第12話『パラティーニの丘で』
オーバーラップWEB小説賞、応募作です。よろしくお願いいたします
結局、ワインを持ち帰らねば意味がないということでイザナの懐から銀貨がもう一枚飛んでいった。
ほくほく顔のアンテルスだったが、イザナが聞く機会を逸していた夢の内容を尋ねると、途端に真面目なトーンで返してきた。
「ついてきてくれ」
陽気さをさっと引っ込ませると、淡々と彼はイザナの前を歩いていった。気遣えというわけではないが、女の歩幅に合わせるつもりもない歩調だ。いや、彼は焦っていたのかも知れない、と後にイザナは思った。
アンテルスに連れられて辿り着いたのは、見晴らしの良い丘だった。
パラティーニの丘というらしい。
地面には石畳が敷き詰められ、スラムや市場と違って広々としたエリアだ。アンテルスが老人と話したときに出てきた公共広場であるフォルムも、ここから近い。
眼下には帝国の街並みが広がる。
丘陵地帯の勾配に沿うように建てられ、ひしめく屋根の数々。それらを区切るように整美された街道が走っている。
少し遠くの平野には大きな川があり、オリーブ畑や牧草地が平野に点在していた。
「この景色に、見覚えはないか」
「え?」
何かを期待するようなアンテルスの眼差し。きょとんとしたイザナを見て、彼は笑みを浮かべた。どこか寂しげに感じたのは、気のせいだろうか。
「君が夢で見たのは、たぶん、俺が封印される直前の出来事だ」
アンテルスはイザナから離れ、丘の縁にある石の欄干に両手をついた。
「じゃあ、やっぱりあれは本当にあったことなの?」
「ああ、間違いない」
半ば確信はあったが、処刑――いや終わらない拷問を繰り返されたのは、やはりアンテルスだった。
「でもなんで、君がそのことを知っている?」
欄干を背にして寄りかかると、アンテルスは詰めるように尋ねてきた。
「あたしに聞かれても、分かるわけないでしょう」
「ふむ……」と、アンテルスは腕を組んで考え込んだ。
「死神は、意識を共有する……とか」
彼がぼやくのを聞いて、イザナはさらに訝しむ。
「意識の共有? いえそれ以前に、死神はってどういう意味よ」
「言っただろ。死神の知り合いがいるって」
イザナは夢の内容を思い返す。
アンテルスには告げていないが、夢の視点の主がいるはずなのだ。
『あの人をお願い』と勝手に頼み込んだ本人が。
夢の中では自分がそう考えているのか、夢の主の気持ちなのか曖昧だった。
「その死神はどうしてるの」
「わからない」
アンテルスが肩をすくめた。
「あの地獄から逃れられたのは、たぶん、彼女のおかげだろうな。なんらかの方法で、俺を殺した。だから処刑は終わったんだ」
あなたを殺してあげる。その言葉はイザナの耳に残っていた。
「でもそのあとどうなったのかは……。彼女も不死のはずだから、どこかで生きているはずだ。その意識が何らかの方法で君と共有されたのか、とも思ったんだが」
自分の考えを恥じるように、アンテルスは鼻で笑った。
「荒唐無稽すぎるな。忘れてくれ」
確かに彼の言うことは現実味がない。だがこの世には得体の知れない力が存在する。イザナやアンテルスの存在も異常だろうし、法術も依然として研究されている。
「じゃあ、死神の死に方を知っているっていうのは、その死神から聞いたの?」
「聞いたわけじゃない。でもたぶん、お互いに分かっていた」
含みのある言い方が、気に入らなかった。
「いい加減、教えなさい。どうすればあたしは死ねるのよ」
「君は、なんでそんなに死にたいんだ」
欄干から背を浮かして、アンテルスはこちらを見据えた。心の奥底を覗くような瞳だった。
「言ったでしょう。あたしは、生きてていい存在じゃない」
「本心は、そこじゃないんだろ」
イザナは言葉に詰まった。欺瞞があることは自覚していた。
なぜ自分が死ぬべきだと考え始めたのか。その根源は別にあることを、アンテルスは看破している。
「贖罪なんじゃないか、誰かへの」
鋭い指摘だった。リセルのときも同じだ。どうして彼は、人の隠したい本音を掘り起こすのか。
だが、アンテルスは種明かしをするように、にっと笑った。
「俺が知っている死神も、同じように苦悩していた」
遠くを眺める横顔は、帝国の美しい街並みではなく、過ぎ去った過去を懐かしんでいるようだった。
「でも彼女は生きることを放棄しなかった。死に方が分かってからも」
「……どうして?」
「生きることは罰なんだと言っていた。過ちが過ちではなくなるように、辛いけど生きるんだ、と俺もよく叱られた」
「叱られたって……じゃああなたも」
驚きだった。
それは、アンテルスも自死を望んだ過去があることを示していた。
いや、当然の帰結かもしれない。
途方のない人生に絶望したのは、他でもないイザナだ。出口のない迷路に、希望はない。
「偉そうに説教できる立場じゃないじゃない」
「ま、そうだな。ただの受け売りだ」と言葉を区切る。
「だから、俺たちはご同類ってことさ」
手を差し出してくる。
一瞬、アンテルスに対して仲間意識が芽生えかけたものの、イザナは否定した。
「あなたとは違うわ」
親しかった相手が目の前で、自分の力で死にゆく強烈な経験を、きっと彼はしていない。
腕を組んで握手を拒否すると、アンテルスは何の未練もなくその手を引っ込めた。
「ま、いいさ。そのうち君も死に方が分かるようになる」
そう言って、彼は歩き出した。リセルの家に戻るつもりだろう。今日はもう、死に方について答える気はなさそうだった。
アンテルスの隣に並び、イザナは別の質問をすることにした。あの声の主が死神だったのなら、彼女のことを知ればなにか分かるかも知れない。
「その死神は、どんな人だったの?」
「変わった女性だったな。人の気持ちを推し量るのが得意で」
何かに思い当たったように、アンテルスはこちらをちらりと窺った。
「そういえば、君もだな」
「なにが?」
「あの医者が言っていたこと、よくただの口実だってわかったよな。人嫌いの仙人みたいな生活をしていたんだろう?」
首筋に、ひやりとした水を垂らされた気分だった。
確かに、なぜ自分は理解できたのだろう。自分こそ額面通りに受け取りそうなものだ。
だが、なぜか理解できた。呼吸の仕方など意識にも上らないが、それと同じ感覚だった。
何か重要なことに気づきそうだったが、それ以上、確信には近づけなかった。




