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第5話『没落貴族の隠れ家』

オーバーラップWEB小説賞、応募作です。よろしくお願いいたします

 リセルが亜麻(あま)の芯に火を灯す。オリーブ油の焦げた匂いがじんわりと広がった。


 卓上に置いた二つの陶器製ランプによって、ぼんやりと三人の顔が浮かび上がる。


「すみません、本当はもっとちゃんと歓迎したいんですけど」


 テーブルの向こうでリセルが首をすくめる。


「いえいえ、ランプを二つも用意していただいて寝床まで与えていただけるなんて、これ以上のおもてなしは考えられません」


 返答したのは、彼女の隣に座ったアンテルスだ。


「え、ええ」


 そういうものなのか、とイザナはうなずくしかなかった。


(これがもてなし……ね)


 独り言は口の中で収めた。リセルたちのような貧民階層では寝床と夜の灯りを提供するだけでも充分な待遇らしい。


 野宿が基本のイザナにとっては窮屈な価値観だった。座りが悪い。


「そう言っていただけると助かります」


 頭を下げるリセルを横に、アンテルスは得意げに目配せしてくる。寝起きの『聖人』のくせに弁えていて、飄々(ひょうひょう)とした気遣いがかえって嫌らしい。


 ただ、彼らの常識を思うと大きな疑問が残る。


「もっとシンプルな家を想像していたわ」


 リセルに連れられてこの家に辿り着いたとき、イザナは思わず足を止めた。


 石造りの集合住宅や掘っ立て小屋ばかりが並んでいたところへ現れた、樫の木材の堅牢な二階建て。その外階段を登った上階がリセルの住居だった。


 こうして三人で囲うテーブルも椅子も丈夫で質が良い。職人の手による加工品だろう。


 ランプの油さえ惜しむような貧しい少女には、いささか不自然な物ばかりだ。


「スラムに建つにしては、少し立派すぎやしないかしら」


「人には事情があるものですよ」


 たしなめてくるアンテルスの意図が、イザナには理解できなかった。


「いいんです。とくに隠しているわけでもありませんから」


 リセルはこほん、と前置くように咳き込んだ。


「まだ自己紹介していませんでしたね。わたしはリセルと申します。それで、その、さきほどの疑問についてなんですが……ほとんど昔話みたいなもので」


 やたらと恥ずかしそうに前置きをする。


「ご先祖様が、き、貴族様だったみたいで……でも当時の陛下のお怒りを買ってしまって、貴族身分を剥奪(はくだつ)されたんです……そのとき唯一残ったのが、給仕用に建てたこの家だと聞いています」


 目鼻立ちや振る舞いに品を感じていたが、血筋らしい。両親からそれなりの教育も受けたのだろう。確かに、可憐な彼女にはドレスのほうが似合うかもしれない。


 つまり、彼女は没落した貴族ということになる。


 凋落(ちょうらく)した家系がどんな扱いを受けてきたか、野山で生きてきたイザナでも、想像は容易い。


「そう。ごめんなさい、聞いてはいけないことだったわ」


 あまり抑揚をつけずに事実を伝えると、「それ、反省しているように聞こえませんよ」とアンテルスが横から口を挟んできたが、無視した。


「そんな、謝らないでください。わたしは不自由に思ったことはありませんし、むしろ感謝しているくらいですから」


 慌てるように手のひらを振るリセル。


 その隣で、アンテルスはほっとしたように嘆息していた。彼にはリセルの出自の予測がついていたのだろうか。


「お二人のことも教えて下さい」


 水を向けられ、言葉に詰まる。


「では私から名乗りましょう。名をアン――痛たたたた!」


 アンテルスの足の甲を思い切り踏みつけた。相手は素足だが構わない。


「彼はアントニウスよ、ただの陶芸家。そうよね」


 鋭く睨んでやると、アンテルスは肯定を示すように何度も首を縦に振った。


 すると、場を取り繕うようにリセルは笑みを浮かべた。


「ア、アントニウス様ですね。てっきり、アントニウス様こそ高貴な方なのかと思っていました。あはは……」


 こちらの嘘をリセルも鵜呑みにしている様子ではなかったが、追加の説明はしなかった。


 イザナなりの配慮だ。


 聖人を崇拝している彼女に、実際の聖人アンテルスが見境なしに女を口説くような俗物だと知ったら、卒倒しかねない。


「高貴ですか、それは光栄です」


 アンテルスは居住まいを正した。


「ですが正真正銘、私は下町の出ですよ。家業の荷運びなどよく手伝わされました」


 述懐(じゅっかい)する姿は自然だ。事実を語っているのかもしれない。あまり興味はないが。


 黙っていると、二人の視線がこちらを向いた。どちらも何かを期待するような表情だ。


 自分の番だと思い当たった。


「あ……。あたしは、イザナよ」


 言ってから、きまりの悪さを誤魔化すように空咳(からぜき)を挟んだ。


 名前を誰かに教えたのは、何十年ぶりだろう。


 幼い頃、生まれの村を飛び出してから初めてのことかもしれない。


 テーブルの傍らに立てかけたネクロスの鎌を一瞥する。


 死ぬ方法を失ってなければ、こうして名前を誰かに教えることはなかっただろう。情けない自分が浮き彫りになったようで、イザナは自嘲した。


「死ぬためにこの街へ来たけど、死ねなかったただの間抜けよ」


 かすかに唇が震える。絶望の雲はまだ頭上を覆ったままだ。


「その鎌は、本物のネクロスの鎌なんですね?」


 リセルはささくれた木の幹に触れるような慎重さで、言葉を発した。彼女からすれば、死そのものを前にしたような恐怖があるのかもしれない。


「ええ、そうよ。伝承のとおり、あたしが触れたときには死ぬような感覚もあったわ。でも結果は……」


 イザナは肩をすくめた。


「……あの時も仰っていましたよね。どうして死にたいだなんて思うんですか」


「あなたにはわからない、永遠にね」


 リセルは何か言葉を探したようだが、結局、悲しげに眉をひそめただけだった。彼女はイザナの正体を目の当たりにしている。化物みたいな存在に諭せる理屈はないと悟ったに違いない。


「その顔はなに? やめてちょうだい。侮蔑されたような気分よ」


 冷たく突き放すと、リセルはしゅんとした。


「そんな……わたしはただイザナさんが……」


 まだ同情してみせることに、苛立ちが募る。そんな表面だけの哀れみなど、イザナにとっては蔑みと大差ない。


「お互いを知る良い意見交換ですが、少し静かにしたほうが良さそうです」


 アンテルスが人差し指を立てる。


 すぐに察した。建物の外、数人の気配がある。金属が擦れ合うような音。兵士たちの巡回だろうか。


 続けて木材をぶちまけるような、けたたましい音が響いた。陶器か何かを激しく叩いたり、割ったり、暴れている。


『出てこい死神! 隠れても無駄だ!』


 横柄な男の声。呂律(ろれつ)が怪しい。酔っているのか。それとは別に、(むせ)ぶように懇願する声も聞こえた。


 イザナは窓辺に寄り、そっと外を覗く。


 建物の間で、やせ細った男が四つん這いになっている。泣いているのだ。

 周辺には壊された木箱の残骸が転がり、雨避けに使っていたであろう大きめの布が引き裂かれて落ちている。


 兵士は二人いた。去っていくところだ。

 

 馬鹿話をするように笑い合っている。彼らが破壊者であることは間違いなさそうだった。


「ひどい……」


「低俗ですね」


 横から覗いたアンテルスとリセルも事情を察したようだ。


 危険はやり過ごせたが、席に戻った三人は安心とは程遠い顔をしていた。


「あたしのせいね」


「どうしてそんなこと」


「死神って言っていたでしょう」


 兵士たちがイザナを探すという名目で横暴を働いているのだろう。他の二人もそのことを想像したはずだ。


「あたしは、生きてちゃいけない。生きていれば、必ず誰かを死に追いやる」


 だから人里離れた場所で暮らすことを決めた。


 最初に殺した相手の顔は、いまでもはっきり覚えている。


 彼は善良な少年だった。


 その短い生涯(しょうがい)の記憶と感情は、いまでも胸の奥にこびりついている。


 それからずっと、死ぬことを考えてきた。


 目の前の二人に話して聞かせたところで、本当の共感には至らない。だから、分かったふりで痛ましげな態度を取られると腹が立つ。


 リセルは俯き加減に首を振る。


「イザナさんがいてもいなくても関係ありません。いつもこうなんです。何か理由をつけては、わたしたちに暴力を振るうんです」


 アンテルスが嫌悪を滲ませてため息をつく。


「何も変わっていないのですね、この国は」


 彼はこの国の生まれなのだろうか。そもそもネクロスの鎌で封印された経緯も、イザナはよく知らない。


「何も変わっていない……?」


「そうです。私がいなくなってどのくらい経ったのかはわかりませんが……痛たたた!」


 再び失言するアンテルスの足を踏んで黙らせる。リセルは何が起きているのか分かっていない表情だ。


「ともかく。あの酔っぱらいたちはあたしを理由にしたのよ。あたしがいなければ、あの人も住処を壊されなかったかもしれない」


 話を戻すと、アンテルスが冗談めいて答えた。


「そう思うのなら、あなたの力でいっそ元凶を潰してしまうのも手もかもしれませんね」


 彼は前かがみの変な姿勢のままだ。踏まれた足をさすっているのだろう。


「元凶?」


「兵士が暴れていることが黙認されているなら、悪いのは彼らのボスでしょう」


「それって皇帝のこと?」


 リセルが途端に青ざめる。


「そんな、滅多なことを言ってはいけません。誰かに聞かれたりしたら……」


「冗談ですよ、争いは二度とごめんですから」


 どんどん、と急に扉がノックされる。


 びくっとリセルが肩を震わせた。


「帰ったよ! 開けて」


 訪問主は少年のようだ。リセルは安堵したように息をつく。


「子供たちが帰ってきたみたいです」


 断りを入れると、リセルはさっと入口に向かった。


「彼女、いま子供って言わなかったか?」


 二人だけになると、アンテルスはぞんざいな口調になった。本性が露呈(ろてい)している相手に仮面を被る意味がないからだろう。それにしても切り替えが早すぎるが。


「ええ、そう言っていたわね」


「そんな、詐欺だ、あんな純真な顔しといて……!」


「純真だったら何なのよ。あなたに関係あるわけ?」


「大ありさ。商売女と違う初々しい反応が良いんじゃないか。真っ白な雪を踏むのは楽しいだろ?」


 イザナは容赦なく蹴りつけた。テーブルの下、剥き出しの(すね)に直撃する。

 アンテルスは苦痛に悶え、天板に突っ伏した。


 たしかにリセルに子供がいるというのは意外ではある。年齢のせいか、彼女からは出産した女性特有の雰囲気はない。


 だが、どうでもいいことだ。


「それより。あなた、聖人アンテルスだってことは黙っておきなさい」


「それだそれ。あんなに思い切り踏まなくてもいいだろうに」


 アンテルスは苦しげに喘いでいたが、イザナは構わず続けた。『これから聖人様の礼拝があるんです』と嬉しそうに話していたリセルの姿が浮かんでくる。


「あの子はね、『聖人アンテルス』を心の支えにしているのよ。それが、実はあなたみたいな俗物が本物ですなんて言ってごらんなさい。希望なんてなくなるわ」


「それ、悪口だって分かってる?」


 ほどなくして戻ってきたリセルは、三人の子供を引き連れていた。


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