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5.玉ねぎの理由


 その話を聞いたのは、この冬二度目の雪が降った一月の中旬だった。

 冷たい風は刃物のように身体に突き刺さり、けれど、どこまでも続く白い道は、視界にどこか新鮮さを見せ、その世界を楽しませる。

 結婚して三ヶ月あまりの月日は、それまでの生活から新しい暮らしへと慣れるまでに十分の時間に思えた。苦手な料理も、婚約当時からの義母の教えてくれた基本的なことが、面白いように感じられる。

 夫好みの味を覚えるというのは、とても楽しいものだった。何よりも、自分が作ったものを美味しいと言ってもらえる嬉しさといったら、思わず苦労を忘れ、顔がほころぶ。今までにない、経験だった。

「政信さんの好みの味を覚えたい」

 あの時、勇気を出して言って、本当に良かったと、自分を褒めてやりたい気分だ。

 もちろん、一番感謝すべき人は、義母だった。きちんとした味噌汁の作り方すら危うげだった私に、ゆっくりと辛抱強く、丁寧に教えてくれたのだから。 

 結婚後はなかなか時間が取れず、会う機会は減っていくばかりだった。月に一度家へ行き、婚約当時のように、みんなで食事をする程度になった。今、住んでいるところが、電車で四十分ほどかかってしまうことも、関係しているだろう。

 それでは、なんだか寂しく、そしてどこか申し訳ないような気さえあり、会いたいという気持ちが強かったため、夫の実の妹、菜乃花ちゃんの誕生日を一緒に祝いたいと申し出てみた。菜乃花ちゃんは、私より四つ年下の二十三歳で、私を実の姉のように慕ってくれている。一人っ子だった私も、実の妹のように、そして時には友達のような感覚で接している。義母だけでなく、義妹まで増えるなんて幸せだと思う。しかも彼女は、私が婚約当時、彼の家へ行って料理を教わるとき、いつも傍へ来て手伝ってくれた。義母はとてもいい人だったけれど、ある程度の緊張をする私にとって、それは大きな心の支えになった。

 申し出を快く歓迎され、週末家を訪ねることになった。

 何をプレゼントしようかと、悩みに悩んだ末、菜乃花ちゃんにはピンクのニットのアンサンブルを買ってプレゼントすることにした。

 普段なら、人に洋服をプレゼントするのは避けていたけど、前に私が着ていたワンピースを気に入ったらしく、あちこちの店を探したという話を義母から聞いたのを思い出したのだ。結局私に聞いたものの、その服は売り切れてしまっていた。もっと早く教えてれば良かったと、その時思ったのだった。自分と似たような好みなら、と、私が持っているものの色違いを選んでみた。

 夕方五時過ぎ、服を片手に、政信さんはワインを持って、家を訪ね、軽い挨拶のあと、プレゼントを手渡した。

 十二畳の居間のこげ茶のソファに座りながら、菜乃花ちゃんは、期待の色を見せて袋を開け、服を見て目を輝かせた。

「わぁ」

 そして、感嘆の声を漏らす。

 桜の花びらのような、淡い薄いピンク色の丸首の半袖にVカットの長袖カーディガン。首元と、袖口にはビーズが縁取られている。首すじまでのシャギー入りの髪型だから、ビーズが際立ち、よく似合うと想像していた。特に最近、女らしさに磨きがかかったようにも思えたし。雰囲気がピッタリだ。

「あらまぁ、かわいいじゃない」

 早速服を広げて、身体に合わせている菜乃花ちゃんを見て、義母がそう言った。

「おお、なかなか」

「へぇ、よかったな」

 口々に言う義父と夫に、安堵して胸をなでおろす。

 良かった。やっぱりよく似合う。

 それを見ていた義母もつられて笑い、そのすぐあと、ひゅうひゅうという鍋の音に気付く。その音で、だしのいい匂いを感じて、思わずお腹が鳴るのを抑える。一緒に立ち上がろうとした私に、義母は、にっこり笑って右手で制した。

「今日は、菜乃花の相手してあげて」

 その言葉に菜乃花ちゃんが、ふうん、というように私を見る。

「優しいね~、なんだか」

どこか、楽しげな様子で彼女が言う。

そうして、その場にいた私はその話を聞くことになったのだ。

 あの日の、あの玉ねぎの事件のことを。

 婚約当時、料理を教えてもらいに家に通っていた時のことだった。

 暑い夏の日で、蝉の声がやけにうるさく、耳に残っていたのを思い出す。

 肉じゃがを作ることになり、足りなかった玉ねぎを買いに、近くのスーパーまで行った帰りに、道端で倒れてしまったのだ。ちょうど、後から来た菜乃花ちゃんの判断により、すぐに病院に運ばれ事なきをえたが、聞く話によると、義母が責任を感じていたという。

「自分が行けば良かったのにって。未央さん体細いから、暑さに弱いだろうって気付けなくて、悪いことしたなあって言ってたよ」

 菜乃花ちゃんが、台所に聞こえないように小さな声で囁くようにして言った。政信さんまでも軽く頷き、義父だけが、重々しい顔つきで何も言わなかった。

「そんなこと……。あのときは、ちょっと寝不足で。私が悪かったのに」

 そうか、そんな罪悪感をもっていたのか。

 あの日以降、料理を教えてくれている義母の態度が微妙に変化したように感じていたけれど、気のせいではなかったのか。

 味に一つ一つ言葉をくれていたのに、その数が減っていたように感じていたのだ。何かあったのだろうか、とどこか淋しく思っていたから、よく憶えている。

「しかも気がついた時、真っ先に玉ねぎの心配をして……。みんなびっくりしたの」

 エライというか、面白いというか、と彼女は言った。そして思い出したのか、ぷっと笑う。その笑いが波紋を呼び、次第に声が大きくなる。台所にいた義母が、のれんから顔を覗かせた。

「なに? どうしたの?」

 私も仲間に入れて、と言いたげな様子で。

「なんでもない」

 菜乃花ちゃんが笑い、私は訝しそうに見る義母に、やっぱり手伝います、と腰を上げると、義母はにっこりと微笑んだ。

「ありがとう」

 ──あのとき、寝不足だったのは、前の晩、玉ねぎの切り方を練習をしていたからとは、とても言えそうにないな。だから、あの倒れたとき、玉ねぎが気になっていたなんて、とてもじゃないけれど言えない。

 玉ねぎを切るとき、いつも涙が出て、最後までキレイに切れず、それがちょっと悔しくて、今夜こそは! と気合を入れて頑張ったのだ。その始めた時間が夜中からだったため、すっかり寝不足になってしまった。

 結局、全部で五個切り、そのうちの二個が満足のいく出来だった。

 一つのことに熱中するタイプだけど、まさか料理にまで。しかも、玉ねぎを切ることに。

 それを思いだして、私も気付かれないようにひっそりと笑った。

 確か翌日は、大きな鍋に玉ねぎしか見当たらないカレーだったな、と思いながら。

 話すときは、永い年月が経って、玉ねぎくらい簡単に切れるようになってからにしよう。

 私は一つ、決意を固めた。




   【終】




※この話は前の話「4.母の味」のオマケ話です。


《収録一覧》

 2004年5月 4日発行「母の味」(初出)

 2012年8月12日発行「宝箱」(再録)

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