4.身の置きどころ行方不明
「ね、ねえ、ミリア」
「なんでしょうか、皇妃さま」
シュッ、シュッと、かすかに音を立てて髪を梳いてくれる侍女、ミリアが、その手を止めること返事をする。
「――今日の髪型、なにかご希望でもございますか?」
ない。
ご希望なんてものは、ない。
そりゃあ、「髪をこうして編み込んで」とか、「ふんわりまとめ髪にして」ぐらいはあるけど、下手にそれを言えば、「髪飾りはどうなさいますか?」とか「では、ホニャララ風のアアイウ髪型にまとめましょうか?」とか追加の質問が返ってくるから困る。
髪飾りなんてほとんどつけたことないし、ホニャララ風のアアイウ髪型も知らない、わからない。
だから、大抵の「どういたしましょうか」に対して、「アナタにおまかせするわ」という、どうとでもとれるような、その場しのぎな返答をするのだけど。
「……やはり、そのお召し物、お気に召しませんか?」
「――え?」
「ずっと、気にされておいでのようでしたから」
な、なぜわかる?
背後に立ったままのミリア。
さっき着替えてから、わたし、一度も不満みたいなこと、言ってないよね?
「あ、あのねっ! 不満ってわけじゃないのよ! とてもキレイなドレスだと思うし! とっても素敵だし!」
あわてて弁明。
言いたかったのは、声かけた理由は、服への不満でもなければ、髪型への注文でもない。
目の前の鏡に映るわたし。
モスグリーンのブリオー。下に着ているシェーンズは、とても肌触りのいい絹。腰に巻かれた金の帯も、見えないけど足に馴染む靴も、とっても素敵。
ブリオーの襟ぐりにもシェーンズの袖口にも、「これでもか!」ってぐらい金糸の刺繍が施されてて。肌触りといい、仕立て方といい。これが「メッチャ贅をこらして作りました!」ってのがよくわかる。
髪をまとめたら、ミリアが着せてくれる気満々で用意されてるマントル。こちらも負けじと金糸で刺繍がビッシリ、でも上品に模様を描いてる。そしてマントルを止める細い鎖も金ときた。
とにかく。
とにかく、「メッチャ贅をこらして作りました!」なこれ……。
(日常使い、普段着なのよねえ……)
領地にいた時は、古びたブリオーに、洗っても落ちない垢じみた色(というか、垢色)のシェーンズしか着てなかったし、マントルなんて持ち合わせてなかったから、とても寒かった。
髪を誰かに梳いてもらうなんてなかったし、適当に編んで終わりだった。
それが、今や……。
(〝皇妃さま〟、ねえ……)
長年の婚約者を連れ帰った。
未来の皇妃。未来の国母。
ミリアに言いたかったことは、それ。
――皇妃さま呼び、やめてくれない?
リアハルトさまがわたしのために「とりあえず」用意したという、服。飾り。部屋。侍女。
日当たりのいい部屋で、ふんだんにガラスを使った窓からは、これでもかってぐらいの日差しがあふれる。
壁には色とりどりのタペストリーがかけられ、柔らかな敷物が床を埋め尽くす。
寝心地良すぎて、「起きる」を忘れてしまいそうなほど気持ちいい寝台。磨き上げられ、装飾ゴッテリなのに、品のある鏡。塔の部屋より広くて大きいのに、塔の部屋より暖かい部屋。大きな暖炉も備え付けられてて、冬になっても、洗面器に氷が張ってる寒さなんてことはなさそう。
そして、「とりあえず」のくせに、どれだけあるのよってぐらいたくさんの服。刺しきれないほどの簪。巻ききれないほどのリボン。全部巻いたら首が折れそうな数の首飾り。腰も圧し折れそうな数の帯。「わたしはいつからムカデになったの?」って、訊きたくなるほどの靴の量。
そのどれもが一級品。
皇帝陛下の「とりあえず」は、辺境伯の娘で、つい先日まで幽閉暮らしだったわたしには、桁違いすぎて目が回る。「とりあえず」が、わたしの一生分より多い気がする。
そして、「とりあえず」の後には、「足りないもの、必要なものがあるなら、いつでも言って欲しい。用意する」って言葉つき。部屋だってなんだって、わたし好みのものをいつでも用意してくれるんだってさ。
わたしには、自分で洗わなくていい服と、ゆっくり眠れそうな寝台、隙間風の入らない、日差しだけが入り込む温かい部屋があるだけで充分なんだけど。
リアハルトさまが「とりあえず」用意した〝皇妃さま〟のための部屋。〝皇妃さま〟扱い。それが、どうにも気が重い。
けど、それをハッキリ「嫌!」って言っていいのかどうか。
親切心、厚意なんだから、嫌がらずに受け取れ? いやいや、その前に、本当にわたしが皇妃でいいのかどうか、ちゃんと話し合え? セランのために、後見人を得るために、好きでもない人と結婚するのは、叔父が持ってきた縁談と変わらないんじゃない? それでいいの? リアハルトさまは、あのハンカチから勘違いっていうか、過去を美化しているような気がするんだけど。このまま流されるように結婚してもいいものなの? でも、セランのためには、〝皇帝陛下〟っていう後ろ盾は必要だし……。
結婚って、そんな妥協と打算と勘違いでしていいことなの? もっとなんていうのか、ロマンチックな恋の末にするものじゃないの? セランに〝皇帝陛下〟っていう後見人ができるのはうれしいけど、だからってわたしに〝皇妃〟が務まるの? 皇妃ってことは、あのリアハルトさまの隣に立たなきゃいけないのよ?
3つも年上で、行き遅れで、身分違いで、平凡な容姿のわたしが。あのリアハルトさまの隣に……。
コンコン。
ミリアの後ろ、少し小さめの扉を叩く音。
「――姉さま? 入ってもよろしいですか?」
言いながら、薄く扉を開けたのは、セラン。不安そうに部屋を覗くセランの顔が、鏡越しに見て取れた。
「いいわよ。いらっしゃい」
髪をミリアにいじられてるから、頭は動かせない。代わりに言葉で入室を促す。
「わあ、姉さま。おキレイです」
素直っぽい感想を述べ、トコトコと近づいてきたセラン。そのタイミングで、髪を結い終えたミリアが、セランの邪魔にならぬよう、頭を下げたまま一歩下がった。
(ほんと、できる人だな、この人)
主であるわたしと、その弟の邪魔をしないように。わたしが動きやすいように、自分の仕事を終える。
リアハルトさまの乳母の娘で、彼の侍従長の妹だって聞いてるけど。そういう縁だけでわたしの侍女に充てがったわけじゃないんだろうな。
あまり深く会話したことはまだないけど、その動きからなんとなく侍女としての能力を察する。リボンを交えて編み込まれたわたしの髪。きつく結んだわけじゃないみたいなのに、髪がこぼれ落ちてくる気配はない。チラッと鏡で見たけど、飛び出してる毛もない。
この辺、単純だけど「スゴい」って思っちゃう。
ドレスや装飾品はこれでもかってぐらいの「とりあえず」を用意したけど、侍女に関してはかなりの少数精鋭にしたリアハルトさま。このミリアを筆頭に、世話をしてくれる侍女は極端に少ない。まあ、こちらも「足りなければいつでも言ってくれ」つきだけど。今まで自分のことは自分でする暮らしだったから、この少数精鋭侍女は、気持ち的には助かってる。
「それで? どうしたのセラン」
「うん。あのね、勉強終わったから、姉さまとお庭を散策できたらな~って」
「終わったの?」
「うん! すっごく面白いお話を先生から聞いたんだ!」
聞いて、聞いて。
学んだことを語りたくて仕方ないんだろう。わたしを見上げるセランの目がキラキラしてる。でも、そんなことぐらいで忙しいかもしれない姉を誘っていいのかどうか。ちょっとモジモジして遠慮してるような部分もある。
あの塔にいた時は、そんな遠慮なんてしなかったのに。
ここに来て、部屋を分けたのはもちろんのこと、わたし以外の人とも関わるようになって、セランはわたしとの距離を取ることを覚えた。
21歳の姉と9歳の弟。
世間では、これぐらいの距離が姉弟として当たり前なのかもしれないけど、ずっと塔で身を寄せ合うようにして暮らしてきたから、今をどこか寂しいと思ってしまう。
「じゃあ、行きましょうか。わたしもゆっくりお話したいもの」
そう言って立ち上がると、セランの目の輝きが強まって、いつものセランらしい喜びが表情として全面に出てくる。
ああ、遠慮は覚えたけど、セランはセランなんだ。そのことが、少しうれしい。
「――皇妃さま、お待ちを」
セランの手を取ろうとしたわたしに、ミリアが声をかけてくる。そして――。
バサリ。
同時に肩に羽織らされたマントル。胸元で金の鎖で留められる。それから薄い透き通るような白のウィンプルを頭に被せ、金の細いサークレットでずり落ちないように固定。
「外は日差しが強うございますので」
だから、日焼けしないようにこれを被っていけ。
「ありがとう、ミリア」
お礼を言って、「いきましょうか」とセランの手を取る。――手を取るけど。
(〝皇妃さま〟、重すぎる!)
羽織ったマントルよりも、被ったウィンプルよりも。なによりも〝皇妃さま〟っていう、その言葉と扱いがものすごく重い。
勉強好きなセランに教師を用意してくれたり、満足な暮らしができるように取り計らってくれる、リアハルトさまの御心はうれしいけど。
(わたし、まだ結婚を認めてないんだからねっ!)
〝皇妃さま〟扱いされて。〝皇妃さま〟っぽく装わされて。〝皇妃さま〟呼びされて。
外堀埋められてくように、皇妃に仕立て上げられてく。このやり方、すっごく嫌!