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24.言葉


 朝一番、布団をはぎとられ、私は目を覚ました。暖かいパジャマを着ているとはいえ、一月下旬だ。隙間から冷たい風が入り込む。

「ちょっとー、何すんのよー」

「起きる時間でしょ、目覚ましでも起きて来なくて、だから起こしてあげてるんじゃない」

 布団をパンパンと勢い良く叩きながら、お母さんが言う。

「ご飯、ちゃんと食べていくのよ」

「や! 時間ない」

「ほらみなさい。だから起こしたのよ」

 時計を見て、自分がかなりゆっくり寝ていたことに慌てる。

 ぬるま湯で顔を洗い、ブレザーの制服に着替え、泣く泣くトーストを片手に玄関を飛び出した。

「洗濯物はー?」

「入れといたー」

 と大声で返しながら歩き出す。

 まったくもう、恥ずかしいったらありゃしない。

 目覚ましだって二個あれば平気なのに。帰りに百均で買ってこう。

「美和ー」

 呼ばれて聞きなれた声に振り返る。メゾソプラノのキレイな声。初めて聴いたとき鳥肌が立った。

「おう! おはよっ! ゆき」

「あんた遅刻するよー。こんな時間で」

「何を言う。そういうあんたは何悠長にしてるのよ?」

「私はサボリもあるし」

「この不良!」

 会話をしながら、体をぶつけて暖めあう。スリムなゆきはそれでも力が強い。

 このゆきは、見かけはすごい美人なのにそういうのを鼻にかけないで、することは不良みたいだ。勉強とかしてれば優等生に見られるのに勿体ない。

 私が彼女を好きになったのは、高校に入ってすぐの頃。

 授業中彼女は外を眺めていた。それを見ていた教師に、

「そこの、ええと、三嶋ゆき、この問題を解いてみなさい」

 というのに、

「すいません、全然聞いてませんでした」

 と、あからさまに言ったのだ。

 クラスの皆が呆気に取られ、笑った私が友達になった。

 言いたいことを言い合えて、クラスも一緒。……とか、そんなのはいいとして、ゆきも一緒なら心強い。

「走るよっ!」

 私が言って、すぐ駆け出した。


 授業中、眠くなって困った。仕方なくゆきみたいに窓の外を見ていたら空から白いものが降ってきた。

「あ!」

 じろっと、頭が薄くなってきている教師に睨まれて、私は小さくすみませんと言った。

 雪かあ。今日そんなに寒かったんだあ。

 放課後になったら、雪だるま作りたいな。ちょっと子供っぽいけど。

 あっという間に今日も学校が終わる。

「美和ー、カラオケして行こう」

「ムリー。金欠。大体なんであんたはそんなにお金持ってるのよ?」

「お姉ちゃんが、銀座のナンバー1だから、好きな時に小遣いもらってるの。ふふふ」

「何ぃ! そうなの? 何がふふふよ、この魔性の女め」

「ほほう。姉君に伝えておこう」

「えー? やめてよー」

 一度ゆきのお姉さんに会ったことあるけど、とても怖いのだ。見た目はとても美人なのに、何というかやっぱりゆきと同じで、すっごい凄味がある人なのだ。

 それにしても何で二人ともこんなに美人なんだ? 二重の目。高くとおっている鼻。私にもわけて欲しい。

「今日はまっすぐ帰るわ」

「えーーーー」

 渋るゆきの声を背に私はカバンを取った。

 何か忘れてる気がする……。何だっけ?

 まぁいいか。

「じゃ、またねー」

 ゆきの声に軽く手を振って、おう!と言う。

 雪は粉雪で積りそうもない。

 仕方ないから、車で汚れていない雪を踏む。

 冬の夕焼けが一番きれいだと言ったのは誰だったろう。オレンジ色に染められていく空。昼から夜にかけて世界を変えていく瞬間がたまらなく好きだ。

 車が並ぶ車屋さんの脇を曲がり、緑のガーデニングが整っている自分の家を見る。お母さんも良くやるなあ。

 門を開けて玄関のドアノブを回す。

「ただいまー」

「おかえりー。寒かったでしょう」

 お母さんがエプロンで手を拭きながら、台所から顔を覗かせる。

「ああっ!」

 思い出した。目覚まし時計、買い忘れた。

 ああー。腰から砕ける。

「何よ、いきなり。びっくりするでしょ」

 と、さほどびっくりしていない様子で言う。

「いや、何でもない。寒いから先にシャワー浴びる」

「あ、できてるわよ、お風呂。お父さん早く帰って来れるみたいだからやっといたの」

 あっそ。ありがたや。

 服を脱いでから自分の茶パツの根元が黒くなっていることに気づいた。ゆきみたいに栗色の背中までの髪、ウェーブをかけてる髪が羨ましいと思う。セミロングの私には似合わないけど。

 お風呂につかって、これからのことを考えてみた。いい大学に入れるお金があって、あれでなぜか頭のいいゆきとは違って、私はそろそろ本気で大学のことを考えなきゃなあ。ゆきなんかサボってるのにな。いいな。

「出たよー」

 ラフな格好に着替えてから、夕食が出来ていることに気付く。いつの間に。

 あ、里芋の煮物。

 それと。

「なんでハンバーグなの?」

 不満げに言った私の言葉に、お母さんは目を丸くして驚いた。

「だって美和、好きじゃない」

 その言葉になぜか苛立ち、毒を吐く。

「今、ダイエット中だよ。こんなの全部食べられないよ。ひ・どーい」

「ダイエットなんて必要ないでしょ。少しでも食べて」

 そういう風に言われて、里芋一個、ハンバーグ半分だけ食べて、部屋に戻った。戻る時振り返ったら、お母さんの背中が少しだけ寂しそうに見えたけど、気にしないようにした。


 翌朝。またしても布団をはぎとられて起こされて、いい夢を見ていた私は、お母さんに八つ当たりした。

「自分で起きるのに、起こさないで!」

「そう言って、昨日も……」

「もううざいよ、お母さん、だいっ嫌い!」

 そう言って、お母さんを押し出して、これ以上ない位のスピードで着替えをして朝食も取らずに、家を飛び出した。

 学校に着いた途端、先生が慌ててやってきた。

「石川っ! お母さんが倒れたぞ。西総合病院へ行け! あ、先生が車出す」

 ちょっ、ちょっと待って。

 お母さんがどうしたって?

 あ、慌てて携帯忘れたからか。だから学校に連絡がいったのか。

「先生っ!?」

 私は辺りを構わず叫んだ。先生の車へと廊下を走りながら。他の事は頭になかった。

「だってさっきまでピンピンしてましたよ?」

「詳しいことはよく分からないから、先生も。落ち着こう。先生もこんな経験ないんだよ」

 そこから病院まで、車の中で自分の声がこだましていた。

『もううざいよ、お母さん、だいっ嫌い!』

 八つ当たりの言葉。

 病院に着いた。病院独特の薬品の匂いが鼻をついた。

「石川です。母はどこですか?」

「ああ、はい。今手術中です。ドクターから説明をうけてください」

 看護師さんの声に視線を追う。

 廊下の向こうから白衣を着た医者がやってくるのが見えた。目が鋭いベテランな感じがした。

「早く来てもらって良かった。まだ、ご主人見えてませんからね。大丈夫? 何歳かな?」

 十七です、と言った。声が震えた。

「母はどうしたんですか?」

「CTとMRIの結果、くも膜下出血です。意識不明で、大変危険な状態ですが出血が少なめなので、手術しているところです。この病気は時間との闘いですからね」

 意識不明だって? おまけに手術?

「治るんですよね?」

 確認するように訊いた。治ると言ってほしかった。そしてその言葉だけを信じて、すがりたかった。

「今の状態では何とも言えません。治ったとしても、障害が残る可能性が高いです」

 障害?

 障害って何?

 まるでドラマか何かのような言葉の連続に、もう何が何だか分からなかった。

 どうして? どうしてこんなことに?

 あ……。私? 私が悪いの? 私がだいっ嫌いだなんて言ったから? そうか、そうなんだ、きっと。

 叫びだしたくなる私の前に、すっとハンカチが差し出された。晴れ渡った空のようなきれいなブルーのハンカチだ。

 ぽかんとしてしまってから気が付く。

 私は泣いていた。

「すいません……」

 小さな声で言ってハンカチを借りる。

「美和!」

 お父さんが来て、先程の医者がまた説明をしていた。手術がどうのとか言って手術すれば可能性があるらしい。

 気の遠くなるような手術の時間の中、私はずっと祈っていた。助かりますように。私のせいなんだ。治りますように……!

 意識不明でずっと目覚めないなら、家事は私がやるしかないのかな。私のせいだし。ぼんやりとそう思った。

 だけど、絶対死なせやしない。今の私には祈ることしか出来ないけど、それでも何も出来なくても、死なれたら嫌だから。

 お母さんは玄関から出た時倒れたらしく、花に水をやっていた隣のおばさんにすぐに通報されたようだ。右手には私の携帯が握られていたみたい。要するに私を追って、倒れたのだ。何てこと。私は、声を出して泣いた。そんな……私のために。私のせいで。どうしたら償える? もし、もしものことがあったら……。嫌だ、そんなこと考えたくない。

 あんな言葉言って、取り返しがつかないまま、死なせやしない。

 私は、一生後悔することになる。

 胸に、ものすごい衝撃を受けた。

 それが、私の決意だった。

 入院したと知った途端、親戚から電話がかかってきた。

 お母さん、こんなにいろんな人に心配してもらってるんだ。知らなかったよ。

 私の場合は、ゆきくらいかな。

 ぼんやりと、そう思った。


 家事は一番楽なのがお風呂だった。スイッチで全部やる。洗うなんて考えない。

 ご飯を上手く炊けないのにはショックを受けた。お米を洗ってジャーに入れるだけなのに、水加減が難しい。水っぽくなったり、かたくなったり。そのうえ、おかずまで。

 お母さんが作った里芋、もっと食べときゃ良かったなあ。ハンバーグも。

 お母さん、おかず沢山だったなあ。色々と考えたんだろうなあ。

 洗濯もこの時期、さぞ冷たかったんだろうな。お母さんの手、今度よく見てみよう。

 こんな苦労してたのに、私は文句ばっかりだったんだ。

 一つ一つが大変な仕事だったのに、私は気づこうともしなかったんだ。


 そんな感じで二日間が過ぎた。

 お見舞いにお花を持っていく。病院には毎日足を運んで、いつ目を覚ますか、手を握りしめ声をかけていた。声をかけると脳が反応するから、呼びかけてほしいと言われたからでもある。

 目が覚めるといい! 

 もう悪い子にはならないから。

 手伝いも全部するから。

「お母さん……、ごめんね」

 泣きながら言う。頭の包帯が痛々しい。


 学校では訳を話したゆきが、一言肩を抱いてくれた。

『泣きたいときは、泣くのが一番。でも死ぬって決まったわけじゃないし、あんたがお母さん見ないでどうするの。辛くなったら、いつでも私の胸で泣いていいから』

 誰もいない教室の片隅で、しゃっくりをあげて泣いた。ゆきの優しさが心に染みた。 

 それだけ弱っていた。


 病院では「ごめんね」を繰り返す。まだかまだか。いつ目が覚める?

 手を強く握る。ピクン、とわずかに反応があった。嬉しくて何度も「お母さん」と呼びかける。手を握りながら。まだ目は覚めない。


 目が回るような忙しさで、さらに三日間が過ぎた。

 家事にもだいぶ慣れた。ご飯はとりあえず、カレーを大量に作った。一応家庭科で習ったものだ。じゃがいもやにんじんの皮むきに手こずり、両手のうち半分以上にバンソーコーをつけることになったけど。

 味はあんまりだったけど、お父さんが何も言わず、我慢して食べてくれたのが正直嬉しかった。

 洗濯も冷たさに慣れた。元々二人だからまとめて一回でやる。一回回せば大体済んだ。

 今日もICUに向かう。大きな花かごを抱えて。ゆきが買ってくれたのだ。

 恩にきるよ、ゆき。ありがと。心の中で言った。

 手を消毒して、マスクをつけて入る。もう慣れたことが、逆に苦しくてつらい。

 正直体はもう、限界まで来ていた。それでも声をかける。

「お母さん、分かるかなこの花。ゆきが、お母さんのお見舞いにくれたんだよ。一万だって。すごいね、嬉しいね。後でいっぱいお礼しなきゃ。大変だなあ。……ごめんね、お母さん嫌いだなんてごめん。目を覚まして、お願い。……だって最後の言葉が大っ嫌いだなんて、後悔しきれないよ」

 自分勝手なとこが入っているのは見逃してよ、神様。

 いつの間にか疲れた私は、指をからめて握りしめながら、眠ってしまった。


 ……なに?

 手がピクンとした。

 ああ、お母さんか。

 え? でも私、今何も言ってないよ? 何も言ってなくても、指は動くの?

 あ、また。

 それでも反応してる。

「お母さん!」

 思わず立ち上がる。パイプ椅子が大きな音をたてて倒れた。

「お母さん!」

 もう一度、声をかける。

 弱いけれど、ピクンピクン、と連続して動いた。生きてる鼓動。そして目がうっすらと開いている。握っている手に力が入った。

「先生っ!」

 個室から飛び出る。引き戸を勢い良く開けた。

「お母さんが目を覚ましましたっ」

 慌ててくる医者。

「ちょっと離れてください、今診るから」

 言われるままに、部屋の隅に移動する。慌ててお父さんに連絡した。


 翌日。検査を終えたお母さんのことを、先生が説明してくれた。

「大丈夫。あと少し入院とリハビリが必要ですが、もう峠は超えましたよ。障害の心配もまだ今のところはっきりしませんが……。これは奇跡的なことですよ! 通常では考えられません」

 聞いてすぐ個室に向かう。言わなければならない言葉がある。目を覚ましたら一番に。

 お母さんはまだ眠っている。呼吸のたびにマスクが上下に動く。私の鼓動は早まるばかり。それでもまだ眠っているお母さんに声をかける。

「お母さん」

 この声はきっと、聞こえているから。

 一言はっきりした声で言ったら、生きてるって実感して涙がぼろぼろ出た。

「ありがとう……お母さん」  

 言いたい本当の言葉はこっちだった。

 そして──。

「ごめんね……」 

 やっと伝えられた、大事な言葉。

 そうしたら、手が、手が握り返された。




   【終】



《初出》

 2010年8月29日発行「言葉」

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