だと悟ると、すぐに情報は伝播し、市民達は瞬く間に秩序だって、数名の親衛騎士の指示の元、逃走経路に促された。
数分も経たないうちに、人で溢れていた視界がクリアになる。見事な手際だった。だが、それを賞賛している暇はない。
晴れた視界の先にいたのは、巨大な蜘蛛だった。
「うっ!」
ロザリーが口を押さえる。ロザリーは重度の虫嫌いだから、仕方のない反応だろう。
蜘蛛は全長五メートル程もあり、蠢く手足だけで、三メートルはありそうだ。八本の足を器用に折りたたみ、鋭い刃物のような足の先を嬲るように舐めている。嬲る舌先の両側からは鎌状の牙があり、上下左右に忙しなく動いていた。全身を覆う体毛は毒々しい紅であり、その危険性を証明するように、絶え間なく体毛と同じ色の粘液を噴き出している。
現状、蜘蛛の周りには意識を失った数人の男女が倒れていた。男女は身体のどこかしらを噛まれており、噛まれた箇所が一目で分かるほどに変色している。倒れた男女を蜘蛛が糸で巻き付けようとしている真っ最中であった。
「彼らは……大丈夫、ですの?」
オリヴィアが大剣の青年に問いかけた。
「なんとも……奴の毒性は強力ですが、抗体がない訳ではありません。時間との勝負ですね」
青年は厳しい表情で言った。その表情から察するに、被害者を助けられる可能性は低いと見ていいのだろう。
手を出すべきか、親衛隊に任せるべきか、リシエが判断を迷っていると、その耳元で耳打ちする存在がいた。
「さて、こんな事を言うのは大変失礼だと自覚しておりますがな……いい機会です、勇者様方の力、見せては頂けないでしょうか?」
アドリアンである。
アドリアンは、何故か、エデでもロザリーでもなく、醜い小間使いであるはずのリシエに言った。
「な、何故、私に?」
さすがのリシエも動揺を隠しきれなかった。僅かながら、声が震えた。
「さぁ……何故でしょうなぁ……。ただ、議論している時間はない模様。謝罪なら後でいくらでも致します。……ご決断を」
アドリアンの思惑はシンプルで、明白だ。まして、それを隠すつもりもない。彼は、勇者の力を見たがっている。信じるに値するか、その判断をしたい。リシエ達にしてみても、悪くない話だ。実績が何もなければ、勇者といえど、舐められてしまうかもしれない。ただでさえ、ガレリアは体制が旧態依然としている。女という理由で侮られるのは、リシエだって嬉しくない。
何よりも――――
リシエは倒れて僅かも動かない男女を見る。今も、刻一刻と蜘蛛の糸がその全身を覆い尽くそうとしている。
何よりも……リシエは彼らを助けたいと思った。民を理不尽からの救済こそが、リシエの至上命題。一時的ではあるものの、リシエが力を貸すと決めた以上、ここに暮らす国民は、リシエの民でもある。それは、誰彼構わず、理不尽をもたらす張本人が掲げる、矛盾だらけの祈り。
「ロザリー……様」
「え?」
その名をリシエが呼ぶと、ロザリーは呆けた様子で振り返った。オリヴィアと手を握り合って震えるその様は、まるっきりただの少女である。
「あいつを……やっつけてください」
リシエが蜘蛛を指さす。その指先をロザリーが視線で追い――――
「えええええええっ!」
絶叫した。
「やだやだやだっ! 無理無理無理!」
首を振る。髪を振り乱す。
「虫は無理なのおおおぉぉ!!」
心からの拒絶だった。
しかし、エデがリシエを援護射撃する。ロザリーにしてみれば、妹に裏切られた形だ。
「しのごの言わずにやりなさい」
しっしと、犬を追い払うようにして、エデはロザリーを促す。だが、それでも泣きべそを搔いて動こうとはしないロザリーに、エデは魔法の一言を放つ。
「いいの? ロザリーがやらないと、あの人達死んじゃうわよ」
「え!?」
狂乱していたロザリーの動きが、ピタリと止まった。
「毒でやられて時間がないのよ。あの人達死んじゃうけれど、それでもいいの?」
「……そ、それ……は……」
ロザリーは、倒れた市民と蜘蛛の間で、何度も視線を往復させた。明らかに態度が変わり、迷っていた。
そこに、エデのとどめの一言。
「あの人達死んだら、ロザリーのせいかもね」
どう考えても、拡大解釈だ。
だが、ロザリーはそうは思わない。
「だ、ダメ! ダメだよ!」
死や殺人は忌避する物として、ロザリーの心の奥深くまで染みついている。ゼルシム出身者は、他国に比べてベリタリアンの数が突出して多い。ロザリーも、その例に漏れることはなかった。
「……わ、分かったよ……」
依然、涙目ながら、ロザリーは頷いた。
「死んじゃうのは嫌だよ……そんなのダメだもん」
蜘蛛の姿を視界に映すと、ロザリーの痩身がブルリと震えた。『死』を嫌悪するロザリーにとって、虫全般は彼女の愛する範疇には入らない。どれだけ動物愛護精神が強烈な人間でも、足下をはいずる蟻の一匹一匹を、避けて歩くことはないだろう。彼ら虫は、あまりにも人とかけ離れすぎている。どれだけ悪意を除去しようとしても、人の自然性まで簒奪することはできない証拠でもあった。
人は、本質的に、殺し、貪る生物だ。人ではないロザリーならば、なおさらの事……。
要するに、ロザリーにとって、虫は気持ち悪くて死んでしまってもいい生き物だという事。ただ、それだけの、人としての当たり前の感情論を、ロザリーは持ち合わせている。。
「大丈夫ですの?」
自分が呼び出した勇者――――だと思っているにもかかわらず、オリヴィアの表情は冴えない。なまじ、ロザリーの人柄を知ってしまったがゆえに、オリヴィアの胸中には、複雑な感情が渦巻いているのかもしれない。
「うん……大丈夫、かな?」
ロザリーは青ざめた顔で、引き攣った笑みを浮かべる。とても大丈夫そうには見えず、オリヴィアの怒りが思わぬ形でリシエに飛び火する。オリヴィアはキッと、リシエを睨み付けた。
「どこの世界に主人を戦わせる従者がいるのですか!? 貴方が戦いなさい! それでも男ですか!?」
リシエに罵声が飛ぶ。不思議なことに、その罵声にすら、悪意は籠もっていない。どころか、その怒りを気持ちのいい風のように感じるのだから、可笑しなものである。
「も、申し訳ありません……」
リシエは両手を挙げて、降参を示す。背後で親衛騎士を抑えているアドリアンの含み笑いが聞こえ、リシエな内心僅かにイラッとした。
リシエを、ただの臆病な男と断じたオリヴィアは、ロザリーを引き留める。
「ロザリー? 無理はしなくていいのよ? アレの相手は私の親衛騎士に任せればいいの。彼らは優秀よ? 心配いらないわ! ……サミュエル?」
「……はっ」
呼ばれたのは、例の大剣を振るう騎士――――サミュエル。彼はオリヴィアの呼ぶ声に、若干遅れて返事をした。
「速やかに、ガレリアに仇成す存在を討ち滅ぼしなさい」
「あー……」
オリヴィアの命に、サミュエルは、端整なルックスに、冴えない表情を添え、頭を搔きながら答える。
「それは、無理です」
「な! 何故ですの!?」
想定外のサミュエルの拒絶に、オリヴィアは顔を真っ赤にする。サミュエルは怒り心頭と言った感じの主人から目を逸らした。
「アドリアン卿のご命令ですので」
「親衛騎士は私の管轄のはずでしょう!」
「まぁ……普通はそうなんですけどね」
他人事にように、サミュエルは言う。そんなサミュエルを庇うように、アドリアンが前に出た。
「アドリアン卿! どういう事なのですか!?」
アドリアンにも一切臆さず、オリヴィアは食って掛かる。
しかし、
「私は今回の件についての全権を預かっておりますゆえ。我が言葉は、そのまま王命と心得て頂きたい」
「ぐっ!」
アドリアンの完璧な言い分に、オリヴィアは口籠もった。
「何よりも、こうして悠長に構えている暇はありません。姫も、大事な国民が死に瀕しているというのに、いつまでも駄々をこねるのは感心いたしませんぞ?」
嫌味な笑顔を浮かべて、アドリアンは言う。
「駄々……などと!」
だが、オリヴィアもそう易々と矛を収めたりはしない。
しかし、状況はすでに動き始めていた。
「ロザリーだって、やりたくないなら、そう言ってくだされば!」
オリヴィアがロザリーの意見を拾おうと、振り向く。
しかし、そこにロザリーはいなかった。
「失礼ながら」
呆然とするオリヴィアに、サミュエルが進言する。
「ロザリー様は当の昔にモンスターの元へと向かわれております」
サミュエルが指を差す。そこには、大通りの商店の、屋根の上を疾駆するロザリーの姿があった。
「……っ……っっ!」
ロザリーの中で、ふつふつと負の感情が沸き上がる。
しかし、それは一瞬の出来事。
「ろ、……ロ、ロ、ロザリーの! 馬鹿あああああああああああああっ!」
オリヴィアの大声と共に、オリヴィアの中にあった負の感情は光となって、呆気なく消えた。