そこまで妄想して委員会 一
真奈美の高校時代を垣間見たラオウは、妄想列車の暴走によって真奈美の大学時代に迷い込むが、何かが違う。時空が歪んで、真奈美のもうひとつの歴史が動き始めてしまった。
音も振動もなく、不気味に進行を続ける妄想列車。まるで氷の上を滑るかのように、暗闇の中を滑らかに走り続ける。車両の中は電灯も消えて、真暗で不気味な闇に俺たちは包まれている。
俺と真奈美が彼女の高校生時代の話題を語り始めた途端、妄想列車の動きに異変が生じたのだ。
「ラオウさん、そこにいるの?」
真奈美が不安気な声を出して、両手で俺の手を握り締めた。彼女の子供のように小さな手から伝わってくる甘い温かみに、俺は驚きと共に胸が熱くなってしまった。
初めて触れる真奈美の柔和な手。通勤電車で彼女に出会ってから一年。ただ、見つめることしか出来なかった真奈美の手に触れているのだ。
しかも、不安に怯えた彼女から俺の手を握ってきた。そのお陰で、俺自身が抱いていた暗闇での恐怖感が吹き飛んで、可憐な彼女を守りたいと言う勇気が腹の底から沸き上がってきた。
その熱い思いのために思わず強く握り返してしまった俺は、今にも潰れてしまいそうな彼女の手の柔らかさと、彼女の心の弱さを同時に感じて、まるで、腫れ物にでも触るような優しさで握り直した。
「私、お化け屋敷が大好きなの!」
「え?」
予想だにしなかった真奈美の言葉に俺は言葉を失う。しかもその声は弾んでいる。
(この女は恐怖を楽しんでいるのか?)
好きな女を守ると言う、男としての使命感を失ってしまった俺は、彼女の天然ぶりに少々憎々しさを感じながらも彼女の手の温かみを味わいながら、それならそれで、今の状態がいつまでも続いてくれることを心の片隅で祈った。
しかし、幸福な時間など長続きしないのが世の常で、何故だか、彼女の手から温かみが次第に消え失せてゆくのを感じた。不思議に感じた俺は再度強く握り締めてみたが、今度は温かな感触自体が薄れてゆく。いや、手の感触だけではなく意識までもが遠退いてゆくようだ。
そして、この事象は彼女に原因があるのではなく、自分に変化が起きていることを悟った時、俺は意識を失ってしまった。
一瞬眠ってしまったような感覚に陥ったが、それは会議中に居眠りをしてしまったくらいの出来事で、すぐに意識は回復した。と、その時、列車は暗闇を抜けて車両内が明るくなった。
「ラオウさん、何だか若くなったわね」
唐突な真奈美の第一声の意味を理解仕切れない。
「そうですか?」
俺は窓ガラスに自分の顔を映して、彼女の言葉を確認してみる。
(確かに若返っているような)
「本当に俺なのか?」
俺は窓に向かって呟いてみる。しかし、そんなことよりも窓の外を流れている風景に違和感を覚えて、俺はじっと目を凝らした。
車窓の外は、今までの自然豊かな風景から一転して都会の街並みに代わっていた。床に這いつくばっていた車掌がこそこそと這い出してきて、
「皆さんお怪我はありませんか?」
と、タイミングの遅れた業務確認を行った。
「ええ、大丈夫です」
俺と真奈美は明るく答える。
「車掌さん、いったいどうなっているんですか?」
真奈美が車掌に優しく尋ねた。
「とんでもないことが起きてしまったようです!」
車掌はポケットから携帯端末を取り出して数字を確かめている。
「これは大変なことになりました」
「だから、いったい何が大変なのですか?」
さっきから、驚いてばかりで何も言わない車掌に、俺は少しイラついてきた。
「時空に歪が起きて、真奈美様の過去とは違う過去へ来てしまいました!」
「違う過去?」
「真奈美様の大学時代ですが、真奈美様が過ごされた過去とは違う過去が進んでいます。私たちはその世界に来てしまいました!」
車掌が青い顔をして説明した。
「良くわからないけど、なぜラオウさんは若くなっているの?」
真奈美は落ち着いた表情で、いつもの可愛い瞳をパチクリさせている。
「お二人がこの世界の当事者になってしまったのです」
「当事者?」
「お二人はこの世界の人たちと話も出来ますし、普通に暮らすことも出来ます。そのために、ラオウ様は十歳若くなられました」
「じゃあ、俺は今三十九歳ですか?」
目を見開いて驚く。
「十年前の世界に来たと言うことね。で、どうして私は若くならないのよ。私も二十二歳にならないと不公平だわ!」
と、彼女の言葉に皆が息を飲む。
「三十二歳なの?」
思わず俺が呟いた。
「三十二歳!」
車掌も口にする。
「連呼しないでよ!」
彼女は俺を睨んだ。
(連呼したのは俺じゃないし)
「ま、その辺りの事情は私には良くわかりません」
車掌の言葉に真奈美はまだ不満気だ。
「それで、時空はいつ戻るのですか?」
俺の質問に車掌は頭を掻きながら、
「それが、この列車は進むべき方向を示す時空のコンパスが故障してしまいまして、しかもこの世界に入ってからはエネルギーが補給することが出来ず、もうすぐ停車してしまいます」
と、顔を引きつらせて笑みを浮かべた。
「そんな無責任なあ」
俺が思わず不満を漏らす。
「何が無責任だ!」
突然、車両間の扉が開いたかと思うと、隣の車両から移ってきた男が大声を出した。
「黒服?」
松山君を死に導いた神の使途だ。黒服はチラリと俺を見てから、
「お前たちがルールを破って過去の話題を持ち出したりするから、妄想列車が暴走を始めたのだ。お前たちが何とかしろ!」
と、俺たちに向かって怒鳴った。
「何とかしろと言われても」
俺は真奈美と顔を見合わせる。
「お前たちのおかげで、何の関係もない俺までが時空の変動に巻込まれて、乗りたくもない列車に乗せられてしまった」
黒服は、しばらくの間不満と愚痴を零した後、大きく溜息を吐いた。
「いくら愚痴を言っても仕方ない。これから言うことをよく聞け」
俺たち二人を睨みつける。
「何ですか?」
「まずはエネルギーだ。この列車のエネルギーを確保しなければならない」
「どうやって?」
「今のこの社会は、国民の活力が全く無くなっている。活力を復活させなければこの列車は動かない」
「どうやって?て、もう一度聞いたら叱られる?」
真奈美が憎めない笑みを黒服に送った。
「オホン」
黒服は少し頬を染めながら、
「怒らせるのだ」
と言って、チラリと真奈美に視線を送った後、俺の瞳を見つめた。(この黒服、真奈美に惚れたのか?)
松山君が亡くなった時に、通常では与えない情報を黒服が真奈美のために漏らしたことを思い出した。
(何が神の使徒じゃ、ただのエロオヤジやないか)
「ま、真奈美ちゃんが大学生の頃は、保守政党が与党だった」
黒服の態度がぎこちない。
「あら、そうなの?」
黒服は少しこけたが、気を取り直して続ける。
「それが、この社会は左翼政党が与党になっている。色々な美辞麗句を並べて国民をだまし、馬鹿マスコミが加担してC国の属国となり得る政策を次々と実施し、監視と密告の社会を築き上げた」
「監視と密告?」
不快な言葉に自然と表情が歪んできた。
「密告は嫌ね、覗きは仕方ないけど」
「覗きじゃない。監視だよ」
彼女は俺の言葉を聞き流して、
「だって、男は女を覗きたいんでしょ?私もよく覗かれたもの」
と、懐かしそうに言った。
(人の話をスルーするな)
「いや、そうじゃなくて、覗きと監視は違うから。監視は趣味嗜好じゃない。四六時中見張られているようなものだよ」
今度はスルーされないように真奈美の瞳を見つめながら説明する。
「誰に監視されるの?」
「政府に」
「あら、それは嫌ね。因みに、ラオウさんも私の高校時代の部屋を覗いていたんでしょう?」
と、愛らしい瞳で俺を見つめてきた。
「部屋は覗いていない……」
「あら、じゃあ何を覗いていたの?まさか、ミニスカートの中とか!」
俺の目が一瞬泳いでしまう。
「おい、話を続けていいか?」
ムッとした黒服が割り込んできた。
「どうぞ。手っ取り早くお願いね」
真奈美が黒服の瞳を見つめて、優しい笑みを湛えながら催促する。
「とにかく、そんな社会だから国民は言いたいことも言えず、やりたいこともやれず、互いが疑心暗鬼で、親族や友人さえ信用出来ない社会になっている。そんな社会に活気が湧き起こるはずがない」
「でしょうね」
「この社会にいる真奈美ちゃんは、この社会を破壊しようとしている。それを手伝え」
黒服がぶっそうなことを口にした。
「私がテロリスト?」
真奈美は、この世界の自分がテロリストだと言われてショックを覚えているようだ。
「どんなテロをやろうとしているんだ?」
彼女の気持ちを慮って遠慮気味に聞いてみる。
「俺にもわからん」
「核爆弾?バイオ?」
ショックを受けたと思っていた真奈美が瞳を輝かせている。
(ショックちゃうんか?ほんまに危ない女かも)
「まあ、昔の自分に会って直接聞いてみろ」
黒服の表情に疲労の色が窺える。
「はーい」
「仮にエネルギーを得られたとして、針路はどうするんだ?コンパスは壊れているんだろう?」
「それは俺たちが調べておく。もうすぐ停車するようだ。くれぐれも監視には気をつけろ」
黒服が真剣な瞳で俺たちを見つめた。
しばらく慣性走行をしていた列車の速度が落ちてきた。運良く、操車場のある駅に辿り着いたようで、本線から外れた引込み線に妄想列車は停車した。
「では、必ず成功させてくださいね」
車掌が車両から二人を見送った。
「そちらもコンパスの修正方法を見つけておいてくださいよ。エネルギーだけあっても帰れないんでしょう?」
車掌に俺の言葉が届かなかったのか、無言のままで手を振っている。
「行きましょう」
真奈美が俺の腕をつかんで促した。二人はプラットホームに降り立って周囲を見渡してから歩み始める。通勤時間帯ではないために人は少ない。
「真奈美ちゃんはどこの大学?」
尾道での彼女の成績には興味がなかったから検討もつかない。
「内緒」
(何でやねん、今から大学へ向かうんやで)
京都線に乗り換えた二人は、長いシートの真中辺りに腰を下ろした。
(通勤列車が懐かしい)
真奈美と並んで座っていると、通勤電車で口も利けなかった頃のことが思い浮かんでくる。どっちがいったい現実なのか、不思議な感じが身体じゅうに広がっている。
「今日は何曜日かしら?」
真奈美が短い髪を掻き撫でる。
「さあ、季節は秋ぽいけどね、曜日まではわから……」
と、俺が話し終わらないうちに、
「今日は何曜日ですか?」
と、真奈美がシートの端に座っているオバサンに尋ねた。半ば眠っていたようなオバサンは、
「土曜」
と、そっけなく答えてから怪訝な眼で真奈美をチラリと睨んですぐに目を閉じた。
列車の中はとても静かだ。会話もない。音楽を聞いている人すらいない。何となく重苦しく沈鬱な空気が漂っている。ふと荷物棚を見上げると、そこには監視カメラのような物が置いてあった。俺の視線に気づいた真奈美が同じようにカメラを見つめる。二人で目を丸くして棚を見上げた。
「あんたら、そんなもん見たらあかんで」
眠っていたオバサンが真奈美の腕を引きながら、
「目をつけられるで」
と囁いた。
「誰にですか?」
俺も小声で尋ねる。
「あんたらどこの人?」
オバサンは、外国人でも見るような目で真奈美を見つめている。
「しばらく海外に住んでいて、昨日戻ったばかりなんです」
俺は適当な嘘をついた。
「そう。そんなら気をつけや。外で話をしたら、誰に聞かれてるかわからへんさかいな。ややこしい人に聞かれたらチクられるで」
「誰にチクられるの?」
真奈美は不思議そうに目をぱちくりとさせている。
「あほ政府や」
思わず吐き捨てるように言ったオバサンは、慌てて周囲を見回した。だが、誰もこちらには興味を持っていない。皆、眠っているか本を読んでいる。他人のことには興味は無さそうだ。
「あほ政府?」
俺は、オバサンに更なるおしゃべりを促してみる。
「あほ政府の役人に目をつけられたら、何やかんやといちゃもんつけられるで。監視員て言うてな、そこら辺にうようよ潜入してるわ」
急に緊張した表情で周囲を見渡す二人に構わず、オバサンは、
「特にC国の人間の悪口を言うたりしたら、人権保護団体の変なのが来て、外国人の人権を侵した言うて糾弾されるで。政府は日本人よりもあの国の人権が大事なんや」
と吐き捨てた後、
「アメちゃん食べる?」
と、真奈美にアメを差し出した。
「ありがとう。話を聞いていたら腹が立ってきたわ。そんな奴らぶちのめしたら良いのよ!」
真奈美がオバサンの怒りに同調する。
(さすがテロリスト)
「あほやな。逆ろうたら捕まってしまうがな」
「収容所送りですか?」
俺は笑顔を浮かべて冗談交じりに尋ねてみた。オバサンもニヤリとした後、
「精神病院送り」
と、真顔で呟いた。
「嫌な社会ね」
さっき怒ったはずの真奈美は、アメを口に放り込んだ途端にもう他人事のような口調になっている。
(さすがは天然娘)
「お宅ら、何時から外国へ行ってはったん?」
オバサンが俺に向かって尋ねる。
「十年くらい前かな」
「ああ、そんなら知らんで無理ないわ。この国がおかしなってしもたこと」
やや肥満気味のオバサンは、大きく溜息を吐いてから話を続けた。
「三年前の選挙で、国民が民民党なんかを選んでしもてな」
「民民党?」
俺も聞いたことが無い。
「最近できた寄せ集めの政党や。綺麗ごとばっかり言うて、出来もせん公約を並び立てて何ひとつ実現してへんくせに、公約には無い悪法ばかり通しよった」
「国民を監視する法律とか?」
「他にも、外国人の人権を守る法律ばかり作って、ほんま、どこの国の政府かわからんわ」
「どうしてそんな政党を選んだの?」
真奈美がアメを口の中で転がせながら尋ねる。
「マスコミもグルやったんや。C国の回しもんがぎょうさんマスコミ幹部に潜り込んでるし、C国の企業が大スポンサーにもなってる」
「オバサンはどこを選んだの?」
「私は民民なんどに入れてへん。あの頃のマスコミは酷いもんやった。保守政党の総理がバーで水割り飲んだだけで、けしからんて叩きまくった。そんな論調に国民も乗せられてしもたんや」
オバサンは悔しそうに言ってから、新しいアメちゃんを口に放り込むと、
「まあ、しゃあないわ。今は我慢や」
と言って、少しすっきりした表情を浮かべてから、
「よいしょっと」
と、気合を入れて立上った。間もなく電車は駅に停車した。
「とにかく、周囲には気をつけや」
そう言葉を残してオバサンは降りていった。
「どうする?」
真奈美が俺の顔を見つめる。
「とにかく黙ろう」
俺は黙した。彼女も口をつぐんだ。
「暗い社会ね」
「だから黙っていよう」
「そうね」
電車が動き始める。
「昔の自分に会うなんて、何か変な感じね」
(黙ってられんのか!)
高槻駅を出た二人はタクシーに乗り、10分程で山手にある大学に到着した。
「今日は土曜だけど、学校に行って昔の真奈美ちゃんに会えるの?」
「多分ね」
「学生時代の真奈美ちゃんは、土曜でも授業を受けていたの?」
「まさか。きっとクラブ活動をしているわ」
「合気道部?」
俺は彼女の強さを思い出している。
「新聞部よ」
(し、新聞部ねえ)
俺は、まじまじと真奈美を見つめた。
「何よ。イメージに合わない?」
視線が少し冷たい。
「体育会系のイメージでもないけど、新聞部とは意外だ」
だが真奈美は、俺の答えには興味を示さずキャンパスをすたすたと歩いてゆく。さすが母校だけあって、校内の案内板など全く見ずに進んでゆく。
いくつか立ち並ぶ校舎の間を抜けて、裏手にある、やや小さめの校舎に足を踏み入れてゆくと、廊下で愛らしい女子大生とすれ違った。自然とその後姿を目で追ってしまう。
「女子大生に会えて嬉しい?」
屈託のない真奈美の笑顔に、却って焦ってしまう。
「別に」
何とか言葉を返した俺の焦りに満足した彼女は、ふっと笑いを零してから、ある部屋のドアをノックした。ドアには新聞部と書かれたプラスティック製のプレートが貼ってある。
「どうぞ」
中から女性の高い声が届いてきた。ゆっくりとドアを開ける真奈美。彼女の頭越しに部屋を覗く俺。
中では、二人の男女が中央にある机を囲んで立話をしている。何かを検討している最中のようだ。そして、真奈美の顔を視野に捉えた二人は、自分たちの存在さえも忘れてしまったかのように、ポカンと呆けた表情で真奈美の顔をじっと見つめた。
「何の御用ですか?」
ふと現実に戻った真面目そうな男子が、真奈美によそ行きの声を掛ける。俺たちは軽く会釈しながら部屋に足を踏み入れた。
「あっ、マナのお母さんですか?」
女子学生が大発見でもしたような喜びの声を上げた。
「お、お母さん!」
真奈美の顔が引きつる。
「フッ」
思わず吹き出した俺を彼女が睨み付ける。
「いくらマナにそっくりでもお母さんは失礼だよ」
男子がフォローした。
「じゃあ叔母さん?」
「お、おば、おばさん!」
三十前後の女性が最も忌避する言葉の響きに見舞われた真奈美は、もうパニックに陥って、女子学生の問いの本来の意味さえ理解する余裕を失っている。
(これ以上何も言うなよ)
彼らの身の安全を一心に願った。
「きっとお姉さんだよ」
そう言った男子が俺たちに近づいてくる。
「で、何の御用ですか?」
「真奈美に会いにきました」
真奈美が少々尖った口調で告げる。
「失礼ですけど、お姉さんのお名前は?」
「真奈美です」
二人の学生はもう一度ポカンと口を開けて、再度真奈美の容姿をまじまじと見つめた。
「俺はラオウ」
女子大生は淡いピンクフレームのメガネを掛けている。
「マナて誰?」
俺は若者たちに尋ねた。
「私のことよ」
突然澄んだ声が響いて、隣の部屋から小柄な女性が入ってきた。水色のロングTシャツとデニムのホットパンツを穿いて、その美脚を惜しげもなく披露している。
「やらしい目で見ないでよ」
真奈美が俺の視線の先を確認してから釘を刺す。大学生の真奈美が愛らしく俺たちに微笑み掛ける。
「本名は真奈美。昭和くさい名前だからマナと名乗っているの」
(な、何てことを!)
「悪かったわね、昭和くさくて」
真奈美のご機嫌が見る見る悪くなってゆく。
(これ以上刺激するなよ)
「未来から来た例の二人よ」
マナは、真奈美の機嫌など全く気にならない様子で、落ち着いた口調で仲間に説明した。
「マナが夢の中でお告げを聞いたという例の話?」
男子学生は案外素直に受け止めている。だが女子学生は猜疑の視線をマナに向けて、
「お告げねえ。マナさんが預言者だったとは思いも寄らなかったです」
と、まるで本気にしていない様子だ。
(普通信じられないわな)
女子学生のそんな態度を見た男子学生が、
「それが、HPの掲示板にも、同じような書き込みがあったんだ」
と、やや高揚した口調で女子学生を諭そうとする。すると、真奈美が突然口を開いて、
「未来から美人がやって来るって書いてあったの?」
真奈美のジョークに誰も反応出来ず、彼女の弾んだ声は虚しく消えていった。マナは吐息を吐く。
「イケメンも来るって書いてあった?」
今度は俺が悪ノリしてみる。
「昔はそんなノリで笑っていたの?」
マナが冷たい声で切り捨てる。俺は咳払いをしてから、
「冗談はともかく、良かったら君たちのお名前を教えてもらえる?」
と二人の男女に尋ねた。
「僕は永山と言います。四回生で部長です」
「私は絵美。二回生です」
絵美が愛想笑いを浮かべた時、
「大変だ!」
と、大声で叫びながら別の男子学生が部屋に飛び込んできた。俺たちは、飛び込んできた男子を反射的に振り返る。
「隆二!」
思わず叫んだ真奈美だが、慌ててそっぽを向いて視線を逸らせた。
「誰?このオバサン」
隆二と呼ばれた若者の言葉にキッと彼を睨み付けた真奈美だが、すぐにまた彼から視線を外してしまった。マナが隆二と呼ばれた男子に小声で事情を話す。
「へえ。本当だ。マナにそっくりだ。マナが歳を取るとこうなるのか」
隆二は真奈美に近寄り彼女の顔をまじまじと見つめた。
「テメエ!」
突然キレて隆二に殴り掛かろうとする真奈美を、俺が間に入って何とか阻止した。
(真奈美がキレるとは珍しい)
「隆二、失礼よ!」
マナが隆二の頭を小突く。
「ごめんなさい」
案外素直に謝る隆二。
「マナちゃん、こんな軽薄な男と付き合うのは止めた方が良いわよ」
マナに冷たくアドバイスする真奈美はまだ不機嫌だ。
「どうして、私たちが付き合っているってわかるの?」
マナの疑問につられて全員が色んな想像を始めたため変な沈黙に陥ったが、すぐさまそんな沈黙を破るように、
「で、何が大変なの?」
と、絵美が明るく隆二に尋ねる。
「そうそう。サイトの掲示板にまた書込みがあったんだ」
そう言いながら、隆二が部屋の隅に置いてあるパソコンに歩み寄った。自然と全員が従ってゆく。
『そこまで妄想して委員会』というサイトにアクセスした彼は掲示板を開く。
「見ろよ」
隆二の視線を受けた永山が、身を乗り出して読み上げる。
「今日、未来の真奈美が男連れでやってくる」
「まったく、意味不明だよな」
隆二の言葉に全員が目を丸くして彼を見つめている。彼は、なぜ自分が見つめられているのか不思議そうだ。
「なんだよ」
隆二はみんなを見渡すと、
「え!このオバサンが未来の真奈美?」
と大声を出して驚いた。
「今頃?」
「相変わらずのおバカね」
「てか、オバサンはやめろっての!」
再び真奈美が殴り掛かるのを俺は必死でなだめる。
「書き込みはメイシャさんね」
絵美だけが彼らの会話に無頓着でパソコンを覗いている。永山もその言葉に惹かれて書き込みを確認した。その際にさりげなく絵美の肩に手を回した。
(この二人、できてやがる)
「『そこまで妄想して委員会』てどんなサイトなの?」
怒りを抑えた真奈美が永山に尋ねる。
「そもそも、君たち新聞部が何をしているのか教えて欲しい」
俺の問いに困惑した空気が急に広がったが、永山とマナが視線を合わせてうなずいた後、永山が話し始めた。
「日本の状況はご存知ですか?」
「大体は聞いた。電車の中で太いオバサンに」
「そうですか。簡単に言うと、今の政府はC国の傀儡政権です。民主主義の形態をとっていますが、実質は監視と密告で国民を縛っている独裁政権です」
「国民は表面上は従順にしていますが、裏ではほとんどの国民が元の日本を取り戻したいと願っています。そして、秘かに反政府活動をしている小さな集団が全国に存在します。僕たちもそのひとつです。僕たちは他の集団と情報連携しながら政府を転覆させる方法を模索しています」
永山が静かな声で説明した。
「うちは結構有名だよ」
隆二が言葉を差し込む。
「『そこまで妄想して委員会』はその情報連携のツールて訳か」
俺は納得した。
「でも、そんなことを堂々とやっていて捕まらないの?」
真奈美が心配そうにマナを見つめている。
「建前はあくまでも妄想だから。表現の自由だとか、見せかけの民主主義を掲げている限り、政府としては乱暴なことは出来ないわ」
マナが鼻白む感じで答えた。
「乱暴ではないやり方で妨害される心配はないの?」
俺はまだ不安が残っている。
「当然、海外のサーバをいくつも経由してるし、毎週アドレスも変更して捕まらないように注意はしています」
永山が補足した。
「でも、去年の部長は捕まっちゃたけどね」
隆二が真顔で言った瞬間、永山の顔が青白く引きつった。言葉を失った永山を尻目に、隆二は俺たちに猜疑の視線を送りながら、
「誰かが外部でおしゃべりをして、俺たちの動きを漏らしたりしたら、みんな精神病院送りにされるってことだ」
と、脅すような語気で忠告した。
「あんたが一番危なそうね」
真奈美が冷たい視線を隆二に送る。ムッとした隆二は、
「お二人は大丈夫ですか?真奈美お姉さんもおしゃべり好きのようだけど」
と逆襲する。
「俺たちは、国民の活気が戻らないと元の世界に戻れない。だから今の政府を倒して、活気を取り戻すという点では目的は一緒だ」
俺は隆二を見つめて約束した。
「では、お二人を信じて機密情報を教えましょう。これを知った以上、政府に狙われる対象となります。覚悟は良いですね」
再び話に加わった永山の瞳が輝いた。
「一週間ほど前に、メイシャと名乗る人から書き込みがありました。政府を倒すのに十分な証拠を映した動画データが、この大学の隠し金庫に隠してあるそうなんです。その動画を公表すれば、政府は日本国民どころか世界中からバッシングを受けて、きっと国民に打倒されるだろうと書いてありました」
永山はゆっくりと秘密情報を明かした。
「隠し金庫てどこにあるの?」
真奈美が前のめりになっている。
「わかりません。隠し金庫ですからね。ただ、その記述には続きがあって『未来の真奈美』がやって来て、謎の解明に役立つと書かれていました」
永山がそう説明し終えた時、絵美が皆にお茶を配りながら、
「職員の方にさりげなく聞いてみたけど、今時金庫なんて置いてないって」
と付け加えた。
「一連の書き込みは全部メイシャなんですか?」
「はい」
「メイシャさんて信用出来るの?」
真奈美が部員たちを見渡している。
「ネットの書き込みを丸ごと信用するなんてバカだよ」
隆二が吐き捨てるように言った。
「確かにそれは正論だ」
永山が小さく頷く。
「でも、実際に未来からお二人が来たわよ」
絵美が静かに反論する。
「役に立つかどうかわかんないだろう」
隆二の言葉に俺はムッとした顔で、
「確かに。俺たちにも自信はない」
と言った時、
「あら、また書き込みが!」
と、興奮口調の絵美が内容を読み上げる。
「真奈美の大学時代の恋を追え。だって……」
一斉に真奈美が注目を浴びた。だが、彼女は冴えない顔色を浮かべている。皆に注視されている真奈美は眉間に皺を寄せて、
「嫌な思い出しかないわ。思い出すだけで虫ずが走るの」
と、隆二を睨み付けながら身震いした。
「何で俺を睨むんだよ」
「別に。軽薄な男が嫌いなだけよ」
真奈美の冷たい声。
「ま、隆二が軽薄なのは確かだ」
「嫌な思い出かも知れないけど、協力してよ。そのために来たんでしょう?」
マナがそう言って真奈美に近寄った。
「初めてのデートはどこへ行ったんですか?」
絵美が興味深げに尋ねる。
「摂津峡公園」
嫌がっていた割には、真奈美は柔和な表情を浮かべて懐かしそうに答えた。
(天然が戻ってきたな)
そんな真奈美の言葉で良い雰囲気が戻ってきたと思いきや、
「ダサ」
と隆二が呟く。マナも目を細めて隆二を睨み付けてた。
「まあ、大学から近いし眺めも良い所だ」
永山がフォローする。
「今から行ってみようよ」
俺が提案した。
「そうね、天気も良いし」
絵美が嬉しそうに賛成した。




