3日目 第一王子の悩みを解決する! 前半戦
「ここ……どこ?」
えっと……うーんと……えーーっと…………あははははは……迷った。
どこでかって? もちろん城の中よ。ええ、城の中ですけど?
だってしょうがないじゃない。この城めちゃくちゃ広いんだから。全部の場所覚えるとか無理よ、無理。
今まで問題なかったのは、道順を教えられた場所だったから。最低限必要はところは城に来て最初に覚えさせられたからね。
それに、初めて行く場所だったとしても、侍女のレイエが一緒だったから迷う心配なんてなかったのよ。
じゃあ何で今レイエと一緒じゃないのか。それには海よりも深い事情がなかったりなかったりするわけだけど、まあ一言で言えば……自業自得?
午前中は一般教養の講義を受けることになってるのは前にも言ったと思うけど、それは基本的に私の部屋で行われるの。だから移動の必要はない。だけど今日はダンスをするからって、違う部屋に来るよう言われたのよ。
ダンスとかはっきり言ってノーサンキューなんだけど、そんな言い分が通用するはずもなくてね。ええ、そりゃもうみっちりしごかれましたとも。
あのクソバ……婦人、厳しすぎるわよ、ほんと。
で、その鬼指導から解放されて今に至るわけだけど……うん、これじゃあ何でレイエと一緒じゃないのかの説明になってないわね。
えっと、つまり、行きはレイエに連れて行ってもらって、私がしごかれている間、彼女は別の色々な用事で違う場所に行ってしまったの。色々な用事の中には私が頼んだことも含まれているから、行ってくれてるの方が正しいかな。
それで一人で自室に戻ることになったってわけ。
婦人が送るって言ってくれたんだけどね。速攻で断りました。だって絶対に歩き方とか姿勢とか注意されるもの。廊下ぐらい好きに歩きたいわ。
一度通った道だから大丈夫だと思ったんだけどな。最初の十字路を右に折れてその次は真っ直ぐで、それから階段を上がって左左右左右右、で帰れるはずなのに、一体どこで間違ったのやら。階段までは合ってる自信あるから、次の十字路かその次くらいかしらね。
はあ、どうしてこんなに迷いやすい構造になってるのよ。敵に攻め込まれたときのために、城っていうものはどこも複雑に造ってあるって聞いたことはあるけど、もっと住む人間にも配慮してもらいたいもんだわ。城内マップとか用意しときなさいよね。
ああもう、歩いても歩いても知ってる場所にたどり着かない。無駄に広いし、似たような扉ばっかりだし、目印になるようなものはないし……っていうか、なんでこんなときに限って誰とも出会わないのよ!?
いつもはいろんな人と廊下ですれ違って、その度にいろんな種類の視線を浴びせられるのに。なんで今日は誰もいないの。
誰かぁ、私をこの無限回廊から救ってプリーズ、ヘルプミー。この際誰でもいいからー。見下した眼を向けてくる禿げたジジイだろうが、小馬鹿にした感じの笑みを向けてくる厚化粧のオバサンだろうが構わない。だから誰か廊下を通りなさいよー。
「このままじゃ餓死しちゃうって――わっ!?」
「きゃっ」
前をよく見ずに角を曲がったら誰かとぶつかった。私はちょっとよろめいただけだったけど、相手は床に倒れてしまっている。淡い黄色のドレスを着た女性だわ。
同じ女性なのに何で彼女だけが倒れたのかしら。不思議ね……とか呑気に考えてる場合じゃないわ。早く声をかけて助けてあげないと。
「ありがとう救世主様!」
違う違う。何を言ってるんだ、私は。確かに道に迷ってた私にとって、この女性は救いの神だけれども。今言うべきは謝罪の言葉でしょうが。
「え?」
ほら、倒れた女性が訝しげにこっちを見上げてるじゃないの――って、この人は!?
「す、すみません、何でもないです。お怪我はないですか」
慌てて女性の手を取って立たせる。
「ありがとう。あら、貴女は」
「前をよく見ていなかったもので、本当に申し訳ございませんでした、ジュリエラ様」
私は深く頭を下げて謝った。
まさかここで彼女に会うとは思わなかった。
ローディス国第一王子妃ジュリエラ。昨日国王様との会話に登場した、リーシェレイグ様のお妃様だ。
深い藍色の長い髪に澄んだ青色の瞳。洗練された仕草は、まさに淑女と言うに相応しい。ただ立っているだけなのに気品がある。
多分クソバ……婦人は私をこんな風に改造したいんでしょうね。絶対に無理に決まってるけど。
だってねえ、私はこの世界に来るまで刑事だったのよ。「こらぁ! そこのあんた、待ちなさーい!」とか叫んでたのよ。「もし、そちらにおいでの殿方様、少しお待ちになって下さいな」なんて叫んでたわけじゃないの。
「いいえ、わたくしもぼうっとしていましたから。それよりも、どうしてこちらに? ライカさん。お約束は半刻後だったはずですわよね」
ジュリエラの問いに私は、はいと頷く。
昨日、国王様との話が終わってすぐに、今日会いたいと彼女に手紙を送ったのだ。元々今日はリーシェレイグ様と会うことになっていた(もちろん夫婦仲が悪いなんて知らなかったから違う話をする予定だった)んだけど、昨日の話を聞いてジュリエラ様にも会った方がいいと思ったから。
二人の言い分を聞かないと仲裁なんて出来ないじゃない?
「あの、その、実は迷ってしまいまして。ここがどこなのかさっぱり分からないんです」
うう、いい歳して迷子を告白するのってかなり恥ずかしいわ。
「まあ、そうだったのですか。城は広いですから、ライカさんが迷うのも仕方ありません。よろしければわたくしがご案内しますわ」
小馬鹿にするわけでもなく、慈愛に満ちた笑みを向けてくるジュリエラ様。なんてお優しい人なの。こんないい人を避けるなんて、リーシェレイグ様は何を考えているのかしらね。
「すみません、ご迷惑をおかけします」
「いいのよ、気にしないで。でも、部屋にお送りする前に少しだけ付き合っていただいてもいいかしら」
「はい、もちろん」
「ありがとう。では行きましょうか」
そう言って歩き出すジュリエラ様。歩く姿も美しいわ。彼女を見習わなくちゃね。
それにしても、どこに行くのかしら。角を曲がる度にどんどん廊下の幅が狭くなっていってるんだけど。ジュリエラ様とぶつかったところは、だいたい十五人くらいが並んで歩ける広さだったけど、今歩いてるところは三人が限度だわ。私たち以外に歩いてる人もいないし。
「あの、どこに行くのですか?」
「すぐに分かります」
着いてのお楽しみということですか。
特に会話することもなく、ジュリエラ様の後ろをついて歩き、薄暗い螺旋階段を上がる。今は昼だし一人でもないから何とも思わないけど、これが夜でしかも一人だったら結構怖いかも。
「さあ、着きましたわ」
螺旋階段の先にあった木製の扉を開けたジュリエラ様が、どうぞと私を促す。
「ありがとうございます。……わ、凄い!」
扉の先には素晴らしい景色が広がっていた。
ジュリエラ様が私を連れてきた場所、それは城にいくつもある尖塔のうちの一つだった。見張り台なのだろうが、今は使用されていないのか誰もいない。五人立てば身動き取れなくなるほど狭さだが、見晴らしは最高だ。空も大地も一望できる。
「どう、いい眺めでしょう」
「はい!」
「気に入ってくれて良かったわ。ここはね、わたくしのお気に入りの場所なの。昔から何かあると一人でここに来て空を眺めていたわ」
にこやかに微笑み、ジュリエラ様は胸の高さまである石壁にそっと手を置く。
「そんな大切な場所、私なんかに教えてよかったんですか?」
「いいのよ。だってもうすぐ貴女とわたくしは義理の姉妹になるもの。でも他の人には内緒よ?」
「それはもちろん。誰にも言わないとお約束します」
「ふふ、わたくしとライカさんだけの秘密ね」
こんな美人な人と秘密の約束だなんて、なんかドキドキするわね。
それにしてもいい眺め。風も丁度良くて気持ちいいわ。ジュリエラ様がお気に入りの場所だっていうのもよく分かる。夜に来たらさぞ星が綺麗に見えるでしょうね。……あの螺旋階段を一人で上るのはちょっと勇気がいるけれど。
「それで、わたくしとどんなお話をしたいのかしら? 今なら二人だけで話せるわ」
石壁から手をはなしてジュリエラ様は私の方を向く。彼女の顔には変わらず笑みが浮かんでいる。しかし、水色の瞳にはほんの少しだけ哀しみの色が宿っていた。
まるで私が何を訊くのか全て知っているかのように。




