6.噂どおりの女ですけど。ーー噂ってなんですか?
「そう。背はまっすぐ伸ばして。怖いと思われるかもしれませんが、そこは馬を信じてください。いいですね。その調子です」
馬場に、若い男性の声が響く。
高くもなく、低すぎるでもなく。相手を褒めることも忘れない、教師役にピッタリな感じの声。若いけれど、子どもに馬を教えるには充分な体格を持ち合わせてる。
溌剌とした印象の武官。おそらく、わたしよりは年下。陛下と同じ年頃?
(さすがね)
その声を、柵で囲われた馬場の外に立って聞く。
別に、その武官を見たくてここに立ってるんじゃない。その武官に指導されながら、なんとか馬を乗りこなしてる、弟セランの様子を見るために立っている。
もちろん、〝皇妃さまらしく〟とミリアに被らされたウィンプルつきで。皇妃たるもの「日焼け、ダメ、ゼッタイ」なんだって。
まあ、良家の子女が顔モロ出しは、はしたないし。日焼けなんてとんでもないってのは、常識でわかってるけど。
(暑いのよね)
ウィンプルだけじゃない。肩にはズッシリマントル。
全方位、日差しカット。ついでに、涼しい風もカット。
暑いから、少しだけ外したりしたいんだけど――。
(ダメよね、やっぱり)
ウィンプルにちょっと手を伸ばしただけで、「ヴヴン」という、濁った咳払いが聞こえた。
そばに控えてるミリアの咳払い。
せめて、ウィンプルの下、汗で首筋に張り付き始めてる髪だけでも、どうにかしたかったのに。それすら許してもらえないらしい。陛下以外の男性に肌が見られてしまうようなことがあったら。暑いのなら、早く建物の中に入ったらいいじゃないですか。多分、そういうことなんだろう。
弟が馬術を習い始めたからって、その姉がつきっきりで見てなきゃいけない理由はない。ミリアからしてみれば、「なんで、こんな暑いところで、ずっと弟を見てるんだろう? 過保護?」みたいなかんじなんだろうな。弟離れできてない姉、みたいな。
(まあ、その通りなんだけど)
自分でも自覚あるのよ。
セランに対して過保護過ぎっていうか、ベッタリ過ぎだなっていう自覚はある。
あの叔父に幽閉されて以来、ずっと叔父からセランを守り続けていた。早くに両親を失ってしまったセランを、わたしが守る。そう決めていたから、そのクセが抜けないっていうのか。
「そうです。その調子ですよ」
少しぎこちないけど、それでも馬を歩ませることができるようになったセラン。
朗らかに褒めて指導する、あの教師がいれば、いつかはセランも颯爽と馬を駆けさせることができるようになるだろう。最初は、どこかおっかなびっくりだったセランだけど、今では褒められるたび、うれしそうに笑うだけの余裕も出てきてる。
今まで幽閉されて培うことの出来なかった能力は、ここで開花し、同じ年頃の少年たちと比べても遜色ないぐらいに上達するだろう。
それこそ、こうしてわたしが心配することもないぐらいに。
馬術だけじゃない。
ここでたくさん学んで、砂地が水を吸うように、すべてを自分の力として。そして、いつかはセランは、わたしがいなくても立派に父さまの後継者として、ベルティナ辺境伯としてあの地を治めるんだろう。
陛下の庇護下にいれば、セランは立派な辺境伯になれる。「守る」しかできなかったわたしと違って、ここにいれば、セランは……。
(あ、あれ? なに、コレ……)
キュウっと胸が締め付けられる。
セランが立派になっていくことは、喜ばしいことなのに。なぜか襲われてる、心臓のあたりを抑えつけられ、そのまま外に引きずり出されかけてるような感覚。
セランにこんな環境を与えてくれた陛下に感謝して、セランの成長を喜ばなきゃいけないのに。
(結婚を、迫られてるから……かな)
セランが辺境伯を継げるように、的確に指導してくれる環境。
今は、陛下の腹心があの地を統治してくれているけど、セランが成人したら、領地はセランに渡してくれると約束してくださった。今だって、陛下はセランの後見人を買って出てくれている。セランが一人前になれるよう、こうして教育の場を与えてくださってる。
けど、その代わりにわたしに結婚を求めている。
わたしに結婚を承諾させるために、セランの後見をしてくれているのか。それとも……。
「おい!」
突然の「おい!」に思考が、一気に引き戻される。……「おい!」って、誰?
驚きつつも、相手を捉えたくて視線を彷徨わせると、背後に自分より若いだろう女性が立っていた。
女性……というか、少女。女の子。
おそらくだけど、わたしよりもセランに歳が近そう。背だって、わたしより低い。一瞬、「女の子」じゃなく「女性」に思えたのは、その尊大すぎる態度と、わたしと同じようにウィンプルを被って、貴族女性らしい装いをしていたから。
でも、ウィンプルの影からのぞく顔立ちは、どう見ても十二、三歳ぐらい。
「お前、辺境伯の娘か」
へ?
「皇帝が連れてきた女は、お前かと問うている!」
年下からの「お前」とか、皇帝陛下に尊称なしとか。驚くことはいろいろあるけど。
(誰、この子?)
そっちの疑問のが大きかった。
こんなところに女の子? 態度も半端なくデカいし。
身につけてるものは、わたしと同じぐらい、質の良さそうなものばかり。なんとなくだけど、その態度に装いがサマになってる気がする。
背後には、ゾロゾロとお付きの侍女っぽいのがたくさん。ミリアしか連れてないわたしとは大違い。
「――陛下の妹御、アルディナさまです」
わたしの横、女の子の方に跪いて、ミリアがコッソリ教えてくれた。――けど。
(陛下の妹!?)
陛下って妹、いらっしゃったの?
皇位争いは、たしか異母弟とだったけど。それ以外にも、御兄弟がいらしたの?
今まで、一度もそんな話を聴いたことなかったから。なんていうのか、――単純に驚いた。陛下って何人兄妹なの?
「これは失礼いたしました、王女殿下。わたくしが、先のベルティナ辺境伯の娘、エナでございます」
軽くスカートをつまんでお辞儀。
相手は王女殿下。年下だろうが、ちょっと腹立つ態度だろうが、「人に名前を問うなら、自分が先に名乗るのが筋ってもんでしょ」なんてものは、とりあえず置いておく。
年上なんだし、これでも(一応)皇妃(予定)なんだし、「最近の若いもんは礼儀を知らんのう」とか、「(一応)義姉なんだけど、なによ、その態度。尊大すぎない?」なんてモヤモヤもあるけど、それも置いておく。
礼儀知らず、それも年下に礼儀云々で腹を立てるのは無駄なこと。ここは一つ、大人の余裕で「はいはい」と頭を下げて、こちらの礼儀を見せておくのが吉。
なんだけど。
「ふぅん。――平凡だな。年増だし」
ジロジロジロジロ。シゲシゲシゲシゲ。わたしを余すことなく検分していく不躾視線と、その回答。
……一瞬、礼儀を忘れそうになった。大人の余裕も霧散しかける。
なんだと、この小娘。ナニさまだお前。(答:皇帝陛下の妹だから皇女さま)
そして、なんでクスクス笑い合ってるのよ、お付きの侍女たち! 忍び笑いのつもりかもしれないけど、そんだけ大人数で笑ってたら、全然忍んでないのよ!
皇女さまが笑うのなら、百歩……、千歩、万歩ぐらい譲って許されるかもしれないけど、アンタたちが笑うのは許されないの! これでも(一応)皇妃(予定)なんだからね!
「あの皇帝が熱望したと聞いたから、どれほどの絶世の美女かと思ったが。――やはり、噂どおりか」
悪かったわね、平凡で! ごめんなさいね、ご期待どおりの絶世の美女じゃなくって!
でも、皇帝が熱望したのだけは間違いないからね! わたしが進んでここに来たわけじゃないから――って。噂? ナニソレ?
バチコーンっと、その頬を引っ叩いてやりたいぐらいの怒りが削がれる。侍女たちのクスクスもどうでもよくなってくる。
噂どおりの、その噂ってナニ? どんな噂なのよ。
驚き、跪いたままのミリアに視線を投げかけるけど、「こういう噂ですわ」みたいな返答はなかった。それどころか、わたしの視線に、ミリアが硬直しちゃってる。逃げ出したいのか、唯一動けるミリアの視線が、あらぬ方向を彷徨い始めてる。絶対わたしと視線合わせません状態。
これ、もしかして、ミリアに問いかけちゃいけない類の噂ってこと?
めちゃくちゃ気になった。