16.机のラクガキ
一月下旬ともなるとさすがに風は冷たい。吐く息が白く空気に溶ける。
明日は雪が降るとか言ってたから相当だろう。
マフラーをしっかり巻いて、手ぶくろをした手で両手をこすり合わせる。
この時期、一昨年は入試だったなと、高二になり、春から高三になる私は思う。
四月になったら高三。
時間が経つのがやけに早い。
私は何がしたいんだろう。焦りと焦燥感が募る。
大学か専門か、就職か。
両親は大学に行かせたがってるけど、私はもんもんとしていて答えが出ない。
学校に向かう途中、俯きがちにそんなことを考えていた。
「美咲」
背後から声をかけられ、私は振り向く。
「ゆかりー」
「何よ、そんな顔して」
「いや、これからの人生にさ」
わざと明るく言ったら、はははっとゆかりが笑った。
「うちは進学校じゃないし、真面目に考えなくても」
「そうかなあ」
「やめようよ。朝からブルーになるから。ただでさえ寒いのに」
そんな会話をしながら教室に向かう。
授業が始まって、私は窓際の席から外を眺めていた。空が澄んでいて青い。
「こんなんでいいのかな……」
一人呟きながら私は机の上にラクガキを始めた。だって暇だから。先生の話を聞く気にもなれない。
うさぎのイラスト。
まん丸に長い耳、丸に目を書いて鼻もつけて出来上がり。
お昼に弁当を食べながら、とりあえず大学に行ってみるのもいいかなと思う。だけど、やりたいことが見つからないまま、大学生活を終えたらどうしよう。
なんとなく過ぎていく日々に身を任せて、卒業して就職して、誰かと結婚するのかな。
なんかちょっと寂しいな。
私はうさぎの目に涙を加えた。泣いてしまいたい。そんなことで、何も変わりはしないけど。
変わった事があったのは翌日だった。
昨日描いたうさぎに体がついていた。
バランスはちょっと悪いけど、そこに書かれていた言葉に私は目頭が熱くなった。
『どうして泣いてるの?』
どうして?
そんなの誰にも分からない。
きっとゆかりにだって。
だって私自身が分からないんだもの。
……でも、正直嬉しかった。
じっと見てたら、ゆかりが声をかけてきた。
「ん? 何見てるの?」
私は慌てて机の上のラクガキを隠した。
「何でもない」
だってこれは私の宝物。
「何かあったら言ってね」
「うん。ありがとう。何でもないから」
短く答える。
「ならいいけど。帰り、カラオケ行こうよー」
「ん、オッケー」
私は笑顔で答える。
桜並木を歩いて移動しながら散ってしまって寒そうな桜の木を見上げる。
寒い。私の心も寒い。
カラオケは4ボックス席で、ゆかりと二人で盛り上がって三時間。
浜崎あゆみ、中村中、大塚愛、高杉さと美など、とにかく歌って発散した。
さすがにお腹がすいて、私たちはサイゼリヤに入って注文する。
店に入るまでも凍えるような寒さだった。
パスタ、ピザ、ハンバーグ、ドリア何でも美味しそうに目に入る。
七時過ぎじゃ、さすがにお客も多い。ウェトレス達がせわしなく行き来している。
ざわざわとした中、私たちはドリアを食べる事にした。
ウェトレスやウェイターも中には若い人もいて、余計悩んでしまった。ゆかりの寂しそうな瞳が視界の端に映った。
こんなに若いのに働いてるんだなあ。バイトだとしてもすごい。ため息一つ。また、ゆかりが、何か言いたそうにしていた。私はその様子が気にはなっていたけれど自分のことで精一杯だった。
ドリアの熱さがどこか哀しく、ほわっと口に入った。
そして、翌日私はまた机にラクガキをした。
『どうして泣いてるの?』の返事を書きたかったから。
【自分でも分らない】と。
書きながら、胸がちくちくと痛んだ。
分からない。でも。
本当は、誰かにすがりたかった。話を聞いてもらいたかった。だけど、きっと悩みを持ってるのは自分だけじゃないから、そういうことはしちゃいけないと心のどこかでブレーキをかけていたんだ。でも、気付いてほしい。親には知られたくないし、ゆかりにも心配かけたくない。私からすれば勇気がいったけれど、顔が見えないというのは、ラクガキをするときにとても心が楽だった。
翌日、茶色の机の上。イスに腰掛けながら、見る。
『そっか。でも泣きたいときは思いっきり泣くといいよ』
返事が、あった。
どうして──?
どうしてこの人は、私の望む言葉をくれるんだろう。何を知ってるんだろう。どんな経験をしたんだろう。
ラクガキじゃなくてちゃんとしたメッセージだったんだ。
素直に嬉しくなる。
嬉しい。
泣いていいんだ。
でも、まだ泣けない。言葉はとてもありがたくって心の片隅に大事にとってあるのに、思い出すと涙ぐむけど、泣くまではいかない。
嬉しい言葉をもらったけど、最大の悩みがあった。
この人なら返してくれるかもしれない。この人になら打ち明けられる。
じゃあ、私の一番の悩み、書いてみよう。
【私は私のしたいことが分からない】
数えてみれば、あれからちょうど一週間。
やっぱり時が経つのは早い。
また何か書いてくれるかな。
あれ? そういえばうちの高校って夜学もあったはず。その人が書いたのかなあ。だって昼間は私の席だし。
どんな人なんだろう。
翌日、溶け切って凍った道を歩きながら、そんなことを想像した。
メッセージは、届いていた。
『僕もそうだよ』
私は、トイレに駆け込んだ。
おなじ気持ちの人がいたんだ。
不安の渦が少しずつ溶けていく。
気づけば泣いていた。
一人じゃないこと。
自分で自分の殻を作っていたこと。
私はその人にどうしてもお礼が言いたくて、席に戻って真っ先に「ありがとう」と書いた。
今までで一番丁寧に、心をこめて。
私はゆかりに相談しようと思った。
マフラーを握りしめ、
「ゆかり、ちょっと私の話聞いてくれる?」
彼女は、待ってました、と言わんばかりに微笑んだ。
【終】
《初出》
2008年8月24日発行「机のラクガキ」




