第2話『死神と呼ばれた女』
オーバーラップWEB小説賞、応募作です。よろしくお願いいたします
兵士たちは次々に手近な者たちを撫で斬りにしていく。
逃げ出す者、隠れる者、その辺の石を持って立ち向かう者――信者たちは等しく血に溺れていく。悲鳴とうめき声があちこちで吹き出しては、散っていった。
「聖人様っ……! 安寧なる光にてわたしたちをお救いください……!」
リセルはその場にうずくまっていた。妹のミリエルを、恐怖から覆い隠すように抱え込んで。
ああ、やっぱりか。
イザナはただそれらの光景を、まさに他人事のように眺めていた。
簡単に死に行ける彼らが羨ましい。
傍観を決め込みながらも、イザナの胸の奥には、ちりちりとした火種のような焦燥感が広がっていく。
「小汚い老人ばかりかと思えば……」
ふと陽光を遮るように人影が差す。
兵士の一人が腕の届く距離まで近づいていた。狩りに集中する獣のような息遣いで肩を弾ませている。
「ちょうど負けが混んでいたんだ。生かしておいてやる」
ローブで顔を隠すイザナではなく、リセルの耳に剣の腹を添わせている。
「嫌……お願い」
「お前スラムの人間だろ、ちっと我慢すればいい暮らしができるさ」
剣の切っ先を彼女の顎に移動する。持ち上げるようにして無理やり視線を上げさせる。
フレスコ画のように端正なリセルの横顔に、涙が伝った。
「はなせ! あっちいけ!」
リセルの庇護から逃れたミリエルが、兵士の足元で騒ぎ立てる。
「なんだ、ガキか。あ? 女か? まったく似てねえ姉妹だな。てめえじゃ売り物にならねえ……よっ」
ミリエルの未熟な腹部に、兵士のつま先が無慈悲にめり込んだ。
弧を描く小さな身体。どさりと地面に放り出される。
一拍遅れて、幼女の泣き声が響いた。
「ミリエル!」
「おっと!」
兵士は駆け寄ろうとするリセルの手首を引っ捕らえる。彼女の伸ばした細腕は虚しく空を掻いた。
「大人しくしろ、てめえは生かしてやるんだからよ」
「誰か……助けて……!」
大粒の雫が荒れた地面に染み込んでいく。
しかし彼女の嘆願を聞き入れる神などいない。
この期に及んで聞こえてきた誰かの祈りが、遠く空虚に消えていった。
「……見てられないわ」
イザナは深いため息をついた。
ふらりと身を起こすと、兵士が気づく。
「お、なんだ、逃げるつもりか」
リセルを捕まえたまま、グラディウスの先端を向けてくる。
「そんなものであの世へ行けるなら、あたしの人生はさぞ幸せだったでしょうね」
「……あ?」
兵士の額に険が差した。
「あなたの貧相な剣と下品な腕前じゃ、死ねないって言ったのよ」
兵士はリセルを突き放し、だらしない口元を引き締めた。今度こそ殺意を丸出しにしてくる。
挑発がお気に召したらしい。
憤りを発散するように、兵士は無言で切っ先を下から上へと一閃させた。
イザナの被っていたフードに、ぱっと切れ目が入る。反動でフードは頭からこぼれ、前髪が踊った。
「貴様、帝国人じゃないな」
兵士の構えた肉厚の刃に、イザナの顔が反射する。
切れ長で無愛想な双眼、生気のない肌、何より漆黒の長い髪はこの土地ではほぼ見られない。
ミリエルに駆け寄り、介抱していたリセルもまたイザナの容姿に驚いている。逃げ出せるほどの状態にはなさそうだ。
「そうよ、あたしは信者じゃない。ましてや人でもないわ」
兵士は片眉を上げる。
「戯言か。どちらにしろ、近衛隊を侮辱した貴様は死罪だ」
返事を待たず、兵士はイザナへと突進してきた。
その凶刃はイザナの腹を貫き、あっけなく背を突き破る。
「っ……!!」
溶解した鉄を思わせる熱さ。その痛みと同時に、リセルの叫びが耳をつんざく。
気絶できればどんなに楽か。
「げほっ……」
イザナは口から大量の血を吐き出しながら、兵士の手を掴んだ。
「はっ、何が死ねないだ、女のくせに調子に乗るからだ。まあ少しもったいなかったがな」
「調子に乗っているのは、あなたよ」
イザナは相手を掴んでいた右手に、意識を集中させた。
腕の模様に熱が走る。
手の平から腕へ、墨のような黒から血のような赤へと変色していく。
その右腕の中を何かがすり抜ける。重量のない違和感。
最後には圧縮された空気が押し出されたかのように、ぼうっ、と黒い靄が立ち上った。
兵士の目から光が消える。
その身体は糸が切れたようにくずおれた。うつ伏せになった兵士は、ぴくりとも動かない。
「……え……?」
リセルは泣き腫らした瞳を白黒させ、数秒、固まっていた。
彼女はすぐ側で倒れた兵士にびくつくようにして近づいた。震える指先で手首や首筋の脈を看ていく。
その背中から力が抜けた。
「死んで……る?」
イザナは腹部から血に塗れた剣を抜き取り、適当に放り捨てた。剣は石ころに当たり、甲高い音を立てる。
場の空気に亀裂を入れるには十分だった。
神経の昂っていた兵士たちは即座にこちらを振り返る。
「やりやがったぞ、あの女」
誰かがぼやく。
見渡すと、信者も兵士も誰もが動きを止めていた。
やはり、こうなってしまった。
もはや人の生死に興味はないし、なるべく関わりたくはないというのに。
注目を浴びながら、イザナは信者たちから距離を取るように、広場の中央へ向かった。
「何してるのあなたたち。早くあたしを殺してよ」
外套を脱ぎ捨て、あえてせせら笑ってやる。近くにいた兵士が半歩だけ後退った。
「怖いの?」
煽るが、答えは返ってこない。だがそれも仕方なかった。
上着を取ったイザナは、東の民族服姿だ。兵士たちにとって見慣れない格好の女が、大量の血を滴らせて微笑んでいる光景は、異様そのものだろう。
突如、意識が飛びそうになる。
「……っ」
攻撃を受けたわけではない――いつもの奴だ。
来る。
予測した直後に、脳内に数々の光景が流れ込んできた。両親の顔、幼少期の友人たち、志願兵の訓練……イザナの記憶ではない。
殺した兵士の一生。
早馬で駆ける景色のように、怒涛の勢いで脳裏に描かれていく。彼の感情が、思いが、悲哀が、イザナの思考を塗りつぶすように押し寄せてくる。
息が浅くなり、こめかみを伝う脈拍が激しくなる。
まだ戦闘中だ。感傷的になるな。
いままさに――
「貴様ァ!」
意を決した兵士の一人が飛びかかってくる。後続の姿もある。
しかし二人目も、三人目も、それ以降の敵も、イザナにとっては同じことだった。
己の身体を餌にして、相手に右手でそっと触れる。それだけで兵士は死んでいった。例外は無い。
「な、なんなんだ貴様は!? なんであいつらは死んでるんだ」
最後に残ったのは、あの指揮役の兵士だった。
「それに、なんで生きている!? あれだけ斬られて……」
尻もちをついて後じさり、石柱にぶつかってもなおイザナから離れようとしている。
痛くないわけないでしょう、と心の中でイザナは毒づく。腹部だけじゃない。肩も足も重症だ。歩くこともおぼつかない。物理的なこの痛みからは、逃れようがない。
血の筋を地面に残しながら、イザナはゆっくりと最後の兵士に近づいた。ゆらりと伸びた影が相手を覆う。男にとっては絶望の象徴のように感じたことだろう。
「やめろ、殺さないでくれ。頼む……妻も、子供もいるんだ。おれが死ねば露頭に迷うことに」
「嘘をついても無駄よ。あなたは死ぬの」
イザナの口調から心変わりがないことを悟ったか、相手は途端に憎悪に顔を歪めた。
「この死神が! 貴様には必ず天罰が下る! たとえ死のうと呪ってやる! 楽に死ねると」
「うるさい」
男の頭部に右手で触れる。靄の発生と共に、白目を剥いて男は意識を失った。
少し遅れて右腕の中を何かが伝う感触。
男の記憶の群像が脳内に展開される。相手は嘘などついていなかった。
幸せを絵に描いたような妻と子との食卓。ようやく手に入れた役職と部下たち。今朝も家族にいつも通りの別れを告げた。
妻が愛おしそうに指輪を撫でる姿が、強く刻まれていく。
自分のものではない強い憎悪と恐れが、怒涛の勢いでイザナの意識をかき回した。
「うっ……」
胃をひっくり返すような不快感が襲う。
喉元にせり上がるむかつきに耐えきれず、衆目の中、イザナは胃液を吐き出した。
呼吸が荒れる。肺が痙攣しているかのようだ。
右手が震えていた。
今この手で、何人の人生を自分は終わらせた……?
相手の死と引き換えに送り込まれてくるイメージは、外野から伝え聞く情報ではない。自分と相手の境目がわからなくなるほどの追体験。共感など生ぬるい。心の同化だった。
もう数え切れないほどこの力を使ってきたというのに、慣れることはない。
口元を拭いながら周囲を見渡すと、氷漬けにあったように、信者たちは固まってしまっていた。
その中の一人と目が合う。
「ひっ……!」
相手の老人は驚いたように全身を震わせる。
イザナはまだ手にナイフを握っていたことを思い出した。これが原因か。
「もう終わったわ。安心して」
帰りなさい、と続けるはずだったが、それは叶わなかった。
「死神だ……!」
心臓を槍で貫かれる心地がした。
「殺さないでくれ! 助けてくれえ!」
老人は怯えながら逃げ出した。他の信者たちもだ。
他人を押しのけ、まろびながら、自分だけでも助かるために地を這う。彼らがイザナに向ける恐れは、弾圧にきた兵士たちに向けたものと同じだった。
イザナの周りには、兵士と信者の死体だけが残されていた。
「……いつもの、ことよ」
傷つけられた身体は元通りになっている。死ねない理由だ。痛みの余韻も、人殺しの喘ぐような罪の重圧ももうない。
なのに、ぽっかりと胸部を穿たれたような気持ちが消えないのはなぜだろうか。
初めてではない。結果は分かっていたはずだ。感謝されるとも思っていない。
鞘に収める直前、欠けたナイフに自分の顔が映る。
自らの血でべっとりと汚れていた。
『死神』にはお似合いの化粧だ。
その頬に、誰かの手がふいに触れる。
冷たい指先。
だが、どこか温かい。
すぐ側にいたのは、リセルだった。
背丈の低い彼女は覗き込むようにして、賢明にイザナの頬についた血糊を拭き取ろうとしてくる。
「あなた、逃げなかったの?」
リセルはぽかんとした表情で見つめてくる。
ミリエルのほうはやはりイザナが怖いらしく、姉の足元に抱きついている。
「どうして……? あなたは、命の恩人です」
反射する湖のような微笑みに、イザナは目を逸らした。
「誰かが言っていたでしょう、あたしは……死神だって」
リセルは首を振った。
「違います。きっと聖人様が遣わしてくださった、聖女様です」
虚を付かれ、なぜか涙が浮かびそうになる。
イザナはリセルの手を払った。
言い知れぬ苛立ちが腹の奥から湧いてくる。
「聖女? あたしは人殺しなのよ?」
「でも、わたしたちを助けてくださいました。あなたがいてくれて……本当によかった」
リセルから発される言葉は、兵士たちのどんな攻撃よりも、胸を抉るようだった。
兵士たちの人生を終わらせたのは自分なのだ。
その重荷を知らない他人は英雄と崇めるかもしれない。だが、死んだ彼らからすれば恐怖そのものだ。皮肉にも、それを誰よりも知っているのは、イザナ自身なのだ。
「去りなさい」
「え……」
冷たく突き放すも、リセルは動かない。
「死にたくなければ、いますぐ去りなさい……!」
イザナの剣幕に押され、ミリエルが泣き出す。リセルは痛ましげな視線を最後まで送っていたが、やがて広場から去っていった。
生きている者は、今度こそ誰一人いなくなっていた。
これでいい。
「私は、生きてちゃいけない」
不死の聖人すら永眠させた鎌ならば、確実な死を与えてくれるだろう。
祠の闇が、口を開けて待っていた。




