1-10 ただいま
ようやく、一章が終わりそうです
あほー、あほー。茜色に染まった空に流れる黒点。名称はカラス。夕焼けの彼方去っていくその普遍的な姿を、フラフラ揺れる視界の隅に見つけた。
「あー……、つ、疲れたぁ…………」
住宅街の脇道にて、日陰に隠れるように蛇行して歩く少女。魔法で染色された漆黒の長髪は一般的な日本人に上手く溶け込んでいた。
本来の姿を晒していた場合、度々擦れ違う通行人の視線を釘付けにしていたに違いない。何せ、鋼のような銀髪なのだから。
暮傘澪。彼女は猛烈に奇天烈な体験を経てきたばかりなのだ。体力も魔力もスッカラカンで、今にも倒れそう。
結音を助ける“ついで”に、華々しくデビューを飾った澪は、晴れて魔法少女の一人として世間に名を連ねることになる。
何故なら、その現場の一部始終をテレビカメラが記録していた。人形にされていたリポーターを助けることができたが、正気になった途端の質問責めは勘弁だ。
飛行魔法を使えない澪────ラスターエッジ・ミュウは結局、その場を全速力で逃走する羽目になった。
しかも途中、必殺技の使用で魔力切れを起こし、変身を解除。人混みを避けて忍者のように立ち去った。
その時の気分は、さながら敗走した悪役並みのの寂しさがある。
何はともあれ、無事に城園市に平穏を取り戻した澪は憔悴仕切った顔で帰宅中だ。我が家では好物のカレーライスがほっかほかになって待っている。
☆★☆
「お、お姉ちゃん! お帰りな──」
「お母さん、カレー」
「はいはい、今皿に盛るわねっ」
「アッルェッ!? 助けた妹との再会は!? 泣いて抱き合う姉妹の姿は何処に!!」
玄関先で何やら喚いている結音を放り、澪は壁に手を付いてリビングへ上がる。体力を切らしている以上、会話する余力などない。
涼が作った家庭料理の内、最高の味わい。それが待ち遠しい。
結音もいつも通りに元気。ならば、それでよし。一件落着。
「ヒドくない!?」
「いただきまーす」
「ドンドン食べなさい、祝勝会でもあるんだし」
「ヒドくない!?」
口一杯に溢れる旨味と絶妙な辛味。ルーが奏でる二つのメロディーに乗り、ライスの温かみが重なり頬が綻ぶ。
至高。今にも昇天しそうな気分。
暮傘澪は、一週間カレーライスでも余裕綽々に生活できる。香辛料の成分はまた、とても健康的な上、シーフードや野菜にビーフとポークとバリエーション豊富。
カレーライス、あなた故に至高なのだ。
「私の心配はしてなかったの!? ねえ、お姉ちゃん聞いてる!?」
「だって、元気そうでしょうが」
「当然! 私はいつだって元気爆発な暮傘結音だもの!!」
「ならよし。お母さん、おかわり」
「はいはい」
「納得いかねえぇぇぇぇぇえ!!」
頭を掴んで振り回している結音を気にせず、澪は新たなカレーライスを口にした。食欲が満たされ、干からびていた体力が水を吸うように回復する。
若干涙目の結音も不満げながら、席に座りカレーを口にした。途端に笑顔に変わるものだから都合のいい。
そんな家族風景を、父親に代わって母親の涼が改めて見回した。これこそが暮傘家の食卓。笑顔の絶えない、楽しい一時。
「あっ、そういえばお姉ちゃん! 思い出したんだよね、自分のこと!」
「へ? あ、……うん」
帰って来たら一番に訊こうと思っていたことを忘れていたという結音。泣けるほど嬉しいことだが、本人に語ってもらうのもまた手の一つ、とのことらしい。
澪はコップをテーブルに置き、落ち着いたところで静かに告げた。
「そうだね。“ボク”は暮傘澪なんだよねー」
「「────────」」
ビキリ。
液体窒素をぶちまけたみたいに食卓の空気が凍りついた。時間すら停止したかのように、眉一つ動かない二人。
それに気付かず、澪はせっせとスプーンを口に運ぶ。折角のカレーが冷めない内に味わうとしよう。
やがて。
「こ────、この偽者がぁぁあ! 貴様、お姉ちゃんじゃないな!? さては、スレンナが人形でも使って何かしたんじゃ……!!」
「み、澪! 私はアナタをそんな風に育てた覚えはないわ! もっと女の子らしい喋り方をしなさい! ────カレー食べてんじゃないッ!!」
「わっ! か、カレー……、ボクのカレーライスがー!!」
澪もといミュウはスレンナに初登場で勝利を納めて収めてきたばかりである。祝勝会とは母親の言葉だ。妹よ、助けてあげたではないか。
そして母よ。アナタは確か男の子教育を推進してきたのでは。つい数日前まで、一緒になってゲームで遊んでいたし。
皿ごと没収されたカレーライスに手を伸ばす。いくら振っても返してくれる気配はない。何故だ。
「澪、あなた記憶が戻ったんじゃないの?」
「それなりに戻ったよ? お母さんは相変わらずメチャクチャだし、結音はいつもくっついてくる泣き虫な子だったし」
「じゃあ、なんで『ボク』とか使うの!? まるでお兄ちゃんじゃん! あと泣き虫言うな馬鹿兄貴!!」
「……だって、今まで洸だったし。なんか変えにくいし別にいいかなー、なんて」
「「……………………」」
涼と結音は心から戦慄する。
澪は過去を知らないが故に、洸のみの記憶と性格にしがみついていた。しかし、今回の一件にて澪としての過去、人格を取り戻し、本来あるべき姿になったはず。
では何故、澪なのに洸みたいなのか。
澪も洸も同一である。性格も外見も大幅に異なるが、“同じ心”。記憶が一連に繋がったため、より重なり、“現在の澪”として存在を確立した。
単純にそれだけの話。
「あ、あのね澪……。私がハッキリさせろって言ったのはこういうことじゃ──」
「大丈夫。ボクが女の子なのはもうわかった。だから澪として過ごしやすいような性格でいるの。……うん、やっぱり暮傘家の第一子はタフじゃないと」
うんうんと、腕を組んで頷く澪。涼の言葉は届いていない。あるべき澪は、そう簡単にへこたれる気のない。
「……? あなたはお兄ちゃん? それともお姉ちゃん? ワタシワカンナイ」
「大丈夫だよ結音。泣きたくなったらいつでもおいで。腕とか胸ぐらい貸しますからねー」
「……お姉ちゃんなの?」
「あ、でも過剰なスキンシップは勘弁ね。さすがのボクも、抵抗するから」
「お兄ちゃん? え、どっち?」
「好きに呼んで。まあ、お姉ちゃんでも構わないよ、ボクは」
狼狽える結音に勝ち誇ったかのような口調を向け、ニッコリと微笑む。ここ最近は聞かなかった強気な回答はまさしく、洸のそれだった。
“彼女”は、紛れもなく澪である。
こと日常生活に於いては、急に解けた呪いによる人格の齟齬を無くすため、自らの一人称をこれまで通りにしている。
勿論、一番の理由は過ごしやすいから。
「あ、そうだ。結音、お母さん」
「「な……なに…………」」
────ふと、澪は家族に言いそびれていたことを思い出す。
花が綻ぶような可憐な笑顔で、その言葉を伝えた。
「ただいま」
「「………………お、おかえり」」
と、そこで軽快なメロディーが流れ、ガダガタと揺れる振動音が響く。
すかさず自らのケータイを手に取った澪は、通話動作を手早く行った。
「はい、澪です。────あ、お父さん」
澪はこうして帰ってきました
次回、第2章 始まる……かも?
(-ω-;)