16.ウソとホントとイタズラの境界線
「――エナ? 寝てるのか?」
え? あれ? わたし、寝てるの?
問いかける声に、自分が寝ていることを自覚する。
アルディナさまに放り込まれたリアハルトさまの室。時間を潰すために、そこにいただけなのに。
(いつの間に寝ちゃってたんだろう)
おそらく、昨日の寝不足と、疲れと、お茶を飲んだことで、気が緩んだせいもあるんだろうけど。
(起きなきゃ)
さっきの声は、リアハルトさまのもの。
ってことは、前後は覚えてないけど、そのままリアハルトさまの室で寝こけちゃったみたい。
「ンッ……」
あれ?
軽く息のような声は出たけど、それ以上ができない。
まぶたがどうしようもなく重くて、体が、指一本動かせない。意識はユラユラと、こうして浮き上がって覚醒しはじめてるのに、体がそれに伴わない。体だけじゃない。せっかく覚め始めた意識も、どうかするとまた眠りに沈んでいきそう。
「エナ……」
聞き取れるぐらいハッキリと、衣かこすれる音がした。――リアハルトさまが、近くにいらっしゃる?
「無防備すぎるぞ、男の室で居眠りなど」
そっ、そそっ、そうですね!
いくらなんでも寝ちゃうなんて、婦女子として、あるまじき失態ですわよねっ!?
昨日、一睡もできなかったから――なんてのは、言い訳にもなりませんですわよねっ!?
わたし、起きます! 起きますからっ!
ギシッ。
(――え?)
わたしの右側。何かの重みに沈む長椅子。
リアハルトさまが腰掛けたの?
思うより早く、そのまま右側から、温もりが伝わってくる。
すぐ隣に、リアハルトさまが腰掛けなさったんだ。鼻腔に届いた彼の匂い。目を閉じているせいか、とても強く感じ取れる。
それと。
(ええええええっ!?)
わたしの髪が一房持ち上げられる感触。髪に神経なんてないはずなのに、彼の手が触れていることを、敏感に伝えてくる。
「キレイな髪だ」
毎晩、ミリアが梳ってくれる髪。冴えない茶色の髪だけど。香油をつけたり、なんだかんだ手入れされてるおかげで、それなりのものになってる。キレイと褒めてもらえて、よかった? ホッとした? けど。
「香りもよい」
そうですか。そうですかっ!
匂い嗅がれてるの、そのかすかな鼻息の変化でわかってますけどねっ!?
(わたし、どんな顔していればいいのよおっ!)
眠くて起きられないから、恥ずかしくて起きられないに状況変化。
この状況で、「あら、わたくし寝ておりました?」な顔して、今起きたフリをするとか、無理っ! だからって、このまま寝たフリを続けるのも無理っ!
ヘンに力がこもっちゃってるのか、肩がものすごく凝ってきた!
「式は急がない。皇帝、皇妃の結婚となれば、それなりに支度が必要だからな。最高の衣装をまとったエナを、最高の舞台で見てみたい。それに――」
リアハルトさまの独白?
全身を耳にして、一字一句だけじゃなく、その声の強弱、緩急すらも聞き漏らさない。
「俺が求めるのと同じぐらい、エナが俺を求めてくれるまで待つつもりだ」
わたしが? リアハルトさまを? 求める?
「六年も待ったんだ。この先も、いくらでも待つさ」
六年? じゃあ、あの出征の時からずっと、リアハルトさまはわたしを想ってくださってたの?
「結婚話を勧められてたのには、さすがに肝が冷えたが――」
って。ちょっと!
「この香り良い髪も、すべらかな頬も、柔らかな唇も」
ちょちょっ! 何触ってんのよ!
寝たフリしてるわたしの髪から頬、そして唇へと、言葉といっしょにリアハルトさまの指がなぞっていく。
「今ではすべてが、俺のものだ」
ンなわけあるかー! わたしの体は、わたしのものだー!
叫びたい。
叫んで、その手を振り払いたい。
けど、一旦寝たフリしてしまった以上、どこでどう目を開いたら、わざとらしくないか悩んでしまう。
「――エナ」
リアハルトさまの声が、わたしの首筋、耳の近くから聞こえた。普段より、一段低くなった彼の声。
声だけじゃない。吐息が首筋にあたる。彼の熱が、触れてもないのに、わたしの肌に伝わる。体中の産毛がザワッと立ち上がるような感覚。
「いい加減起きねば、このまま抱くぞ」
――――っ!
「きっ、気づいてたのですかっ!?」
わたしがウソ寝してたことっ!
カッと目を見開き、ウソ寝終了。首筋を押さえて飛び退る。
「気づいてた。どこまでガマンできるのか、試してみようかと思ったが……」
リアハルトさまの言葉が途切れる。わたしの態度に、笑いがとまらなくなったから。真っ赤になって首を押さえるわたしを、リアハルトさまが笑い続ける。
「あのまま抱けばよかったな」
「冗談じゃありませんっ!」
ウソ寝したからって、そういうことに持ち込まれてたまるもんですかっ!
「帰ります!」
リアハルトさまなんて、リアハルトさまなんて、リアハルトさまなんて!
執務に真剣に向き合う姿は、とってもカッコよく思えたのに!
わたしのこと、真剣に想ってくださってるって、ちょっと感動してたのに!
それなのに。あんなふうにふざける方だったなんて!
長椅子から立ち上がり、ズカズカ大股で扉に近づく。
「またな、エナ。いつでもここに遊びに来い」
そんなわたしを追いかけるでもなく、長椅子に腰掛けたままのリアハルトさま。
やっぱり、さっきの全部、わたしをからかって遊んでいただけなんだわ。
「お邪魔しました!」
フン!
自分で開けた扉。力任せにバンッと閉める。
扉の脇に控えていた衛士がその音に身を震わせたけど。そんなこと、どうでもいいわ。
叔父の進めてきた縁談破棄。セランの後見人。
真面目に政務にとりかかる姿。異母妹を大切にする姿。
今までリアハルトさまを好評価してたけれど、それもご破算。最低よ、最低!
いつの間に、あんなふざけたことをする方に成長してたのかしら! 昔は、もう少し真っ直ぐで、ひねくれたところのない方だったと思うのに!
わたしの髪がキレイだとか、わたしのことを待ってるとか! あれ、全部ウソ? わたしが起きてるのわかってて、からかっただけっ!?
リアハルトさまなんて、リアハルトさまなんて、リアハルトさまなんて!
プンスカと、怒りのままに歩いていた足。だけど。
リアハルトさまなんて、リアハルトさまなんて――
首筋に手をあてると、足が次第にゆっくりになって、止まってしまう。
触れられた肌に、まだ熱が残っているような感覚。指の辿った道筋だけじゃなく、触れた指紋すら残されているいるような。
(リアハルトさま……)
もう少し、寝たフリを続けたほうがよかった?
なぜか、もったいないことをした気分になる。怒り続けるのが難しくなってくる。
(――って! 何考えてるのよ、わたし!)
あれはただの悪ふざけよ!
一生懸命、理性が怒り続けるように命じてくるのに。
彼の吐息のかかった首筋を押さえた体は、そのまま歩き続けることができずに、回廊の真ん中で立ち尽くしてしまった。