8.深夜のご訪問は、アレコレ危険
(あー、ダメだ、これ)
寝台の上、何度も寝返りを打って、敷布をグチャグチャにしたところで、身を起こす。
全然、眠れない。
寝る! と決めても、襲ってこない眠気。目を閉じれば、周りが見えなくなる分、自分の中のモジャモジャ気分が体の中に充満する。何度寝返りを打っても、寝るキッカケにならなくて、悶々とするだけ。
昼間にあった皇女さまのこと。
囁かれてるっていう噂のこと。
陛下が、どうしてわたしを選んだのか。罪滅ぼし? それとも都合良かったから? それとも、それとも――。
(ああもう!)
自分で起こしたモジャモジャに、自分で怒る。
眠らなきゃ。今眠らなきゃ、明日が辛いってわかってるのに。
窓の外、まんまるな月が中天に近づき始めてる。このままだと、太陽が金色に東の空を染め始めるまで起きていそう。
(仕方ない)
軽く息を吐き出し、眠れない寝台を離れる。
眠れないのなら、眠れるようにするだけよ。
「ヨッ! ハッ!」
ここには剣も木刀もない。だから、わたしの身一つでできる、体術の稽古。
「ハッ! セッ!」
掛け声とともに、拳を突き出し、高く足を蹴り上げる。
女性用の夜着って、少し動きにくい。でも、その可動範囲内で、精一杯体を動かす。
(こんなことしてるってバレたら、またヘンな噂流されるかな?)
夜な夜な体術の鍛錬をする皇妃(予定)。
磨くのなら、己の体を皇帝陛下に愛されるように美しく――でしょ。己の体の(筋肉を)鍛えてどうすんのよ。
(別にいいわよ。別に)
こうしてることで、陛下に呆れられる、興ざめされるのなら、願ったり叶ったりよ。セランの後ろ盾にはなってほしいけど、わたしのことを愛して欲しいなんて思ってないんだから。
眠れない時は、体を動かして、疲れさせるのが一番。
疲れ切っちゃえば、なんにも考えず、なににも煩わされず、泥のように眠れるわよ。
塔に幽閉されていた時にもやっていたこと。
あの頃は、セランを守るためにやっていた。セランの将来を憂いて、眠れない夜は、こうして体を動かしていた。
今は、セランのためじゃなく、自分が眠れるようにって目的が変わってきてるけど、でも、こうして体を動かせば眠れるってことは同じ。
「セイッ! ハッ! トウッ!」
本当は掛け声なんてナシに攻撃したほうがいいんだけど。声を出したほうが気持ちいい。
(やっぱり、木刀、欲しいなあ)
体術。
好きだけど、剣術の方がもっと好き。
体を動かしながら、暖炉に近づく。そこにあった火かき棒を手にして、体術から剣術に変更するけど。
う~ん。細い。
細いし、重さも長さも違う。
とっさの武器になるかもだけど、それ以上にはなれない。火かき棒だし。
持ってみたぶん、物足りなさと、木刀ほしい欲がムクムクと大きくなっていく。
木刀欲しいって、言ってみようかな。
明日、ミリアに。
衣装よりも、木刀がほしいの。眠れない夜のために。
ミリア、卒倒しそうだけど。
――キィッ。
(――誰?)
かすかにきしんだ扉の音。誰かが、この室に入ってこようとしてる?
ヒュンッ!
そのわずかに開いた扉めがけて、手にしてた火かき棒を鋭く投げる。
「うわっ!」
ガシャンと、床に落とされた火かき棒。そのままガラガラと、床で硬質な音を立てる。
「へ、いか――?」
「ああ、ビックリした」
扉をシッカリ開けて、姿を現したのは、リアハルトさま。手には、抜き身の剣。おそらくだけど、わたしの放った火かき棒を、その剣ではたき落としたんだろう。
「一応、叩扉も呼びかけもしたんだが。――気づいてなかったみたいだな」
「も、ももっ、申し訳ありません!」
リアハルトさまは笑ってくださるけど、わたしはそれどころじゃない。
皇帝陛下に火かき棒を投げつけた。
彼がとっさに自分の剣で身を守って無事――だからって許されることじゃないわよ!
(あわわわ。ど、どどっ、どうしよう!)
やっぱり、不敬ってことで打ち首? 縛り首?
それはわたしだけで済む? セランも同罪?
いろんなことを、必死に考えながら、床に額づく。この頭、下げるだけで許されるなら、どれだけでも下げ続けるわよ。
「――エナ。顔を上げてくれ。俺なら無事だから」
カツカツと靴音を鳴らしながら、リアハルトさまが室に入ってくる。
「悪いのは俺の方だ。女性の寝室にこうして入ってきてるのだから。火かき棒を投げつけられても文句は言えない」
「で、でも――」
わたしの前に膝をついたリアハルトさま。そのまま手をとられ、顔を持ち上げられる。
「悪いと思うのなら、口づけの一つでもしてくれたら、それで許すが?」
――は?
「ゴメンナサイ。悪気ハナカッタノ。で、チュッ。悪くないぞ」
なんか変な声真似して、笑うリアハルトさま。
「ああ、できれば頬ではなく、唇に頼む」
トントンっと、軽く自分の唇を指でさし示すけど。
――完全に、からかって楽しんでるでしょ。
「おっ、乙女の寝室に入ろうとしたのだから、当然の報いです!」
キスなんてしてあげない!
悪いのは、十割リアハルトさまですからね!
叩扉をしたって、返事がなかったら、入るのはダメなんですからね! この城の主はリアハルトさまでも、この室の主はわたしなんですから! 勝手にしていいわけないんですからね!
それもこんな夜遅くに……って。
「あの。なにか御用ですか?」
問いかけつつ、クイッと体をひねって防御姿勢。
こんな夜遅い時間。
寝室。
伴もつけず、一人。
女性の部屋を訪う男性。
そこに、なんの御用が? 訊かなくても、想像はできる。したくないけど。
「いや。そこまで身構えなくてもいい。そういうつもりで、訪れたわけじゃない」
わたしが想像した「御用」は、リアハルトさまにも想像できたらしい。
「――異母妹に会ったって聞いたが。本当か?」
「フヘ?」
想像外から来た質問に、息とも声ともつかない、間抜けな音が漏れた。
異母妹に会った。
そのことを、確認しにきただけ?
「お会いしました――けど」
そこにどういう理由があるのか。
わざわざこんな夜遅くに訪ねてくる理由がソレ?
わけがわからない。
自分でも自覚できるぐらい、キョトンとした目で、リアハルトさまを見る。
「そうか……。会ったか」
なぜか苦虫噛み潰したような顔で、ガシガシ髪をかき乱し始めたリアハルトさま。
なんなの、いったい。
わたし、皇女さまにお会いしちゃいけないわけ?
見てるこっちが訳わかんなくって、心の底に「イラッ」が芽生え始める。
普通、誰かを妻にしたいって言って、女性を自分の家(皇宮を「家」と表現していいのかどうか)に連れてきたのなら、まず最初に自分の家族を紹介するものでしょ? 親がいるなら親に。兄妹がいるなら兄妹に。「この人と結婚したいんだ」って。それもせずにいた陛下のほうが、ちょっと変わってるんじゃない?
それに。
今日は、皇女さまに会おうとして会ったわけじゃなくて、セランの乗馬を見てたら、皇女さまが現れたってだけ。会いたくて会ったわけじゃない。あんな嫌味(?)、言われるために会いたがる人いないわよ。
「それで。異母妹の様子はどうだった?」
「――へ?」
「息災にしていたか?」
「――ホエ?」
どういう質問? その2。
普通、自分の婚約者(認めてないけど)が、家族に会ったというのなら、「どんな印象だった」とか、そういう質問が来るんじゃないの? 義理の姉妹になるのだから、「うまくやっていけそうか?」とか。
「お元気では、あらせられると思いますけど」
言いながら、ちょっとだけ視線が空を彷徨う。
ええ、元気、元気でしたとも。
わたしを鑑定してくるぐらいには。
ミリアが黙っていてくれてた噂、うっすらそうじゃないかなって思ってたことを、まさざまに突きつけてくるような感想をぶつけてくるぐらいには。
ええ。妹皇女さまは、お元気でしたとも。
「そうか。……よかった」
わたしのトゲトゲ所感。
そのトゲに気づいてないのか、それとも妹の様子がわかって安心したのか。陛下が、ホッと安堵の息を吐き出す。
(そんなに気になるなら、自分から会いに行って様子を見てくればいいのに)
わたしにどうだったって訊くより、そっちのが早い。
同じ皇宮にいるんだし。兄妹なんだし。――って。あ。
(皇族にもなると、兄妹であっても軽々しく会うことができない……とか?)
昔読んだ本に書いてあった。
身分の高い者は、母親であっても、子を自分で養育したりしない。乳母や教師に任せっきりだから、たまに会うと「息災にしておるか」「はい、お母様(母上)もおかわりなく、なによりでございます」で、親子の会話は終わるって。
わたしやセラン、亡き両親のように、親子夫婦がいっしょにいるのは、とてもめずらしいんだって、読んだことある。
(もしかしてだけど、そういう常識のなかにいるから、兄妹であっても、そう簡単に会えないの……かな?)
会ったとしても、「息災にしておるか」「はい。お兄様もおかわりなく」で終わっちゃって、会話らしい会話もなく終了しちゃうから、「本当のとこ、どうなのよ」ってのが気になっちゃうとか。
わたしとセランは、セランが生まれた時からずっといっしょに育ってきたし、両親が亡くなってからは、塔に閉じ込められたせいもあって、さらに距離は近くなってた。今だって、なにかあればセランは「姉上」と、遠慮なしにわたしのもとにひょっこり顔を出してくる。わたしだって、セランが気になって、馬場まであの子の様子を見に行ってた。
陛下と皇女さまは、そういうふうに過ごせないのかも。かしずく者が多いぶん、下手な行動をしたら「はしたない」とか「礼儀知らず」とか言われちゃうのかも。
(かわいそうだな)
せっかくの兄妹なのに。
「あ、あの、陛下……」
「ん?」
「もしよろしければ、皇女さまとごいっしょにお茶でもいたしませんか?」
「茶?」
「ええ、お茶です。ご公務でお忙しいとは思いますが、たまには御兄妹で、ゆっくり歓談なさってもよろしいのでは?」
お茶の席でなら、給仕以外の部下が遠ざけることもできる。こんなわたしに「どうだった?」って訊くより、そっちのが手っ取り早く皇女さまの様子を知れて、安心するんじゃない?
「茶……か」
あ、あれ?
なんでそこでそんなに難しそうに考え込むわけ?
わたしの提案を聞いた陛下の顔が、一気に険しくなる。眉を寄せて、顎に手を当てて。
まるで、「陛下! 敵軍が皇都に迫っております! その数十万!」って報告を聞いたかのような。
……わたし、変なこと、言っちゃった?
いやいや、「たまには兄妹水入らずでお茶したらどうですか?」って普通でしょ。そんな変な提案したわけじゃないよ?
陛下は、政務にお忙しい? いやいや、わたしとセランが庭を歩いてただけで、政務ほっぽってひょっこり顔出してくるぐらいだし。お茶の一杯ぐらい、なんとかなるでしょ。
「もし、ご兄妹だけでってのがダメでしたら、わたしやセランも同席させていただきますが?」
兄妹だけってのがまずいのなら、他の人も参加すれば……って。
(ってか、わたし、何言ってんのよ、バカ!)
滅多に会えない、会ったとしてもざっくばらんに過ごせない、かわいそうなご兄妹だとは思うよ? だからって、自分から同席を申し出なくてもいいじゃない!
あの嫌味皇女とお茶?
それも、セランまで巻き込んで?
リアハルトさまには火かき棒をぶん投げちゃったけど、あの皇女さまには、お茶をカップごとぶん投げそうよ。ぶん投げる未来が見えるわ。
「やはり、やさしいな、エナは。とってもやさしい」
わたしの提案に、リアハルトさまが頬を緩める。
けど。
「へ、平均的だと思います」
わたしの「やさしさ」は世間一般的、常識水準、誰もが持ち合わせてる程度だと思います。「とっても」なんてつけられるものじゃない。
「自覚してないところも、エナの美徳だな」
だーかーらー。
お願いですから、そんな風に笑いかけないでください!
わたし、さっきから心臓の動きがヘンなんです!
「そうだな。一度ゆっくりと異母妹を交えて、話をしたほうがいいな」
ヨッと掛け声をかけて、リアハルトさまが立ち上がる。
「だが、その前に、異母妹について、話をしておいたほうがいいか」
「お話……ですか?」
立ち上がったリアハルトさまから、わたしに差し出された手。その手を取ると、グイッと引っ張られ、わたしも立ち上がる。
「異母妹は、アルディナ皇女は、元は〝皇子〟。俺の皇位継承の敵だった人物だ」
「――――へ?」
リアハルトさまの言葉に、今日一番の間抜けな声が出た。