おじさんは「おじさん」であって私の父だった。
短編です。ちょっと時間なかったのでだいぶ前に書いたのを引っ張ってきました。普段のと毛色が全然違う.
私にとっておじさんは法律上の父親であって血の繋がった実の親ではない。
私はいわゆる托卵の子というやつだ。
不貞を働いて他の男と私を拵えた母は、それを当時夫だったおじさんに彼の子と偽って私を生んだ。
子供が生まれた時に母親が結婚していれば、法律はその相手をその子の父親と定めるらしい。
一応、子供が生まれて二年だか二百日だか以内にDNA鑑定するなどして血縁関係がないと証明できれば親子関係を解消することができるらしいが、妻が自分に隠れて他の男とセックスしていたと夢にも思っていなかった夫がどうして子供との血縁関係など調べようとするだろうか。
私が二歳の誕生日を迎えてしばらく経った頃、母が他の男と寝ていることをおじさんに知られた。
おじさんは母と離婚した際、間男との関係が思った以上に長かったことを知り、疑念を払拭するためにDNA鑑定を行ったらしい。
おじさんが私との父権肯定確率を確認した時、既に法的な親子関係は解消できなくなっていた。
おじさんはその日から私に自身を「お父さん」と呼ばせることを禁じた。
その日からおじさんは「おじさん」になった。
幼い私は「どうして?」と涙ながらに尋ねたことを覚えている。
母が突然家を出ていき、父親が父親であることを放棄して私と他人になることを選んだ、その背景をまだ理解できる年齢ではなかった。
おじさんはただ「君は僕の子供じゃないので」と言った。
前の日まで目に入れても痛くないほどの可愛がりようが嘘のように、口調は他人行儀に冷たかった。
私は何度も「おとうさん」と呼んだものの、どれだけ声を張り上げても彼は振り向いてくれなくなった。
ようやく諦めて「おじさん」と呼ぶと、その時初めて私の存在に気が付いたように「何ですか?」とこちらを見た。
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こんな歪な親子関係、普通だったら世間には隠すものだろう。
でもおじさんはそうしなかった。
外でも私のことは「お父さん」ではなく「おじさん」と呼ばせるようになった。
怪訝に思った近所の人や保育園の先生がそのことについておじさんに尋ねると、おじさんはつまびらかに説明した。
事情を聞くとおじさんに対する同情か、他人の家庭の恥部に土足で踏み込むことに対する躊躇か、大体の人はそれで引き下がった。
中には母を失った子から父まで奪うような真似はどうなのかと苦言を呈する人もいたが、おじさんはあくまで譲らなかった。
「そんなにこの子に父親が必要だと思うならあなたがなってあげてはどうですか?」
そう言われて「じゃあ」と手を挙げる者などいる筈もない。
念のため述べると、血縁関係がないとわかった日からおじさんは私に愛情を注ぐことはやめたものの、だからといって虐待されていたとかそういうことはない。
暴力も暴言も振るわれたことはないし、「お父さん」と呼ばない限りネグレクトされることもなかった。
他人行儀ではあったが彼は私の言葉に反応してくれたし、衣食住に不便を感じさせるようなことは決してなかった。受験の時には塾にも通わせてくれたし、中学の時に美術部に入りたいと言った際にも部費や画材のためのお金も出してくれた。
愛情以外はちゃんとしてくれた。
そう、愛情以外は。
でも当時の私はそれこそ求めてやまないものだった。
だからおじさんからの愛情に諦めがついた頃から、私は彼を嫌悪するようになった。
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高校に入る頃になると、彼と私との間には事務的なやり取り以外の会話はなくなっていた。
けれどどうしても話さなければならない時、冷たく睨めつけて彼が何か反応しないか探すことをやめられなかった。
ある日、何の用もないのに夜の繁華街に足を運び、酒を飲んでみた。
そんなことをしばらく続けていると当然学校にも知られることとなり、私は教員にしょっぴかれて停学となった。
その時、おじさんがどういう反応をするのか少し楽しみだったのを覚えている。
結果から述べると、おじさんはまるで意に介さなかった。
「退学しても勉強したければ通信も大検もありますし、就職したいのなら私のツテを紹介してもいいので」
彼の関心を引きたかったのか、それとも彼を傷つけたくてやったのか、そのどちらにも失敗したとわかると以来、非行もしなくなった。
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高校を卒業すると、私は大学に行くことを選ばず就職して家を出るつもりでいたのだが、当時の担任だった先生から止められた。
「一刻も早く彼の世話になるのをやめたいというあなたの気持ちもわからないではないけど、高卒で就職したもののうまくいかず風俗に身を落とした卒業生も過去に見たことがあるの。先生はあなたにそういう風にはなってほしくない。あなたの保護者は大学を卒業するまでお金を出してくれると言っているのでしょう?なら大学に行くべきだと私は思う。どうせもう18年も世話になっているんだから、あと4年くらい世話になっておきなさいな。最終的にはその方がきっぱり彼と袂を分かれると思う」
担任の言うことにも一理あると思った。
何より、風俗に身を落として母みたいに性に人生を振り回されるのはごめんだった。
結局、私は大学に進学して地元を離れるべく受験勉強に精を出すことに決めた。
おじさんは私の進路希望を聞いても「学費と生活費は出しますので」と言っただけだった。
翌春、私は彼に何も伝えず1人で家を出て、そのまま二度と振り返らなかった。
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「でも考えようによってはあなたのおじさん?下手な父親よりよほど父親やってるよね。何かその態度もちゃんと理由がありそう」
一緒に呑んでいた作家は私の生い立ちを聞いてそんな感想を漏らした。
大学を卒業した私は出版社に就職していた。
「普通、托卵された子を育てろって言われたら『それでも自分はこの子の父親だ』ってなるか『あの女の娘なんか愛せるか』ってなるかのどちらかじゃない?」
「そのどちらかでもあれば良かったんですけどね。普通に他人扱いですよ」
「その普通に他人扱いってのが普通じゃないんでしょ。血縁関係になるって分かるまでは普通に愛されてたんでしょ?だったら尚更、DNA鑑定の結果だけできっぱり他人になることなんてできないと思うんだけど?」
「……何が言いたいんですか?」
「これは私の想像なんだけど、あなたのおじさんはあなたが思う以上にあなたのことを愛したんじゃないかな?」
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おじさんと再会したのは家を出て6年近く経ってからだった。
おじさんは体調を崩し、入退院を繰り返していた。会いに行ったのも家ではなく、病室だった。
「……おじさんはどうして私に愛情を見せてくれなかったの?」
おじさんはいつもの仏頂面で私を見ると「君に憎まれたかった」と言った。
「君の母親とのいざこざを通して、僕は愛情というものを信じられなくなった。いつ方向を変えるかも。いつ消えてしまうかも。愛は何をしでかすかわからない。僕は自分があなたを愛せなくなってしまうことも、あなたに愛されなくなることも怖かった。でもそれ以上に、あなたがあなた自身を愛せなくなってしまうことが何より恐ろしかった。だから君から憎まれることにしたんだ。怒りや憎しみは愛よりも簡単だ。少し”奪う”だけで向かう先を自分に向けられる」
「その矛先は、いなくなったお母さんじゃ駄目だったの?」
「もうどこで何をしている人間では君も怒りをぶつけられまい。もっと明確に実像を結んだ対象である必要があった」
おじさんはゆっくりとまばたきをした。
目を閉じた時、少しだけ昔の「お父さん」だった頃に似ているような気がした。
「あなたの満たされなさを私のせいにしてくれればいい」
「……馬鹿だよ、おじさん」
泣きたくなって、声が震えた。
でも涙をこぼしてしまうと、今までおじさんのしてきたことを全て無かったことにしてしまいそうで、必死に我慢した。
「今思えばもっと上手なやり方もあったと思います。申し訳ありませんでした」
おじさんは深々と頭を下げた。
それから一月もしない内におじさんはぽっくりと逝ってしまった。
おじさんはおじさんであって。
私の父だった。
昨日、一昨日上げた作品との温度差よ。今読み返すと色々思うところはあるんですが、書き上げた当時は割と満足していたので、まあこれはこれで。




