無垢なる花嫁
「こ、ここが私の部屋ですわ」
震える手でドアを開け、オリヴィアは生まれて始めて、家族や侍女以外の人間を自室に招き入れた。
「へぇ……良い部屋だね」
「そ、そう? そう言って頂けると、嬉しいですわ」
ロザリーは、招き入れられた部屋を、遠慮などまったく見せずに見渡した。その部屋は、とても清潔に整えられており、花瓶に飾られた花や小物類。キングサイズのベッドや絨毯など。どれも色彩から配置の仕方まで計算されつくされた、センスのいい部屋と言えた。
中でもロザリーの目を惹いたのが、ベッドの枕元に置かれた一体のヌイグルミである。布地に綿を敷き詰めて作ったと思われる、デフォルメされた人型の人形は、布の劣化具合を鑑みても、かなりの年季を感じさせた。
「……ヌイグルミがどうかしました?」
じっとヌイグルミを凝視していた事を悟られたか、オリヴィアが問うてくる。その瞬間に声が僅かに上擦った事から、ロザリーはあのヌイグルミがオリヴィアにとって、特別な物なのだろうと、あたりを付けた。
「可愛いなって思って」
「そ、そうですか?! 本当にそう思いますか!?」
案の定、ヌイグルミを褒めると、オリヴィアが喜色満面といった表情を浮かべる。
「……実はあのヌイグルミ……リリちゃんと言うんですけども、私が子供の頃に自分で作ったものなんですの」
「え、オリヴィアが作ったの?」
「はい……お恥ずかしながら……」
オリヴィアは僅かに頬を染める。
ロザリーはオリヴィアの許可を得て、ヌイグルミに触れてみた。
「本当だ……布の触り心地が所々違う……」
恐らく、何度も補修を繰り返してきたのだろう。布には、それなりに新しい部分と、劣化が激しい部分、二つの面があった。
「小さい頃はそれで毎日遊んだものですから……布が破れたり、中身が飛び出したり、そんな事がしょっちゅうでした。その度に手直しして……。今だからこそ一応見られるヌイグルミですが、最初は酷かったんですのよ?」
「……そうなんだ」
ロザリーは、丁寧にヌイグルミ――――リリちゃんを枕元に戻す。
「オリヴィアのお友達なんだね」
「ええ、さっきも言った通り、私は同年代のお友達なんて、いた事がありません。貴族の令嬢の方々とは、接する機会こそあれ、とても友人と呼べるような関係ではありませんでしたわ……。だから、リリちゃんが、私にとっての大事なお友達代わり。少し大人になった今でも、私にとっては宝物ですの」
オリヴィアは、子供時代を思い出しているのか、寂しそうに眉根を寄せる。しかし、ロザリーの顔を見ると、すぐにその表情は華やいだ。
「だからロザリーがお友達って言ってくれて、本当に……本当に嬉しいんですの! そのお返し……と言うと、少し違うかもしれませんけれど、ロザリーのために私ができる事があるなら……力をお貸ししますわ」
ロザリーは、驚いたように目を見開いた。
ロザリーは、オリヴィアを自身の意のままに操っていたと思っていた。だけど、それは事実ではなかった。影響はあったのかもしれないが、オリヴィアは自分の意思で、ここへやってきたのだ。決して、連れられてきたのではない。
「そっか……私、本当に馬鹿だな……エデの言う通りじゃんかよぉ……っ」
ロザリーは小声で呟くと、唐突に両の頬を思いっきり叩いた。パンッ! と景気のいい音。ロザリーの頬には、二つの大きな紅葉ができあがっていた。
「ロ、ロザリー!?」
いきなりの奇行に、オリヴィアが慌てる。
「お待たせー! いつもの私だよっ!」
ロザリーはキリッとした表情を一転、ニヘラッと蕩けさせた。
「え、は、はい?」
戸惑うオリヴィアをよそに、ロザリーは突然、彼女に抱きつく。
「ロッ、ロザリー!!?」
アワアワと、オリヴィアは手脚をバタつかせるが、アクションはそれほど大きくはない。心中はともかく、暴れるとロザリーに何かしらの被害が出ることを恐れているのだろう。こんな状況でも、他人に配慮ができるオリヴィアに、ロザリーは深い尊敬の念を覚える。
「私ね……ううん、私達……ね」
ロザリーの声色が、神妙な色を帯びる。雰囲気の変化に気付いたのか、オリヴィアの動きがピタリと止まる。
「……吸血鬼……なんだ」
ロザリーが告げた瞬間、オリヴィアの肩がピクリと反応を示すのが分かった。
「…………っ」
「…………」
沈黙が下りる。
過ごした時間など関係なく、ロザリーにとって、オリヴィアは大事な大事な友人である。ゼルシムに暮らす数十年来の親友に拒絶されるのと同じように、ロザリーはオリヴィアの反応を恐ろしく感じていた。
「…………う、うぅぃ」
しかし、待てど暮らせどオリヴィアからは何の反応もない。元来、気の長い方ではないロザリーは焦れ、顔をガバッと勢いよく上げた。
すると、
「ふぎっ!!」
「ぎゃぴっ!!」
ガツンという衝撃と共に、二つの奇妙な奇声が上がった。
「うーうーっ!」
「っ! ……っぃ!」
ロザリーは後頭部を抑えて絨毯の上を転がり、オリヴィアは鼻を押さえ、涙目になりながら身悶えている。
「ロ、ロザリー! いきなり何てことしますの!」
「オ、オリヴィアだって!」
「わ、私はロザリーを見ていただけですわ!」
「だからって覗きこまなくたっていいじゃんかさ!」
実に不毛な責任の押し付け合い。
しかし、それも長くは続かず、ふいに――――
「ふ、ふふふっ……ふふふふふっ」
押し殺したような笑いを、オリヴィアが零す。
「あはっ……はははははっ!」
それに釣られるようにして、ロザリーも笑った。
オリヴィアは単純に嬉しかった。夢見ていた友達同士のやりとりを、現実に交わしている事実。現実は妄想よりも、遙かに痛い。だが、その痛みすらも、いずれは大事な思い出になる。
ロザリーは難しい事は分からない。だから、友人が笑っているのが、嬉しかった。友人が笑っていたから、一緒に笑いたかった。
「……ふふ、こんなに痛い思いをしたのは、何年ぶりかしら」
「私はしょっちゅう痛い思いしてるよ。エデはいつも私の事叩くから!」
「それはロザリーがいけない事をしたからでしょうに」
「もー! オリヴィアまで! 私の方がお姉さんなんだよ?!」
「はいはい……」
苦笑を浮かべつつ、ロザリーの主張をオリヴィアは流していく。急速に二人の中が縮まっていく予感。それを二人共が確かに感じていた。
だからこそ、ハッキリさせなければいけない。
「……吸血鬼、なんですのね」
ポツリと、オリヴィアは呟く。
「うん」
ロザリーは、はっきりとオリヴィアの目を見て、頷いた。
「正直……驚きましたわ」
「っ!?」
ロザリーの瞳の奥が揺れるのがオリヴィアには分かった。それでも、ロザリーは決して目を背けようとはしない。その真っ直ぐさ、真摯さは、オリヴィアが失って久しいものだった。ゆえに、オリヴィアはこんなにもロザリーに惹かれてしまうのかもしれない。
「だって、私の知る吸血鬼って物語の中にしか登場しないんですもの」
「え、そう……なの?」
「ええ」
オリヴィアは頷く。頷いて、続けた。
「だから、ロザリーが吸血鬼だと聞いても、特に何とも思いませんわ。いえ、何とも……というと、少し語弊があるかもしれません……んんっ」
オリヴィアはしばし言葉を探す。やがて、目的の言葉が見つかったのか、瞳を輝かせて言った。
「そう! 綺麗だって思ったんですの!!」
「……綺麗?」
ロザリーは首を傾げる。彼女にとっては、吸血鬼が綺麗と言われてもピンとはこない様子だった。
「だって、その宝石のような紅い瞳もそうですし、肌も抜けるように白くて……物語で読んだのとまるっきり同じなんですもの!」
手を胸の前で合わせて、オリヴィアは微笑んだ。まるで、ロザリーの美しさを称えるように。
「……ぁぅ」
ロザリーは容姿を褒められるのは慣れている。星の数ほどの、歯の浮くような形容詞で口説かれてきた。主に男性、時には同性から……。
そのロザリーをもってしても、こうまで純粋な賞賛を受けたことはない。オリヴィアの言葉には、下心も、微量の嫉妬も、皮肉も存在してはいなかった。
だからこそ、ロザリーは今まで感じたことのない羞恥を覚え、頬を紅潮させた。
「あら、瞳が肌と同じ色になってしまいましたわ!」
オリヴィアに、そんな冗談を言われ、さらに恥ずかしがる始末である。
「う、うぅぅ……」
二進も三進もいかなくなったロザリーの次の行動は、付き合いの長い者ならば、誰にでも予測できる。しかし、オリヴィアに関してはそうもいかなかった。なにせ、経験が圧倒的に不足している。
「もーーー!!」
「きゃっ!」
ロザリーの最適解。それは、実に単純な行動。
ザ! 実力行使である。
「あ、あんまりお姉さんを虐めないでよねっ!」
「い、いえ、そんなつまりはっ! って! 何してるんですか!?」
オリヴィアは、ロザリーによってベッドの上に押し倒されてしまう。マウントポジションを取り、ご満悦のロザリーは、露わになるオリヴィアのうなじを前に、自身の内なる衝動を感じた。
「っ!」
ドクンとロザリーの心臓が跳ねる。次いで、猛烈な吸血衝動。とうとう、本格的な副作用が襲ってきた瞬間だった。
「ど、どうしましたの!? ロザリー!」
ベッドの上で冗談交じりにじゃれ合っていると、ロザリーが急に身体を硬直させて動かなくなる。不審に思いオリヴィアが声をかけると、ロザリーは唐突にオリヴィアに覆い被さった。
「な! なななっ! ロ、ロザリーッ!」
慌てる声。しかも、耳元からはロザリーの荒い吐息がオリヴィアの耳に届く。
「あ、貴女! 貴女っ! も! もしかして、そういう趣味ですの!?」
世の中には同性愛なるものがあると聞く。オリヴィアの城で働く侍女の中にも、そういう嗜好を持ったカップルがいるという噂を、彼女は聞いたことがあった。
「わ! 私は違いますのっ! ロザリーが嫌なんじゃなくて! そのっ! ちょっと待って!」
オリヴィアは貞操の危機を目前にして、今度は本気で抵抗しようとする。しかし、覆い被された体勢では満足に力が出ず、ロザリーの力は万力で締め付けられているかの如くビクともしない。
「……オ、オリヴィアッ……」
ふいに、ロザリーが上半身だけ起き上がった。その際に、甘いロザリーの体臭がフワリと舞い、オリヴィアの脳髄を痺れさせた。
「ちっ! わっ! そっ!」
『違うっ! 私! そんなのではありませんのっ!』そう言いたいのだろうが、オリヴィアはもう、満足に言葉も出ない。
やがて観念したオリヴィアは、見上げたロザリーの口元から覗く鋭い牙を見て、
「……あぁ……本当に吸血鬼ですのね……」
そう呟いた。
「そうですわよね。吸血鬼って、乙女の血を吸うんでしたわね……」
オリヴィアに、恐怖はなかった。これから何が行われるか、まったく理解が及ばないほど、オリヴィアは無垢な少女ではない。
「……あ、あまり痛くしないでくださいましね?」
ただ胸中にあるのは、ロザリーに対しての信頼と友情。その支えがある限り、オリヴィアには何事も恐れずに足りず。
だが、事ここに至って、今度はロザリーが躊躇を見せていた。吸血衝動から一時的に立ち直ったのか、その瞳の奥には理性の影があった。物欲しそうな、切なげな視線をオリヴィアにじっと向けていた。
「しょうがないですわね……」
オリヴィアは苦笑すると、ロザリーを受け入れるように、その両手を伸ばした。そして、自らロザリーの手を引き、身体を抱き寄せる。触れ合った胸から、ロザリーの動悸と生唾を飲み込む音が生々しく伝わってくる。
「っ……ぅぁっ……ぃぃっ……」
苦悶の声を上げ、それでも動こうとしないロザリーに、オリヴィアは止めとばかりに上顎を上げ、喉をロザリーの眼前に晒す。
その瞬間――――
「がふっ!!」
「いっ……つぁ!?」
堪えきれなくなったロザリーは、とうとうオリヴィアの無防備な喉に牙を突き立てた。首筋に走る鋭い痛みに、オリヴィアは眉を顰める。
しかし、その痛みは長くは続かない。
「え? ……ひゃぅっ!?」
痛みに次いで訪れたのは、背筋がゾッとするような感覚。
「な……んでひゅのぉー? これぁ……っ」
オリヴィアの呂律は回っていない。ロザリーが血管に牙をさらに推し進め、溢れ出た血液を嚥下する事に、不可思議な感覚は肥大していく。
「ひっ……ひやっ! ひやですぉっ!」
オリヴィアの瞳は夢遊病患者の如く蕩けきっている。口の端からは勝手に唾液が零れだしていた。それを拭うこともできない程に、オリヴィアの身体には力がまったく入らない。
それは、紛れもなく快楽だった。性経験が皆無と言ってもよいオリヴィアは、快楽にまったく抵抗することができずに、ただ全身を意思に反してビクビクと痙攣させている。
ロザリーの牙を見た瞬間から、オリヴィアは痛みに対する覚悟は決めていた。しかし、現実はまったく覚悟とは別方向から責めてきて、オリヴィアをひたすらに翻弄する。
「あ、ああっ! あうぁっ!」
みっともなく、オリヴィアは喘いだ。頭の中でバチバチといくつものスパークが起きる。その度に、オリヴィアはたまらない気分になるのだ。
いうなれば、多幸感。どこまでも幸福で、真っ白で、苦しみの介在しない楽園にいるような心地。その世界へと連続して昇っては、現実に堕ち、また昇る。その繰り返し。そうしていると、今自分がどこにいるのか、何をしているのかすら分からなくなる。
不安になり、オリヴィアは夢中で自身の血を啜るロザリーの小さな背中を掻き抱いた。
すると、それに呼応するように、ロザリーもオリヴィアに強く密着する。互いの境界がなくなる程、強く、深く……。
「っ! ……あぅっぁっ……ふ、ふふふっ……ふふふっ」
オリヴィアは安心したのか、小さいながらも声を出して笑った。笑いながら、涙を零した。
「ロザリー! ロザリーッ!! ふ、ふふふ……あははっ……んっ、んんっ!」
そうして笑い、泣き、時にはロザリーの名を呼びながら、オリヴィアは永遠に続くのではと思われる真っ白な快楽の世界へと、心の底から幸せそうな表情で堕ちるのだった……。
「こら! いい加減にしなさい!」
「っ!」
頭に落ちた衝撃で、ロザリーは自我を取り戻した。そうして、ロザリーは、意識を失って人形の様になっている腕の中のオリヴィアに気付く。
「あっ! オリヴィア!? 大丈夫!?」
ロザリーは慌てて抱きしめたオリヴィアを開放する。しかし、ピクリとも反応しないオリヴィアに、ロザリーは焦って涙目になる。
そんなロザリーを半眼で見下ろしながら、エデは呆れたように言った。
「落ち着きなさい。ちゃんと呼吸はしているでしょう」
「あっ……本当だ」
落ち着いて見てみると、確かにオリヴィアの胸はゆっくりと上下動を繰り返していた。
「良かったぁー……っ!」
安堵したのか、ロザリーは腰が抜けたようにベッドの上に倒れ込む。
「何が良かったのよ? 私が注意しなかったら、オリヴィアさんが干涸らびるまで血を吸ってたでしょうに」
「そ、そんなことっ……ない、と思う」
ロザリーの反論にも、さすがに力がない。
それだけ吸血衝動は過酷なのだ。まして、ロザリーは前回の血液摂取から相当な期間も空いている。ロザリーは反省したのか、しゅんとした表情で俯いた。
「まぁまぁ……ロザリーも反省しているようだし、今回はそれくらいにしてあげなさい」
そう声をかけたのは、エデの背後で事の成り行きを伺っていたリシエだった。
「お姉……って、その格好は……」
「あら? 変かしら?」
「ううん、そういう訳じゃないけど……」
ロザリーの疑問も、もっともだ。
リシエは醜い男に擬態した姿ではなく、本来の幼げな少女の姿に戻っていた。
「まぁ、吸血鬼の話をするなら、私の事も自己紹介しておいた方がいいと思ってね。私もいつもいつもエデを通してしか情報収集できない現状には限界を感じていたし」
リシエが生きるため、効率よく悪意を収集するには、真実を知る者はできる限り少ない方が良い。だが、それを差し置いても、すべての人間に対して自分を偽り続けるのはあまりにも不便でもあった。
「何よりも、ロザリーとエデがこれからお世話になるんだし、改めて挨拶くらいはね」
リシエは片目を瞑って晴れやかに笑った。
「えっ!? もしかしてエデもオリヴィアの血を吸うの!?」
しかし、ここで思わぬ声を上げたのがロザリーだった。反省して大人しくなったかと思ったら、今度は一転してエデを親の敵でも見るように睨み付ける。
「なにを当たり前の事を」
対するエデは、その視線を柳に風とばかりに、まったく気にする様子もなかった。
「そんなのヤダよっ!」
嫉妬混じりの怒号。
明確な敵意に、さすがのエデも鼻白んだ。
「な、なにをそんなに怒ってるのよ……」
こうなると、エデは弱い。普段の関係性から、エデが常に優位に立っているように見えるが、それは違う。ロザリーはエデに限らず、人に本気で敵意を見せることなど、ほとんどない。それゆえ、間違った解釈をされてしまう事が多々あるのだ。実際の所、こうしてロザリーが敵意を露わにすると、エデは状況に限らず、とことん押さえ込まれてしまう。ロザリーが一度怒り出すと、それまでの二人の関係性は破綻し、完全に逆転してしまうのだ。
「ど、怒鳴らないでよ……」
エデが一歩引いて、縮こまる。
「…………」
「…………」
微妙な空気。妙な沈黙。
その間に割って入ったのは、やはり、リシエだった。
「はいはい、喧嘩しないの」
そう言うリシエの表情はその場の雰囲気に即さず、明るい笑顔だった。リシエはロザリーに、一足早く大人の仲間入りをした年頃の少女に向けるような、生暖かい視線を向ける。
「そういえば、ロザリーは人から直接血を吸うのは始めてだったわね」
「……うん。そだよ」
不機嫌ながら、ロザリーはリシエの問いにはしっかりと答える。
「ロザリーの精神はその影響で一時的に不安定になっているのよ。私達吸血鬼は、始めて直接血を吸った相手に本能的に惹かれるようにできているから」
一昔前までの吸血鬼は、吸血鬼同士でコミュニティーを築き、無作為に少女や少年を襲った。年は流れ、現代では、大半の吸血鬼が、血を提供してくれる心優しき人々から受け取った血を、専用のパックを通じて摂取している。
その影響で、なかなか吸血鬼の本能は覚醒することがなくなっている。
幸か不幸か、ロザリーはオリヴィアの血を吸ったことで、その本能が完全に目覚めてしまったようだ。
「まぁ、時間が経てば落ち着くから心配いらないわ。とりあえず、オリヴィアの血の話は今は保留ってことで……ね?」
「はい……」
リシエがエデの肩にそっと手を添えて言うと、エデはぎこちないながらも笑みを浮かべ、頷いた。
ロザリーは今もオリヴィアの血を誰にも渡さないと息巻いているが、いずれ落ち着くだろう、リシエはそう思った。
そうこうしていると――――
「ん、……んんっ……んっ」
意識を失っていたオリヴィアが、寝返りをうった。そして、二度三度瞳を瞬かせ、細く開いた視線の焦点が、エデとリシエに合わされる。
すると、
「きゃああっ!」
軽く悲鳴を上げ、オリヴィアが飛び起きた。
「え? ええっ?! どうして私の部屋にエデさんと……誰、ですの?!」
驚いて、オリヴィアは自然と傍にいるロザリーに身を寄せる。しばらくして、混乱が収まったのか、多少の冷静さをオリヴィアは取り戻した。
「初めまして。私はリシエ。それとも、貴女にはこう言った方が分かりやすいかしら? 改めて始めまして、私の名前はノエルと申します」
オリヴィアが目を見開く。
「ノ、ノエルさんって……あ、あの?」
失礼なオリヴィアの物言いに、リシエは苦笑を浮かべる。
「ええ。……あのノエルです」
『あの』を強調して、リシエは言う。
すると、オリヴィアは口をポカンと開けて、数秒硬直してしまった。
「えっと、その……一体何が起こっているんですの? も、申し訳ありませんが理解しきれていなくて……」
オリヴィアは困惑したように、三者の顔を見比べる。
ロザリーは『何者』からか守るようにオリヴィアに抱きつき、エデはいつもの調子が戻らないのか、居心地悪そうに俯いている。その中で、一人だけ悠々とした笑みをリシエは浮かべながら、
「ちゃんと説明します。少し長い話になりますが、よろしい?」
「それは、もちろん……と言いたいのですが……」
オリヴィアが頬を赤らめながら、リシエを見上げた。
そして、散々まごつき、ようやく決意したのか、彼女は言った。
「その前に……お風呂に入りたいのですが……その……」
「ああ、なるほど」
すべてを察したと言わんばかりの、含みのある浮かべ、リシエは言う。
「どうぞ、ごゆっくり。お待ちしております」
オリヴィアは顔のみならず全身に赤を広げ、逃げるように部屋から退出するのだった。




