17.生まれた意味
「エナ!」
「アルディナさま……」
「お前が室から出てきたと報告があったのでな。迎えに来た」
ものすごく。ものすごくニッコニコのアルディナさま。
わたしをあそこに放り込んだのだから、その結果を知りたい。
わかるんだけど。わかるんだけど。
そりゃあ、室から出てきたものの、ここで立ち止まってたのだから、その間に情報のが先に伝達されてる場合もあるだろうけど。報告があっという間に届く、アルディナさまの爆速情報網、ちょっと怖い。
「それで? 異母兄上とは、シッカリ話せたか?」
「ええ、おかげさまで」
ウソだけど。お茶飲んだだけだけど。怒って室から飛び出してきただけなんだけど。
「それで、アルディナさま。わたしの弟、セランはどこに?」
わたしをリアハルトさまの室に放り込んで。セランを連れ去ったのはアルディナさまだ。
「ユージィンに任せてきたが。……本当に、お前は心配性というか。弟を盲愛してるんだな」
「いえ、盲愛というか、その……」
「違うのか?」
「――はい」
嫌いとか言うわけじゃない、むしろ、〝大好き〟〝大事〟なんだけど。それを〝盲愛〟と表現されると、「それは違う」と反論したくなる。
「では、〝溺愛〟だな」
「でっ……!」
溺愛?
盲愛よりはマシ? どうなの?
「初めてお前たちを見た時、あまりにアイツを大事にしているから。てっきりお前がアイツの母親なのかと勘違いしてしまった」
「はっ、母おっ……」
口をパクパク。
わたし、そんなふうに見られてたのっ!?
「子持ちのくせに皇妃になるのか、それともアイツは異母兄上の隠し子だったんじゃなのかと、色々想像した。まあ、年齢的にアイツが異母兄上の子だと、おかしいのだがな。異母兄上は、いったいいくつで子を設けたのか、早熟だなと」
「当たり前です!」
セランが、わたしとリアハルトさまの子? あの子が今、8歳だから……って! 数えるんじゃない!
「だが同時に、そこまで大切にされているアイツが羨ましくもあった。世の中には、こんな親子もいるのだなと」
だから親子じゃないってば!
反論したかったけど、アルディナさまの表情に、その怒りは消えていく。
わたしをからかうような笑いを収めて、逆に寂しげに目を伏せたアルディナさま。
(お母様とのことを、考えていらっしゃるのかしら)
幼いリアハルトさまと、その母である先の皇妃を皇城から追い出した先帝の愛妾。
アルディナさまを身籠った時、子は男児であると先帝に告げ、生まれたアルディナさまを、アルディン皇子であるとウソを続けた人。
アルディナさまの乳母の子、ユージィン殿の話だと、アルディナさまがご自身の性別を知り、母親がついたウソに気づいた時。アルディナさまが助けを求めた先、乳母とその乳姉妹を冤罪で殺した人。
もしかして。もしかしてだけど。
アルディナさまの母は、アルディナさまに愛情というものを与えてこなかったのかもしれない。子は男児であるという自身のウソを守り通し、早いもの勝ちで皇帝に即位させ、アルディナさまに兄妹の確執を植え付けた。助けを求めることを許さず、アルディナさまをアルディン皇子という型に無理やりはめ込んだ。
アルディン皇子としてのアルディナさまなら、大事になさっていたかもしれない。けど、それは自身と権力のために大事になさっていただけなのかもしれない。
「なあ、エナ。世の中には、男同士、女同士の友愛を越えた愛、男女の仲のように睦まじい、親密な愛があると知っているか?」
「あ、ああっ、アルディナさまっ!?」
なっ、何を言い出すのっ!?
「そういう同性どうしの愛は、男女と違って性欲に基づく愛ではないから、とても尊い、崇高な愛なんだそうだ」
「そっ、そうなんですかっ!?」
というか、なんでそんな話っ!?
聞いてるこっちの頭が混乱しそう。わたし、どんな顔して聞いていればいいのっ!?
「同性どうしは、崇高な愛。――なあ、エナ。お前は女に生まれたことをどう思う?」
「――へ?」
女に生まれたこと?
話がとっ散らかってる、突拍子もないところからの質問に、思考がついていかない。理解不能。
「男に生まれればよかった、などと考えたことはあるか?」
「えっと……」
あるのかな。ないのかな。
自分のなかであるかないか、記憶を問いただす。
あるかないかで言えば、「ある」。
セランが生まれた時。
父さまも母さまも、世継ぎ誕生を喜んだ。わたしが男の子だったら、あんなふうに喜んでくれたのかなって思ったけど、セランが生まれても、わたしが疎まれるなんてことはなくて。注がれた愛情はそれ以前と変わらなかったから、「男の子だったら」はすぐに霧散した。
父さまとリアハルトさまが出陣なさった時。
わずか12歳のリアハルトさまが出陣なさったのだから。男の子だったら、当時15歳だったわたしも同行して、初陣を飾ることもできたはず。あんなハンカチを贈るのではなく、リアハルトさまの盾となって、剣となって戦うことだってできたはず。そうすれば、父さまが亡くなることだってなかったかもしれない。
わたしが男だったら。
もっと上手にセランを守ることだってできたはず。そもそもわたしがいれば、わたしがベルティナ辺境伯を継ぐのだから、叔父の魔の手は、伸ばすことすら叶わない。
叔父が持ってきた縁談。強引に嫁がされるなんてことも起きないだろう。
わたしが男だったら。
父が生きていて、母も亡くならずに。もっと平穏な人生を、セランに与えてやれてたかもしれない。幼くして父母を亡くしたセランには、両親の記憶がない。
「わたくしはな。自分が男児ではなく女だと知った時、どうして男児ではないのかと、己の宿命を深く呪った。男児であれば、庶子のわたくしが帝位に就くことはなくても……、少なくとも乳母たちを死なせるようなことにはならなかった」
「アルディナさま……」
沈痛。悲痛。
今にも泣き出してしまいそうなほど、うなだれたアルディナさま。
「でもな。今は女に生まれたことを感謝している。女であってよかったと、心の底から思っている。男児をと望んだ母上には、申し訳ないがな」
言って、顔を上げたアルディナさま。
その顔に、さっきまでの悲痛は、どこにも残っていない。
(強いな)
いろんなことがあって。色々辛いこと、泣きたくなるようなことがあったはずなのに。
そうして、昂然と顔を上げられるアルディナさまは、お強いと思う。
「男同士の愛が尊いと言われてもな。わたくしは、男女の愛こそ至上のものだと思うのだ」
「男女の愛……ですか?」
「そうだ。だから、エナ。お前も女として異母兄上に出会った意味を考えてくれ」
出会った……意味?
「男同士でも、情愛を育むことはできるが、子を育むことは男女でなければできぬ」
ブッ。
「あっ、ああっ、アルディナさま、なにをっ!」
何をおっしゃってるんですかっ!
「ハハッ。女は良いぞ。好きな男の愛の証として、子を残すことができるっ!」
笑って駆け出したアルディナさま。
「姉さま!」
その先に立っていたのは、セランとユージィン殿。
アルディナさまが駆けていくのと同時に、セランがこちらへと走ってくる。
わたしが、ポスっとセランを受け止めたように、アルディナさまもユージィン殿にその身を受け止められてる。
――走ってきて、あぶないですよ。抱きついてきたりして、はしたないですよ。
そんなお小言をくらってるみたいなのに。なぜかうれしそうにユージィン殿の顔を見上げてるアルディナさま。
(あれ? もしかして、アルディナさまって……)
――ユージィン殿が、好き?
「姉さま?」
「なんでもないわ。心配かけてごめんね、セラン」
見上げてくるセランには、そう言ったけど。
ユージィン殿に、じゃれるようにまとわりつくアルディナさま。怒られても、ニコニコ笑って、離れようとしない。
ユージィン殿も、怒りはしたけれど、無理にベリッとアルディナさまを引き離すなんてことはしない。抱きしめる――なんてことはしないけれど。とても。とても優しげに、目を細めてアルディナさまを見ていらっしゃっている。
(いいな)
感情を隠さないアルディナさま。それを、やさしく受け止めるユージィン殿。
直接の言葉は交わさなくても、そこに、確かに強い情があることは感じ取れる。
その姿を、なぜだか「うらやましい」と思ってしまった。




