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2.スズラン(っぽいなにか)のハンカチ

 十年前。

 その子は、父さまに連れられてやって来た。


 リアハルト・ラジェル・アウスレーゼン。

 この国、アウスレーゼ帝国の第一皇子。


 青い目と、けぶるような金色の髪の皇子さま。

 わたしより三つも年下の皇子さま。

 誰とも話もしないし、ずっと与えられた室に籠りっぱなしだった皇子さま。

 今みたいに笑うこともなく、人形のように……ううん、人形より厳しい顔で、グッと口を引き結んでいた皇子さま。目は、周囲を警戒しているような、ギラギラした光を宿していた。


 というか、どうして皇子さまが、こんな辺境へ?


 皇都からものすごく離れた北の地、ベルティナ辺境伯領。

 北の蛮族と戦うために置かれた辺境伯。

 そんな地にどうして? それも第一皇子が。

 第一皇子って言ったら皇帝陛下のお世継ぎで、よほどのことがない限り、皇都を離れることなんてないんじゃないの? 


 聞けば、母親である皇妃が幽閉され、皇宮では父帝の愛妾と、その子どもが暮らしていたらしい。

 皇妃の不貞が幽閉の理由だと言われてたけど、そうじゃないのは誰の目にもあきらかだった。


 ――愛妾と暮らすため、皇妃は幽閉された。


 そして、第一皇子で皇太子だったリアハルトさまは、わたしの父に預けられた。世継ぎとして世界を学べってことらしいけど、そんなの体の良い追放だ。そう噂されてた。

 皇妃さまもリアハルトさまも、冤罪をかけられても処刑されなかったのは、皇妃さまが外国から嫁いだ姫だったことと、リアハルトさま以外に嫡出子がいなかったから。

 皇妃さまを処刑すれば外交問題になる。いくら愛妾とその子を溺愛しても、帝位は正妻の産んだ子しか継げない。

 だから、皇宮で暮らせなくても生きながらえることはできた。

 けど、わずか8歳で母親から切り離され、父親に捨てられるように追い出されたリアハルトさまは、手負いの獣のように、誰に対しても心を許そうとはしなかった。養育を任されたわたしの父に対しても。優しく世話をしようとした母にも。友になろうと声をかけたわたしにも。


 ――いつまで、悲劇の主人公ぶってんのよ!


 わたしがしびれを切らしたのは、彼がやって来て一ヶ月後ぐらいだった。

 室に引きこもってばっかりの彼が、身重だった母を突き飛ばした。

 当時、弟を身ごもっていた母。

 母もお腹の子も無事だったけど、それを聞いたわたしは、怒りに頭がどうにかなりそうだった。

 父さまも、当の母さまも、「無事だったからいい」で終わらそうとしたけど、わたしは納得しなかった。

 「ふざけんじゃないわよ! ぅおらぁっ!」

 今思えば、絶対令嬢の台詞じゃない。せめて「たいがいになさいませ、ごるぁっ!」じゃないと。(あれ? あんまり変わってない?)

 彼の室の扉を蹴っ飛ばして、中にいた彼を室から引きずり出した。――まあ、引っかかれ、暴れられ、殴られ、蹴られもしたけど。それでも、11歳だったわたしが、8歳の子どもに負けるはずはなくて。というか、同い年でも勝てるんじゃないかってぐらい、あの頃のリアハルトさまは、青い目だけがギラギラした感じ、ガリガリのヒョロヒョロだった。

 ドレスも髪もボロボロになったけど、リアハルトさまを室から引きずり出すことには成功した。


 ――ちゃんと母さまに謝りなさい!


 そう怒鳴った。

 どうして母さまを突き飛ばしたのかなんて知らない。故意だったのか、事故だったのか。偶然で悪気はなかったのか。

 でも、母さまはそれで倒れた。幸い、お腹にいた弟にも母さまにも問題なかったけど、だからって謝らないのは違う。

 わたしとリアハルトさまのケンカ。

 ビックリして、どうしたらいいかアワアワした従者たちが父さまを呼びに行って。駆けつけた父さまが仲裁に入った頃には、わたしもリアハルトさまもズッタボロだった。

 天使みたいな彼の顔には、わたしがつけた引っかき傷。令嬢らしく結ってたわたしの髪は引っ掴まれたせいでグッチャグチャ。服にも互いの靴跡がクッキリ残ってたし、袖は破れ、半分取れかけていた。

 それでも、どうどう落ち着けと引き離されても、二人共相手をギッと睨みつけてたんだけど。


 ――フアッ、アッ、ゥアアア~ンッ。


 室に泣き声が響いた。

 わたしじゃない。リアハルトさまが顔をクシャクシャに歪ませて、思いっきり泣き始めたのだ。

 さすがに。

 さすがに、わたしもビックリして。蹴ったり叩いたり引っ掻いたのが、それほど痛かったのかと思ったんだけど。大人げなかったと、ごめんなさいしたほうが良いかと思ったんだけど。


 ――ゴッ、ゴメンナサッ、イッ!


 泣き声の合間に発せられた謝罪。

 どうやら、リアハルトさまは、母さまを突き飛ばしてしまったことを「悪い」と思っていたようで。でも素直に謝罪できなくて。どうしたらいいかわかんなくなってカッコつけてたっていうか、謝罪のタイミングを逃してたっていうか。

 で。わたしに「謝んなさいよ!」って言われて、引くに引けなくて、ケンカにまでなってしまった――らしい。

 本当は、母さまに優しく接してもらってうれしかったこと。

 窓の外に見えた、わたしたち家族が幸せそうで羨ましかったこと。

 母親である、皇妃さまと引き離されて寂しかったこと。

 エンエン、オイオイ。干からびちゃうんじゃないかってぐらい、いっぱいいっぱい泣きながら、リアハルトさまはすべてを話した。

 泣きながらだから、少し不明瞭なところもあったけど、でもその気持ちは不思議と理解できた。


 寂しかったんだ、この子。


 寂しいだけじゃない。不安で、心細くて。でもそれを誰にも言えなくて。一人、ずっと歯を食いしばってて。

 わずか8歳で、母親と引き離されて。引き離したのは父親で。父親には自分より大切な愛妾とその子どもがいて。

 自分は捨てられた。

 父親の手で、家族が壊された。

 壊されただけじゃない。母親にも会えない。遠い地に捨てられ、一人ぼっち。

 だから。

 だから、ずっと自分を守ってたんだ。

 ずっと室に引きこもって。優しく差し伸べられた手すらはね退けて。わたしと思いっきりケンカをするぐらい、全身を見えないトゲで武装して。


 ――だったら、わたしが家族になってあげる!


 ――えっ!?


 泣くのを忘れ、キョトンとしてたリアハルトさま。そばにいた父さまも、おなじように目を丸くしてた。けど。


 ――わたしがアンタの〝お姉さん〟、〝家族〟になってあげる!


 そう宣言した。

 実の父親に捨てられた? なら、父さまがここで父親になってあげればいい。

 母さまも同じ。

 そして、わたしがお姉さん。生まれてくる弟妹と合わせて、三兄弟になればいい。

 幽閉されてるっていうお母さま、皇妃さまにはいつか合わせてあげたいと思うけど、それまでは、ここで家族として暮らしたらいい。


 ――そしたら、寂しくない?


 ――う……ん。


 ――じゃあ、まずは、母さまに「ごめんなさい」、言いに行こ? ほら、お姉ちゃんがつき合ってあげるから!


 涙に濡れた手を引っ張ると、今度は抵抗することなく、すんなりついてきたリアハルトさま。


 ――これからは、わたしのこと、〝お姉ちゃん〟って呼びなさいよ!


 そう言ったけど、結局リアハルトさまは一度も〝お姉ちゃん〟とは呼ばなくて。最後まで〝エナ〟って、わたしの名前を呼び捨てにしてた。

 けど、わたしも物わかりの良い姉になりたくて。「そっかあ、いきなり〝お姉ちゃん〟は照れるよねえ。ウンウン」と、勝手に頷いて納得しているフリをしていた。

 わたしの弟分となってからは、リアハルトさまは室に引きこもることもなく、おんなじように外で遊んだり、いっしょに本を読んだりした。(というか、わたしが一方的に読み聞かせてた)

 月満ちて、母さまがセランを産んでからは、二人の弟の面倒を見るお姉さんって感じで接した。リアハルトさまと二人で、おままごとの延長線のような感覚で、セランの世話をしたこともある。

 わたしとリアハルトさま、どっちが抱っこが上手か――なんてことを争ってみたりして。そばで母さまは笑ってて。父さまは、二人のどっちかがセランを落っことさないか、ハラハラしてて。

 あの時のわたしたちは、確かに〝家族〟だった。


 けれど、リアハルトさまが来て四年が過ぎた頃。

 わたしが15、リアハルトさまが12になった時。

 わたしたち家族の運命が変わった。

 

 皇帝陛下の死。


 リアハルトさまの父である皇帝の急死。

 皇位継承第一位は、当たり前だけど第一皇子の彼。

 だから、次期皇帝は彼なんだけど。


 ――皇都で、愛妾が自分の息子、第二皇子を皇帝に即位させました!


 皇帝崩御の報と同時に伝えられたこと。

 皇帝が亡くなって三日後。早い者勝ち的な勢いで、彼の異母弟が即位したのだという。たった5歳で。

 皇都から放逐されていたとしても、継承第一位は彼。即位するべきは彼。

 愛妾におもねる貴族もいたけれど、生前の皇帝のふるまいに、不満を抱いていた貴族もいて。

 そもそも、愛妾はどこかの貴族の庶子だとか、街の演劇女優あがりだとか。とにかく出自もハッキリしないような女性。そして、皇帝と結婚してたわけじゃないから、第二皇子は、皇帝の子どもではあるけど、皇帝といっしょに暮らしてはいたけど、正統な世継ぎじゃない。庶子。

 正統な後継者、皇妃さまのお子であるリアハルトさまは、「世界を学ぶため」に皇都を離れていただけ。廃嫡されていたわけじゃない。

 だったら、リアハルトさまが即位するのが正しいのではないか。リアハルトさまこそ、皇帝位に相応しい。


 戦になる。


 父は、リアハルトさまとともに馬上の人となった。

 この国の正義を取り戻すとかなんとか。

 ベルティナ辺境伯領からだけじゃない。リアハルトさまの下には、様々な身分の貴族や騎士が集った。


 ――気をつけて。

 ――どうか無事で。


 そう言って、出立するリアハルトさまにハンカチを贈った。

 母さまが、そうしていたから。

 父さまの無事を祈って、ハンカチに刺繍を刺していた母さま。いつも、父さまが戦に出る時、必ず刺繍したハンカチを贈っていた。

 シュッと伸びた広い葉。そこから伸びた一本の茎に、鈴なりに白い小さな花。

 スズラン。

 花言葉は、「幸福の再来」「安全」「純粋な愛」。

 戦に、本物の花は邪魔だから。だから、代わりに刺繍を贈る。

 無事に。無事に帰ってきますように。それから、「ずっと愛してます」と想いを伝えるために。

 母さまの作ったものと違って、わたしのハンカチは、緑のなにかの中に、白い団子がいくつもついてるだけの、とてもスズランには見えないシロモノだったけど、それでもリアハルトさまに贈った。

 マネして一生懸命作ったんだから、頑張ったんだから、恥ずかしい出来上がりだけど、渡さなきゃもったいない。

 それに、父さまにも無事に帰ってきてほしいけど、弟分であるリアハルトさまにも無事でいてほしかったから。父さまの無事は母さまが祈ったからいいけど、リアハルトさまの無事は、わたし以外誰もいなかったから。

 だから、渡した。

 姉として、弟の無事を祈って。


 今思うと、顔から火が出そうなほど、下手くそで恥ずかしい出来栄えなんだけど。当時のわたしは、「無事を祈って刺繍した、スズランのハンカチを渡すわたし」ってやつに、酔いしれてたんだと思う。

 うん。

 そうよ。

 赤ちゃんだったセランを使って、「おままごと夫婦ごっこ」を楽しんでたみたいに。リアハルトさまを使って、「ロマンチックごっこ」に酔いしれてたんだよ。

 うん。

 そうよ。そうに違いない。

 そういう年頃だったのよ。

 なのに。


 「これか? エナの想いの証だからな。ずっと大切に持っているぞ」

 

 皇都に向かう馬車のなか、懐から取り出したソレを、ヒラヒラさせるリアハルトさま。

 緑に包まれた、白い団子――もとい、スズランの花。

 表のスズランの絵もなんだけど、裏の糸の絡み方がとってもエグい。鳥の巣のが整然としてる気がする。


 「やっ! ちょっ! 返してくださいっ!」


 久しぶりに見たけど、ダメージ大きすぎる! グハアッて断末魔を上げて、ぶっ倒れそうよ。


 「ダメだ。これは、もう俺のものだからな。こうしていつも大事に、肌身離さず持ち歩いてる」


 「いや、肌身離してくださいっ! っていうか、速攻捨ててください、そんなものっ!」


 なんだったら、今すぐ馬車の窓からポイ捨てしてください!


 「何を言うか。これは国宝だぞ。エナの愛がつまってる」


 「つまってない!」

 

 詰まってるのは、「ロマンチックごっこ」したという、わたしの恥ずかしい過去だけ! 旅立つ騎士に自分の刺繍したハンカチを渡すという、ロマンチックごっこの残骸しかつまってない!

 ヒラヒラさせるだけで、ちっとも取り返させてくれないリアハルトさま。それどころか、必死なわたしを見て笑ってる。


 「もうちょっと丁寧にっ! もっと上手に刺繍しますからっ!」


 だから、それは返して!

 見てるだけでもクソ恥ずかしいのに、それを誰かが大切に持ってるだなんてっ!


 「それならば、もう一枚贈ってくれないか? 愛するエナの刺したものなら、何枚でも持っていたい。宝が増えることはよいことだ」


 チュッ。


 これみよがしに、ハンカチにキスしてみせたリアハルトさま。青い瞳に、いたずらっぽい光が宿る。けど。


 (冗談じゃないわよぉっ!)


 返して、ハンカチ! お願い、やり直させて! そのハンカチはなかったことにしてっ!

 でないとわたし、恥ずかしさで顔どころか、全身から火を吹いちゃうわよ!

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