第7話『悪夢と流行り病』
オーバーラップWEB小説賞、応募作です。よろしくお願いいたします
「今のは……夢?」
あの場所の空気感が、まだ肌にまとわりついている。焦げた肉片の匂いがいまだ鼻腔にこびりついていた。
傍らにはネクロスの鎌が立てかけてある。
その柄を掴み、持ち上げてみる。見た目より軽い。金属の重量としては違和感がある。
刃の部分を覗くと、不安げな自分の顔が映った。
「あなたが、見せたの?」
夢の内容は、祠で鎌に触れた瞬間と似ていた。あのときはおぼろげだった部分が輪郭を帯びて、生々しく心に刺さる。
「あの人をお願いって……」
祠で聞いたメッセージ。誰を指しているのかは、わかっていた。
イザナは身支度を整えて、あてがわれていた部屋を出る。
あの悪夢が現実だったのかどうかを、彼に問いたださなければならない。
しかし、もし現実だったとして、自分はどうするのだろうか。
複雑な心境のまま、廊下を通ってリビングに向かう。
「やめてー! やられるー!」
巨大なイモムシが転がっていた――正しくは荒縄で縛られたアンテルスが、子供たちにからかわれていた。
キケルとプルクラ。それに昨夜はいなかったミリエルを含めた幼児組が、アンテルスを転がしあってきゃっきゃと騒いでいる。
「……はぁ〜〜〜〜〜」
床に滞留するような深いため息がこぼれた。それなりに暗い気分でやってきたというのに、何をしているのだ、この男は。
「あなた、何を遊んでるの?」
無意識に声が冷たくなる。すると子供たちのほうがびくついてしまい、アンテルスから離れてしまう。昨夜の一幕がちらつき、小石が患部をかすめるように痛んだ。
当の本人は仰向けの上体から首だけを動かし、こちらに笑みを返してくる。
「ああちょうどよかった。イザナさん、助けてください。子供たちにすっかりおもちゃにされていて」
「あなたがそんな格好でいるからでしょう」
「おや? しかし昨晩私を縛り付けたのはイザナさんではありませんか?」
「……うるさいわね。人のせいにしないで」
就寝前のことだ。アンテルスは何かと口実をつけてはリセルの部屋に寝ようとしていたので、この家にあった適当な縄でイザナが縛り付けた。
昨夜と同様、のらりくらりと言い訳をされても疲れるだけだ。一発だけ脇腹を蹴飛ばしてから、アンテルスを自由にしてやる。その間、彼は終始にやにやしていて、いやに上機嫌だった。気味が悪い。
「ねえねえ、もっと遊んで」
キケルはすっかりアンテルスに懐いていて、立ち上がった彼の足元にやってきてせがんでいる。
少し後ろではミリエルとプルクラが控えていたが、やってこない。イザナを警戒しているようだった。
「こら、遊びはおしまい。朝食の準備を手伝って」
リセルがリビングの奥、調理場から呼びかけると、三人の子供たちはそちらへ駆けていった。後ろ姿のリセルは鍋から器へスープをよそい、それを子供たちに手渡している。
「アン……」
夢の内容を確かめようとしかけて、イザナは思い直した。リセルや子供たちがいる前で拷問や空想めいた内容を尋ねるのは、はばかられる。
これ以上、怯えさせたくはない。
「あまり身構える必要はないと思いますよ」
心を読んだような発言に、はっとして振り返る。アンテルスはテーブルに着いて優しげな視線を送ってきていた。
夢で見た面差し。
あの記憶の主が、いつも気にかけていた男の表情だった。
「何の話?」
イザナは後ろ髪を払い、素知らぬふりをした。アンテルスもそれ以上、何も言わない。
ほどなくしてリセルが作った粥のようなスープが運ばれてくる。香辛料を含んだほのかな湯気が、胃袋をそっと刺激した。
「おはようございます。イザナさんもどうぞ召し上がってください」
「それより、本当に良かったの? これ」
イザナはリセルと似たような足首丈のチュニックを着ていた。一緒に渡された羽織り衣を右肩から軽く引っかけているので、腕の痣も隠せている。難点は生地が薄いことぐらいか。身軽なのは良いのだが。
「ええ、貰ってください。きっと母も喜びます」
と言われても、受け取りづらい品だ。
「イザナさん、人の施しは素直に受け取るものですよ」
横から口を挟むアンテルスは男性用のチュニックに着替えていて、革のサンダルを履いていた。遠慮のない着こなしで、まるで我が家のようにリラックスしている。彼ほど図太ければ気楽だろうな、とイザナはげんなりした。
ふたりに与えられた服は、どちらも死んだリセルの両親が遺したものだという。
「昨晩もお伝えしましたけど、捨てるのも裁断するのもずっと迷っていてそのままだったんですから、気になさらないでください。きっとお二人に着てもらうために、この服はあったんですよ」
「……たしかにあの服のまま、というわけにはいかなかったけど」
帝国は外国人も多い。その寛容な受け入れが他国にない発展を支えている。
とはいえ、イザナが着用していた民族服は遠い東国の格好だ。さすがにその地方の人間は少ないだろう。目立って仕方がない。
「あ、そうだ。イザナさんの服は洗濯しておきましたから。この街を出るときにお持ちください」
明るく言い添えるリセルが、イザナには不思議だった。
怖いとさえ感じる。
昨晩、彼女とは微妙なやりとりしかできていない。彼女の善人的なところと馬が合わないのだ。
だがリセルはあの血に塗れた服を洗濯さえしている。
どす黒い汚れを前にして、彼女の脳裏には昨日の出来事がまざまざと浮かんだに違いない。もっと気を落とすなり憎まれ口を叩くなりすれば良いものを、彼女はそうしない。むしろ、それを感じさせないように振る舞う。
「……悪いわね」
そう返答するのが精一杯だ。普通の人間なら、気の利いたフォローの一つでもするのかもしれない。
「さあ、それよりご飯にしましょう」
アンテルスが快活に話題を転じた。
「あなた、さきから随分機嫌が良いわね」
「憂いがなくなると、この世の素晴らしさに気づくものです」
「憂い? まだ安心できる状態じゃないでしょう」
すると、隣にいたリセルが困ったように苦笑いをして、囁いてくる。
「アントニウス様は何か勘違いされていましたから、この子たちは孤児だってお伝えしたんです。そうしたら、急に」
「ああ……そういうこと」
昨晩、リセルが“子供たち”と発言したことで実子だと思いこんでいた。
だがよくよく考えればミリエルはリセルのことを姉と慕っていたので、イザナはすぐに思い違いに至っていた。そもそもフェリクスを十二歳と過程とすると、リセルは五歳くらいで出産した計算になるのだ。ありえない。
しかし、孤児とは。
自分が生きていくだけでも苦しいだろうに。彼女を知るほど、理解が追いつかなくなる。
「あら、遅かったのねフェリクス。配給所が込んでいたの?」
入口の扉が開く音がしたあと、廊下から現れたのはフェリクスだ。パンの入った籠を片手に、キッチンのリセルへ駆け寄っていく。
「姉ちゃんっ、大変なんだよ!」
尋常ではない慌てようだ。パンの入った籠を床に落とし、リセルの両肩にすがりつく。昨夜の長兄らしい態度は消え、横顔はいまにも泣き出しそうだ。
「ど、どうしたのよ、一体」
「ソニアおばさんが……ソニアおばさんが……!」
リセルの表情が、一瞬で崩れた。
「ソニアおばさまがどうしたのっ?」
「昨晩、倒れたって。流行り病だよ……」
「そんな」
ふらっと倒れそうになるところを、イザナが背後から抱きとめた。
「ちょ、ちょっといきなり倒れないでよ」
「すみません……びっくりしてしまって……」
ただ事ではない。アンテルスも席を離れ、リセルの側へやってくる。
「そのソニアという方は?」
「……一階に住んでいる方で、わたしたちの母親みたいな人なんです」
なんとか自分で立つと、彼女は入口のほうへ向かい出した。おぼつかない足取りが見ていられない。
アンテルスを制して、イザナはリセルの腕を自分の肩に回した。
「一階に降りるんでしょう」
「すみません……」
後ろからアンテルスもついてくる。
子供たちは来ていない。フェリクスが押し留めてくれていた。まだ幼い彼らに感染させるわけにはいかないことを理解しているのだろう。
「どうしておばさまが……」
リセルは子供たちのことさえ忘れたように、ただその言葉だけを祈りのように繰り返している。
外に出ると、早朝の空気が身を引き締めた。雪解けはひと月以上前に終えたはずだが、こうして気まぐれに寒さを繰り返す。
外階段を降りる間、誰も口を開かなかった。
慰めなど、悲しみに打ちひしがれる本人には厄介なだけだ、とイザナは知っている。部外者が何を言っても所詮他人事にしかならない。アンテルスも軽薄さを引っ込め、静かについてくるだけだった。
一階の周りでは中年の男たちが心配げな表情で囁きあっている。その三人も事情を聞きつけたソニアの知人だろう。
『聞いたか? 昨日の騒ぎ。血の跡がまだ残っててひどい有様だったぞ』
『許された信仰じゃないのかもな。ソニアさんの病気もたぶんそのせいだ……』
『やっぱりネクロスの祠は取り壊したほうがいいんじゃないか?』
昨日の件についての憶測のようだった。リセルの横顔が余計に強張っていく。
イザナも良い気分はしなかった。




