純潔の乙女
「……終わったようですね」
声色に若干の安堵の色を滲ませつつ、エデは言った。
「ほっ! 本当ですか!?」
エデの言葉に、間髪入れずオリヴィアが食い付く。その必死な様子。両手を胸の前で、鬱血するほどぎゅっと握りしめて、姉を本気で心配してくれるオリヴィアに、エデはほんの少しだけ、頬を緩める。
「ロザリーはっ! だ、大丈夫なんですの!?」
「ええ、姉は無事ですよ。心配してくださって、ありがとうございます」
「い、いえ……そんなっ。それにしても、無事ですか……良かったですわ……」
オリヴィアは「はぁぁー」と深い溜息をつくと、安心して気が抜けたのか、そのまま後ろに倒れそうになってしまう。
「おっと!」
それを寸での所で、親衛騎士サミュエルが支えた。
「それにしても、すごいですね」
オリヴィアを支えながら、サミュエルは感心しきった表情をエデに向けた。
「何がですか?」
「この距離から何があったのか、勇者様はお分かりになられるのですね」
「まぁ……」
エデは曖昧に頷く。
確かに、不自然ではあった。ロザリーと大蜘蛛の姿は、視界には入っていない。ロザリーが駆けていくのを皆で確認してから、オリヴィアの安全のために民衆と共に待避したために、彼我の距離は遠く離れてしまっている。
「何か特別な術でもあるのでしょうか?」
この世界では魔術が発達していると効く。リシエ達の世界にも、似た体系の術はあるものの、根本的には異なっている。リシエ達の扱う術は、どちらかと言えば、超能力に近い。生まれつき、持って生まれたモノ。それは吸血鬼である彼女たちだけでなく、稀にではあるが、人間にも使用者はいる。
「そうですね。似たようなものですよ」
「ほう、我々も使えたりするのでしょうか?」
「……どうでしょう。人に教えたことはないので……」
「なら、一度ご教授願えませんか?」
「……機会があれば……」
一見エデに対して下心があるような会話に思えるが、どうもその線は薄いようだ。サミュエルは純粋に自身の向上を願っている。ゆえに、エデも強く出ることができずに、若干押されぎみだった。本人が真面目なだけあって、エデは同じく真面目な人間に強く否という事は苦手なのだろう。
「……お姉様、少し」
「ん?」
サミュエルをなんとか振り切ったエデは、さりげなくリシエの背後に立つ。
「お姉様も気付かれたと思いますが、あれは……」
『エデの考えてるとおりね。ロザリーったら、また覚醒血使ったみたいね』
エデの問いに、リシエはテレパシーで返した。こうすれば、周囲に聞かれる心配も減らすことができるだろう。さらに、下手な演技をする必要もなくなり、リシエとしては万々歳だ。
「……あの馬鹿姉」
エデの声色に、怒気が籠もった。
どうして、エデ、延いてはリシエにロザリーが勝利した事が分かったのか。答えは簡単だ。血の匂いがしたのだ。最初は微量ながら、濃厚なリシエの覚醒血の匂い。次いで、派手に撒き散らかされた、野生生物特有の青臭い血の匂いだ。
吸血鬼は、血に対しては鼻が効く。
『でも困ったわね……。ロザリーの副作用、どうしましょうか』
覚醒血使用後の、吸血衝動は苛烈だ。猛烈な喉の渇きを覚え、それはいくら水を飲もうとも、満たされることはない。満たすには、一定量以上の血液が必要である。しかし、本来ゼルシム内ならば、これはたいした問題にはならなかった。ゼルシムでは、吸血鬼のために、心優しい国民達が無償で提供してくれた新鮮な血液が、大量に保管されている。それを用いれば、副作用は簡単に鎮めることができた。
『何にしても、ガレリア行き自体、急な出来事だったからね。前もって準備さえできれば、緊急時のために用意はできたんだけど……』
それはもう、今更言ってもしょうがない問題でもあった。
「ですね……。まぁ、いずれ私とロザリーは血液が必要になります。ある意味で、いい機会なのかもしれません。もちろん、あの愚姉は許しませんが」
ダンピールであり、血の薄いエデとロザリーは、真祖程頻繁に血液が必要な訳ではない。我慢に我慢を重ねれば、一月くらいは普通の食事をしているだけでも、何の支障もなく生活が可能だ。
家畜の血液でも代用はできなくはないが、味は人間のものを比べれば、遙かに劣る。選別された血液しか飲んだことのないエデやロザリーが口にするのは厳しいだろうと、リシエは考えていた。
必然的に、協力者が必要になってくる。モンスターが当たり前の存在として認知されているこの世界で、はたして吸血鬼がどういう扱いになるのか。その点を踏まえて、協力者選びは慎重に行わなければならない。
『協力者……ねぇ。探そうにも……』
「ええ、時間がありませんね」
ロザリーは大蜘蛛を討伐した。じきに戻ってくるだろう。戻ってきた頃、ちょうど覚醒血の効力が落ち、変わりに吸血衝動が襲ってくる頃だ。選別している暇はない。ならば――――
「彼女……でしょうか」
『彼女でしょうね』
リシエとエデは、同時にオリヴィアを見た。ロザリーが無事であるとの知らせを受けても、元気な姿を見るまでは安心できないのか、ロザリーの帰りを今か今かと待ち望んでいる少女。リシエ達を呼び出した……と思っている皇女様。まさか、自分で呼び出しておいて、吸血鬼だと分かった途端に掌を返すような事はないだろう。
「処女ですしね」
『貴女もでしょうが』
「い、いえ! そういう話ではなく!」
純潔という言葉があるように、一般的には生娘の血液こそが至上の味とされている。吸血鬼それぞれ好みはあるものの、それはいくら年月が経とうとも、変わることはない。
ともかく……だ。
『彼女にお願いするしかないみたいね』
「……はい」
ロザリーへの供物になったオリヴィアに、二人は静かに黙祷を捧げた。
「……今、戻ったわ」
商店の屋根の上から現れ、その場にいた一堂を驚かせたロザリーは、普段では考えられないようなキリッとした眼差しで言った。
「け、怪我はありませんか!? もしあれば言ってください! 私が直しますから!」
オリヴィアはロザリーの姿を見つけると、直ぐさま駆け寄った。
「問題なし。強いて言えば、唇を切った事くらい。でも、もう直ってるから心配いらない」
「唇! 切ったんですの!? そんなにすぐに直るわけないじゃないですの!!」
問題なしと言うロザリーを無視して、オリヴィアは強引にロザリーの口を開かせる。しかし、
「あ、あれ? ……本当に傷がありませんわ……」
そこに、傷一つ見当たらない。
唇だけでなく、全身のどこにも……。
「……サミュエル、あの蜘蛛は、かなりの高レベルモンスターじゃなかったかしら?」
「姫の仰る通りです。Aランクへの昇格の際に、あの蜘蛛の討伐指令がよく出ますね」
オリヴィアは目を丸くして驚いている。
「本当に……お強いのですね……」
「何? オリヴィアは信じてなかったの?」
「そ、そういう訳ではありませんがっ」
きっと、オリヴィアはロザリーの戦い方について疑問を持っているのだろう。魔術師らしく、サミュエルと同じで好奇心旺盛な目をしている。異国、異世界の力。オリヴィアは、それに興味を惹かれると同時に、ロザリーを戦いの場に誘うことに罪悪感を感じている様子だった。
「あ、あの……?」
ふと、オリヴィアはロザリーを見上げた。ロザリーはオリヴィアよりも、背が高い。オリヴィアが小柄だというのもあるが、ロザリー自身、女性にしては高身長な部類に入る。
「ロザリー……何か違いませんか?」
「違う?」
オリヴィアの当然の疑問に、ロザリーは首を傾げて問い返した。唐突に接近した二人の唇。オリヴィアは戸惑ったように、後ずさろうとする。
「な、何か……違う、ような……」
オリヴィアはロザリーの様子に違和感を覚えつつも、確信にまでは至っていない。それは無理からぬ事であった。二人が出会ってから二日。親しくなってから、数時間と経ってはいないのだから。逆に、この短期間で強い印象を残せる、ロザリーの個性が光っているとも言えた。
「そんなことないよ」
ロザリーは妖艶に微笑みつつ、後ずさりするオリヴィアの腕を握った。
「あ、あの?」
オリヴィアの戸惑いはさらに強くなる。ロザリーへの違和感と、そして――――己への違和感。
元々、ロザリーはボディーコンタクト過多である。ならば、ふいの接近や腕を掴まれることなど、たいした事ではないはず。にも関わらず、オリヴィアの違和感は時間の経過と共に強くなっていく。
それは嫌悪感といった負の感情ではなかった。むしろ、真逆の――――
「……いいでしょう? オリヴィア……」
耳元で甘い声で囁かれ、オリヴィアは飛び上がりそうになるくらい驚いた。一体何が『いい』のか、オリヴィアにはまったく分からない。そのくせ、一声囁かれたくらいで全身の力が抜けそうになる。握られた腕から、生命力を吸われているかのような心地。
「なっなっ! え、あ……ぅ? ……ダ、ダメ……ダメ、です……」
慌てふためきながら、オリヴィアは必死に拒絶の言葉を吐き出す。そうしなければ、すぐにでもロザリーに支配されてしまうのではいか、そんな恐怖がオリヴィアを襲っていた。
「どうして? 私達、お友達じゃない……?」
「そ、そうですけれど……」
オリヴィアにとって、ロザリーは友達だ。いや、友達を飛び越えて、親友と呼んでもいい。たった数時間で、それくらいオリヴィアはロザリーに心を開いていた。なにせ、人生で最初の友達だ。対等な立場で接してくれる、初めての同年代。
オリヴィアには、普通の友達が分からない。だから、染められるのは一瞬。皇族としての矜持もロザリーの前ではハリボテにすぎない。
「そう、嬉しい。ねぇ? 私、オリヴィアにお願いがあるの……」
「お、お願い、ですか?」
主導権は常にロザリーが握っている。どだい真祖化した吸血鬼に、魔術を囓ったとはいえ、少女と呼べるる年齢の小娘が勝る部分などどこにもない。
他愛なく、赤子の手を捻るように、オリヴィアは籠絡されていく。
「二人っきりになりたいな」
「二人っきり……」
「なりたくない?」
「なり……たい」
「でしょう?」
オリヴィアは顔のみならず、全身を紅潮させた。訳の分からぬ興奮に支配されている。夢の中の出来事のように現実味がない。
「じゃあ、抜けだしましょうか。……二人っきりになるために」
「……ええ、分かりましたわ……」
ロザリーに誘導されるまま、オリヴィアはロザリーに連れられ、他の人の元を離れる。オリヴィアの肩を抱くロザリーの目は、美しいオレンジの裏に、どこまでも濁った欲望を隠していた。
「二人で行かせてしまって、本当によろしいのですか?」
サミュエルは、オリヴィアの背中を眺めながら、とこか複雑な眼差しを浮かべていた。
「ええ、よいのです。……そうでしょう? その方が、都合がいいのですよね?」
相変わらず心の読めない笑みを浮かべながら、オリヴィアとロザリーの離脱を許可したアドリアンは、エデとリシエの方を振り返り言った。
「今はまだ理由は話せませんが、……そういう事になりますね」
エデは表情を変えず、それだけ告げた。
「まぁ、俺としてはアドリアン卿と勇者様の意向に従うまでです。しかし――――」
サミュエルは眼光を強める。オリヴィアに特別に信頼された証である親衛騎士とて、一介の兵士であることに変わりはない。しかし、サミュエルはハッキリと、格上を越えて雲の上の存在であるはずのアドリアンを見据え、
「今回は従いますが、姫に危険が迫ろうとしているならば、俺はたとえアドリアン卿のご命令だろうと無視致します」
そう、宣言した。
アドリアンは当然怒る……どころか、破顔して笑った。
「くっくっくっ! ……よろしい! 若者はそうでなくてはなりません! どうも私は君の事を軽視してしまっていたようだ。これからも国の宝である姫のこと、よろしく頼むよ」
「は、はぁ……了解です」
相当な意気込みで言った言葉だのだろう。サミュエルは肩すかしを喰らっとでも言いたげな、気の抜けた顔で頷いた。
その顔を見て、またアドリアンは含み笑いをする。一通りそうして満足したのか、リシエ達にアドリアンは言う。
「さて、姫とロザリーさんがいなくなられて、街のこの有様です。散策……という雰囲気ではなくなってしまいましたな。強行にこのまま散策を続けても、恐らくロザリーさんはご機嫌を損ねてしまうでしょう。彼女は今日の功労者ですから、報いねばなりません。そこで、もう今日はこのまま城に戻って休むという事でよろしいでしょうか?」
「はい。私達としては、それで構いません」
アドリアンの提案は、リシエ達にとっては願ったり叶ったりであった。ロザリーが行く場所は、相当限られている。その上で、『二人っきり』になれる場所という条件も加味すると、もう一つしかない。ロザリーが、やりすぎないか見張るためにも、すぐにでも帰りたい所であった。
「分かりました。それでは帰りの馬車を用意させます。少々お待ちください。サミュエルはお二方の護衛をお願いします」
「はっ!」
そう言って、アドリアンはその場を離れた。言葉の通り、馬車の手配をするのだろう。自身の護衛や部下に任せない辺り、やはり心根の優しさが隠しきれてはいない。
その甘さ、その垣間見た隙に、リシエは口元を手で覆いながら、ほんの少しだけクスリと笑うのだった。




