0日目 決戦前夜
「いよいよ明日ね」
五人は並んで寝れる大きなふかふかのベッドに仰向けで倒れ込んだ私は、気合いを入れるために両頬を軽く叩いた。
私の名前は紫悠雷華。職業は公務員。より正確に言えば警察官。一般には刑事と呼ばれる仕事をしていたわ。
……そう、していた。
いま私は仕事をしていない。といっても、辞めたわけじゃない。悪人を捕まえるのは好きだったし、辞めるつもりなんてこれっぽちもなかった。
じゃあ何故私が仕事をせずに無駄に豪華なベッドでごろごろしているかというと……ここが私の住んでいた世界と違う世界だから。
ほんと、びっくりよね。もう訳が分からなかったわよ。都会のど真ん中にいたはずなのに、突然、灼熱の砂漠に立っているんだもの。訳が分からなさすぎて、いい大人がちょっと泣きそうになったわ。
それで、どうしようかと砂漠でおろおろしていたら、胴長短足の黒い犬が駆けてきたのよね。犬とは思えないほど鋭い眼つきをしていたわ。……本当に犬じゃなかったけど。
私は、その黒犬を本来の姿に戻すために、この世界に呼ばれたってわけ。本来の姿っていうのは、まあ一言で言えば、人間ね。もう少し具体的に言えば、成人した男性。
何で私? って思ったけど、その答えを知っている“人”は誰もいなかったわ。
そんなこんなで、私と黒犬は結構な日数をかけてこの世界を旅しました。笑いあり、涙あり、驚きあり、暴走あり、戦いあり、誘拐あり、愉快なお供あり、その他もろもろありの不思議旅だったわね。
まあ、今となってはいい思い出と言えなくもないけど、もう一度したいかと訊かれれば即答で拒否するわ。あんな大変な思いは二度と御免です。
それで、旅の終わりが私の役目の終わりでもあった、つまり自分の世界に帰るときだったわけだけど、私はそれをしなかった。
あのとき帰っていたら、今ごろは刑事として、またばりばり働いていたんだろうけど。
どうして帰らなかったのかって?
それは、まあ、何ていうか、その、好きな人が出来た、から?
一緒にいたいと思ってしまったのよね。この人となら幸せな人生を歩めるだろう、と。
……甘かった。激甘かった。
いま私は、ハッピーエンドなどというものはそんなに簡単に訪れるものじゃないってことを、身をもって実感しています。
「ライカ、入ってもいいか?」
扉が叩かれ、廊下から低い男性の声がする。といっても、誰なのかは分かっているわけだけど。
「どうぞ」
上体を起こして返事をすると、扉が開いて背の高い黒眼黒髪の人物が入ってきた。
ルークウェル・ダレス・ボルジエ。私が今いる世界にある四つの国の一つ、マーレ=ボルジエの第二王子様。
そして、私の未来の夫。または、胴長短足の黒犬の正体とも言うわね。
「明日からしばらくライカに会えないのだな」
ベッドの縁に腰を下ろした私の未来の夫、ルークは、心底辛そうに呟いた。
彼は王子でありながら、特務騎士という国を護る職務に就いている。
騎士というのは、マーレ=ボルジエの兵士の中でも、特に心技体に優れた人しかなれない特別な地位なのだけど、その特別な人たちの中でさらに特別なのが、特務騎士なの。今現在の特務騎士の数はルークを入れて四人。他の三人は顔と名前しか知らないけど、全員がとんでもなく強いらしいわ。
ようするに化け物みたいなものね、強さだけで言えば。容姿は腹立つくらいに端麗な人ばかりなのだけど。騎士って顔で選んでるんじゃないの、って本気で疑ったわ。
その特務騎士の任務で、明日から七日間、ルークは城を離れる。どこに何しに行くのかは機密事項っぽいから訊いてない。言っても問題ないことであれば、訊かなくても言ってくるでしょうからね。
「たった七日じゃない。すぐよ、すぐ」
私がそう言うと、ルークが、きっ、と睨んできた。相変わらず眼つきが悪いわね。
「たった、ではない。七日も、だ」
ルークは腕を伸ばし、私を引き寄せて抱きしめる。結構な力を篭めてくるから、いつか骨が折れるんじゃないかと時々不安になるわ。
「そうね、ごめん」
素直に謝りながら、私は明日からのことに思いを馳せる。この七日間のために、ルークに内緒でこつこつと準備を進めてきた。はっきり言って、彼がいなくなることよりもこっちの方が私にとっては遥かに重要だったりする。
何の準備かって?
そんなの、これから先、私が快適にこの世界――主にこの城で生きていけるように、問題ありまくりの今の現状を改善するための準備に決まってるじゃない。……って、別に決まってはないか。
今のままじゃ胃に穴ががっつり開いてしまうのは間違いない。
耐えられないと思ったら「はい、さよなら」って別れればいいんだろうけど、私の場合そういうわけにもいかないし。まあ、もし元の世界に帰れたとしても別れないとは思うけど。一応、ルークのことは好きだもの。
え? 一応なのかよって? 細かいことは気にしない気にしない。
因みに、私が抱えている様々な問題について、ルークは一切知らないわ。彼の耳に入らないよう、私付きの侍女とかには口止めしたのよ。
理由は簡単。
死人が出るから。
会うたびにねちねち嫌味を言ってくる貴族の令嬢がいるなんてことをもしルークが知ったら、その貴族一家の死体が川に浮かびかねないもの。暗殺者よりも暗殺者らしいことをしそうで……。
私のことを想ってくれるのは嬉しいんだけど、穏便とか円満という言葉を知らないのよね。
だから、自分一人で問題を解決することにしたの。下準備は万全のはず。あと必要なのは度胸と根性だけ。
頑張るぞと、私はルークの背中に回した手を握りしめた。
決戦は七日間! その全てに勝ってみせる!
「ライカ……」
「早く自分の部屋に帰れ!」