入り婿が連れてきた余命一年の第二夫人~絶対にダメでチュー! 信じないでチュー!~
「そこをお退きなさい」
わたくしは入り婿が実家から連れてきた侍女に命じた。
その若い侍女は、館の離れへと通じる通路に立ち、わたくしを阻んでいる。
「ラウール様から、絶対に奥様をお通しするなと言われているのです!」
侍女は両腕を広げた。
「この家の主人は、このわたくしよ。侍女ごときが、女伯爵を阻もうというの?」
「奥様がどのようなお方であるか、わたくしも存じております。たとえクビにされても、ここをお通しすることはできません!」
わたくしは一体、どんな人物だと思われているのだろう……。
この侍女は我が家をクビになったところで、ラウール様の実家に戻るだけ。痛くも痒くもないはずよ。
わたくしは、没落しかけている我がリュミエール伯爵家のために、裕福なクラルテ子爵家の三男と政略結婚した。
クラルテ子爵家は、三代前までは平民の宝石商だった。
ラウール様のお祖父様が、宝石の欠片で大儲けしたの。
それで、当時の国王陛下から子爵位を賜ったのよ。
当時の王妃殿下が、クラルテ商会の『パヴェ』というアクセサリーを、とても気に入ったらしいのよね。
『パヴェ』というのは、石畳から着想を得て、宝石の欠片を地金に敷き詰めたもの。
ラウール様のお祖父様は、それまで売り物にならなかった宝石の欠片を、キラキラして綺麗なアクセサリーに変えたのよ。
「力づくで排除されては?」
わたくしの斜め後ろから、護衛騎士のジャンが、ぼそりと提案してきた。
「それもいいわね」
わたくしは侍女を冷たい目で見つめる。
ジャンは我が家の私兵団長の息子で、幼い頃から共に育った仲。わたくしの忠実な配下よ。
「暴力はいけません」
執事見習いのユリスが、冷静に止めてくる。
ユリスはデスタン侯爵家の四男で、お父上は宰相をなさっているの。
「奥様、いけません!」
近づいてくる足音と共に、侍女長の声がした。
侍女長までもが、すでにラウール様に取り込まれていたなんてね……。
結婚して、まだ二か月足らずだというのに……。
「わたくしどもは、奥様のために言っているのです!」
侍女長が、ラウール様の侍女の隣に立った。
「この家の主人は、このわたくし。退きなさい」
「エミリー様は、まだ奥様とお会いになる準備ができていません! ですから、どうか……!」
侍女長は、わたくしの夫が連れてきた女のためにひざまずいた。
「その『エミリー様』は、余命一年だったかしら? それはお気の毒だこと。だけど、それが、このわたくしと、なんの関係があるというの?」
わたくしは持っていた扇を広げ、口元に浮かぶ冷笑を隠した。
伯爵家当主のわたくしが、侍女長にまで軽んじられるなんてね。
これではエミリー嬢は、ラウール様の愛人というより、第二夫人では?
いいえ、むしろ、エミリー嬢の方が正妻みたいではないの。
「わたくしは女伯爵、アデル・リュミエール。ここは我が館であり、わたくしに通れない通路などない」
わたくしは立ちはだかる二人の女の前で、優雅に扇を閉じた。
「奥様、ご命令を」
護衛騎士のジャンが、わたくしの横に並んだ。
わたくしは黙って二人を見る。
二人は顔を見合わせると、静かに壁際へと移動した。
「使用人の教育……、やり直さなければなりませんね」
執事見習いのユリスが、冷ややかに言った。
「その通りね」
わたくしはユリスにうなずいた。
◇
エミリー嬢は今、離れにあるティールームの一つにいるようだった。
その部屋の窓からは、この時期だと庭園の薔薇が見えるはず。
一番美しい景色の見える部屋に、その女はいるのだ。
わたくしは自分の胸元に垂れる金髪を見た。アッシュブロンドと呼べば聞こえは良いが、くすんだ地味な色だ。青い瞳も、貴族ではありがちな色。
エミリー嬢は、どうやら平民にありがちな焦げ茶色の髪と瞳であるらしい。
ラウール様を夢中にさせたのは、どんな女なのだろう……。
わたくしはティールームの扉の前に立った。
ユリスが扉を開けてくれる。
ティールームからは、不思議な香りが漂ってきた。
おそらくエミリー嬢の纏う香水だろう。
わたくしはティールームに足を踏み入れた。
予想では、愛らしい平民娘が立っているはずだった。
けれど……。
ティールームには、誰もいない。
猫足の白いテーブルの上に、木箱に針金を組み合わせた籠が、一つあるだけ……。
わたくしは震える足で、奇妙な籠に一歩だけ近寄った。
――余命、一年……?
ジャンガリアンハムスターの寿命は二年ほど。
エミリー嬢は、針金にしがみつき、必死で脱出を試みていた。
「ダッ、ダメでチュー!」
わたくしは籠に駆け寄る。
エミリー嬢は、わたくしを平然と無視した。
「「奥様……!?」」
ジャンとユリスが呼ぶけれど、今それどころではない。
「それは絶対にダメでチュー! 針金をかじると、歯が曲がってしまうでチュー! 不正咬合になるでチュー……!」
わたくしはエミリー嬢をたしなめた。
ああ、なんということなの……!
これだから金網ケージは……!
わたくしは室内を見まわした。
だいたい、この部屋は、今、何度なの!?
ハムスターにとっての適温は、二十度代前半。
「誰か、この部屋に温度計を持ってきて」
侍女の一人が「はい」という返事を残し、ティールームを小走りで出ていく。
「ラウール様は、今どちらに行っているの!?」
たしかに金網ケージは、ハムスターの飼育箱として多く流通している。
だけど、エミリー嬢のように針金をかじってしまうタイプの子の場合、他の飼育箱を用意しなくてはならないの。
「遅くなった!」
ラウール様の声がした。
わたくしがふり返ると、ラウール様が従者二人を連れて、ティールームに入ってくるところだった。
ラウール様の従者たちは、半透明の衣装ケースを運んで来ていた。
この衣装ケースは、我ら『ハムチュタ推し』の間では、ハムスターの飼育箱として利用されている。
箱の程よい広さと深さ、半透明であること、軽量で掃除しやすいこと……。
わたくしはこの衣装ケースよりも理想的なハムスターの飼育箱を、今のところ知らない。
「アデル、すまない」
ラウール様は、まっすぐに、わたくしのところに来てくれた。
陽光のようなゴールデンブロンドに、明るい青の瞳。
細身で知的な雰囲気の入り婿は、わたくしを抱きしめてくれた。
「ラウール様……。エミリー嬢が余命一年だなんて……」
「今ちょうど一歳なのだ」
エミリー嬢は、もう大人だものね……。
――余命一年……。
そんなこと信じないでチュー!
エミリー嬢には、もっと長生きしてもらうでチュー!
一年三か月、いいえ、一年半を目指すのよ……!
二歳半ほどまで生きる子だって、いるらしいもの!
「せめてエミリー嬢がケージの針金を噛まなくなってから、君に引き合わせたかった……。やさしいアデル……、君はきっと、エミリー嬢のために心を痛めるから……」
ラウール様の方が、ずっとずっとやさしいわ……。
「エミリー嬢は、どちらにいたのですか?」
「『ホムセン』という店のペットコーナーだ」
「まあ」
最近になって王都にも進出してきた『ホムセン』は、元は地方の職人ギルド御用達の店だった。様々な職人たちの使う道具から、平民の女性たちのための化粧品、文房具、菓子や酒まで売っている。いわゆる、なんでも屋だ。
その一角にペットコーナーもあって、エミリー嬢はそこで売られていた、ということだろう。
「アデルの許可を得て連れてくるべきだったと思う。だが……、もう一秒だって、エミリー嬢をあの場所に置いておけなかった。エミリー嬢には、餌と、水と、敷材、それに傾いた子ハム用の回し車しかなかったのだ。エミリー嬢が大きな身体を丸めて、回し車の裏に隠れている姿を見たら……。私の前には……、『エミリー嬢を連れて帰る』以外の道はなかった」
「それでこそ、わたくしの愛するラウール様です。わたくしは、ラウール様を誇らしく思いますわ」
ああ、ラウール様と結婚できて良かった。
――ハムチュタの幸せこそが、我ら『ハムチュタ推し』の幸せですもの!
ラウール様のやさしさは、きっとお祖父様から受け継いだのね。
宝石の欠片にまで愛を注いだ、宝石好きの先代子爵……。
なにからなにまで全部大好き、その気持ち、わかるわ!
わたくしは、ラウール様の胸から顔を上げた。
「エミリー嬢を、新しい家に移しましょう」
「そうだね」
ラウール様は、わたくしの頬に流れる涙を、そっと指先で拭ってくれた。
ラウール様とは政略結婚の相手として出会ったけれど……。
きっとハムチュタの神様が、わたくしたちを引き合わせてくれたのよ。
だって、こんなにも、わたくしたちはハムチュタを愛しているのですもの。
「では、窓の警備は、この私が! 何者も通しません! まずは網戸かっ!」
護衛騎士のジャンが、窓からカラスや猫が入り込まないよう、網戸の注文をしに走って行った。
「私は実家に戻って、貿易の様子を探ってきます。ヤマタイ帝国からの豆とニガリが途絶えては、エミリー嬢におやつの豆腐を出せませんからね」
執事見習いのユリスもまた、足早にティールームを出ていった。
少量の豆腐は、ハムチュタのヘルシーなおやつ。
遠くで「お豆腐ペロペロしてほしいでチュー!」と叫ぶユリスの声が聞こえた。
そうね、お豆腐ペロペロは、とても大事なことだわ!
ユリスには、これからもこの調子で父親に甘えてもらうつもりよ。
そして、宰相閣下には、いつかペット屋への法律を変えてもらうの。
そのためにユリスを――宰相閣下の溺愛する末っ子を、我が家で雇ったのですもの。
「侍女長、そこにいるわね」
わたくしは部屋の外に呼びかけた。
「はい、奥様」
「使用人たちを集めてちょうだい。みんなに話があるの」
この後、わたくしは、女伯爵アデル・リュミエールの名において宣言する。
エミリー嬢を、我が家の第二夫人として扱う、と。
わたくしを生暖かい目で見るような者は、この館にはいない。
――イエス、ハムチュタ!
これから一年、いいえ、それ以上の時間。
エミリー嬢には、我が家で幸せに暮らしていただきますわ!




