9.皇城で暮らすと、時折性転換が起きる(らしい)
「元皇子って。……どういうこと……ですか?」
皇子ってことは、男の子だよね? でも、わたしが会ったのは女性の格好をした皇女さまで。リアハルトさまだって、皇女さまを「異母妹」って表してらして。
妹なのに皇子? それも「元」ってどういうこと?
理解が追いつかない。理解できない。
「十年前、俺がベルティナに行った理由。覚えているか?」
「ええっと。先代皇帝陛下が、体の弱かった先の皇妃さまを地方で養生なさって、リアハルトさまを遊学に出したとか……」
「そうだ。父上が愛妾と愛妾の産んだ子と暮らすため、俺の母上を幽閉し、俺を追放した」
わたしが、「幽閉→養生」「追放→遊学」と取り繕ったのに、全部取っ払われてしまった。
――愛妾と暮らすため、皇妃は幽閉された。
――愛妾と生まれた子と暮らすため、第一皇子は追放された。
――皇妃は、幽閉中に病で亡くなったが、二人とも処刑されなかっただけマシだろう。
「アルディナは、その愛妾の産んだ子だ。父上が亡くなった時、愛妾が息子を皇帝に即位させた」
早いもの勝ち。
たとえ、異母兄となるリアハルトさまが異議と唱えても、即位してしまえば、負け犬の遠吠え。
生まれ。母親。兄弟の順。正統性。
そんなものは、即位してしまえば、なんの意味もなくなる。皇帝としての権力を有してしまえば。そこに正義もなにも存在しない。
それどころか、なんの罪もないリアハルトさまを、皇帝への反逆、大逆の徒として処刑することだってできる。
「でも、アルディナさまは皇女さまでは?」
さっきからリアハルトさまも「異母妹」って呼んでいらっしゃるし。
わたしの父さまといっしょに、皇位を争う戦いに臨まれたリアハルトさま。
その結果、リアハルトさまは正統な後継者として皇帝に即位され、敵となった幼い異母弟皇子は――
(あれ? どうなったんだっけ?)
異母弟とはいえ、リアハルトさまの即位を妨げたのだから、たしか、処刑された。愛妾は、女性だからって罪一等減じられて、遠くの僧院に幽閉されたって聞いたような気がするけど。
「アルディナは、あれの母親によって、皇子として育てられていた」
「え?」
「あれの母親がな。アルディナを孕んだ時に、『この子は男子です』と父上に語っていたらしい。男児、皇子だから俺が死んでも後継者はいる、問題ないと」
「それって……」
「ああ。それから皇城にいる間、不審、不慮のことが俺のまわりで立て続けに起こり始めた。食事に毒、刺客、暴れ馬。他になにがあったかな。乳母が亡くなったのもその影響だ」
軽くリアハルトさまが語るけど、わたしはそれどころじゃない。
血が巡るのを忘れてる。ずっと足元で滞ってる。
「――すまない。聞いていて気分のいい話じゃないな」
「いえ……」
手をひかれ、促されるまま寝台に腰掛ける。貧血起こしかけてた体に、その気遣いはありがたい。
「戦に勝って。皇帝に即位した時、捕らえたアルディナを皇位簒奪の罪で処刑せよという意見があった。どれだけ幼くても、罪は罪。母親に操られてただけであっても許されないとな」
リアハルトさまも寝台に腰掛ける。
「だが、アルディナは、皇子ではなく皇女だった。母親によって〝アルディン皇子〟として育てられていた異母妹だった」
生まれた子が男児ではなく女児だった。
それでも愛妾は、子は男児だと偽り続けたのだろう。
「この国で女性、皇女は帝位を継げない。アルディナの即位自体が無効。母親の愚挙は許せないものだが、アルディナの生い立ちには憐れむべきところがあると、俺が処刑を辞めさせた。本来の皇女としての待遇を与えたのも俺だ」
すべてを語り終えたからか。
リアハルトさまが後ろに手をついて体を支えると、フウっと、深くふかく息を吐き出した。
「本来の姿に戻した。なんの処罰も与えていない。だが、アルディナからしてみれば、俺は憎い異母兄かもしれない。帝位をどう思っていたかは知らないが、アイツから母親を奪ったのは俺だしな」
「リアハルトさま……」
複雑な生い立ちを持つ兄妹。
アルディナさまが、この異母兄をどう思ってるのかは知らない。けれど。
「リアハルトさま」
ギュッと彼の手を取る。
「いつか、そのおやさしさ、アルディナさまにも伝わりますわ」
話を聞いてただけのわたしにも伝わったように。異母妹君にもきっと伝わる。
リアハルトさまが即位されたことで、解放されたアルディナさま。
性を偽らなくていい。傀儡の皇帝として玉座に縛られなくていい。
アルディナさまが、幽閉されてる母君をどう思っていらっしゃるかわからないけれど。でも、本来の姿に戻れたってことは、悪いことじゃないと思う。
「今はまだ無理でも。でもいつかは、アルディナさまもわかってくださいますわ」
「ありがとう。エナ」
わたしの言葉に、リアハルトさまが、今までにないぐらい、やさしい、本来の彼らしい笑顔になる。誰もが魅了されてしまいそうな……って。え?
チュッ。
信じられない音が、自分の手の甲でした。
リアハルトさまが、わたしの手の甲に口づけた。そのことに気づいたのは、一瞬、二瞬、三、四、五瞬ぐらいしてから。
甘いあまい、甘すぎる視線を注がれて、ようやく気づく。
「やはり、エナを妃にして正解だったな」
――って、ちょっと!
「わたし、まだ皇妃になるなんて、認めてませんからね!」
口づけられて、真っ赤になった手を奪い返す。
この手、そういうつもりで出した手じゃないんだから! 勇気づけようと出しただけなんだから! 勝手なことしないで!
「このままやさしい皇妃のもとで、安らかな夜を過ごしてみたいものだが。――ダメだな。こんなに愛らしいエナを前に、何もせずに眠るなんて、無理な相談だ。拷問にも等しい」
「なっ、なにをするつもりですかっ!?」
わたしを見てくる眼差しに、不穏な空気を感じて、身を固くする。
「なにもしない。――今は、な」
伸びてきた手。その手がわたしの髪に触れる。
それだけで。
それだけで、体がビクッと震えた。
怖い――とかじゃない。不思議な「ビクッ」。
「ではな。エナ」
リアハルトさまが、寝台から立ち上がる。
(あれ? 帰るの?)
あたり前のことなのに。なぜか、そんな疑問が脳裏に浮かぶ。
たとえ婚約者であっても。結婚間近であっても。
男女が一晩同じ部屋で過ごすのはよくない。
わかっているのに。どうして「あれ?」なんて思っちゃったんだろう。不穏な空気感じてたんじゃないの? 帰ってくれてホッとする場面じゃないの?
どうして、離れるのを「寂しい」と思っちゃったの?
自分で自分が理解できない。
「そんな顔するな。お前が皇妃となったら、幾晩でもお前のそばにいて、お前の体の隅々までタップリ愛してやる」
――ンなっ!
「そ、そんなこと期待してませんっ!」
絶対に! なにがあっても、絶対に!
真っ赤になったわたし。
そのわたしを残して、声を立て、笑いながら室の外へ出ていったリアハルトさま。その笑い声は、遠く、耳を澄まさなくては聞こえないぐらい遠く離れるまで続いていた。
(か、からかっただけ?)
わたしの反応が面白くて?
恋愛に疎くて、目を白黒させるしかないわたしで遊んだだけ?
(リアハルトさまなんて、大っ嫌い!)
やり場のない怒り、望みどおりの反応をしてしまった怒りを、ボフッと枕にぶつける。
(リアハルトさまなんて! なんてっ!)
大っ嫌い!
そう自分に言い聞かせてるのに。心はさっき見た彼の笑顔を思い出す。
(リアハルトさま……)
彼が最後に触れていった髪を、自分も一房持ち上げてみる。
いつものさえない茶色の髪。柔らかくもない、わたしの髪。皮膚と違って、神経すら通ってない、ただの髪。なのに。
そこに、彼の手の感触が、熱く残っている気がした。