13.顔から火を吹くような過去は、ゴッシゴッシと消し去りたい
「とおからんも、のは音にも、聞け。近くば、よって目にも……見よ? これこそ貴様たちの呼ぶなるアウスレーゼンの、アルテュリアよ。この首欲しく、ば、かかて参れ」
たどたどしい名乗り。
声も、大音声とはいかず、とても幼い。読んではみるものの、これでいいのかな? って不安が感じ取れる。
「合ってるわよ、セラン」
今日は、庭での団らん。
といっても、セランが「今日習ったことを、姉さまにお教えしたいんです!」って言い出したことで、半分、勉強の復習会になりかけてる。
アルテュリア大王の戦記。
大王が、敵に囲まれて。そこで名乗りを上げる名シーンなのだけど。
「よく読めました」
たどたどしくても、そこは褒める。
ゆっくりでも、聞き取りにくくても。セランは一生懸命読んでいる。ふざけてるのでなければ、ちゃんと褒める。
それでなくても、今、セランが読んでいるのは古代語の本。まだ8歳のセランが読むには少々難しすぎる内容。
(でも、この物語で古代語を勉強したいって言い出したのは、セランなのよね)
アルテュリア大王のこと、現代語で読んでひどく感銘を受けたみたいで。「もっと詳しく知りたいです!」と、自ら古代語を習うことを望んだ。
セランの勉学指導にあたってくださってる、司書長は、その意欲に驚き、そして喜び、8歳では無理でしょって思っちゃうような、分厚い古代語本をセランに貸し出してくれた。まずは、読めるようになること。それから、意味を理解できるようになること。
おそらく、あの老司書長もアルテュリア大王が好きなんだろうな。ものすごくキラキラした目で、書をセランに渡してくれた。好きなものを、知らない誰かに教え広めたい。これを読んで理解を深めて、そして同じ嗜好にドップリ浸かれ。仲間になれ。そんな魂胆が含まれていそうな渡し方だった。
(アルテュリア大王、ねえ……)
その戦記は、わたしも読了している。
というか、老司書長に負けてないぐらい、わたしも好きだった。
だって。
わたしの名前のもとになった「戦乙女エナ」が出てるし。勇敢で大胆で、それでいて情の深い大王と、とても、とってもステキなロマンス繰り広げてるし。
戦略とか、血肉湧き踊る、男の子がワクワクしそうな部分もあるけど、『アルテュリア大王戦記』は、女の子もときめく、ロマンティックな恋の部分も存在する。
(昔は、わたしだって、想像してたわよ)
「戦乙女エナ」に大王がいたように。わたしにも、そういうステキな男性が現れるんじゃないかって。
エナは、戦乙女と称されるぐらい、戦いに長けた、勇猛な女性だけど。だからって筋肉ダルマ、武力のみ! じゃなくて。容貌はとても美しく、心根は誰に対してもやさしい。
勇猛さ、やさしさ、美しさ。その落差もあってか、大王以外の男性から興味を持たれ、結果、強く好意を寄せられてる。敵、味方、身分の上下関係なくエナに想いを寄せる男たち。どれだけ見目麗しく、どれだけ地位のある男性が言い寄ろうとも、一途に大王(物語初期は、ただの庶民)だけを慕い続けるエナ。同時に、どれだけ美しい女が言い寄ってこようと、エナだけを大切にする大王。
そういう、「世界に男(女)はお前だけ」みたいな二人の愛に、憧れてた。
ええ、憧れてましたとも。
リアハルトさまを大王役にして、『アルテュリア大王ごっこ』をするぐらいには、憧れてましたとも!
消去したい、自分の記憶。
消しておきたいのに。その記憶は熾火のように頭のなかにこびりついてて、時々ワッと自分のなかで炎を上げて存在を主張してくる。忘れたいのに忘れられない。
(リアハルトさまだけでも、忘れてくださってたらいいのに)
アルテュリア大王ごっこで、木剣を振り回してたのは……、まあ、忘れそびれててもいいだけどさ。エナになりきって、大王役のリアハルトさまに「(エナに)愛を告げるシーン」を演じさせたのは……。彼の記憶にこびりついてるなら、わたしがゴシゴシ洗い流して消し去ってあげるわよ。
「――姉さま?」
「ああ、なんでもないわ、セラン。上手に読めてるわよ」
あわてて笑みを作り出す。
今は、過去を思い出してる場合じゃない。
一生懸命勉強している弟を褒めてあげなくては。
「勇猛なる大王。野に響く大音声の御名乗りに、剣、大剣、槍、斧。あらゆる得物、あらゆる弓馬がどうっと押し寄せる。干戈の音激しく、矢は雨の如く降り注ぎ、馬蹄は大地を唸らせる。されど、丘の戦乙女は動かず――だったか」
「アルディナさまっ!?」
突然現れたアルディナさま。というか、セランの読んだ文章の先、そこまで上手に諳んじることができるなんて。
現れたことと、諳んじたこと。どっちに驚いたらいいのか。
「すごいですね」
代わりに感嘆の声を上げたのはセラン。
確かにスゴい。
ここは、大王がわざと囮になって敵を引き付け、その間に敵の背後に遊撃隊が回り込んで、攻め込む機会を待っていた部分。
遊撃隊を率いていたのは、戦乙女エナ。彼女は、部下が「大王の窮地だ。加勢に向かおう」と叫ぶなか、ジッと戦況を見極め、一番最高の突撃機会を窺っていた。どれだけ自分の大切な人が的に囲まれても、機会を伺い、微動だにしないその胆力。そして、そんなふうに大事な局面を見極められる彼女だからこそ、大王は彼女を信頼して、大事な遊軍の役目を任せている。
そういう場面だから、「暗唱できてスゴい!」と褒めたくなるけど。『大王記』には、これよりスゴいシーンはいくらでもあるから、暗唱するならそっちでしょ、とも思う。
だからこそ、こんなシーンまで暗唱できてるアルディナさまは、正直スゴい。
「『大王記』は、すべて覚えさせられたからな」
ほええ。
わたしとセラン。
二人、驚く間に、アルディナさまが、勝手に空いていた席に腰掛ける。
「すべて覚えさせられた」って。
あの膨大な『大王記』を? まだ十三歳のアルディナさまが?
実を言うと、わたしだって、すべては暗記していない。
『大王記』が、戦略、政治、武術、統治、恋愛。すべてのお手本になるような書であっても、そのすべてを覚えさせられることはない。古代語の手本にもなるけど、だからって、全部暗記するのは……。
「それで? その弟は、どこまで暗唱できるようになったんだ?」
「ま、まだです……」
セランが、身を縮こませる。
「なんだ。まだ本がないと読むことすらできないのか」
セランの答えに、アルディナさまが「フン!」と鼻息を鳴らす。その鼻息に、ますますセランがうなだれる。
「あ、アルディナさま。セランはまだ勉学に励み始めたばかりですし。もう少し長い目で見てあげてくださいませんか」
セランへ助け舟。
それでなくても、『大王記』は、古代語で書かれてて、読むのも難しい。
アルディナさまが、いつから習い始めて、いつ習得なさったのか知らないけど。勉強を初めたばかりのセランを責めても、いいことなんて一つもない。セランが萎縮してしまうだけ。
「フン。それでは、いつまでたってもエナが自由にならぬではないか」
――は?
わたしが? 自由に?
どういうこと?
「エナ。次は、わたくしと話をしろ」
「――え?」
「せっかく庭に出てきたというのに。弟ばかり相手にしていては、つまらぬではないか」
――それって。
弟ばかり相手にしてないで、わたくしの相手をなさい!
ってこと?
セランの勉強をけなしたのは、このままではいつまで経っても自分の相手をしてもらえないからってこと?
(ナニソレ)
プイッとそっぽを向いたアルディナさまの頬。怒ってる、不満いっぱいの証拠に、プウっと膨らんでいる。
「承知いたしました。アルディナさま」
そういうことなら。
「では、先ほどセランが読みました部分、次はグリーシア語に訳していただけませんか?」
「ぐっ、グリーシア語っ!?」
「姉さまっ!」
アルディナさまとセラン。二人が、わたしの提案に目を丸くする。
「アルディナさまは、諳んじることができるほど『大王記』に親しんでいらっしゃるご様子。でしたら、次は、グリーシアの言葉に訳していただけませんか?」
そんな二人の驚きなど、どこ吹く風。ニッコリ提案を続けた。
グリーシア語は、『大王記』に書かれた古代語より、さらに古い言葉。
古いけれど、この世界の言語の元となった言葉だから、王侯貴族は誰であっても履修する言語。グリーシア語を学んでおけば、他国の言語を習得するのに役に立つ。当然、わたしも習ってるし、セランだって、古代語を習った後に、学習する予定にしている。
「難しいですか? アルディナさま」
『大王記』を諳んじられるぐらい学んだのなら、グリーシア語も学んでるでしょ?
「で、できぬことはない!」
わたしのニッコリ煽りに、真っ赤になったアルディナさまが、「貸せ!」とセランから『大王記』をひったくるように奪い取る。
「では、セラン。二人で、皇女さまのグリーシア語を拝聴いたしましょう。シッカリ学ぶのですよ」
ということで、『大王記』を読む古代語の授業から、『大王記』をグリーシア語で読む授業に変更。
これなら、セランの勉強にもなるし、「かまって」アルディナさまのお相手もできる。
(まったく。どこをどうとったら、わたしにベッタリ甘えてくることになるのよ)
異母兄との仲を取り持ったって言っても、あの暴力の結果だし。結婚して(するつもりはないけど)義姉になるったって、まだ先の話だし。
まさか、セランを押しのけてまで、わたしにかまわれたいってなるなんて。
リアハルトさまといい、アルディナさまといい。
皇室の子女は、己に暴力を振るうような相手に好意を抱く、そういう習性を持っているのかもしれないけど。
(めんどくさい)
まとわりつかれたわたし。少しぐらい、そう思ってもいいよね?