尾道の海 一
妄想列車で旅を始めたラオウと真奈美。真奈美は、ラオウが想像していたタイプとは違って、かなり天然でマイペースな女だった。ふたりはこれからどこへ行くのか。妄想列車の旅が続く。
「在来線の特急列車が良いなあ」
真奈美が憧れるように宙を見つめている。
「広島方面に向かう在来特急なんてありました?」
「さあ、乗ったことはないの」
「あっそう」
さっきから出てくる真奈美の言葉で、彼女は天然キャラかも知れないと思い始めた。でもまあ、予想どおりの可愛さはにじみ出ているし満足だ。このまま大阪駅に着いて二度と会えなくなっても、こうやって最後に言葉を交わせただけで幸福と言うものだ。
俺はそんな風に考えながら目を閉じて、時折触れ合う彼女の肩の感覚に心を溶かしていた。
『特急列車くらい乗ったことがあるだろう。真奈美さんと二人で乗っている様子を想像すれば良いだけだ』
突然男の声が降ってきた。俺は思わず目を開けて周囲を見渡したが周囲に男はいない。幻聴でも聞いたのかと不思議に思いながらも再び目を閉じて、城崎へ行った時に乗ったことのある『特急きのさき号』の車内の様子を思い浮べてみた。
真奈美と二人して尾道に向かう在来線特急。新幹線に比べると座席は狭い。時々真奈美と肩が触れ合う。車窓を流れる景色もどこかのんびりとしている。旅情を味わうにはやはり在来線が良い。線路をきざむ音のリズム感が心地良い眠りへと誘ってくれる。そして、たまに車両がガタリと揺れる時の、肩の触れ合う感覚が堪らない。
「良いお天気ですね」
真奈美の声に釣られて再び目を開けた俺は、茫然として周囲の状況を見渡した。
(特急列車に乗っている!何で?)
さっきまで通勤電車に乗っていたはずだ。いつもの電車に乗り、建物の密集した市街地を走り抜けていたはずだ。だが、俺と真奈美は特急列車の二人席に並んで座り、彼女が窓側、俺は通路側にいる。しかも他に乗客はいない。
車窓に目をやると、秋の朝に枯葉の舞う山肌を右手に見ながら、左手には、海岸沿いに走る白い泡波が幾重にも重なり帯状に広がっている青海波の模様が見える。
「どうかした?」
真奈美はこの非現実的な状況に何も疑問を感じていないのか。
「驚くのが普通でしょう?」
俺は目をパチクリとさせて彼女の瞳を覗きこむ。
「だって、どこへでも行けるって、あなたが言ったのよ」
彼女は目の前の現実を何でも素直に受入れる性格なのか、それとも本当に天然ボケなのか。
(もしかして、これがあのメールに書かれていた妄想列車なのか?)
一瞬のうちに変化してしまった周囲の状況や、不可解なメールについて考えているうちに、俺は半ば捨てばちな気持ちになって、あれこれと考えることはもう止めにした。いくら考えてみても答えは見つからないのだ。
「休日に天気が良いと、涙しそうなくらい嬉しいね」
車窓から吹き入る長閑な雰囲気で、どこかの地の休日に迷い込んだような感覚になっている。
「あら、今日は平日よ。仕事には行けそうにもないけど」
微笑んだ真奈美は、いきなりバックから缶ビールを取り出した。
(何でビール持ってるの?平日の朝から……)
「あなたも飲むでしょう?」
俺にビールを手渡してながら瞳を覗き込んで来る。
(まだ、朝やけど……)
俺の苦笑などは、さわさわとした真奈美の笑顔に寸時で溶かされてしまう。彼女の笑顔は、朝陽に揺れる瀬戸内の小波よりも輝いている。
(メイク、完璧)
朝陽を眺めながら、真奈美はコクリと喉を鳴らしてビールを流し込む。
(この女は休日の朝から酒を飲むタイプやな)
俺の脳裏にそんな直感が走り抜ける。
(まあ、飲めない女よりは良いかもな)
窓側に座っている真奈美の横顔は、いつもの通勤電車で時折見せる陰鬱な表情からは想像し得ないほど柔らかくて明るい。
「真奈美ちゃん、お酒好き?」
俺は缶ビールのプルトップを音を立てて開けた。
「良い音」
目尻を細くして微笑んだ真奈美の唇はプリリと膨らんでいて、彼女の小顔の中で紅く艶やいている。じっと見つめていると、とてもセクシーな感じが俺を緊張させる。
(思わずチューしたくなるなあ)
心の中で零した後、
「真奈美ちゃんはどんな音楽が好き?」
と、電車でいつもイヤホンをつけている姿を思い起こして尋ねてみた。
「音楽かあ。あまり興味ないの」
そう言って、彼女はバッグからスルメの袋を取り出す。
(な、何でスルメがそこから出てくるんや?)
真奈美はスルメを一本取り出して、その端を口にくわえる。
(絶対酒吞みやな)
口にくわえてクルクルと回しているスルメの端を、俺も一緒にくわえたくなったが何とか自重した。焦ってはいけない。
瀬戸内海に沿って西走している列車がトンネルに入った。スルメを口にくわえたままクルクルと回している真奈美の横顔が窓に映っている。スルメに気を取られていた俺は、少し冷静になってさっきの彼女の言葉を頭の中で繰り返した。音楽に興味がないという彼女の答えがどうにも不可解だ。
「いつも電車で音楽聴いてるよね?」
「いいえ」
あっけらかんと答えた口に、ようやくスルメが収まった。
(じゃあ、あれは補聴器か?)
俺はポカンと彼女の瞳を見つめている。
「落語よ」
「ら、落語?」
(こりゃまた、通なご趣味で)
真奈美が車両の中で時々微笑んでいる光景を思い出した。
(俺を見て微笑んだ訳やないのね)
偶然視線が合った時に、たまたま零れた彼女の笑顔や窓に映った微笑を思い浮かべた俺は、
(落語かい)
と、心で呟いた。
妄想列車はトンネルを抜けてしばらく山間をぬった後、再び海に出た。
「海が見えた。海が見える」
俺が車窓を眺めながら口ずさむと、
「五年ぶりに見る尾道の海は懐かしい。汽車が尾道の海にさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のやうに拡がって来る」
と、真奈美が続きをそらんじた。
「よく覚えてますね」
『放浪記』の一節だ。
「尾道は林芙美子や志賀直哉なんかの文学者を観光に取り入れているからね。昔から親しみがあるわ」
「文学少女だったの?」
「漫画少女よ」
俺は少し笑ってから、
「俺には、15年ぶりに見る尾道の海ですよ」
と、自分の話題を持ち出してみた。
「へえ。前は奥さんと来たの?」
「いえ。彼女と来ました。因みに俺はバツイチですよ」
この言葉にもっと食いつくかと思いきや、
「尾道ラーメンは好き?」
と、話題を変えてくる。
「真奈美ちゃんも独身ですか?」
ずっと抱いてきた疑問をこの機に晴らそうとした。
「どうしてそう思うの?」
「指輪をしていないから」
「まあ!指なんか見ていたの?エッチ!」
目が点になる俺。
(何でエッチやねん)
一度窓の外を見た真奈美は、
「指輪が嫌いな女もいるのよ」
と言って悪戯ぽく笑った。
妄想列車は尾道に到着した。二人は並んで列車を降りる。いつもの通勤電車で、偶然に並んで降りる時は幸福を感じたものだ。尾道の地に足を踏み入れると、俺の15年前の記憶と違って駅前が随分すっきりと整備されていた。
「昔はもっと昭和の香りがする街だったけどなあ」
自然と海の方へ歩みながら昔を振り返る。
「私も久しぶりだわ」
真奈美も、ふと過去を振り返るように空を見上げた。
「いつまで尾道にいたの?」
「高校まで」
「どこの高校?」
「言ってわかるの?」
因島行きの船着き場が見える。
「さあ」
俺は真奈美の笑顔をちらりと見下ろしてから、
「昔、この船着場から彼女と生島へ行ったことがある」
昔話を持ち出してみる。
「千光寺の向こうよ」
「何が?」
彼女が指さす方を振り返ると、千光寺山が背後にまで迫って見える。
「『時をかける少女』の撮影場所辺りなの」
「だから何が?」
「私の通っていた高校よ」
(なんてマイペースな女!)
「へえ」
俺は昔話を止めて真奈美の高校生時代の姿を想像し、記憶にある『時をかける少女』の風景に重ねてみた。
「高校の制服はセーラー服?」
「そっちが趣味?」
「じゃなくて」
俺は小さく吐息を吐く。
「勿論セーラー服よ、ミニスカートの。うれしい?」
目を細めて笑う彼女を見ながら、
「じゃあ、妄想列車に乗って君の高校時代へ旅してみよう」
と提案した。
「へえ、凄いのね。時間の旅まで出来る訳?いったい、あなたは何者?」
俺の期待どおり真奈美は少し驚いて、二重まぶたで俺を真直ぐに見つめてくれた。
「て言うか、あなたの名前は?」
(今頃か?もう何時間も話してるで)
「ラオウと申します」
呆気に取られながら名乗った。
「ラオウさん。強そうな名前ね」
「私は真奈美です」
彼女は何の屈託もない笑顔を浮かべている。
(さっきから何回も呼んでるし)
天然ぽい彼女の言動を可笑しく思いながら、俺は秋晴れの空を見上げた。
俺たちは、駅に戻るとまだホームに停車している妄想列車に乗り込んだ。どうやれば真奈美の高校時代に行けるのかはわからないが、とにかく列車に身を委ねることにした。
早々に列車は動き始め、長閑な田園風景の中を心地良く走り続ける。他に乗客はいない。
「本当に時間の旅なんて出来るの?」
俺は黙って頷くことしか出来ない。俺にとっても初めての体験だ。
「だったら、高校二年の頃に戻りたいな。一年の頃は平凡過ぎて面白くなかったから」
自分の過去を思い浮かべたためか、高校生のように屈託のない表情を浮かべて彼女が笑う。そんな笑顔を運びながら列車は快適に走り続ける。色づいた山肌の向こうには真青な大空が広がり、朝陽が眩しく車窓から差し込んできた。
そして明るいブラウンの混じったサラサラとした彼女の髪にその朝陽が反射した時、列車はトンネルに入っていった。だが車両の電灯が灯らない。急に暗い所へ入った俺たちは、突然の闇に入り込んでしまった不安に慄き始める。真暗な時が黙々と過ぎてゆく。周囲は全くの闇で彼女の姿すらよく見えない。
「怖い」
窓際に座っている真奈美が俺の腕にしがみつく。線路の継ぎ目を渡る音だけが闇の中に響いている。俺も漠然とした恐怖を次第に感じ始めた。このまま闇の中を走り続け、二度と元の世界に戻れなくなってしまうのではないか。車内の空気までもが冷たく感じ始めて、背筋に沿って寒い風が流れ込んで来る。
真奈美の体温で俺の腕が熱くなってきた頃、ようやく暗闇にも目が慣れてきた。そして真奈美の姿の輪郭や、座席などの車両の様子がおぼろげながら闇の中に浮んで見えてくる。
と、そこへ黒い制服を着た長身の男がまるで影が動くかのように不気味な雰囲気を醸し出しながら、音もなく近づいて来た。そして影は俺たちの横に突っ立ったままでしばらくの間じっと見下ろしてから、
「ようこそ、妄想列車時空路線へ。私はこの列車の車掌です」
と言って、慇懃に頭を下げた時、車内の電灯が灯って周囲の状況が目に入ってきた。
(顔がない。透明人間なのか?)
車掌の顔を確めた俺は心の中で呟く。
「銀河鉄道999みたい!」
突然はしゃいだ真奈美の言葉に、
(案外、彼女は歳とってるのかも)
と感じて、俺は猜疑の目で彼女を見つめた。
「再放送で見たのよ。ライブでは見てないわ」
俺の猜疑心を感じ取ったのか、彼女は慌て気味に弁解する。
「何とも思ってないですよ」
俺は口元を少し緩めた。
「ウソ、結構おばさんだとか思ったでしょ」
真奈美は斜めに俺を見上げている。
(さっきまでの可愛く怯えた表情はどこへいったんや?)
「あのう、よろしいでしょうか?大事なお話があるので」
二人に無視されていた車掌が遠慮気味に割り込んできた。
「何ですか?」
やや不機嫌な真奈美。
「この路線でのルール説明です」
「ルールがあるんですか?」
俺は、胡散臭い車掌の顔のない表情をじっと見つめた。
「はい、御座います。過去を変える訳にはいきませんからね。あくまでもラオウ様は傍観者であって、当事者には成り得ません」
「まあ、正論でしょうね」
俺はやや不満ながら納得する。
「まず、真奈美様の過去に入ったら、お二人は話しが出来ません」
「別に構いませんけど」
真奈美があっさりと答える。
(あっそ。寂しいとか言って欲しいな)
「それから、ラオウ様から真奈美様は見えますが、真奈美様からラオウ様は見えません」
「不公平だわ」
真奈美は口を尖らせる。
「ただ、まれに意思疎通が出来ることがあります」
「どうやって?」
俺は思わず身を乗り出す。
「その方法は私にもわかりかねます。過去の事例を参考にしますと、伝えたいことがあれば、諦めずに伝え続けると言うことしか申し上げられません」
車掌が申し訳なさそうに答えた。
「とりあえず、何度でも話し掛けてみろと言う訳ですね?」
車掌が静かに頷く。
「ラオウさんは楽しいかも知れないけど、私は昔と同じことを繰返すだけなの?」
真奈美は不満気に益々口を尖らせている。
「過去は変えられませんので。そもそも今のこの記憶もありません。昔のままの真奈美様です」
車掌は再び慇懃に頭を下げてから、
「それからもうひとつ、ラオウ様に制限が御座います」
と言って二人の表情を順に見つめた。
「何?」
真奈美が急に興味を示す。
「ラオウ様は過去の世界で好きな場所に移動出来ますが、他人の住居には入れません」
「え?それじゃ、真奈美ちゃんの寝室とかに入れないのですか?」
俺は期待していた訳でもないのに、不可と言われると残念な気分に覆われた。
「はい。残念ながらそう言うサービスでは御座いませんので。その手の妄想はご自信でお願いします」
すると、再び真奈美が目を輝かせて口を挟む。
「部屋に入れるオプションサービスは無いの?」
「御座いません」
車掌が少々ムッとして答える。
(何であんたがオプション頼むの?)
「他に何かご質問は?」
車掌が切上げ口調で尋ねた。
「この旅はいつ終わるの?」
真奈美はオプションを諦めたようだ。
「ラオウ様の興味が冷めるか、真奈美様が高校を卒業された時です」
「随分長いわね」
真奈美が不安がっている。
「妄想時間は実際の時間より何十倍も速いですから心配はご無用です。お昼寝をされたくらいの感覚です」
「旅の途中で何かわからないことが起きたら、どうすれば良いですか?」
俺は未知の世界が不安になってきた。
「私を呼んで頂ければ結構です。ラオウ様のみ私を呼んで頂くことが可能です」
車掌は俺をじっと見つめているようだが、顔が無いので良くわからない。
「他にはよろしいですか?では、真奈美様の高校二年生時代に戻ります。お楽しみください」
俺と真奈美はじっと見つめ合って、しばしの別れを告げた。
映画『時をかける少女』で見たような石畳の狭い路地を、子供たちが元気良く駆けてゆく。ふざけながら、大声ではしゃぎながら、元気よく駆けてゆく。そんな小さな流れとは別に、制服姿の高校生たちが落ち着いた流れを作っていた。学生たちの登校時間。俺は真奈美の姿を探してみる。高校生たちは、どうやら小学校の横を通り過ぎてゆくようだ。
(いた!)
真奈美の後姿を見慣れている俺は、小柄な彼女の姿をひと目で見分けることが出来た。彼女が言ったとおりミニスカートの制服を着ている。しかも他の女子生徒よりもかなり短い。
そしてなかなかの美脚だ。パンツしか穿かない通勤電車の真奈美からは想像も出来ない。俺は気づかれないようにそっと後ろから近付いてみた。
(待てよ、車掌の説明では彼女から俺は見えないはず)
俺は少し緊張しながら彼女の正面に回って、彼女を見つめたままで後ろ歩きをしてみる。
(気づいてない)
俺は高校生の真奈美の素顔をじっくりと観察した。何と言っても肌が若い。ピチピチだ。当然メイクはしていない。メイクはなくとも絹のように白い肌は、秋晴れの朝陽を眩しく跳ね返している。
(眩しい!可憐や!)
まつ毛は長いが極端なカールはしていない。唇は、綾瀬はるかの唇に似ている。その唇の右下に薄いほくろを発見した。
(いつもはメイクで隠してるな。不幸ぼくろか?エロぼくろか?)
俺ははっと思いついてポケットを探った。
(あれ?ない。アイフォンがない)
高校生の真奈美を隠し撮りしたいのに。
「車掌さーん!」
「何か御用ですか?」
「俺のアイフォン知りませんか?」
どこからか車掌が現れる。
「もしかして、盗撮を考えてらっしゃいますか?」
「人聞きの悪い。記念撮影ですよ」
「残念ですが記録は撮れません。しっかり脳に記憶してください」
車掌は淡々と答えてから去って行った。そう言えば、現世の通勤電車でも真奈美の写真を撮る訳にはいかないので彼女の写真は一枚もない。と、そこへ男子生徒が勢いよく駆け寄って来る。
(やっぱ高校生は元気や。彼氏か?)
「おはよう」
男子が爽やかに挨拶する。
「オウ」
真奈美が軽く手を上げて返事をする。
(どっちが男や)
確かに、この男子は見た感じ草食系ではある。二人は何となく親しそうな感じだ。
(幼馴染みかも?深町君だったりして)
「いよいよ今日だね。緊張するなあ」
男子が真奈美の横顔に話し掛ける。
「何で深町君が緊張するのよ」
(やっばり深町君か!)
「そりゃあ、真奈美の初告白だからな」
(呼び捨てにするな、馴れ馴れしい奴め)
「告白するのは初めてだけど大丈夫よ。深町君と違って、告白された経験は豊富だから。ああ言う雰囲気には慣れてるの」
彼女は微笑んでいる。
(ええ!真奈美ちゃんは、今日誰かに告白するのか!)
深町君は少し膨れ面をして、
「じゃあ、俺に頼まずに自分で呼び出せよ」
と少し拗ねている。
「あなた、同じ野球部なんだから。あなたが呼び出す方が合理的でしょ」
真奈美は屈託のない素直な表情で、自分勝手な理屈をさらりと言ってのける。やはり天然なのか、それとも女の計算なのか。
「まあ、お前には借りがあるから仕方ないか」
深町君は溜息混じりに言ってから秋晴れの青空を見上げた。
「最初のデートはどこが良いと思う?」
真奈美の言葉に、深町君と俺は一緒に驚いた。
(まだ、コクッてもないのに、もうデートの心配か。自身過剰?楽天家?)
「気が早いな。ダメだったらどうするんだよ」
(そうそう、そのとおり)
「その時は諦めるしかないわ」
(結構あっさりしてるな)
「とりあえず最初のデートは遊園地が定番だろう。まあ先の話はともかく、今日は四時に『段々広場』だぞ、いいな」
そう言って、深町君は足早に校舎へ向かった。
(いきなり遊園地は早いやろう)
そんな俺の意見はさておき、真奈美が校門を通り抜けてスタスタと歩いてゆく。他の女子生徒たちは数人で肩を並べて歩いているのに真奈美はひとりきりだ。誰も近づいて来ない。
(友だち少ないのかな?)
通勤電車で盗み見る横顔に時々暗い影を感じていた俺は少し不安を覚える。そんな俺の心配など彼女に届くはずもなく、真奈美はひとりで静かに教室に入っていった。そして、
「おはよう」
と、明るい声で挨拶をしたが、気まずい沈黙の返事が返ってくるだけで誰も彼女に挨拶をしない。
真奈美の席は廊下側の一番後ろのようだ。後方の扉から入った彼女は、皆に無視されたものの全く気にしていない様子で、鞄の中身を黙々と机に移している。俺は真奈美の寂しい一面に触れたようで、少し悲しくなってきた。
と、突然ガラガラと勢いよく前の扉が開いた。やや大柄の女子生徒が扉から少し離れた所に立っていた。両腕で鞄を抱えている。どうやら自分で扉を開けたのではなさそうだ。やや顎を突き出して生意気な雰囲気を醸し出す大柄女子が、全身で風を切りながら教室に入って来る。まるで『ファッションモデルがステージを歩いている気分』のような自己陶酔感が漂っている。そして、その後を三人のしもべ的平たい顔女子が付いて入って来た。
(スケバン?)
だが、その自己陶酔女子には品がある。むしろお嬢様だ。
「おはよう御座います」
教室内に媚びた声色が響き渡る。だが真奈美は自席に座って机の上の埃を吹いて飛ばしている。お嬢様のことは目に入っていないようだ。お嬢はそのまま教室の後方に向かい、真奈美の席の横で立ち止まった。そして不敵な笑みを浮かべたままで真奈美を冷たく見下してから、
「おはよう。真奈美ちゃん」
と、氷のような言葉を吐き出した。
「おはよう」
真奈美は素直な笑顔を浮かべる。
「おはようございます、だろうが!」
しもべ一号がお嬢の後ろから恫喝した。一瞬、教室内に冷やりとした沈黙が広がる。だが、真奈美はあっけらかんとした表情でしもべを見つめたままで訂正などしない。
「聞こえねえのかよ!」
だが、真奈美は不思議そうにしもべの平たい顔を見つめているだけだ。更にひと呼吸の沈黙が過ぎると、
「フン」
お嬢が鼻を鳴らして横を通り過ぎた。横を過ぎる時に真奈美の肩にでかい尻をぶつけていった。しもべたちも同様に、真奈美の肩や机に尻をぶつけながら乱暴に過ぎてゆく。真奈美は笑みを浮かべて机の位置を直し、机から教科書を取り出した。
(もしかして、真奈美はいじめられているのか?)
しかし、当の真奈美は全く気にしていない様子だ。
(さすが天然)
やがて教師が入って来た。
「起立!」
お嬢がキリリとした声を発する。
(お前が委員長かい!)
俺は真奈美の隣にある空席に座って、久しぶりに授業を受けてみた。真奈美は真面目に授業を受けている。
真奈美が勉強している横顔を眺めていると、通勤電車で窓に映った彼女の表情を見て胸が熱くなっていた頃のことが思い浮かんでくる。お嬢は机の下に隠した漫画を読んでいる。しもべたちは意外と真面目に勉強していた。
十分も経過すると、俺は授業に飽きて教室を飛び出した。英語の勉強など何十年続けたって話すことすら出来ない。俺は運動場に出て、女子の体育授業をしばらく鑑賞することにした。




