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2.あの頃の自分

 その日、歩美が起きたのは正午近くだった。

 階段をトントンと下り、リビングに行くと、美味しそうな香りが漂ってきた。その奥には、不機嫌そうな母親の姿が目に入る。

 半月程前から、二年続けていた仕事を辞め、ここ最近こんな毎日が続いているので無理はない。

 歩美は寝癖を手ぐしで整えながら、母親と目を合わさないようにして、口を開く。

「おはよう」

「まったく、おはようじゃないわよ。何時だと思っているの。あ、お昼のおかずの卵、足りないの。買って来て」

 えー、起きたばっかりなのに。心の中で思ったものの、それを口に出せるはずもなく、洗面所へ向かう。

 満足に化粧もせず、母の言葉に背を押され、夏の暑さから逃げるように帽子をかぶり、自転車に乗った。

 横断歩道の信号待ちをしている時に、一つの看板が目に入った。白地に青の文字。


  バレエスクール生徒募集中!


 右手側にあるコンビニの、左隣にその教室があった。

 信号が変わり、歩道を進む。

 そういえば──、と歩美は思い出す。

 確か、十四、五歳の時、ここではなかったものの、やはり自分もバレエに憧れている時があった。あの時は、母親と自転車で教室を探し、練習を見学させてもらったことがあった。フローリングの床に、バーがあって、少女たちはレオタードに身を包み、足を高く上げていた。

 けれど、先生にその年齢だと、骨や筋肉が成長しているため、大きな役にはつけず、せめて端役ぐらいだと言われ、泣く泣く諦め、落ち込んだこともあった。

 それくらいの夢と言われれば、それまでだけれど。

 あの頃は、とにかく気になることには何でも挑戦していた。

 頑張れば、きっと結果がついてくると、強く信じて。

 いつしか大人になって、そんなにうまく世の中を渡れないことを知った。自分が何のために仕事をして、これからどうやって生きていけばいいのかさえも分からず、不安ばかりが募った。だから、仕事を探す気にもなれなかった。

 あの頃の、レッスン場を見学した自分の姿が、ぼんやりと目の前に浮ぶ。今、立っているかのように。

 まさか、昔の自分に励まされるなんて。

 歩美は、おかしく思い、自嘲気味に口元に笑みを浮かべる。けれど、嫌な気分ではなかった。

 照り返す陽射しの下、振り返ると、信号は青で点滅していた。

──本屋に行ってみようかな。求人雑誌を見に。

 歩美は慌てたように、自転車を方向転換し、スーパーとは逆の方向を目指す。

 大きなことは出来ないし、望めないけど、自分に合う仕事や、努力すれば何とかなることもあるかも知れない。悩むより、まず行動してみよう。


 そう──。

 あの頃の、チャレンジ精神に満ちた自分のように。




   【終】



 あの頃と今なんて、

           きっと、

         何も変わってない。         

歳だけとって、

      大人になったような気でいるけれど、

           それすらも不確かで。


         

         もう一度、

        あの頃のように純粋に、

          すべてを信じ、

             自分を信じられたら、


           

    ──たぶん、世界は変っていくのだろう。                                

 

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《収録一覧》

 2004年2月頃発行「associate」収録(ゲスト原稿・初出)

 2010年5月4日発行「ほのぼの」(個人誌初収録) 

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