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第13話『死の兆候』

オーバーラップWEB小説賞、応募作です。よろしくお願いいたします

「……何かあったんですか?」


 イザナとアンテルスを迎えたのは、怪訝顔(けげんがお)のフェリクスだった。


 市場での買い物を終え、イザナは悶々(もんもん)としたままだったし、アンテルスは丘での会話を終えて以降は、終始満足げに酒壺を抱いていた。フェリクスが不思議がったのも、二人の面持ちが対照的だったからだろう。


「別に。気にしないで」


 思わずいつも通りに返事をすると、フェリクスは緊張したように口をつぐんだ。いけない。子供たち相手にも同じトーンで返してしまう。


「ところで、リセルさんや他の子供たちは?」


 アンテルスが辺りに首を巡らせる。


 ソニアの自宅前で、フェリクスは一人で立っていた。周りに人影はない。仕事か、もしくはあの司祭の下で祈りを捧げているのだろうか。


「姉ちゃんは、ソニアおばさんのところです」


 フェリクスが苦笑いを浮かべ、ソニアの部屋の方へ視線を投げる。どこか嬉しそうだった。


「おばさんのお世話をするんだって言ってました。姉ちゃんが親方に断りを入れたらしくて、連れてこられちゃいました」


「へえ?」


 感心しているようなアンテルスの横で、イザナも両の眉を軽く上げた。リセルなりの答えが出たのかもしれない。


 一階のソニアの自宅に目を移すと、窓の鎧戸(よろいど)が開かれていた。


 リセルの姿がある。何かを真剣に聞き取っているような横顔だ。離れていることもあるだろうが、こちらの会話など全く耳に入っていないだろう。


「僕もいまから出かけます。チビたちとやんないといけないことができたから」


 それじゃ、と告げてフェリクスは踵を返した。後ろ姿には活力が漂っていて、今朝、取り乱していたことが嘘のようだ。


 きい、と扉が開く音がして振り返る。リセルだ。


「イザナさん、アントニウス様」


 彼女はイザナたちを認めると、後ろめたさと恥ずかしさを抱えたような表情になる。近くまできて、頭を垂れた。


「さきほどは取り乱してしまって、申し訳ありませんでした。恩人にあんな態度をしてしまって……反省しています」


「ちょ、ちょっと急になによ」


 気味が悪い、とは言わないが背筋がむず痒いような心地だ。人に真正面から謝罪されることなど経験がない。


 どうしたものかと隣を窺うと、アンテルスはにんまりとこちらを眺めていた。リセルがいなければ殺してやるところだ。


「とにかく、顔を上げなさい。別に怒ってやしないわ。お互い様でしょう」


 なんとかそう答えると、リセルは面を上げた。照れたようにはにかんでいる。


「それと、感謝しています。逃げていたことに気づけたから」


 目元にはまだ涙の跡が残っていたが、吹っ切れた心が滲んでいた。


 なぜか、イザナの胸の奥はちくりと痛んだ。


「前を向くことができたのですね」


 アンテルスが答えた。


「これからどうされるおつもりですか?」


「おばさまがいままでなさっていたことを、少しでもお手伝いしようと思っています。おばさまはわたしだけじゃなく、他の方々とも助け合っていましたから」


「彼女の不安を取り除いてあげているのですね」


「はい。思い残すことなく逝けるように」


 語尾が少し震える。言葉にするのはまだ辛いのだろう。


「では、これをお持ちください。今夜はソニアさんにご馳走を振る舞うのでしょう?」


 アンテルスは大事そうに抱いていた酒瓶をリセルの前に掲げる。


「どうして、ご馳走だと分かったんですか?」


 驚くリセル。それはイザナも同じだった。


「リセルさんならきっと立ち直るだろうと思っていましたよ。それにこれは病に良いとされている蜂蜜入りのワインです。なにより旨い。ぜひ飲ませてあげてください」


 はっは、と笑う横顔をイザナは意外そうに見つめた。まだ一人で独占して飲み尽くすつもりだろうと疑いが残ってたからだ。


「ありがとうございます。おばさまもきっと喜んでくれます」


 リセルは差し出された酒壺を受け取ろうと手を伸ばす。


 だが、酒壺はアンテルスの手元から離れない。引っ張り合っているわけでもないので、ただの酒壺を二人で大事に持っているような状態になる。


「アントニウス」


 非難するような視線を送ってやると、アンテルスが我に返ったように真顔になって手を離した。


「はっ、一体私はなにを……」


「あの、無理にお譲りいただくなくても大丈夫ですよ」


「あなた、やっぱり自分で飲む気なんでしょう?」


 女二人に口々に言われ、彼はようやく酒壺をリセルに渡した。その口端は引きっていたが。


「これからどうするの?」


「まずはおばさまの職場にお伝えに行こうかと。そのあとはおばさまと親しかった方々にもお声がけして、そのあとは夕飯の準備です」


 (よど)み無く告げるリセル。孤児たちを保護する、長女らしい(たたず)まいが戻ったようだ。


 イザナはフェリクスのことを思い返した。なぜあの少年が活力を取り戻していたのか。


 原因はリセルだ。あの子にとって、やはり姉が支えなのだろう。リセルがしっかりしたことで、安心して動けるようになったのだ。


「そう。暇だし、あたしでよければ何か手伝うけど」


「いえ。イザナさんもアントニウス様もゆっくりしていてください、お客様なんですから」


 リセルは再度礼を述べてから酒瓶を自宅に置いてくると、街の方へ小走りで駆けていった。もう迷いはなさそうだった。


「さて、では我々も行きましょうか」


「行くってどこに?」


「ワインの買い直しです」


 呆れてイザナは踵を返した。


「おや、イザナさんはどこに?」


「ソニアの様子を見るだけよ」


 ソニアの家のドアを叩くと、今朝出迎えたときと同じように、ソニアの弟という男が鷹揚に招き入れてくれた。


 イザナとアンテルスが部屋に入ると、ソニアが薄目をこちらに向ける。


「あんたたちか。リセルのことは世話になったね」


 呂律(ろれつ)が怪しくなってきている。疲労か、病気の進行だろうか。目をはっきり開いていないことも気に掛かった。


「喋らないでいいわ。暇だから来ただけよ」


 ふ、とソニアが笑うように息を吐き、大人しくまぶたを閉じる。浅い呼吸だけが室内を満たした。


「これは……?」


 何となしに室内を見回すと、床に光る物が落ちていた。覚えがある。司祭が祈りの際に掲げていた銀色の十字架と似ている。


 イザナが手を伸ばすより早く、アンテルスが拾い上げてしまう。注意深く観察するように見つめる眉間には、縦皺が刻まれていた。


「クレスト教とか言ってたわね」


 イザナが呟く。アンテルスは難しい面持ちのままだ。


「……私が知る限り、こんな教えはありませんでした」


「そう。でもあなたが知らないのも当然でしょう」


 ソニアに配慮して、二百年前とは事情が違う、という言葉は飲み込んだ。


「多くの神が入り乱れる帝国の中で、皆が平等に信仰していたのはフォルトゥナ様のはずです」


 興味がないので詳しい説明を求めていないものの、彼らの会話の流れで、フォルトゥナというのが、この土地の神であることは理解していた。


「この国は一定の財力と手続きさえすれば市民になることは容易です。それゆえに様々な人種が暮らし、同時に多用な信仰も許されている」


「結構なことね」


「ですが、帝国側が執り行う神事などにいたっては統一されています。それがフォルトゥナ様の教えのはずなのです」


 忸怩(じくじ)たる思い、というほどでもないが、クレスト教に対する不信感は滲んでいた。


「そいつはクレスト教のシンボルさ」


 目を(つむ)ったままのソニアが口を挟んでくる。


「あの司祭のところの信者がしつこく勧誘に来るもんだから、渡されたそいつを投げつけてやったんだ」


「随分嫌っているのね」


「……他人の信仰にケチをつける連中だからね」


 言い終えると同時にソニアが咳き込む。


「もういいわ。あなたは休んでいて」


「あんたたちには感謝するよ。おかげであたしが死んだ後も、あの子はなんとかやっていける」


 イザナの言葉を無視して、ソニアは続けた。


「それこそフォルトゥナ様、アンテルス様のお導きさね」


 ちらりとイザナはアンテルスを窺う。彼は自身の名など関心がないように、窓の外に視線を外していた。


「大げさね、たまたまよ。あなたには悪いけど、聖人アンテルスだってそんな大した人間じゃないわ、きっと」


 ソニアから笑みがこぼれる。


 病気のことなど忘れてしまいそうな陽だまりの中で、彼女はやがて寝息を立て始めた。


 その傍らでイザナはあることに気づき、息を呑んだ。人差し指を立て、アンテルスを手招きする。怪訝そうにしながらも、アンテルスは隣に並んだ。


「何ですか」


「あなた、何か気づかない?」


 部屋の床を視線で示してみせると、アンテルスもそちらに目を向ける。


 しばし確認の間を取ったものの、彼は眉間に皺を寄せるだけだった。


「何があるんですか」


 首を捻っている。冗談や、含みのある仕草ではなかった。


「……そう」


 イザナは確信した。ソニアはもう長くない。


 陽光が落とすソニアの影だけが、他の影よりも薄い。死の力を持つイザナだけがその兆候(ちょうこう)を捉えていた。



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