第32話:予期せぬ熱と、彼女の優しい手
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【湊 視点】
日曜日の深夜。
ふと、強烈な喉の渇きと、泥のように重い体に違和感を覚えて目を覚ました。
「……っ、なんだこれ」
フラフラと重い足を引きずって一階のキッチンへ向かい、グラスに水を注いで一気に飲み干す。
頭がぼんやりとして、吐く息がやけに熱い。どうやら、熱が出ているようだった。昨日のボタニカル公園の温室で汗をかいた後、外の冷たい風に当たったせいかもしれない。
(でも、明日の朝は結愛が迎えに来てくれるって約束したし……)
スマホを取り出して「休む」と連絡しようか迷ったが、彼女を心配させたくない一心で画面を閉じた。
一晩しっかり寝れば、きっとなんとかなる。
俺は無理やり自分にそう言い聞かせ、再び布団の奥深くへと潜り込んだ。
【結愛 視点】
月曜日の朝。
私はいつもよりずっと早い時間に、合鍵を使って静かに湊くんの家の玄関を開けた。
昨日の夜に決めた作戦の第一弾。
ベッドで寝ている彼を起こして、至近距離で「おはよう」と言ってドキマギさせてやろうという計画だ。
この作戦は前にもやったことがあるけれど、その時の湊くんの慌てた反応がすごく可愛くて感触が良かったので、またやることにしたのだ。
「あら、結愛ちゃん。おはよう。今日も迎えに来てくれてありがとうね」
「あっ、おはようございます! 湊くん、まだ起きてないですか?」
「ええ、まだみたいね。ちょっと様子を見てきてくれる?」
「はいっ、任せてください!」
リビングにいた湊くんのお母さんに挨拶をして、私はウキウキとした足取りで二階へ上がった。
そっとドアノブを回し、抜き足差し足で彼の部屋へ入る。
「湊くーん、朝だ……よ?」
ベッドを覗き込んだ瞬間、私の声はピタリと止まった。
湊くんはひどく顔を赤くして、荒い息を吐きながら苦しそうに眉間に皺を寄せていたからだ。
「うそ、凑くん……っ?」
慌てて前髪をよけ、彼のおでこに手を当てる。
――すごく熱い。
私は血の気が引くのを感じながら、急いで一階のリビングへ駆け下りた。
「おばさん! 湊くん、お熱があるみたいで……体温計貸してくださいっ!」
私の慌てた様子に驚いたお母さんと一緒に、再び湊くんの部屋へと急ぐ。
脇に体温計を挟ませると、少しして電子音が鳴り響いた。
画面には『38.5度』と表示されている。
「……あれ、結愛? 母さんも……どうしたの」
湊くんが、熱に浮かされたぼんやりとした瞳で私たちを見上げた。
「どうしたのって、すごい熱じゃない。大丈夫?」
「昨日……夜中に水飲んだ時は、寝れば治るかなって……」
「記憶がなくなってから、色々と気が張ってて疲れが出たんじゃないかしらね。とりあえず学校に欠席の連絡を入れてくるわ」
お母さんは優しくそう言うと、一階へ降りて行った。
湊くんを一旦寝かせた後、私も一階へ降りて自分の両親に電話をかけた。
『湊くんが熱を出したから、今日は学校を休んで看病する。学校への連絡もお願いしたい』と伝えると、両親は快く承諾してくれた。
電話を切り、リビングのソファに腰を下ろす。
「……私のせいです」
膝の上で両手をギュッと握りしめ、私はポツリとこぼした。
「昨日、私がはしゃいで色んなところに連れ回しちゃったから……だから湊くん、疲れが出ちゃったんです。私がもっと気遣ってあげていれば……」
彼女失格だ。
彼を不安にさせないための作戦なんて息巻いていたのに、結局無理をさせて倒れさせてしまった。
うつむく私の肩を、湊くんのお母さんが優しくポンと叩いた。
「結愛ちゃんのせいじゃないわよ」
「でも……」
「本当に気を張っていたら、熱なんて出せないものよ。……昨日結愛ちゃんと一緒にいて、心底安心して、やっと体の緊張が解けたから熱が出たの。結愛ちゃんが傍にいてくれたからよ」
お母さんの温かい声に、少しだけ潤んだ黄色の瞳を上げる。
「さっき病院にも聞いてみたけど、とりあえず風邪薬を飲んで水分をとって、安静にしていれば大丈夫だって。もし長引くようなら受診してって言われたから、今日はお薬飲んで様子見ね」
「……はいっ」
「それじゃあ、看病お願いできるかしら? 私たちも仕事に行かなきゃいけないから、結愛ちゃんがいてくれると本当に助かるわ」
「任せてください。私、しっかり看病します!」
私は強く頷き、冷蔵庫からポカリスエットと栄養補給のゼリーを取り出すと、風邪薬と一緒にお盆に乗せて二階へと向かった。
ベッドの横に丸椅子を寄せ、湊くんの上半身を少しだけ起こしてあげる。
「湊くん、ゼリー食べられそう? その後、お薬飲もうね」
「ん……わりい。自分で食べる……」
「ダメ。今日は私が全部やってあげるの。はい、あーん」
スプーンで一口分すくい、彼の口元に運ぶ。
熱で抵抗する気力もないのか、湊くんは大人しく口を開けてゼリーを飲み込んだ。
ゼリーを半分ほど食べさせ、お薬とポカリスエットを飲ませてから、再びそっとベッドに寝かせる。
「結愛……学校は、どうしたんだ?」
「お休みしたよ」
「俺なんかのために、休んだのか……?」
「ううん。私が湊くんの看病をしたかったから、お休みしたんだよ」
私がきっぱりとそう言うと、湊くんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんな……。でも、風邪うつると悪いから、少し離れてていいぞ」
「彼女なんだから、こんな時くらい一番傍にいさせてよ。何も気にしないで、今はゆっくり寝てね」
私が布団の中から出ていた彼の手を両手で優しく包み込むと、湊くんの手に少しだけ力がこもった。
そして、熱っぽい瞳で私を真っ直ぐに見つめ返し、小さく呟いた。
「……結愛と手繋いでると、すごく安心するよ。ありがとね……」
「っ……!」
不意打ちの甘い言葉に、私の心臓がドクンと大きく跳ねる。
弱っている彼を看病して、頼もしい彼女アピールをするはずだったのに、どうしてこうも簡単に形勢逆転されてしまうのだろう。
「……うんっ。おやすみなさい、湊くん」
私が照れ隠しのようにそっと微笑みかけると、湊くんは安心したように目を閉じ、やがて規則的な寝息を立て始めた。
【湊 視点】
再び目を覚ますと、カーテン越しの光の具合からして、すでにお昼頃になっているようだった。
まだ体の節々は痛むし熱っぽさもあるが、朝の鉛のような重さに比べればずいぶんと楽になっている。
(……結愛?)
ベッドの傍に、彼女の姿はなかった。
その代わり、一階のキッチンの方から、微かにトントンというリズミカルな包丁の音と、出汁の優しい匂いが漂ってくる。
(結愛が……何か作ってくれてるのか)
お粥だろうか、それともうどんだろうか。
自分のために台所に立ってくれている彼女の姿を想像するだけで、熱とは違う温かさが胸の奥にじんわりと広がっていくのを感じた。
第32話をお読みいただき、ありがとうございました。
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