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22.怒りの頂点で、「笑う」人ほど恐ろしいものはない

 リアハルトさまの昏睡。

 

 これは事実だった。

 セランをかばって落馬したリアハルトさま。

 骨折など目立った外傷はなかったけれど、発熱もひどく、それから翌朝まで、ずっと目を覚まさなかった。

 ようやく目を覚ましても、身を起こすのも難しいぐらい衰弱なさってて。このまま亡くなってしまうんじゃないのかっていう推測は、当たらずとも遠からずって感じだった。アルディナさまが訪れたときに歩けたのは、ほぼ奇跡に近い。(わたしが肘鉄喰らわせたせいで、寝台に送り返される羽目になったけど)


 ――これは好機かもしれん。


 言い出したのは、リアハルトさまだった。

 自分が死ぬかもしれない。

 その噂を、リアハルトさまは利用した。――面白がって。


 リアハルトさまが亡くなれば、世継ぎのいない今、後継者はアルディナさまとなる。

 そうなれば、野心ある者たちはアルディナさまに群がる。アルディナさまもおっしゃっていたように、「自分の息子(孫)を夫にどうでしょう」が、真っ先に群がった。

 アルディナさまを女帝にして、己の息子(孫)を皇配にする。そうすれば、権力は我が手に。ガハハハハ。

 まあ、これは想定内だったようで。リアハルトさまは苦笑しつつも、「好きなようにやらせておけ」で放置した。相手をするアルディナさまは苦労するだろうけど。「今後の政の参考にさせてもらう」と笑ったリアハルトさま。なにをどう「参考にする」のかは知らない。おそらく、今後の内政人事に利用するのだろうという推測。「自分の息子(孫)を夫にどうでしょう」の奴らは、きっと閑職に追いやられる。


 リアハルトさまが真に狙っていたのは、「アルディナさまを、アルディン皇子に戻して即位させる」という一派。

 アルディナさまは、生来「男」である。皇女としたのは、現皇帝陛下の虚言。


 なにをどうこねくり回したら、そんな主張ができるのか知らないけど、その一派の筆頭が、アルディナさまの母親だった。


 ――妾は、男子(おのこ)を産んだ。娘など知らぬ。


 そして、アルディンは皇帝である。廃皇子だったリアハルトが帝位に就くなど間違っていると主張をくり返す。

 

 (いつから、リアハルトさまは廃皇子だったの?)


 一度もそんなこと言われたことないと思うんだけど。皇都から放逐されてただけでしょ。

 間違ってるっていうのなら、皇女と皇子としたこと、庶子に帝位を継がせたこと。そっちのが間違ってるでしょって思うけど、そういうツッコミは許されないらしい。


 皇帝、意識不明。皇帝崩御、待ったなし。時間の問題。

 

 その噂を利用して、リアハルトさまは、敵の出方を待った。

 「自分の息子(孫)を夫にどうでしょう」の奴らじゃない。

 リアハルトさまを亡き者にして、アルディナさまをアルディン皇子として即位させたい一派が動くのを待っていた。自分の凶報を餌として敵を釣り上げた。

 それまで、アルディナさまの母親を尼僧院に幽閉しただけで放置していたリアハルトさまが、そうしたのには理由がある。

 

 「リアハルトさまがおっしゃってたのだけどね。セラン、アナタの馬の耳に、馬丁がアブを入れたらしいの」


 「――え? 僕の馬に?」


 「ええ。それであの馬は暴れたらしいの。アブを入れるところ、リアハルトさまが目撃なさってたの」


 だから、馬が暴れた時、リアハルトさまはすぐに応対できた。


 「あの馬丁、アルディナさまの母親の一派の者だったそうよ」


 あの馬丁は、馬が暴れ始めると、アッサリと轡を手放したけど。あれも、自分が巻き込まれちゃ大変だから、自分から手放して、馬を暴れるままにした。


 「まさか、セランが狙われるとは思ってなかったらしくて。リアハルトさま、ひどく気になさっていたわ。セランに申し訳ない。あれで馬に怯えるように、馬を嫌いになったらどうしようって」


 狙われるなら自分。

 そう思っていたのに、狙われたのはセランだった。

 そのことを、リアハルトさまは、とても気に病んでいた。


 「だから、すぐにでもアナタに事情を説明しようって思ったの。アナタにすべてを話して、アナタが追い詰めないようにって。でもね、作戦のためには仕方ない、後で思いっきり謝罪するつもりだっておっしゃってたわ。巻き込で申し訳ないって」


 「姉さま……」


わたしも、本当は、すぐにでもせらんのところに駆けつけたかった。落馬して、ケガなくすんでよかった。落馬はアナタのせいじゃないから、気に病まないでって、抱きしめてあげたかった。

 リアハルトさまなら元気よって、言ってあげたかった。

 でも、そうすると、セランに企みのすべてを話さなくてはいけなくなる。ウッカリ話したことで、次またセランが巻き込まれることになれば。今度こそ悔やんでも悔やみきれなくなる。だから黙った。だからウソをついた。心苦しかったけれど、そうするしかなかった。

 アルディナさまとユージィン殿が面倒をみてくれるっておっしゃってくださったけれど、姉としてセランを置いておくのは辛かった。


 「リアハルトさまはね、今度こそアルディナさまの母親とその一派を叩き潰すおつもりよ。以前は、アルディナさまの手前、助命も許したけれど、今度こそは許さないって。アナタをあんな危険な目に遭わせたこと、それとまたアルディナさまを利用しようって魂胆が許せないんですって」


 義兄として、異母兄として。

 大事な弟妹を政争に巻き込んで。

 面と向かって自分に襲いかかってきた、自分を利用しようとしているのではない、その卑怯なやり方が許せなかったらしい。

 やるなら堂々と向かってこい。戦争でもなんでも受けて立つ!

 作戦を話す時、リアハルトさまは始終笑っていらしたけど。あれ、絶対怒ってるわ。顔は笑っていたけど、そばにいると、空気がピリピリ痛かったもの。

 「怒る」という感情の発露として、一番恐ろしい形態、「笑う」。まだ、怒鳴ったり、喚いたりのほうが絶対マシっていう怒り方。


 「リアハルトさまが昏睡状態、危篤という噂が流れれば、いろんな者が動く。リアハルトさまの回復を願う者、次はアルディナさまだと、己の家族を皇配にしてもらえるように、面会に訪れる者。そして……」


 「命を狙う、とどめを刺そうとする者……ですか?」


 「そうよ。弱ってる時こそ、反撃の機会だって。帝位を奪われた復讐をしようっていうの。サイテーよね」


 こんなこと、まだ幼いセランに話さなきゃいけない状況に、むかっ腹が立つ。

 本当は、セランには、世間の醜い応酬など教えたくなかった。誰かを殺す、殺されるなんて、一番知らせたくなかったことだった。

 でも、ここまできて、キレイ事だけで、何もなかったフリをして接することはできない。悔しいけれど、セランにも事情を教えておかねば。

 教えたくないけど、学ばせたくないけれど。その反面、こういう醜い部分を教えるのは姉である自分の役目だとも思った。辛いことだからこそ、両親に代わってわたしが教えてあげなくては。


 「もちろん、このことはアルディナさま、ユージィン殿もご存知だわ。アルディナさまは、ご自身の母親が軟禁されてた尼僧院から脱走なさったっことを知っている。そして、尼僧院を脱走した母親が、協力者とともに、自分のもとにやって来るだろうことも。アルディナさまはね、母親を捉えるためのエサになってくださってるの」


 「姉さま……。あっ! いけません!」


 「セラン? どうしたの?」


 なぜか、急に慌てだしたセラン。


 「ユージィン殿は……、あの方は、アルディナさまの母君を〝皇太后さま〟って呼んでいらっしゃいました!」 


 皇太后。

 先帝の皇后、もしくは、現皇帝の母親に与えられる称号。

 ただの愛妾では呼ばれない称号。


 「大丈夫よ。ユージィン殿は、アルディナさまの母親を油断させるために、あちら側の味方のフリをなさってるの」


 「――本当ですか?」


 「ええ。リアハルトさまが、そのように指示なさったのよ」


 だから、そんな心配することないわ。


 「ユージィン殿は……、これはわたしの勘でしかないけど。絶対にあちら側にはつかないわ」


 だって、ユージィン殿は、アルディナさまを好いておられるもの。アルディナさまがあるディン皇子に戻って、皇帝に即位すること。誰よりもそれを嫌ってるのは、ユージィン殿のはずよ。確証はないけど。


 「よかったぁ~」


 セランが、ホッと安堵の息を吐く。同時に、クタッと体から力が抜けた。


 「陛下がお元気だったこともだけど、安心しました」


 「ごめんなさいね。本当のことを伝えられなくて」


 心配させていた、気に病ませていたことは、何度謝っても謝りきれた気がしない。


 「いいんです。でも、ユージィン殿が敵じゃなくて、アルディナさまも無事なら、問題ありませんよね!」


 「そうね」


 幼い胸を押さえ、何度も「よかったぁ」をくり返すセラン。

 それほどまでに心配していたんだろう。だからこそ、ホッと安堵の息をくり返す。

 でも。


 (本当に『よかったぁ』なのかしら)


 そうセランに説明したはずなのに。

 なぜか、説明したわたしのほうが、不安にとらわれる。


 ――ユージィン殿は、本当にこちらの味方なの?


 それだけじゃない。


 ――リアハルトさまは、本当にお元気になられたの?


 あれだけの高熱を発して。ずっと床の上にいたのに?


 ――本当に大丈夫なの?


 敵は、アルディナさまの母親とその一派。

 皇位を争って、命がけで戦場を駆け巡ったリアハルトさまとは、戦いの経験値が違う。

 でもだからって。絶対リアハルトさまが勝つとは決まっていないわ。

 百戦錬磨、よく北方の蛮族と戦っていた歴戦の父さまだって、戦で命を落とした。リアハルトさまだけ無事なんてこと、ありえるのかしら。

 一度わき起こった不安は、白布に落ちた黒いインクのように、広がるばかりで消えることはない。


 「――姉さま?」


 「ああ、なんでもないわ、セラン」


 「……はい」


 絶対安心。絶対大丈夫。

 リアハルトさまは絶対ご無事。

 セランに、そう信じ込ませなきゃ。


 「眠いの? セラン」


 「はい。少しだけ……」


 ホッとして気が緩んだのか。

 緊張から解放され、一気に眠気が襲ってきたのだろう。目を何度もこすり、体がわずかに揺れ始める。

 いつもセランが寝ている時間は、とっくに過ぎている。わずか八歳では、これ以上の夜ふかしは無理だろう。


 「いいわ。そこの寝台で寝なさい」


 「え、でも、そこは陛下の……」


 「いいのよ。リアハルトさまの寝台、とっても広いから。少しぐらいセランが使っても問題ないわ」


 「でも……」


 セランが気にしているのは、「皇帝陛下の寝台を、自分が使ってもいいのか」ということだろう。いくら姉が皇后(予定)だったとしても、皇帝の寝台を使うのは不敬じゃないのか。


 (幼いのに、真面目なんだから)


 「大丈夫よ。姉さまも使って休んだことがあるの」


 「ほんとですか?」


 「ええ。ほら、ずっと看病ってことで、ここにいたじゃない? それで、眠い時はここでリアハルトさまといっしょに寝たの。セランも、寝相悪くなければ、リアハルトさまは怒ったりしないわ」


 「じゃあ、僕、……寝ます」


 「そうね。次に目を覚ましたら、何もかもが無事に終わってるわ」


 アルディナさまが救出されて。悪い母親が捕まって。リアハルトさまとユージィン殿が無事に戻っていらして。

 だから、おやすみなさい。セラン。


 床に入る。

 そこまでで限界だったのだろう。

 すぐに深い眠りに落ちていったセラン。静かな部屋に、安らかな寝息だけが聞こえる。


 (――いっしょに寝た……ねえ)


 セランは、ただ本当に寝台で「寝た」だけだと思ってるんだろうな。子犬とか子猫が身を寄せ合って丸くなって寝るような。


 (イテテテテ……)


 背を丸めると、わずかに痛く重い腰を、背を反らすことで痛みをほぐす。

 最初の夜こそ、生死の境をさまようような容態だったリアハルトさまだったけど。アルディナさまがご訪問なさった頃からメキメキと体力を取り戻されて。


 (あっちもお元気になられちゃったのよね)


 どこが、なにが、とは言わない。セランには、絶対聴かせられないところのお元気。

 普段なら「なに言ってんのよ!」で肘鉄食らわせて終わりなんだけど。今日の作戦のこともあるし、そこまでリアハルトさま(のお体)がお元気になられたことがうれしくて。


 (つい、やっちゃったのよねぇ)


 夜の静かな寝台で、二人っきりってのがまずかったのかもしれない。

 最初は、正当な口づけだけのつもりだったんだけど。そのうち、頬とか耳とか首筋とか、それよりもっと下の部分とか、ドンドン口づけ箇所が変わっていって。リアハルトさまの手も、顔だけじゃなく、胸とか腰とか、それ以外とか。いろんなところに触れてきて。


 ――エナ。


 (うぎゃあああっ!)


 思い出すだけで、悶絶しそう。

 あの色っぽい声、一途にわたしだけを捉える瞳。熱く湿った肌。

 抗えるほど、わたしはできた人間じゃない。ドンブラコッコと流される質の人間なのだと、昨日の夜、タップリ教え込まされた。

 リアハルトさまが元気になられてうれしい。

 リアハルトさまが求めてくださってうれしい。

 リアハルトさまが……、違うな。わたしが(・・・・)リアハルトさまを欲しがった。

 

 リアハルトさまが好き。


 その感情に気づいてしまったら、年齢とか身分とか、自分の容貌とか。そんなのどうでもよくなった。

 ただひたすらに彼が欲しい。

 求められるままに体を開く。

 彼に愛されていること、彼を愛していること。それを体と心に刻みつけたかった。

 初めてだったのに。痛みとか辛さよりも、もっと大きな幸せと歓びを与えられた。

 そして。


 「ミリア、悪いけどセランのこと、見ててくれる?」


 「皇妃さま?」


 「わたし、ちょっと行ってくるわ」


 リアハルトさまのもとに。

 愛されてると実感して。愛してるって痛感して。

 

 「このまま待ってるだけは嫌なの」


 離れて待つことの恐怖を知ってしまったの。

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