序章・第1話「雨のフロントガラス、虚空の少女」
最近流行りの異世界ファンタジー小説っぽいライトノベルを作ってみたい!という欲望に駆られ、作ってみました。
主人公は50歳のベテランタクシー運転手。
そんな「おっさん」が全ステータス1の状態で異世界に放り込まれ、前世で培ったプロの観察眼と百年の研鑽を武器に、デタラメな最強技術で泥臭く成り上がっていく物語です。
一味違うおっさんの奮闘劇、楽しんでいただけると幸いです!
ワイパーが叩きつける雨を左右に弾く音が、妙に耳につく。
フロントガラスの向こう側、深夜の都心はネオンが滲んで、まるで出来損ないの水彩画みたいだ。
「おい、聞いてんのかよ! 遠回りしただろ、今! メーター止めてろって言ってんだろうが!」
バックミラー越しに、後部座席の客と目が合った。
三十代半ば、仕立てのいいスーツを着た男だ。酒の臭いと、それ以上に鼻をつく「苛立ち」が車内に充満している。
最悪だ。
俺――木下譲、五十歳。タクシー運転手になって二十年。
この手の「道に迷ったフリをして料金を削ろうとする客」のパターンは、もう嫌というほど見てきた。男の重心は前のめりで、指先が苛立たしく膝を叩いている。深夜の割増料金と、連日の残業で溜まった鬱憤を、この狭い密室でぶつけていい相手を探している。
ただの八つ当たりだ。
ここで正論を言っても火に油を注ぐだけだし、会社にクレームを入れられれば、結局損をするのは俺の方だ。
「……申し訳ございません。信号のタイミングを見誤りました。調整させていただきます」
俺は感情を殺して、定型文を口にする。
喉の奥がチリチリと焼けるように熱い。連勤の疲れか、それともこの理不尽な空気のせいか。
「チッ、最初からそう言えよ。ったく、これだから運転手ってのは……」
男がふんぞり返り、スマホを弄り始める。
その瞬間、胸の奥を巨大な氷の楔で貫かれたような、鋭い痛みが走った。
……え?
ハンドルを握る指先から、急速に感覚が失われていく。
視界がぐらりと揺れた。フロントガラスの雨粒が、一粒ずつ、スローモーションで止まって見える。
おかしい。
息が吸えない。肺の中に、冷たい泥を流し込まれたみたいに。
バックミラーの中の俺は、見たこともないほど青白い顔をしていた。
ああ、これが「シフト終了」ってやつか。
唐突に、そう思った。
五十年間、ただただ社会の歯車として、誰かの都合を運ぶだけの人生。
理不尽に耐え、頭を下げ、メーターが回る音だけを友にして生きてきた。
それも、ここまでのようだ。
「おい、どうした? 停まるなよ、まだ……おい!」
客の声が、水の中に沈んでいくみたいに遠のく。
最後に見たのは、雨に濡れたフロントガラスに反射する、セピア色の街灯だった。
まあ、いいか。
俺は、意識を手放した。
◇
次に目を開けた時、そこには「無」があった。
真っ白、ではない。
ただ、何もない。上下も左右もなく、音も匂いもない。
俺は立っているのか、浮いているのかすら分からないまま、そこにある「不在」を見つめていた。
「おーい、おじさーん。起きてるー?」
肩のあたりから、ひどく間の抜けた声が届いた。
変だ。
死んだはずなのに、鼓膜が揺れている。
振り返ると、そこに少女がいた。
透き通るような銀髪を背中で揺らし、どこか古めかしい、けれど豪奢な白い衣を纏っている。
年齢は十歳かそこらだろうか。瞳だけが、夜空の星を閉じ込めたみたいに怪しく明滅していた。
「……客か?」
口から出た言葉は、自分でも驚くほど掠れていた。
職業病にもほどがある。
「あはは! タクシーはここには来ないよ、おじさん。ここは我の領域――まあ、世界のゴミ捨て場みたいなところかな」
少女は、俺の周囲をふわふわと泳ぐように移動した。
足音がない。重力という概念が、彼女を無視している。
「我はセフィラ。一応、神様って呼ばれてた存在だよ。お疲れ様、おじさん。さっき、心臓が止まったよ。メーター、完走だね」
神様。
その言葉に、俺は少しだけ眉を潜めた。
タクシーに乗ってくる自称・神様や予言者は山ほどいたが、この少女からは、それらとは違う「使い潰された」空気を感じる。
彼女の瞳の奥、笑い方の端々に、俺と同じ「摩耗」が見えた。
長年の観察眼が、それを「同類」だと告げている。
「神様が、俺みたいなおじさんに何の用だ? 無賃乗車ならお断りだぞ」
「そんなこと言わないでよ。おじさん、いい魂してるんだよね。ボロボロで、擦り切れてて、でも絶対に折れなかった『頑固な芯』がある。そういうの、我が今いる世界には足りないんだ」
セフィラと名乗った少女は、俺の目の前でぴたりと止まった。
彼女の小さな手が、俺の胸元に触れる。
「おじさん、このまま消えちゃうのはもったいないよ。別の世界で、もう一度『運転』してみない?」
「別の世界?」
「そう。邪神って連中に、勝手に『敵対的買収』されかかってる世界。みんな支配されることに慣れちゃって、株価……じゃなかった、神威係数(SIC)が暴落してるんだ。このままだと、その世界はバッドエンド。我も一緒に消えちゃう」
セフィラの話は、あまりに突拍子がなかった。
だが、彼女が「バッドエンド」と言った時、周囲の「無」が、わずかにセピア色に濁った。
不快だ。
肌をチリチリと焼くような、あの雨の夜の客の視線に似た、嫌な空気。
「おじさんをその世界に、新しい『楔』として放り込みたい。おじさんのその『観察する目』と『折れない技術』があれば、邪神の計算を狂わせられるかもしれないから」
「……随分な無茶振りだな。俺はただの運転手だぞ。魔法が使えるわけでも、剣が振れるわけでもない」
「大丈夫! 我がおじさんに、最強の『加護』をあげるから」
セフィラが、いたずらっぽく微笑む。
だが、その微笑みの裏に、俺はタクシーを降りる直前の客が見せる「代償の隠蔽」を感じ取った。
「最強の加護、ね。……代償はなんだ?」
「お、鋭いねー、おじさん! さすが。……うん。代償はね、おじさんのステータスが全部『1』になっちゃうこと」
……は?
「全ステータス、1。攻撃力も、魔力も、素早さも。この世界に生まれたての赤ん坊より弱いかもしれない。数値だけを見れば、誰からも『無能』って指を差されるレベルだよ」
「……それが最強の加護なのか?」
冗談じゃない。
俺は一言リアクションを飲み込み、彼女を観察する。
セフィラは嘘をついていない。だが、何かを「翻訳」して伝えている。
「数値は嘘をつかないけど、真実を全部語るわけでもないんだ。おじさんが全ステ1なのは、既存のシステムに縛られない『空白の株』だから。おじさんは、世界のルールを書き換えられる『余白』を持って生まれることになるんだよ」
セフィラは俺の顔を覗き込み、声を潜めた。
「代わりに、我が特別な場所を用意してあげる。時間の流れない神領域。そこで、おじさんが前世で興味持ってた『体術』の理論……それを実戦で極めるまで、好きなだけ修行していいよ」
「修行……。どれくらいだ?」
「さあ? おじさんが納得するまで。百年くらいかな?」
百年。
気が遠くなるような数字だ。
だが、俺の心は不思議と凪いでいた。
五十年の人生を使い潰され、雨の夜に一人で死んだ。
それに比べれば、何もない空間で自分を磨き続ける百年のほうが、ずっと「自由」に思えた。
観察眼が、セフィラの言葉の奥にある「賭け」を読み取っている。
彼女は、この世界を救いたいんじゃない。
ただ、俺と一緒に、この理不尽な「買収」に抗ってみたいだけなんだ。
「……まあ、いいか」
俺は、小さく息を吐いた。
この「まあ、いいか」は、諦めじゃない。
アクセルを踏む前の、最後の一呼吸だ。
「引き受けよう。行き先はどこだ?」
「話が早くて助かるよ、おじさん! ……あ、耳鳴りがする。邪神の連中、もうそこまで来てるみたい」
セフィラが耳に手を当て、顔を顰める。
同時に、白い世界が粉々に砕け始めた。
「じゃあ、修行のメニューは我が見てあげる。おじさんのその『全ステ1』が、どれだけデタラメな最強になるか……世界中に見せつけてやろうね!」
彼女の笑顔が、眩しい光に飲み込まれていく。
重力。
温度。
そして、圧倒的な「アニマ」の熱気。
俺は、新しい人生への最短ルートを、その光の中に描き始めた。
◇
これが、俺の第2の人生――いや、百年の修行を含めれば第3の人生の、最悪で最高な「出発」だった。
ステータス、全1。
加護、なし。
だが、俺の指先には、ハンドルを握り続けた前世よりも確かな「技術」の残り香があった。
まずは百年。
この神様と一緒に、メーターがぶっ壊れるまで走ってみるとしよう。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「おじさん、異世界へ行く」
50年の人生をタクシー運転手として使い潰され、雨の夜に一人でシフト終了(死亡)を迎えた譲
しかし、待っていたのは「セフィラ」と名乗る、どこか自分と同じように摩耗した神様の少女でした。
提示されたのは「全ステータス1」という、赤ん坊以下のとんでもない無能ペナルティ。
だけど、おじさんはその理不尽な「代償」の奥にある賭けを読み取り、静かにアクセルを踏み込みます。
次話は「序章・第2話」です。
何もない真っ白な神領域で、時間の流れない百年の修行。
おじさんの技術が世界の法則を上書きする、孤独で過酷な研鑽の始まりです。
よろしければ続きを追っていただけると嬉しいです。
次話もよろしくお願いします!




