表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/30

11.彼女と彼の本音


 ビルの屋上は普段知香が見ている空よりも、空が近く感じた。

 五階建てのビルだ。新しくもなく、警備員もいるわけでもないその古さに、知香はなぜか安堵感を覚えた。

 時刻はすでに十一時を回っている。この四月に高校に入学したばかりの知香には十分遅い時間だが、今の世の中はそうではないことを、毎日のニュースで伝えている。

 手すりも低い。乗り越えようと思えば簡単なことのように思えた。それでもそれを越えないのは、やはり生への未練なのか。ざらっとした手すりのさび付いた感触だけが手に残る。

 夜中の十一時。葉桜の季節。入学式も無事終えたこの時期に自分が死ねば、周りはどう報道するだろう、という思いが知香の頭をかすめた。

 身震いする。それは寒さのせいだけではないことを知香は自覚していた。自分が忘れ去られることが怖いということを。

 死にたい理由?

 生きてる理由?

 二つに意味などあるのだろうか。

 長い髪とスカートが、風になびいた。

 寒い。それでも、家には帰りたくなかった。ここにとどまっていたかった。

「危ないよ」

 不意に声が聞こえ、知香は驚いて声のする方を探しその姿を認めた。五メートルと離れていないところにその人はいた。

 二十代を少し越えたところだろうか。暗くて表情は見えない。ただ、声だけがしっかりと響いていた。

「何やってるの? そんな所で」

「あなたにカンケーある?」

 気さくそうに尋ねてきた青年らしき人物に、彼女はつっけんどんに答えた。

「そりゃあそうだ」

 なのに、彼の態度は変わらない。

「僕はさ、ちょっと嫌になっちゃってね。今の自分と世の中に」

 知香は振り向いた顔を前に戻した。漆黒の闇の中へ。

 何を言っているのだ、この人は? 初対面の自分に。

「ああ、いいよ。聞き流してくれて。僕が一人で喋りたいだけなんだ。言うくらいなら、いいだろう?」

 知香は頷きもせず、空を仰いだ。

 空には星一つ見えない。欠けた月が輝くだけ。

 その中で自分は生きているのだ。

 なぜだか、無性に淋しくなった。今まで、一人で生きてきたはずなのに。

 聞くぐらいならいいか。どうせ時間はあるのだから。

 知香は体勢を変え、青年の方を向いた。ちょうど背中に手すりが当たる。

「なんなのよ」

「今年、就職活動なんだ。会社はたくさん在りすぎて、自分で選んでこれからの人生を決めなきゃいけない。僕は、小心者だから勇気がないんだ。どれに決めたらいいのか。いや、それ以前に雇ってくれるところがあるかさえも不明だ。しかも、今の世の中、リストラもある。そんな状態になったとき、僕は耐えられるのかどうか怖いんだ。そんなことばっかり考えて、嫌になっちゃってね」

「先のことばかり考えすぎじゃない?」

「じゃ、君は何を考えているんだ?」

「過去のこと」

 即答した知香に、青年は笑ったかのように見えた。

「そりゃまたどうして?」

「考えることに理由なんてないわ」

「うん、そうかもしれない」

 青年は頷く。

「私が今まで生きてきたのって、何の意味があったんだろう。両親のため? あの不仲の両親が私のことを愛してくれているはずもないのに、親のために生きてきたって言うの? 私、自分のために何をしたか考えてみたの。考えれば考えるほど、親のためだって分かったわ。親の仲裁、ご機嫌取り、いい子の振りして外面をよくする親の手伝い。ねえ、それって生きてるって言える? 私はどこにいるの? 私は誰?」

 声に出して話し出したら、胸につっかえていたものが、堰を切ったように言葉が次から次へとあふれ出してきた。

 彼女自身も驚く。自分の溜め込んだものの大きさと深さに。

 頬を伝うものがあった。生暖かいもの。そういえば、泣いたこともなかった。表情をなくしたロボット。親のためのロボット。

「それを、誰かに言った?」

 優しい声で青年が訊いた。温かな声が知香の胸を締め付け、余計目頭が熱くなる。涙はとどまることを知らない。

「ないわ。言えるわけないじゃない」

「ぶつけてみなよ。それだけ言えるんだから。勿体ないよ。僕は自己主張が出来ないのに」

 青年が両手を広げた。自分を嘲笑ったかのような仕草だったのに、知香にはまるで、自分を受け止めてくれるかのように見え、その胸に飛び込んだ。

 青年の驚く感覚が、全身から伝わる。

「ありがとう……」

 ありがとう、ありがとう、ありがとう……。

 知香は繰り返しながら、その地面に崩れるようにして座り込んだ。両腕はしっかり青年の足をつかんでいる。感触からしてスーツだということが分かった。

「ねえ、名前、なんていうの?」

 それを訊くのは自然の流れのような気がした。

「優しいに矢で、優矢。君は?」

「知るに香るで、知香」

 小さい声で知香が答える。

「知香ちゃんね。頭良さそうな気がするもんなあ……」

「あなたこそ。そのまんま」

「それって褒めてくれてるの?」

「そのつもりだけど?」

 知香は口角を曲げて笑って青年を見上げた。泣き笑いの表情だった。初めて見せる知香の表情。

「一週間後」

 青年が──優矢──が口を開いた。

「今の気持ちに変化があったら、もう一度、ここで会わないか?」

 月の灯りで優矢の顔が見えた。ほんの少しだけど。

 知香が知ってる人の中で、一番優しい、一番安心できる表情に見えた。

「いいわ」

「ただし」

 優矢が知香を両手で立ち上がらせる。彼女はずっと座り込んでいたのだ。

「この時間は遅いから、一時間早い十時でね」

 そのセリフを聞いた知香はくすっと笑った。そして頷いた。

 

 青年の見送りを背に、知香は自分が変わることを感じていた。

 吐き出したことによって晴れてきたもやもや。問題は何も解決していない。けれど、それを親のせいにしていたのは自分だということに気づいた。

 ならば、ぶつけてみよう。親に。あの思いを。かなりの勇気が必要だろう。もしかしたら、家庭崩壊してしまうかもしれない。だけど、それでもいいじゃないか。もともと期待していなかった家族なのだから。一か八かだ。

 そして一週間後、優矢に会うのだ。

 優矢も必ず来る。

 来ると決意して、知香にもちかけてきたことに知香は気付いていた。

 そしたら言いたいことがある。

「あなたも自分の言いたいこと、私に主張していたわよ」と。 

 そうして毎週彼と会うたびに、自分が変わっていけたならどんなにいいだろう、知香はそう思い始めていた。




   【終】



《収録一覧》

 2005年5月5日「祈りを込めた千羽鶴」(初出)

 2010年5月4日「ほのぼの」(再録) 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ