20.プロポーズ記念日
※四編収録のオムニバス作品です
1.雨の中のプロポーズ
雨が降っていた。大粒の雨がぽたぽたと地面に落ち、音をたてて傘にぶつかる。
まるで僕の背中を押すように。
好きな人がいる。
僕にはもったいないくらい心が澄んでいるキレイな人だ。人の悪口や噂話を言わない。自分から進んで雑用を引き受けたり、誰にでも同じように穏やかな口調で話したりする。それにいつも、上品で温かい微笑みを絶やさなかった。
信じられないことに彼女は僕を受け入れてくれた。三か月前のことだ。
キレイな彼女は、誰からも好かれていて食事に誘われていた。
その中で僕が彼女と付き合えるようになったのは、ある意味奇跡的なことだと思う。
彼女のことを知るうちに、僕は早く彼女と一緒になりたくなった。
なぜなら、彼女の家庭環境が良くなかったせいである。彼女の実家は地元では名の知れた家だったらしい。
けれど父親が愛人を作り、その愛人は堂々と家に出入りをし、地元ではその噂が絶えないらしい。
二人の弟妹の面倒をよく見て、病気がちの母親を支えていた。
実のところ、彼女は苦労性でいつもいつもそれを一人で背負っていた。
どうして。
僕以外、誰にも相談せずに。僕に出会う前は一人で抱えて。僕が聞いたのも、たまたま家族の話になって、黙り込んだ彼女にしつこく尋ねたからだ。
海を見渡せる所で車から降りた。
相も変わらず降り続ける雨の中で僕は傘を差し出し、ゆっくりと話しかける。心の中で何度も練習した言葉だ。
「ある本を見ての受け売りなんですが、長年連れ添った奥さんを亡くした夫が、雨が降ってる日は、いつもお墓に傘を差しに行っているというのがありました。
それと同じくらい僕はあなたに愛情を注ぎたい。結婚してもらえませんか?」
彼女は一瞬、驚いたような表情をして、それから泣き笑いの顔に変った。そして、瞳から涙をこぼし呟くように言った。
「ありがとう。……それなら一つだけ約束してください。決して私より先に死なないと」
彼女の、心から愛情のない育ち方をしたからこそ出た言葉だと思った。
ずっと一人で戦いながら生活してきた彼女のことを思うと、鼻の奥がツンとなって、それを隠すために僕は彼女を抱きしめた。
抱きしめると折れそうなほど細い細い体をしていて、自分がこれから守っていくことを強く心に誓った。
雨はいぜんとして止むことはない。
胸に頬を寄せてきた彼女に対し、「約束する!」と何の根拠もないのにそう答えた。
彼女はとても嬉しそうな顔をした。
きっと根拠なんかいらなかったんだろう。
誰かから、「大丈夫、一人にしないから」というごく当たり前の言葉を望んでいただけかも知れなかった。
それでも僕は嬉しかった。
彼女を守ってあげられることが。
彼女と一緒に暮らせることが何よりも。
約束はきっと守られるだろう。
【終】
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2.幸せすぎるプロポーズ
四年前まで私は普通のОLをしていた。けれど正社員の仕事は、体力のない私にはキツク、いつもフォローしてくれていたのが彼だった。
残業続きで倒れてしまった私は、一週間ほど休み自分から辞める決意をした。
そんな時、送別会を開いてくれたのも彼だった。
初めから好意を持たれていたのには気づいていたけど、それが哀れみからくるのか、素直な愛情からくるものか分からなかった。それでも嬉しかったけれど。
仕事を辞めて半年間休養をとり、小さな喫茶店でアルバイトを始めた。せいぜい一日五時間。「座ってもいい」という了解も得てやらせてもらっている。
二年前、急にバイト先に現れた彼に心底驚いた。どこから分かったのだろう。この日、私は初めて彼のことを意識した。
そして、バイトの帰り「結婚を前提に」告白された。私がОL時代、一生懸命コピーを取る姿や書類を作成する姿に惹かれたと言ってくれた。また、送別会で彼がビールをこぼした時、真っ先にハンカチを差し出したのも嬉しかったらしい。
気がつけば私は、頷いていた。
それから何度もデートを重ねた。
遠出するわけでもなく、散歩のような感じだったけど、一つ一つの細やかな優しい気配りが私の彼への気持ちを変えていった。
愛情へと。
伝えたいことがあった。
場所なんて有名なレストランでも、キレイな夜景が見えるバーでもない。
わずかに生い茂る、さわさわと風に凪ぐ木。昼間子供たちが遊びまわるのを安易に想像できる遊具。砂場や、触ると鎖がチャリンとなるブランコ。
つい昨日のことのように思い出せる鮮明な言葉。この公園。
私はここに帰って来た。
あなたの言葉を信じて。
夕方、六時三十二分。もうすでに辺りは薄暗くなって人の顔も見えにくい。
俯いていた私は、人の気配がして座っていたブランコから立ち上がった。砂がついていないか確認しながら、スカートをはたく。ああ、いつもベンチに座らないでブランコに座ってたこと、子供みたいって笑われたっけ、なんてことがとっさに頭の中をよぎる。
気配の、足音の主はまぎれもなく、私の愛してる人だった。思わず目頭が熱くなる。
「お久しぶりね」
笑顔で言ったはずなのに、声が震えた。
「僕が言ったこと、覚えてる?」
挨拶を抜きにして口を開く。彼のスーツ姿は、二か月ぶりだった。
もちろん。唇はそう動いた。でも、緊張で声にならない。
彼の手が伸びて一瞬止まってから、彼の指が私の頬に触れた。そして流れている涙をぬぐう。温かい温もりだった。
「忘れられるわけが」
彼の手が止まった。私も息をのむ。
「ないわ」
一言そう言ったら、もうダメだった。涙が次から次へと頬を伝う。子供のようにしゃくりあげ、私は泣き出した。
いい年をした女が何をやっているのだろうと思う。せめてもの救いは、公園には他に誰もいなかったことだろうか。
彼が優しく私の腕を抱き寄せ、髪を撫でた時私は誓った。生涯この人を愛し抜こうと。いや、そうする以外考えられないと。
何分経ったのだろう。風が強くなってきた。
「落ち着いた?」
彼の穏やかな声にこくんと頷く。上下する肩を柔らかく抑えられる。
「君が体が弱いことは百も承知だ。それで結婚を前提に付き合っているんだからね。大丈夫。こう見えても僕は綺麗好きだし、料理もある程度なら作れる。君の家事をサポートすることは出来るんだ。だから君が心配することはないよ」
そう、二か月前と同じ言葉。
それに対して、私はこう言ったのだ。
「それは甘えることになるわ」
と。
「いや、それは違う」
彼はその時、初めて声を荒げた。
どう違うの?
私は素直にうんと、言えなかった。
だからプロポーズされた二か月前と同じ時刻、同じ場所で会うことを決めたのだ。それまで会うのはやめて。じっくり考えて冷静になるために。
彼は手を握って言った。
「いい? 僕は仕事をして、君は家事をする。君が出来ないことをサポートするだけだよ。だからそれは甘えじゃないよ」
そうだ。
こんなにも真面目で誠実で優しい人なんか、きっと他にいやしない。それは分かってる。そう、彼はとても誠実なのだ。
だから──。
「私も出来るだけ頑張ります」
やっと言えた。心から伝えたい言葉。
彼はきっと私に遠慮してほしくないのだ。
「ありがとう」
その微笑みは今まで見たことのないものだった。心から嬉しいものだということが伝わってきた。
「これからは、辛いことも楽しいこともみんな一緒だ。一緒に幸せになろう」
一言一言、何て穏やかで優しい声なんだろう。本当にそうなれるような気がしてくるから不思議だ。
熱く語る訳でもなく、恩着せがましい訳でもなく、ただ一人の何の特技のない女をここまで一途に愛せるものなのだろうか。
満たされていく、心が。
ああ、私が求めていたものはきっとこんな深い愛だったのか。
胸の奥で思ったら、涙が溢れてきた。そしたら次は、何だか嬉しくて笑えてきた。
彼はそんな私を見て、ぎゅっと強く抱きしめた。
【終】
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3.ぬくぬくプロポーズ
冬の季節、外では白い妖精たちが踊っている。
私と彼は炬燵の中に入りながら、みかんに手を伸ばす。
「ねぇ」
私が声をかける。
「もう同棲して三年以上だよね」
「うん」
彼はテレビのボクシングの試合を中継で見ている。めんどくさそうに私の話に耳を貸す。
「最近あまり出かけてないね」
「うん」
「天気悪いしね」
「うん」
「もうすぐクリスマスなのにね」
「うん」
「仕事、忙しい?」
「うん」
「大変だね」
「うん」
「結婚しようか」
「うん」
一呼吸おいて、私は喜び叫ぶ。
「やった! 今うんって言ったからね! 明日役所で紙もらってくるからね!」
「えー! 今何て言った? 不意打ちじゃん」
「何を言う! ありよあり! 人聞き悪いこと言わないで!」
「えー」
「私と結婚したくないっていうの?」
「そうじゃないけど」
「じゃ、いいじゃない」
「……うん」
こうして、ぬくぬくとした炬燵の中でプロポーズはあっさりと決まった。
【終】
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4.信じられないプロポーズ
今日もいつもと同じ一日が始まる。
経理課長を務めている私は、部下の仕事ぶりをデスクから首だけ出して見渡す。
お、中沢君、いつもと違うネクタイをしてるなあ。同性から見てもいい男だ。女子社員に人気があるのも分かる気がする。しかし、私も昔はいいセンいってたと思うんだが。
彼はいつも髪型を気にして、さりげなく爽やかさを出している。
私もパソコンのモニターを見ながら前髪をいじってみる。この年で爽やかさも何もないが。
そう、私にはまだ妻子がいない。付き合ったことがあるのは過去の話だ。
カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が部屋に響く。
そんな私にも気になる人がいる。
左、手前から二つ目のデスクに座っている宮川くんだ。
三十代半ばの彼女はいつも、会社でも、飲み会でも、ツンとすましている。そこがたまらない。いわゆる今流行りの「ツンデレ」じゃないかと、私は睨んでいる。
デレっとなる瞬間を見たい。
飲んだ後、酔った彼女を何度も自宅まで送った。部屋に招いてお茶も入れてくれる。まあ、「どうぞ」と一言言われるだけだが。しかし毎回だ。
デートはしたことはないものの、残業の後、二人きりで飲みに行くこともしばしばだし、脈ありだと思っているのだが。
これまで、優柔不断がゆえに結婚できなかったが、この年になると、「好きです」の一言も余計照れくさくなって言えなくなってしまうのだ。いつまでも平行線のままになってしまう。
と、その時彼女が書類を持ってきた。
「課長、ハンコお願いします」
数枚の紙を手渡される。その時、微かに指が触れた。柔らかい……。
四角い赤い縁のメガネをかけて、ピチッとしたシャツにタイトスカート姿。彼女はいつもキリッとしていて隙がない。仕事も安心して任せられる。
私は渡された書類に目を通す。
一枚、二枚……。
ん?
何だ? この薄っぺらい紙は。字がたくさん書いてあるな。
事務的にハンコをペタペタと押していた私は、ちょっと気になってその紙を見た。
何と!
【婚姻届】だった。
四十数年生きてきて、本物を見るのは初めてだ。
目を見張る。
ぱっと顔を上げて彼女の方を見る。
「宮川くん、これは……」
彼女は顔を真っ赤にして言った。
「押していただけませんか?」
耳たぶまで真っ赤にした彼女は、とてもとても可愛かった。
私は、意地悪く笑った。
「とりあえず、保留だ。今は仕事中だからな」
まず、デートをしたい。
そうして愛を確かめながら幸せをつかみたい。彼女はどう思うだろう。ちらっと見る。
「今晩、空いてるかな?」
彼女は恥ずかしそうに頷いた。
【終】
《初出》
2009年8月16日発行「プロポーズ記念日」




