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第3話『二百年の眠りから』

オーバーラップWEB小説賞、応募作です。よろしくお願いいたします

 二本の石柱を抜け、イザナはネクロスの(ほこら)の前に立った。


 改めて見渡すと、聖域(せいいき)と呼ばれる理由が分かる気がした。


 (けが)れを拒絶するような白い壁面。周囲に植生がないというのに、その壁には蔦や苔が這い回る。まるで邪悪を退(しりぞ)けようとする法衣だった。


 背筋が震える。


 神など信じていないイザナですら、返り血に染まった衣服を見下ろしてしまった。穢れそのものの自分が足を踏み入れていい場所なのか。


 いや、天罰などというものがあるなら受け入れる。むしろこの身を焼き尽くしてほしいぐらいだ。


 意を決し、一歩を踏み出す。


 だが、虚ろな入口のはずなのに、つま先が宙で静止した。


 何かにぶつかっている。


「おかしいわ」


 透明な鉄扉(てっぴ)でも置かれているかのようだった。蹴ってもナイフで突き刺しても(くう)を滑る。


 結論は一つだった。


「わざわざ法術(ほうじゅつ)まで施すなんて……」


 万物のあり方を捻じ曲げる力――法術。


 使い手は希少だが、帝国ほどの規模になれば複数人は存在するだろう。使い手は召し上げられるのかもしれない。


「とんだ誤算だわ」


 腹立ち紛れに法術の壁に両の拳を打ち付ける。


 その振動に呼応したように、右腕の模様にわずかな熱が宿った。不審に思う間もなく見えない壁の抵抗がふっと消える。


 その反動でイザナは地面に投げ出された。腕をしたたかにぶつけてしまう。


「……っ、いきなり何なのよ」


 悪態混じりに起き上がるイザナの頬を生温かい空気が掠めた。後ろ髪がふわりと浮き立つ。


「風……?」


 奥の方からだ。完全に閉じた構造のはずだが。


「歓迎してるってことかしら」


 こめかみを伝う冷や汗を拭い、イザナは奥の暗闇に向かって歩き出した。


 うっすらと、人の気配を感じる。


 野生で培った勘だが、ほぼ当たる。


「誰かいるの?」


 しかし返答はない。生物の呼吸を彷彿とさせるかすかな風が、首筋を撫でていくだけだ。


 訝しみながらも奥へと進むと、不思議な光景に出迎えられた。


「初めてだわ、こんな場所……」


 自然光から隔離された地点まで来ると、青白い光が漂っていた。小川で群飛する蛍のように美しい。


 これも法術によるものだろうか?


 おかげで転ぶ心配はなくなったが、足取りは余計に慎重になった。


 原因は、外観との落差だ。


 壁として積まれた石は不揃いな物ばかりで、石敷きもない。水気はないはずだが、じっとりと停滞した湿気が肺を侵食する。それと、鉄の匂い。


 正確に言うなら、血の匂いがした。


「……これは、ネクロスの鎌に触れた人間?」


 しばらく歩くと数体の(むくろ)が転がっていた。いまさら骸骨(がいこつ)に驚く(がら)ではないが、イザナは足を止めた。


「こんな骨があるの……?」


 やけに生々しい。破損も変色もない。

 

 生きた人間からそのまま骨を抜き出せばこんな感じかもしれない。

 だが、そんなことが出来る人間などいない。


 まさに神の所業ではないか。


「ありえないわ」


 頭に浮かんだ言葉に、背筋が寒くなる。死を望んでいるくせに、何に怯えているのか、イザナ自身分からなかった。


 しかし、祠の中央部にたどり着くと、それらの疑問もどうでもよくなった。


 夢にまで見た巨大な鎌が、青みがかった輪郭(りんかく)をまとって静かに佇んでいる。


 微風が首筋を撫でた。


「ようやく、会えた」


 不思議と怖さはない。むしろ、早くなる鼓動が心地良かった。喉元(のどもと)をせり上がってくる微熱が、甘い陶酔(とうすい)を呼び起こす。


「そう……あなたが迎えてくれたのね」


 法術の壁を通過できた理由を、イザナはそう結論づけた。


 そして、いまさら気づいてしまった。


 ずっと一人で生きてきた異質なイザナと、暗闇に二百年も放置され続けているネクロスの鎌。この鎌を探していたのは死ぬ欲求を叶えるためだけではない。自分と酷似(こくじ)した存在に惹かれていたのではないか。


冥土(めいど)の土産には、ちょうどいい話よ」


 自嘲しながら、天に向かって伸びる(つや)やかな黒い柄に手を伸ばす。鎌から発される空気の波が心地良い。


 一瞬だけ針の先に触れるような躊躇(ちゅうちょ)がよぎったが、イザナは右手でしっかりと握り込んだ。



「――――え?」



 右腕の中を何かがすり抜けていく。


 人間を(ほうむ)ったときと同じ現象だ。なぜいま――


 深く考える暇もなく、どくん、と心臓が跳ねる。内側から全身を揺らすような強い脈動だった。


「あ……」


 闇が急速に視界を覆う。天地が逆さまになる。地に手をついても収まらない。むかつきが襲い、全身から汗が吹き出た。


 ああ、ようやく死ねるのだ。


 味わったことのない苦しみが安堵をもたらしてくれる。人が生涯を終えるほどの季節の移ろいを彷徨い続け、自分もとうとう楽になれる。


 次第に力は抜けていき、立っているのか座っているのかも分からなくなる。


 硬い何かに身体がぶつかった感触を最後に、すべてが途切れた。


 これが死ぬ感覚。


 意識が遠のき、イザナは眠るように目を閉じた。




 絶えたはずの神経の奥から、なぜか声が聞こえてくる。


 誰かが呼んでいるのだ。


 場所もネクロスの祠ではない。活気づく街の陽の下にいた。薄ぼんやりとした男の顔に優しげな眼差しが浮かんでいる。すぐ近くから話しかけられているのに、黄昏時(たそがれどき)のように顔立ちがはっきりしない。


 何度も経験したイザナには分かる。


 ――これは、誰かの記憶?


 即座に場面が転換して、虚像(きょぞう)の数々が流れ込んでくる。兵士たちを(ほふ)ったときと違うのは、やはりどれもが不鮮明であることだ。夢のように捉えにくい。


 だが視点の主が彼をいかに大切にしていたかは、断片的でも伝わってくる。


 草原や川、食事のときも寝るときも、いつも同じ男が傍らにいた。


 ――何を見せられてるの。


 直感的にそう思った。これは追懐なのではないか。思い出を振り返る誰かの意思が介在している。


 止めどない日常の風景に飽き飽きした頃、穏やかな雰囲気が一変した。


 激しい怒号が飛び交っている。


 戦場? いや違う。だがそれに近い雰囲気だ。


 焦げた匂いが漂い、むせ返るような人々の熱気が辺りを支配していた。


 それらとは対象的に、心を支配していくのは深い悲しみと焦りだ。


 憐れむような笑みを浮かべて、いつも側にいた男が背を向けた。


 彼は死ぬ。


 その気持ちは、記憶の主の不安だった。


 そこで、すべての光景が消し飛ぶ。


 イザナは、影すらない真っ白な世界に放り出されていた。



(あの人をお願い――)



 それまでのぼんやりした追憶と違い、女の声がはっきりと耳朶を打つ。


 記憶の奔流(ほんりゅう)はそこまでだった。


 ぱちりと目を開け、イザナは自分が倒れていたことを自覚した。湿った土塊(つちくれ)の匂いが鼻をつく。


 身を起こし、首を巡らせる。


 気を失う前と同じ、薄暗い祠の中だった。


 自身に意識を巡らせる。体調も悪くなければ、怪我もない。模様の浮かぶ右手も健在で、変わったところは一つもなかった。


 イザナはゆっくりと天を仰いだ。


「……死ねなかったの?」


 答える者など、誰も居なかった。



****



 イザナは再度、ネクロスの鎌に向かい合った。


 鎌からは、産毛のように纏っていた輝きが消えている。風も止み、極端に無機質に感じられた。


 今度は迷いなくそのすらりとした柄を掴む。


 だが、何も起きない。


 未練がましく、イザナは柄を掴み上げ、ネクロスの鎌を引き抜いた。光沢のある半月のような刀身が地面から姿を現す。


 それでも、変化はなかった。


「そんな……」


 膝から力が抜けた。肩に抱いたネクロスの鎌が、ずしりと重い。


 動けなかった。気力が砂粒ほども湧いてこない。


「死ぬことさえ、許されないの……?」


 積み上げてきた煉瓦(れんが)を完成直前になぎ倒されたような、途方もない空虚が押し寄せてくる。


 どんな苦しみも耐える覚悟でいたが、死ぬことを拒まれる罰など想定外だった。


 あちこちを何十年と放浪して、まがい物の類には何度も遭遇したが、だからこそネクロスの鎌は本物だと確信がある。


 その本物の希望が、打ち砕かれた。


「どうしろっていうのよ……」


 ネクロスの鎌を支えにして、なんとかもう一度立ち上がる。しかし上手く歩けない。岩を引きずっているように足が上がらなかった。

 目が慣れたせいか、祠の様子は気絶前よりも詳細に見渡せてありがたかったが。


「……おかしいわ」


 絶望に浸されていたイザナの頭が異変を捉えて少しずつ回転を始めた。


 自身の影が長く伸びて、地面に落ちている。


 その輪郭は刻々とくっきりしていく。視界が順応したわけではない。


 振り返ると、ネクロスの鎌が鎮座していたあたりに、青白い球体が生まれていた。


「何なのよ、これは」


 祠の中を漂っていた青白い光が一箇所に収束している。考える間にもぐんぐんと大きくなり、輝きも増していく。


 イザナは手をかざしたが、それでも眩しさに(かな)わず目を閉じた。


 まぶた越しにも分かる爆発するような閃光。


「くっ……」


 数秒後、網膜に焼き付いた残像を払うように、イザナは両目を瞬いた。


 祠の中は、元の静寂を取り戻していた。


 ただ空間を漂っていた青白い光は半分くらいが消失したのか、さきほどまでより薄暗い。


「ここは……」


 突如響く男の声。


 暗くなったせいか、その姿は判然としない。分かるのは、あの光の球体が発生したあたりに、男のシルエットがうずくまっていることぐらいだ。


「そうか……私は、彼女に……」


 一人で納得したように漏らし、シルエットがふらりと立ち上がる。


「おや、あなたは……?」


 こちらに気づいたらしい。二、三歩で届く距離。


 答える代わりに、イザナはネクロスの鎌を前にして身構えた。鎌は驚くほど手に馴染んだ。


 意図を汲み取ったのか、男は一瞬だけ足を止めた。


「ああ、不審者は私の方でしたか。なにぶん目覚めたばかりでして、状況が分からないのです」


 文字通り、胸筋を開くように男は腕を広げる。


「申し遅れました。私、アンテルスと申します。巷では、聖人などと呼ぶ方もいらっしゃいますが」


「なっ――」


 聖人アンテルス。


 まさにネクロスの鎌で永久の眠りについたという不死の聖人の名だ。


 聖人をも眠らせた死の鎌。その風聞が別の意味を伴って、いまさらイザナに問いかけてくる。


「随分面白い冗談ね」


「信用なりませんか?」


 男は朗らかに笑いながら、近付いてくる。


「止まりなさい。殺されたくないでしょう」


「ご自由に」


 男が影から抜け出し、その顔も露わになった。


 瞬間、時が止まる。


 美醜に関心のないイザナさえ、彼の容姿に囚われてしまった。


 深い緑の双眸(そうぼう)に、削り出したような理想的な高い鼻筋。頼りない薄明かりでも(きら)めくような金髪。癖っ毛だが、それがかえって気の利いた髪型に仕立てている。


 イザナが長年旅してきた中でも、群を抜いた美貌をしていた。


 相手が近づくにつれ、均整の取れた肉体も現れてくる。


 さながら彫刻のように完璧なラインだ。肩、胸、腹部と理想的な筋肉が――


「あなた、は、裸じゃない!」


 イザナは思わず目を逸らした。


「関係ないさ。まずはこの出会いに感謝しよう」


 無遠慮に覗き込んでくる。仕草には品がある。だが善悪を図る間さえない。防衛していいものか判断に迷う。


 息がかかるほど近い。触れていないのに、男の発する人肌の熱と自分の体温が溶け合うような感覚だった。


 味わったことのない悪寒が全身を巡る。


「警告はしたわ」


「え? ……むぐっ」


 間抜け面を右手で掴み、意識を集中させる。


 死の力が顕現。


 男は前のめりに倒れる。その身体は地に落ち、尻を天に突き出すような姿勢で静止した。

 先刻までの優美さなど微塵もない。


「なんだったのよ、こいつ……っ」


 両肩を抱いて身震いする。鳥肌だらけだ。

 過去に野盗や無頼漢(ぶらいかん)に貞操を狙われたことはあったが、その時ですらここまでのおぞましさは生まれなかった。


 それにおかしいことがある。


 力を行使したときに訪れる、記憶の流入がない。


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