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剣姫のラスターエッジ  作者: 玄弓くない
2篇 青春!? ヒロインカルテット
17/18

2-6 仲良くしようよ鬼退治 その3



 先週の金曜日のことである。澪達四人組は本来であれば今日の放課後はゲームセンターを練り歩く予定を立てていた。司令官もとい千絵のそんな提案を、ゲーマーが理由もなく却下することなどない。


 澪とくるみはドタキャンした。


 奈乃だけではなく千絵ですら目を丸くしていたが、“用事”があると平謝りで見逃してもらう。二人は快くまた今度にしようと言ってくれた。


 外せない“用事”である。


 本人達に直接、貴方達を追跡しますとぬかす阿呆はまずいない。


 くるみも本来ならボディーガードとして付き添う作戦でいたが、澪という予想外の味方を得たことで強引な手段を取ることにした。本音を言えば、二人でなら罪悪感も多少軽減される。



『……こちらくるみだ。奈乃はモグラ叩きに熱中してる。速過ぎてモグラの顔が拝めないんだけど。……千絵の方はどうだ?』


「……こちら澪。……FPS系シューティング。え、コンプリート!? ランキング載ってる。マジですか」


『敵も尋常じゃないスペックの持ち主だ。決して気を抜くんじゃないぞ。オーバー』


「了解。オーバー」



 澪達が同行していなくともゲームセンターには来るらしい。若干やるせないが、これもヒーローの務めと歯を食いしばって我慢した。


 携帯電話を片手にくるみと役割分担し、時には応用を利かせて二人を見守る。


 特有の激しい喧騒が耳を刺激し、ゲーマー魂が擽られるのが自覚できてしまう。これは一種の中毒症状か、今にも財布から千円札を取り出して両替機に走りそうだ。


 その恨めしそうな、羨ましそうな視線の先で千絵は相変わらず不適な笑みを浮かべていた。大画面のシューティングは一昔前の世代の物で、新参者や古強者も別の新作ゲームに夢中だ。


 片手で扇を仰ぎながらの水平射撃という荒技を目にした者は、澪を除いて一人もいない。


 と、一仕事終えた千絵が学生鞄を肩に担ぎ上げる。……こちら側に来る。不味い、自分は今剥き出しで立ち尽くす客を装っていたのだ。


 危険を察知した澪は咄嗟に、店内を悠々と歩いていた太った猫の着ぐるみに抱き付いた。


 不審者である。


 だが寛大なのか誇りなのか、着ぐるみは驚くことなく、澪を抱き返す。優しく撫でる手が心地良く、肌触りがとろけそうで澪はつい本気で頬を緩ませた。


 さて、そんな不審者に気付かないのか千絵は着ぐるみの背後を通過していく。方向から奈乃と合流する可能性が高く、澪は携帯電話にてくるみへと連絡する。



「ふかふか……ごほんっ。千絵がそっちに行くよ。くるみ、隠れて」


『了解。……ふかふかって?』


「な、何でもない」



 涙ながらに着ぐるみと別れる。小さく手を振りながらまた再会することを誓った。元気よく手を振り返す着ぐるみは、本物の仕事人だ。


 澪が千絵の後方を壁や階段やらを上手く使って追跡し、その姿を捉え続ける。澪が“洸だった頃は”よくこの穏行術スニーキングを幼少から遊びで使用し、かくれんぼでも一定の位置に留まらないという異色のプレイをしていた。


 澪はただの女子高生などではないのだ。


 不意に──トントンと、肩を叩かれた。


 反射的に振り返るまでに、澪の中で数々の思考が駆け巡る。先程の着ぐるみに抱き付いた事を店員に説教されるのか、或いは千絵達を追跡していた姿に不信感を持たれたか。


 答えは、



「やあ」


「…………え?」



 そこには爽やかな笑みを浮かべた青年がいた。年は二十代前半、大学生ぐらいで、スポーツをしているのか引き締まった体格をしている。


 ジャケットを羽織っているせいか大人びた印象だが、その凛々しい表情は稚気のあるキラキラした瞳をより光らせていた。


 正直に言えば、アイドル風。俗らしいゲームセンターとは言え、女性を何人か侍らせていてもおかしくはない風貌だ。澪はこの男に、“見覚えはない”。



「急にごめんね。可愛くてつい声を掛けちゃったんだ。良かったら、一緒にどう?」


「………………」



 これが軟派というやつか。男子だった頃はまさか自分がされる立場になるとは思いもしなかった。


 しかし、この爽やか男子。キラキラ具合が異常だった。まるで台詞の一言に魔法が込められているように、女性を惹き付かせる何かを感じる。どういうわけか全く興味を持たないのに、ポーッと顔を赤くして思考に空白が生まれていく。


 そんな自分に、暮傘洸としての男気が喝。今、自分はこの青年に構っている余裕などない。


 丁重にお引き取り願おう。悲鳴を上げて退却させる作戦は、今使用できない。



「ご、ごめんなさい。今は友達を待たせてるので」


「大丈夫。そんなこと忘れさせてあげるさっ」


「はあ?」



 お前の事こそすぐに忘れてやる。というか、お前の記憶からこの出会いを忘れさせてやろうか。


 そう心中で奮起したのも束の間、青年は澪の肩を手早く掴み自らへ抱き寄せた。多少強引だったが、それでも紙のように軽く澪は男の胸の中に収まる。


 急だった為、澪は自分の携帯電話を落としてしまう。


 ハードボイルドで柔らかかった着ぐるみとは違い、青年の胸板は締まった筋肉で固く、引き離そうと置いた両手でもビクともしない。


 というか、何だこの、ドキドキ。あからさまに嫌な扱いを受けているというのに心音がより大きく断続的に響く。自覚すれば、尚のこと力が入らない。


 頭が熱でクラクラして……。


 澪は受け入れてしまいそうになる──────が、洸という男子的な思考回路が一気に弾ける。この緊急事態に眠りこけてた男の感覚が微睡みより蘇った。


 おかしい。


 澪としての女性感覚が撃沈したのもそうだが、こんな端から見れば青春ラブストーリーの一風景が人混みのど真ん中で起きているのに、誰も見向きやしない。


 路傍の石ころかそれ以下。視線一つ向けようとしなかった。



「貴方、一体…………」


「まあ落ち着いて。ゆっくり、時間を掛けて語り合おう」



 迫り来る青年の顔を直視できなく、目を瞑って頭を下げる。だが、男は澪の耳元へその口を寄せた。



「銀髪のお嬢さん」


「…………………………………………………………………………………………………………………………」



 冷めた。


 瞬間的に心臓の鼓動も顔に上った血も失せて、氷結した思考が今一度リセットされる。今起きた事を理解した時、澪の表情は自然の、驚愕と恐怖が入り混じった名状し難いものになっていた。


 銀色の髪は澪の生来のもの。それを魔法で染色させ、日本人特有の黒髪へと外見を変化させている。空色のシュシュにて下結びで留めてある長髪は、やはりまだ黒い。


 恐る恐る顔を上げ、青年の甘い視線と向き合う。男は、緩く目を細めた。



「何を言ってるんですか」


「そのままだよ。君の持つ、美しい髪の色さ」


『主』



 これまで話掛けてこなかった相棒のソウドが、無機質な声で念話を送る。



『見られてます。髪も、私も』


「………………。何が目的で」


「ふ。最初に言った通りだよ」


「叫びますよ。そうすればこの怪しい展開も吹き飛ぶ」


「いいや、君はそんなことはしない」



 また心音が大きくなり始める。だが今度の緊張感は先程とは違い、全身が寒気を覚えた。この予想だにしない状況は、ヒーロー初心者の澪に精神的にかなり苦痛だ。


 男は澪の携帯電話を拾い上げ、通話終了のボタンを押す。



『澪どこ!? 奈乃と千絵が軟派してきた筋肉男を踏み台に──────』


「さあ、澪ちゃん」


「……………………じーざす」



 男は澪の腰に手を回し、堂々と歩き出した。人の波は水を切るように、二人の道を開けていく。


 何でこんな簡単に正体がばれるのでしょうか。



『主は変身が不得手みたいですね』


(ごめんソウド。マジで泣きそう)


『冗談です、冗談に決まってるでしょう、もう主なんですからっ』











   ☆★☆











 日鞠祐一は、今日もまたのんびりとした平和な学校生活を送っていた。


 朝だけはホームルーム前に、クラスメートの一人が死刑執行から逃れようと必死に弁舌を鳴らしていたが、それだけ。


 腐れ縁、頼人は今日も昼休みに弁当の強奪を図ったが、計画通りに混ぜていたエスカルゴの天ぷらを口にして泡を吹いていた。


 特に何の騒ぎもなく、放課後はやってきた。そう、一言も少女と会話することなく。


 人懐っこい笑みを浮かべ、男女隔たりなく快活に話す少女はクラスでも意外と人気があり、幾人の男子が彼女をものにしようと画策しているらしい。


 祐一もまたそんな彼女に惹かれた一人ではあるが、醜くがっつくような肉食の意志はない。精々、仲良しの友達になれればいいという呑気な思考で、それは既に果たされている。


 一日話さなかったくらいで、気が沈むようなことでもない。と、ドライな感情が心をジワジワと占めていく。



「……明日にしよ」


「おい、あれ澪っちだな」


「何っ?」



 放課後になり帰宅して晩飯までゲームでもしようと思っていた時だ。校門の前でこそこそと一点を窺うくだんの少女────暮傘澪の姿があった。


 その傍らには、四人組の一人である姉宮くるみの小柄もある。


 そして二人は、帰宅する生徒の波に紛れて、同じく四人組の舟橋奈乃と紫崎千絵の後ろ姿を注視していた。



「なんだアレ」


「……わからない」



 頼人の言葉は尤もで澪達の行動を気にする生徒はいないが、不審そのもの。しかも何やら小声で怪しげな話をしている。


 四人組が何故、分断して追跡劇を繰り広げているか祐一には到底理解できなかった。だからこそ、余計に興味を抱く。


 あの澪が、何を目的にあんな真似をしているか猛烈に気になった。フリフリと動きに合わせて左右に揺れるあのシュシュのお下げが、高性能ネコジャラシに見えて仕方ない。


 というわけで。



「頼人、この間の貸しを使う。暮傘達を追っかけるぞ」


「この間ってお前、いつのだよ。この間の貸しをあと何個滞納してんだよ俺。何人の金貸し部隊に追われんだよ」


「自業自得だ。イヤなら弁当ぐらい自前にしろ。但し、前みたいに手刀で野菜割ったり、包丁でまな板を真っ二つにするのだけはやめろよ」



 祐一と頼人は、澪達をさらに追う不審者と化した。


 学校から離れ、一定の距離を保って背後を陣取りし続ける。澪とくるみは壁に沿うなどあからさまに怪しいのに対し、祐一達はあくまでも歩行者Aになりきって堂々と追跡する。


 澪達がバレそうになって慌てるところなどが微笑ましく、初めてのお使いを見守る親のような大器の気分になった。


 途中頼人がどこからか用意した黒サングラスを掛け、それを祐一にも勧めてきたが手刀で叩き割った。


 辿り着いた場所は、菫ヶ丘のショッピングモール近場のゲームセンター。五階建てビル全域がゲームコーナーという中々に異例の場所で、城園市のゲーマー達がよく集まる。祐一達も何度足を運んだかは覚えていない。


 二手に分かれて奈乃と千絵を監視する澪達。祐一はそんな様子を、ベンチに座って休憩しながら眺めていた。澪達の妙な真剣具合とは逆に、紙コップのジュースを汲んできてリラックスする。



「祐一よー、そんな気になんなら話して来いよ。見てて何かむず痒いんだが」


「……見ろよ、あの真剣な表情。重大な使命を帯びた戦士の顔だ。きっと四人の間に何かあって、それで二人はあんな真似を」


「いや、澪っちは兎も角くるみのヤツは何か悪ふざけ込みだろ。何か軍隊風に指示出してたし、敬礼してたし」


「それに素直に付き合う優しいところも可愛…………はっ」


「お前は全く素直じゃねえけど。はあー、青春青春!」



 祐一は拳を頼人に振り下ろす。易々と二本指で受けるこいつはやはり馬鹿力馬鹿だ。


 そんな事してる間に動きがあった。


 澪、着ぐるみに抱き付く。ヤツもまんざらでないのか抱き返し背中をさすっている。その手の動きはどこか手慣れていて、その道のプロを匂わせた。



「──────」


「澪っち何を、って……うを!? をぉ!?」



 ボンッ! 祐一が握り潰した紙コップが圧搾され、内部に残る溶けかかった氷が粉微塵に爆散した。果たして、コップにデザインされていた愛らしいキャラクターが雑巾みたい絞り上げられ、苦悶の表情を浮かべる。


 というか、祐一は見た。


 着ぐるみにくっ付いて満面の笑みの澪と──さり気なく、澪のプロポーションを手足胴体で噛み締める着ぐるみの中身の野郎。


 澪が着ぐるみから離れるのを見計らい、祐一は無言で立ち上がる。クラスメートの同胞達よ、不届き者の断罪はこの日鞠祐一が責任を以て執行する。



「目標を確認。破壊工作に移る」


「何をする気だッ!? ていうか、軍隊口調が伝染してんぞ!!」



 両手の指をバキボキ鳴らして歩き出す祐一を、頼人が羽交い締めにした。いつもならば逆の立場はあれど、比較的温和な祐一自身が喧嘩をふっかける所など見たことはない。


 コイツ本気だ──! マジで恋に錯乱してやがる!



「あ、あれー? 澪っちがどっか行っちまったなー? おかしーなー?」


「なに!?」


「いや棒読みにマジな反応すんなよ馬鹿!!」



 感動した。いつも馬鹿馬鹿言われる側の頼人が、この台詞を口にして正当な状況と展開を得ることができた。ツッコミで叩きながら、痛くもないのに涙が流れ出る。


 祐一はケロッとして、澪の姿を視界内で必死に探し出す。コイツ、城園市ナンバーワンの馬鹿力たる俺のパワーが効いていない、だと。



「……あ、本当にいねー。着ぐるみもいねー。こりゃあ、ダメだ」


「大切な人を、守れなかった……! あまつさえ、ヤツを取り逃がすなんて!」



 崩れ落ちてダンダンと床へ拳を打ち、悔しさを滲み出す祐一。頼人はいよいよ先程の紙コップが酒入りではなかったのかと疑い始める。


 と、こんな目立った動きをしていたせいだろうか。



「全く、何をモタモタしている。立ち上がれ、男の背中が煤けているぞ」


「改めてこんにちは、祐一くん、頼人くん」



 話し掛けられるとは思いもよらず、祐一と頼人はポカンと間抜けな表情で振り向く。そこにいたのは当然とばかりに、二人の少女だった。


 茶味の混じるふんわりとした長髪に、牧歌的な顔立ちの少女。奈乃は礼儀よく、再会の挨拶をしてくる。


 呆れ顔をした童顔の少女は変わらずに、腰に手を当て傲岸不遜に祐一を見下ろす。学級の司令官たる千絵は、ビシッと閉じた扇を指した。


 祐一はゆっくりと立ち上がり、再起動した頼人と共に少女達に向き直る。つい苦笑いが浮かぶのは、この展開を予測していなかったからだ。



「あー、もしかして気付いてたのか? ちょっとビックリし過ぎて目玉が落ちそうになったぜ」


「愚問。この程度の気配を察知することなど雑作もない。戦場ならば、既に骸と化していたことだろう。鍛錬が足りんな」


「あはは……。千絵ちゃん、取り敢えず合流して出よう? “話はそれからだよ”」



 バサリと開かれた扇には『未熟者めが』と辛辣極まりない一言が達筆で書かれている。いや、そんな一高校生に穏行とは何たるかと長々と語られても困惑するしかない。


 奈乃はにこやかに、だが声色をどこか真剣なものに変えて口にする。


 疑問符を浮かべた祐一達。



「“結界からの脱出が先だ”。“事情は後で話す”。“くるみもいつまで隠れているつもりだ”」


「「「は?」」」



 クレーンゲームに熱中する客を装っていたくるみは、祐一達と同様に首を傾げていた。黒サングラスを掛けているのは、頼人と同じ妙なセンスを光らせている。


 奈乃が素早く近付き、呆気に取られた顔をしたくるみの手を優しく引いた。本気でバレていないと思っていたらしく、大仰に狼狽える。



「ち、千絵!? さっき何で軟派してきた筋肉達磨を倒したの? あの股間もう使い物にならないよ?」


「当然だ、ヤツは私達の好みとはかけ離れている。それが目論見だが、まあ恐らくすぐに再起してくるだろうな。“お前が助けないから仕方なく実力行使した”」


「いこう。結界の歪みが酷くなってきてる。早くしないと異空間に接続しちゃう」



 逞しい女性達だと常々思っていたが、ここまでくると恐怖感を持っても仕方ないのではないか。平気な顔で強烈な破壊工作を語る少女に、戦慄を禁じ得ない。


 どこにそんな力があるのか、奈乃は祐一と頼人の背中をグイグイ押して出口へと向かわせた。千絵も黙考しながら追随する。


 そこでくるみが泣きそうな声を上げた。



「待った! 澪と連絡が繋がらないよ、どこ行っちゃったんだろ……!?」


「なに?」



 千絵が顔を上げ、周囲を見渡す。


 祐一達がこれだけ騒いでも店内の客や店員は誰一人として目線を合わせず、障害物でも避けるようにして素通りしていく。その異様な雰囲気に、鈍っていた祐一達の感覚が漸く反応を見せた。



「頼人、感じるか。この妙な気配」


「ああ、間違いねえ。この匂いは絶対に牛丼だ。くそ、旨そうなモン喰いやがって……!」



 馬鹿も再起動したらしく、頼人は敏感な鼻を軽く鳴らす。祐一はそれを捨て置き、冷静に状況を読む。幼少の頃から兵士ごっこと称して行った戦闘訓練の賜物か、感覚センサーは瞬時に研ぎ澄まされた。


 結界。何かがこのゲームセンターに起きている。


 そして。


 祐一の目の前でとある店員の姿が“捩れた”。周囲の物体や人物達が溶けるように渦を巻いて別の物にすり替わる。祐一は多大な緊張感から、顔を引きつらせる。


 酷く酔ったような歪んだ視界が治まった時、世界の様相は再びゲームセンターのコーナーを映し出していた。但し、祐一達を除き誰一人として人の姿はない。


 “結界に取り込まれたのだと、確信した”。



「ちっ、私とした事が。先手を打ったつもりが、逆に打たれるとは……!」


「策に溺れたね、千絵ちゃん」


「溺れ死んでる暇などないぞ。──澪が危ない」



 千絵と奈乃はこの展開に馴れている様子を見せるが、その内容に祐一が瞠目する。



「どういうことだ! 説明してくれッ!!」


「おい、冷静だった時間短すぎないかコイツ?」











   ☆★☆











 熱中症に似た意識が混濁している感覚に、澪は正常な判断力が奪われていた。鈍痛が頭を揺らし、思考が鈍っていくのが手に取るようにわかる。


 それでも、現在自分が陥った状況は緊急のものであると理解していた。



「ふっ、大人しくなったね澪ちゃん。気分は悪い?」


「……吐いていい?」


「背中さすろうか?」



 悪態を幾ら返そうとも、この青年は爽やかな笑顔を光らせる。


 普段なら既に顔面へ掌底を放ち、その整った鼻面を粉砕させているのだが、どうも力が弛緩してしまう。腰に手を当てられていると安心感が生まれ、その温もりに身を委ねる。


 わかっている。


 この気持ちは────



「ここでいいかな」


「……え?」



 全く意識してはいなかったが、人気のないビル街まで連れて来られていた。自分達以外に誰一人おらず、しかし雰囲気はまだ活気の残る異様な空間。


 まるで、一瞬で人間だけが世界から除外されたばかりのような。


 澪は、自分達が立つ建物を見上げる。四階建て相当のビルは、夜にはネオンサインを点灯させ客を呼び込む大人の店だった。というか、R18である。



「さあ、僕と君、たった二人で愛を語り合おうよっ」


「先走り過ぎだぁぁぁあああ!!」



 学校に知られようものなら即刻アウト、入学してから一月程で退学もの。


 かなり衝撃的で澪は絶叫し、僅かの間活力が漲った。いける、この青年をぶちのめし男に生まれたことを後悔させてやる。



「大丈夫、任せて。可愛がってあげるよ」


「え、やっ……ボクとしては段階を踏んだ清いお付き合いをしたいな、なんて」


『主にはこの世界は早過ぎます。顔を洗って出直しましょう』


「そういう問題じゃねえ!!」



 澪自身の頭はポンコツと化している為、脱出プランの構築と分析は全てソウドに任せていた。話に割り込んだ所から、それらが完了したと思われる。


 思考回路が再びおかしくなり始めたのでソウドからの助言を待った。



『これは魅了です。科学的論理を混ぜて説明しますと、指定の人間に高濃度のフェロモンを浴びせて麻痺させる能力。加えて感情を刺激する幻惑。異能や魔法かと。インキュバスにも似てます』


(わ、わかったから何とかして。もう本当に頭がおかしくなりそう)


『防御の魔法で簡単に弾けそうです。主』



 ソウドの簡易な指摘に、澪は刮目する。対抗手段を理解したのならば、今度はこちらの番である。妙な気持ちにさせてくれた礼に、こちらも魔法でお相手しよう。


 …………………………。


 …………………………。



『成程。主がこうも簡単に術中に嵌まったのは防御魔法が使えないからだったんですね。防御全般が不得手なんて、涼様も頭を抱えた事でしょう』


(シルバーブレイドと圧縮があれば充分でしょ。ふんっ)


『ええ。私が全力で補佐します』



 ところで、とソウドは念話を続ける。



『作戦は失敗です』



 諦念が心を蝕んできた。この感情に身を任せれば楽になるのではないか。その選択が実は正しく、この腰に当てた手を握ってもいいかもしれない。


 男が口元に笑みを浮かべ、髪を梳いてきても心地良さが湧いてきて、恥ずかしいどころか嬉しくなってきた。男の手が首に巻かれたチェーンに触れる。


 胸元に下げた刀剣のチェーンアクセサリーは、魔法AIソウドの本体にして澪が魔法少女へと変身する為の宝具だ。


 他人がそれに触れても今の澪には感慨もなく、胸のドキドキは高ぶりを見せる。


 不味い。




『あ痛たたたたたッ! 痛い痛い痛いですッ!? あがががががが』


「ソウド……!?」


「魔力は封じさせてもらうよ。純粋に君と触れ合いたいんだ」



 青年が何らかの手でソウドに攻撃を仕掛け、澪の麻痺した思考も流石に反応した。相棒を害する男を突き飛ばそうと拳を上げ────それが上からそっと包まれる。


 え?


 青年の顔は、澪のすぐ上にあった。その瑞々しい唇が柔らかく、前髪を分けた額に額に額────!



「あ、あうっ…………あ、あふ────」


『がが、主ぃ……!?』



 一瞬で火を噴くように真っ赤になった澪が、次第にその落ち着きを取り戻していく。嫌な予感がゾクゾクと這い上がってきて、ソウドの中で警報が鳴り響いた。


 力なく、カクンと沈んだ澪の顔が暗がりに隠れる。その頭がゆっくりと、青年の不敵な笑みに向き直った。


 終わった。


 恋する乙女がそこにいた。



「あ……、あははっ…………! 今の、ボクに、もう一回して…………」


「何度でも、可愛いお姫様(マイプリンセス)…………」


「うんっ」


『主ぃぃィィィィィィイイイイイイイイイイイイ!!!???』



 ソウドの悲鳴は携帯電話の最大音量とは比にならない絶叫だったのだが、澪にはまるで届いていない。その思考は青年のことで一面がピンク色の花畑になってしまっていた。


 この女、完全にこの男の虜になりやがった。


 こんな恋なんか間違っていると、ソウドは説教を垂れるも、澪は女々しくイヤイヤと首を振る。──誰だこれ!?



『主、目を覚ましてください! こんなクソ男のこと、女の子なんて沢山侍らしてますよ!? 主だけを見てくれる素敵な男性がきっとどこかにいます──!!』


「ごめん、ソウド………………もう、無理ぃ…………♡」


『目の奥がハートなってます!? 主にこんな恋してほしくないです! ────おのれ貴様、主を傷物にしてみろ。このグラジオラス、全てを断ち切り冥府へと誘ってくれようぞコラァ!!』



 ソウドの念話は装着するか、アクセサリーに触れた者にしか聞こえない。怨念が届かずソウドは超早口でまくし立てるのだが、澪ですら反応を示さなくなった。


 この女、うるさいからって念話の回線切りやがった。


 遂にどうしようもなくなったソウドは一人、自分の主がそれはもう幸福の笑顔で男に抱き付く様を、血を吐きながら眺めるしかない。


 涼様、申し訳ありません。このソウド、自爆せっぷくにてこの失態を禊がさせて頂きたく思う所存であります。


 澪の照れから赤くした顔は、ソウドの保護者フィルター抜きでも可愛らしく、遺書に貼り付けてやろうかと写真データを撮りまくった。



「ふふっ。これが恋なのかなー? すっごく、カッコ良く見えるよー」


「澪ちゃんはいつも可愛いけどね。今はもっともっと、可愛いよ」


「あぅ…………。えへへ、ありがとう。ボク、今とっても幸せー…………!」


『うっがああああああ!! こんな主、残して死ねるかボケェ! 誰かぁ、どぅあれかぁぁああああああああああ!!!!』



 首に両手を回し、澪は背伸びしてそっと目を閉じる。その姿は誓いを求める無垢なる姫を思わせた。男は、それに応える王子様のような貫禄を持ってその唇を──


 咲き誇る花畑の幻覚を見出したソウドは、あわわわ……と、どうしようもなく慌てるしかなかった。



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