6.妹へ
「お兄ちゃん、ココア飲む?」
やっと小学校に上がったばかりの妹の理奈がそう言って僕に近づいてきた。
十二月、いくら部屋の中が暖かいとはいえ、ココアは十分に有難い飲み物だ。
「あったかいの、入れられるようになったんだよ」
理奈も飲むから、お兄ちゃんのも入れてあげる、妹はそう言って、小さい体で大きめのマグカップを二つ持ち、ポットへと向かう。
僕は何も起きないように、何か起きたら、すぐに対処できるように、そっと妹を見守る。
父と母が共働きで、ほとんど家にいないうちでは、五歳離れた妹と、僕が一緒にいることが多く、両親は妹の世話をすべて僕に任せている。お陰で、僕は多分、同年代の子よりもしっかりしている方だと自覚している。
初めは不安だったものの、物心ついた時に生まれた妹を、僕は可愛くて仕方がなかった。たぶん、両親もそうだったと思う。何しろ、女の子を欲しがっていたから。
二つのおさげを揺らしながら、理奈はまず僕にココアをくれる。こういうところができた子だと僕は思う。
「美味しい?」
湯気が立つココアを一口飲んで僕が頷くと、妹はぱあっと花が咲いたような笑顔を見せた。
「じゃ、理奈も飲む」
「熱いから、気をつけてな」
「うん」
小さな口でフーフーと言いながら、マグカップを大事そうに両手で抱えて、口に当てる。
「美味しい!」
大きな声で言って、にっこりと笑う。
初め、妹が生まれた時、可愛いと思った反面、両親がこの子の面倒ばかり見ていて、やきもちをやいたことがあった。
わざと仮病を使ってみたり、妹に当たってみたり。
自分が、両親から見放されたような気がしたんだ。
今じゃ、こんなにゾッコンだというのに。
理奈が二歳くらいの時だったろうか。もう小学校に上がっていたというのに僕は、公園から家に帰らないことが一度だけあった。
その時母は、僕の名を呼びながら、妹の手を引いて公園内を捜して歩いた。
それを見た瞬間、何かが僕の中で弾けたような気がした。
危なっかしい足取りで、ようやく覚えた言葉で「おにいたん」と、一言、そう言ったのを聴いた時。
自分は何をしていたんだろう、と思ったんだ。
例え親が見捨てたとしても(もちろん、そんなことはないが)、僕にはこの子がいるじゃないか。
あんな態度を取った僕に対して、無邪気にゆっくりと歩いて、キョロキョロと辺りを見渡し、「おにいたん」と、舌足らずの言い方で僕を探すあの子が。
急に恥ずかしさがこみあげ、同時に泣けてきた。
夕暮れの茜色に染まった公園の中で、僕は体を震わせた。
僕がこの子を守るんだ、これから。
今、助けてもらったように、これからは僕が守っていくんだ、ずっと。
体の震えが収まってから、僕は母と妹の前に姿を現し、「ちょっと寝ちゃった」と、いかにも嘘っぽい嘘をついた。
何も言わなかった母は、もしかしたら、僕の気持ちに気付いていたのかも知れないし、けれど、安堵の表情を隠さなかった。理奈は、僕の方へ、手を差し伸べてきた。僕は、熱い思いがこみ上げてきて、ぎゅっと、強く握り返したんだ。
あの頃を思い出しては、苦笑する。
今は、こんなにも大切で、そして妹の成長に頬が緩む。
今は、こんなにも幸せなんだ、君がいるから。
君はいつまで、「お兄ちゃん」と呼んで慕ってくれるのだろうか。
それが出来るだけ長い期間であることを、僕は今、願うだけだよ。
【終】
いずれ君は大きくなる。
僕のことさえ、鬱陶しくなる時が
あるかもしれない。
けれど、
覚えておいてほしい。
僕は、妹として、
君の事を大事に想っている事を。
いつか、
君は忘れてしまうだろうけれど、
僕の想いは変わらない。
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《初出》 記録なし(不明)
2004年4月20日執筆




