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18.遠駆け

 「――うわあ」


 並ぶ馬の背、一人で馬に乗ったセランが感嘆の声をあげる。


 「すごい。すごいです、姉さま」


 自分で馬を操っている。

 目の前にある、果ての見えない広大な草原。

 どちらにより多く気を昂らせているのか。わからないけれど、今のセランはとても興奮していた。


 ――うまく乗りこなせるようになったら、遠駆けにでも出かけてみないか?


 いつだったか。

 リアハルトさまがセランに提案したこと。

 それが今日、ようやく実現した。

 と言っても、それに適うだけの技量に、セランが達したわけじゃない。皇城からここまで馬に乗れたのではなく、ここに来てから馬に乗った。

 皇城どころか都からも離れた丘陵地。さすがに、始めたばかりのセランに、ここまで乗馬させるのは酷な話だった。

 それでなくても、セランはこういった「外の世界」に出たことがない。ベルティナにいた時は、ずっと塔に幽閉されていたし。見たこともない、踏み入れたことのないような場所に、「ようやく馬に跨っていられるようになった」程度のセランが、馬を操ってここまで来るのは無理なことだった。

 わたしは……、まあこれぐらい平気だったけれど、でも「あれが新しい皇妃さまかあ」みたいな視線を避けるため、セランといっしょに馬車でここまで来た。

 そして、「皇妃さまともあろうものが」な、ヒソヒソ陰口の素になりたくないので、女性用の横鞍(サイドサドル)で騎乗している。

 今日は、皇帝と親しい者だけの「遠がけ」。臣民引き連れての「狩猟(ハンティング)」じゃない。だけど、親しい者だけであっても、ゾロゾロ部下はついてくる。

 わたしに、侍女のミリアがついているように、従者だの馬の轡取りだの、周囲を警備する騎士だの。なんていうのか。「外には出たけれど、皇城の中身がそのまま引っ付いてきてる」みたいな状態。今のわたしたちのそばにはいないけれど、背後の草原には、「乗馬に疲れたわたしたちが休めるよう、天幕用意してます」係もいる。「お腹空いたら、料理も用意しております」係もいる。

 

 (大変だなあ)


 皇帝陛下が「ちょっと出かけたい」って言っただけで、これだけゾロゾロついてこなきゃいけないんだもん。

 気軽に「ちょっと」ができないこと。臣下も皇帝も、どちらも大変だ。


 「どうだ。セラン、エナ。ここの景色は」


 カサカサと草を踏み分け、近づいてくる馬。


 「陛下」


 「ここは、代々の皇室の狩り場なんだが。少し似ていると思わないか?」


 似ている? 何に?


 「ベルティナに……ですか?」


 「そうだ。あそこで見た風景に似ている気がするんだ」

 

 そうかな? 似てるかな?

 言われ、あらためて周りを見回す。

 淡く霞がかった水色の空。空に溶け込むまいと、藍色を濃くした山並み。手前の丘や森は、それぞれの緑を日の下に晒す。同じ緑は二つとない。

 今日は狩りの日ではない。

 そのことを知っているのか、小鳥たちがさえずり、空を飛び交う。

 とてものどかで、とても平和な景色。


 「――似ているのですか? ベルティナに」


 セランが尋ねる。

 セランはベルティナの自然を見たことがない。一応は、両親が健在だった頃に何度かあるのだけど、幼すぎて覚えていないらしい。


 「似ている。俺は、即位してから何度もここに来て、何度もベルティナのことを思っていた。とても恋しかった」


 って。

 なんでそこで、わたしを見るんですか!

 とても恋しかったって。

 思っていたのはベルティナのことであって、わたしのことじゃないでしょ。


 「よし、セラン。一度、馬を駆けさせてみないか?」


 「馬を、ですか?」


 「そうだ。馬場で走らせるより、ずっと気持ちいいぞ」


 リアハルトさまがセランを誘う。けど、誘われたセランは、チラッ、チラッとこっちを見るばかり。

 行っていいのか。誘いに乗って大丈夫なのか。

 行きたいのに、わたしの顔色をうかがってる。


 「いいわよ。いってらっしゃい」

 

 そりゃあ、「あぶないわよ」とか「アナタにはまだ無理よ」って言いたいところだけど。問いかけてくるセランの目は、とてもキラキラしてて。ここで「ダメよ」なんて言って、しょげさせるのは、気が引ける。


 (まあ、リアハルトさまがついていれば、大丈夫でしょ)


 それに、いつまでも過保護でいちゃダメよね。将来のベルティナ辺境伯として、ちょっとぐらいの冒険をさせてあげなきゃ。


 「では行くか」


 「はい!」


 リアハルトさまが、近くにいた男、馬丁にセランの馬の轡を取るように、目で指示する。

 馬を駆けさせることはできても、馬を思うように走らせることは、セランにはまだ難しい。だから、足の早い、扱いに慣れた馬丁に轡を取らせる。


 「――すまんな、エナ。弟を連れ去ってしまって」


 駆け出していった二頭の馬を見送っていたら、後ろから謝られてた。


 「アルディナさま。それとユージィン殿」


 「陛下は、ずっとセラン殿と馬で駆けることを楽しみにしていらっしゃいましたから」


 空いたわたしの隣に並んだ、新たな馬一頭。

 アルディナさまを横座りで乗せ、同じく騎乗したユージィン殿が手綱を操る。


 「わたくしがいっしょに駆けてやると言ったのだがな」


 「いけません!」


 残念そうなアルディナさまを、ユージィン殿が叱りとばす。


 「お御足が丸見えになってしまいます! 昔ならいざ知らず、今はいけません!」


 その剣幕に、「こういうことだ」と軽く肩をすくめてみせたアルディナさま。


 (あー。なるほど)


 アルディナさまは、アルディン皇子として育った。おそらくだけど、馬の乗り方は女性らしい横鞍(サイドサドル)じゃなくて、本格的な鞍に跨る方法。もちろん、男性と同じブレー、丈夫な革の靴を履いての乗馬なんだろう。だから、ユージィン殿が必死に止めている。

 それは「はしたない」からか、それとも「好きな人の足を見せたくないから」、もしくは「足を見せられて、平気な顔でいられないから」か。少しだけ気になった。


 (でも、お幸せそうだからいいか)


 怒られ止められているのに、少しも残念そうじゃないアルディナさま。

 むしろ、どこかうれしそう。

 足を見せたくないと思ってもらえてうれしいのか。それとも、単独で馬に乗せられないから、いっしょに騎乗しているこの状況がうれしいのか。どっちなんだろう。

 少なくとも、今のアルディナさまなら、馬で駆け回れなくても、ゆっくりとそぞろ歩き程度の速さだったとしても、満足なんじゃないかな。


 (いっしょに騎乗かあ……)


 相思相愛の騎士と姫が、騎士の愛馬の背に揺られる。

 その前後に何があったかは置いておいて。そういう状況、場面に憧れる。

 敵が迫れば、姫を全力で護り、馬を駆けさせる騎士。そんな騎士に、己の運命と想いを託す姫。

 まあ、わたしの場合、自分で馬を駆けさせられるし、なんなら自分で戦えるから、そういう状況に陥ることはないんだけど。

 それでも。やっぱり憧れはするんだよねえ。


 遠く、草原を駆ける二頭の馬に視線をやる。

 

 (わたしがやるとなると、セランじゃ格好つかないから、――リアハルトさま?)


 リアハルトさまなら、わたしを乗せたって、ちゃんと馬を御せるだろうし。敵に迫られてもちゃんと護ってくれ――いやいやいや! 何考えてるのよ、わたし!

 パタパタと頭上の何かを追い払うように、手であおぐ。


 「エナ? どうした?」


 「アハハ。なんでもありません。アハハハ……」


 暗い森のなか。馬上に二人。黒い梢の間から白い月の光が差し込んで……なんて想像してませんのことよ? ええ、まったく、これっぽっちも想像しておりませんわよ? アハハ。


 「――皇妃さま。皇女さま」


 白々しい笑いを続けるわたし。その間抜けた空気を裂くように、鋭く低く、ユージィン殿が声を上げる。


 「なにか、様子が――」


 「セランっ!」


 ユージィン殿が言い終わるより早く、わたしが馬を駆けさせる。


 「皇妃さま!」


 ユージィン殿とアルディナさまが追いかけてくるけど、そんなの知らない。


 「セランっ! リアハルトさまっ!」


 ガガッとわたしの馬が草を踏み散らす。

 最初に異変を起こしたのは、セランの馬。

 突如、轡を持つ馬丁を振り払って、狂ったように駆け出したセランの馬。

 

 「セランっ!」


 その馬を追いかけるリアハルトさま。


 「セランっ! しがみつくな! 背を伸ばせ! 叫ぶな!」


 追いつき、並走しながら必死に声をかけるけど、それどころじゃないセランには、リアハルトさまの忠告は全然聞こえていない。ギュッと目をつむり、振り落とされまいと、馬の背にしがみついてる。


 「うわあああっ! 姉さま! 姉さまっ!」


 悪手だ。

 何があったか知らないけれど、狂ったように走ってる馬にしがみつくのも、その背で叫ぶのも、絶対やってはいけない悪手。しがみつかれれば、叫ばれれば。馬は余計に興奮、混乱して、止まることができなくなる。

 

 「セランっ!」


 あっという間の出来事だった。

 走らせる馬をセランの馬に近づけると、リアハルトさまが、セランの体を馬の背から奪い取る。同時に、セランの馬が棹立ちになる。リアハルトさまが、セランを抱き取ってくれなかったら、セランは地面に叩きつけられてただろう。

 けど。


 「リアハルトさまっ!」


 セランを抱き取ってくれたリアハルトさま。だけど、やはり無茶があったのか。そのまま二人とも馬上から草むらに、ドサリと転げ落ちた。


 「グッ……!」


 「リアハルトさまっ! セランっ!」


 駆けつけ、馬から飛ぶように降りると、深い草に隠れた二人に駆け寄る。

 仰向けに倒れたままのリアハルトさま。その腕のなかには、セラン。


 「僕は無事です。姉さま」


 ノロノロと、それでもリアハルトさまに負担をかけないようにセランが起き上がる。


 「セランは、無事、だ、ぞ……エナ」


 息も苦しそうなのに。それでも、わたしに告げるリアハルトさま。

 笑おうとしてるのか。それとも苦しいのか。わずかに顔を歪めてみせた。


 「陛下っ!」

 「兄さまっ!」


 追いついたアルディナさまと、ユージィン殿。

 続く従者や騎士たち。

 

 「早く医者を!」


 「陛下をお運びしろ!」


 先程まで、鳥がさえずる穏やかな草原だったのに。

 草原は、蜂の巣をつついたように、騒然となった。  

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